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「別にお前まで付いてくる必要なんて、なかったんだぞ!」
「だって海斗、行くって聞かないし。アンタ一人で行かせる方が心配だし」
舞愛の学校が夏休みに入り始めて間もない頃の週末、爽やかな朝の遊歩道。ジェットバック同士の衝突事故を目にしてから、半月程が過ぎていた。トレーニングウェア姿にスポーツバッグを背負った海斗が、スタスタと先日と同じ河川敷に向かって歩いていくのを、今からプールか海にでも遊びにでも行くのかといった服装に海斗と同じようなスポーツバッグを抱えた舞愛が、小走り気味に追っている。
「今日の体験会はなぁ、遊びに行くんじゃないんだぞ。親父が母さんと別れて、俺達兄妹の事もほったらかしにしてまで没頭したジェットバックが何なのか、自分で確かめるんだ。事故の現場を見たからって、一度決めた事をやりもしないで諦めるなんて、出来るかよ。お前が止めても、俺はやるからな」
「そっか。おじさん、アレの開発やってたんだっけ。だから海斗……。そりゃ酷いとは思うけどさ。あの人なりにやりたかった事、あったんじゃないの?」
「お前は俺達が小さい頃の、親父の外づらのいい部分しか知らないから、そんな事を言えるんだ。親父が仕事人間になって早死にしちまったせいで、俺達兄妹は離れ離れにさせられちまったんだぞ。母さんだって、今どこで何してるんだか……」
立ち止まって舞愛に言い返しながら、やりきれない思いに震えている海斗。
二人が歩く遊歩道に涼しげな風が吹き、遠くから車や電車の走行音が、かすかに聞こえる。
「ひょっとして海斗、おばさんに見つけて貰いたかったりする? でも、おじさんが亡くなった時だって、姿を見せなかったじゃない」
「母親にはもう、期待しちゃいないさ。俺は自分で稼げるようになって、香里奈を呼び戻すんだ。お前だって、親戚の家で肩身の狭い思いをする必要なんてなくなる。前にも言ったけど、俺達と暮らせばいいじゃないか」
「そりゃアタシのパパも、パパを探しに行ったママも、もう多分戻ってこないって、自分じゃわかってるけど……」
「なら決まりだな」
「でもやっぱり、アタシも挑戦する。アタシがダンススクールに通ってたの、海斗も知ってるでしょ? 案外、アタシの方が向いてるかもしれないじゃない?」
海斗の前に出て歩き始める舞愛に、海斗が追いかけ始める。
「なんだよ、折角まとまりかけた話だったのに」
「いいじゃない。アタシああいう頭と体を使った駆け引きには、自信あるんだから。少なくとも騙されやすい海斗には、勝てると思うんだけど?」
海斗に並ばれかけた所で、舞愛が急に走り始める。ヒールのある走りにくそうなサンダル履きの割に、慣れているのか器用にタッタッと駆けていく。
「言ったな!」
程々の早さで、追い駆けていく海斗。
先日と同じ河川敷にやってきた舞愛と海斗。事故の日と同じようにワゴン車が止まっていて、上空には『ジェットバック体験会 開催中! JEBRA 日本空中競技会』の文字が投影されている。
既に体験会は始まっているようで、トレーニングウェアにジェットバックを装備した男女数人が、ゆっくりフラフラとした軌跡と姿勢で、上空を飛び回っている。
それらの人々とは別に一人、水着をベースにした奇抜なウェア姿に長い髪を片側でまとめていて、スッとした姿勢で上空をフラつかずに留まっている女性がいる。彼女が参加者でなく主催者側である事はその自信に満ち溢れている態度で、すぐに見てわかる。
背中のジェットの噴射口が、地面に対して直立になっていれば滞空できるという仕組み自体を忘れて落ちかける人を見つけては、機敏に飛んでいってその人の手を取り姿勢を直立になおして落ち着かせる、といった動きを彼女は繰り返している。時々、二、三人が同時に姿勢を崩した時も、テキパキと手際よく順番に向かって対処している辺り、教え慣れてもいるようだった。
河原ではワゴン車以外に大小いくつかのテントが張られていて、体験者やスタッフが忙しなく行き来している。受付をしているテントの前には体験希望者の行列ができているが、小さい子供からご老人まで、まさに老若男女問わずといった様子を見せている。
「このイベント予約制でしたよね? なんで行列になってるんですか?」
行列で待ち続け、ようやく受付の順番がやって来た舞愛は、ぐったりした様子で受付役の女性職員に突っかかっている。
「やめろよ舞愛。俺たちがここでモタモタしてたら、余計行列が長くなるだろ」
「そりゃ、そうだけどさぁ」
後ろからフォローを入れている海斗も、夏の日差しが照りつける河川敷で結構な時間待たされたせいか、ぐったりしている。
「私達もこういうイベントをやるのは初めてで手探りなもので……今後の反省材料にしますので」
「……そうですか」
「えーと、高野舞愛さん、区立第三中学校三年、14才ですね?」
「はい」
「ジェットバックのご経験は?」
「初めてです」
「服装の方は……」
「着替え持って来てます。更衣室はあるって情報見たんで」
「それでは奥のテントを交代で使って下さい。着替えた後はあちらへ行って下さい」
更衣室と指定された小さい一人用のテントの前には、女性を中心に長い行列ができている。
「また行列……」
「次の方は……志田海斗さん、高野さんと同じ学校、学年ですね」
「はい」
「二人はその……付き合ってるとか?」
「えっ?」
「ごめんなさい。プライベートな事聞いてしまって。随分仲良さそうにしてるから」
「幼馴染なんです。自分がプロ目指すって話したら、心配だから付いていくって聞かなくて」
「幼馴染かぁ、青春ねぇ……着替えはされてきてますね。彼女と一緒の組がよければ、ちょっと時間かかると思うから。待っててあげてね」
「はぁ……どうも」
「次の方……」
舞愛と一緒に居て、関係を聞かれる事には慣れっこになっている海斗。面倒なので『付き合ってます』と言うと、色々と根掘り葉掘り聞かれ、『ただの幼馴染です』と言っても勝手に相手から否定されるので、どう答えたら一番適当にやり過ごせるんだろう、などという結論の出ない考え事をしながら、舞愛が着替えて出てくるのを待ってあげている。
「ごめん。待っててくれてたんだ」
海斗の前にトレーニングウェア姿で現れる舞愛。海斗が舞愛のあまり見慣れない姿に気恥ずかしそうにしていると、先程の奇抜なウェア姿の女性・留衣が、ジェットバックの装置二つを抱えて二人のもとにやって来た。
「今日の体験会をサポートする、早乙女留衣です。よろしくね」
留衣は意図的に、海斗を向いて挨拶をする。
「あっ、はい。志田海斗と言います。よろしくお願いします」
照れ気味に応じる海斗。舞愛がまだ年相応の少女らしさを持っているのに対して、長身かつ年上で、肉感的な魅力も感じられる留衣に、気圧され気味になっている。
海斗が留衣に対してデレデレしているように見えた舞愛は、ムッとしながら会話に割って入る。
「高野舞愛です。お願いします!」
留衣は舞愛を一瞥だけして、二人に抱えていた装置を渡し、再度海斗に向かって話しかける。
「見た感じ、私よりちょっと下くらいの年だと思うけど、ジェットバックで飛ぶのは初めてみたいね」
「はい。まだ中三ですけど、選手になるのを目指してます! 今度の募集にも、応募するつもりです」
その言葉に、キッとなる留衣。
「私は親の影響で小さい時から飛んでいて、今度の募集にも応募するけど。周りもみんなそんな人ばかりだし、今からじゃかなり厳しいと思うけど?」
「それでも、俺達には目標があるんです」
「俺達、って事はそちらのあなたもなの?」
初めて舞愛に興味を示して振り向く留衣に、敵意満々の舞愛。
「アタシが選手目指しちゃ、おかしいですか?」
「男女差が少ないのがジェットバックの魅力だし、いいんじゃないかしら。ただ、ちゃんと実力が伴えば、だけど」
「なんか、トゲのある言い方……」
更に言い返そうとしかけた留衣だったが、ぐっとこらえた後、再び説明を始める。
「それじゃ、こっちの本体をランドセルみたいに背負って、ベルトも使って固定させて。後は、制御用のグローブと端末もね」
自身の腕を振り、グローブとウェアラブル端末を二人に見せる。
確認した後、見様見真似で舞愛と海斗が装置を付け始める。
ダイビングの体験者がインストラクターから教わりながら準備をしていくような手順で確認作業が続く。装備の動作確認と準備運動が終わった所で河原に向かい、三人が手を取り合って円状に立って並ぶ。
「それじゃ私の合図に合わせて、同じ動きをしてみて。一緒に浮上してみましょう、それっ!」
留衣が屈伸運動のようなモーションをすると、舞愛と海斗の二人も見様見真似で続く。
留衣が飛び上がる動作をすると、その動きに合わせてジェットから空気圧が噴き出て、浮上していく。
二人も飛び上がる動作を真似すると、二人のジェットからも空気圧が出始める。留衣に引き上げられるような形で、一緒に上昇していく。
「うわー、海斗凄いよ! 私達、飛んでる。って、わわっ!」
舞愛が体のバランスを崩して腹ばい気味になり、遅れかける。
「っ!」
留衣が舞愛の腕を引っ張り上げ、強引に元の直立姿勢に戻す。
「あなたねぇ……背中のジェットで飛んでるんだから、基本は直立! わかった!」
留衣に睨まれ、ぼそっと愚痴をこぼす舞愛。
「何も、あんなに強く引っ張らなくたっていいじゃない……」
「そういう事は、きちんと飛べるようになってから言って。海斗君は、初めてにしては要領がいいわね」
「亡くなった父親が、ジェットの開発に関わってたんです。それで知識だけはあって」
「……そう。でもそれだけじゃ、プロになるのは難しいかな。見てて」
留衣が二人の手を繋がせて離れると、腕のグローブをギュッと握ると、一気にジェットが加速して上空に飛び上がる。続けて、高速移動とターンを繰り返し決めていく。
「凄……」
以前二人が見た人達以上にキレのある動きを、少しフラフラしながら目で追う舞愛と、舞愛の手をとりながら見惚れている海斗。スッと上空をひと回りした後、二人の元に戻ってきて、手を繋ぎなおす留衣。
「最低限、私と同じくらいの事はできないと、選手になるには無理。海斗君だっけ。君にできる?」
「自信はないですけど、やってみたいです」
「そう。今日が初めてじゃ、一人では無理ね。私とペアになって、飛んでみようか」
「是非、お願いします!」
「舞愛さんでしたっけ? 暫く一人でそこで浮いていられるかしら。彼の事、ちょっと借りるわね」
「は?」
そう言い終えると留衣が海斗の手を取り、再び上空を飛び回り始める。
フィギュアスケートのペア演技のように、海斗と交差しながら上空を自在に飛び回る留衣。それになんとか呼応して、飛び続ける海斗。
「すげぇ……」
「あんな早い動き、絶対無理だって……」
地上では、体験の順番を待っている人達や競技会関係者達が、思い思いに感想を口にしている。
やがて留衣のエスコートで海斗がスッと地上に降り立ち、ギャラリー達の拍手喝采を受ける。
「あっ、どうもどうも。お〜い、舞愛〜っ!」
空中で踏ん張り姿勢の舞愛が、ちらっと地上の海斗に目を向ける。
「何よ海斗、いい気になっちゃってさ」
そこに戻ってくる留衣。
「ごめんなさい。待たせてしまって。もうすぐ時間になるけど。もういいかしら?」
「あの、私に加速とターンの仕方、教えてくれませんか?」
「いや、あなた、立ってるだけでやっとじゃない」
「アタシ、今は無理でも彼と同じくらいには、飛べるようになりたいんです。お願いします!」
「わかったわかった。それじゃちょっとだけ本気な所、あなたにも見せてあげるから」
留衣、手元の端末を操作して地上のスタッフを呼び出す。
「すみません、早乙女です。ちょっとの間、プロジェクタをレースコースに変えて貰ってもいいですか?」
一瞬の間があった後、『体験会実施中』の文字が消え、先日の男女が競っていた時と同じような、チェックポイントの立方体に切り替わる。
留衣が地上のワゴン車に手を振って合図した後、舞愛の片方の手を取る。
「手のひらのスイッチの力加減がジェットに反映されるから、スピードを上げたい時はそっちの手をギュッと握る。それだけおぼえて。それじゃ舞愛さん、行きます!」
トン、と空中で屈伸運動のような動きをして、一番のチェックポイントに向かって飛んでいく。その動きを野生的な勘で真似して、留衣に引っ張られないように付いていく舞愛。
「勘は悪くなさそうね。それならっ!」
舞愛が追い付いているのを確認すると、更にチェックポイントに向かって右手をギュッと握って加速する留衣。舞愛は左手を、同じようにして加速させる。
「いい、私が手で合図したら、手を緩めて減速。それから、競泳のターンのイメージで折り返す。その後は、ジェットがやってくれるはず」
「了解っ!」
「行くよっ! せーのっ!」
一番の枠に二人が入った直後、手で舞愛に合図を送る留衣。
まるで壁があるかのように、体をくるっと丸めた後にタン、っと足を伸ばして反転する留衣。
それとシンクロするようなポーズで、切り返す舞愛。
「おおっ!」
その様子を見ていた地上のギャラリー達も、再び歓声を上げる。
上空の二人は手を繋ぎあったまま、更に二番、三番とターンを決めていく。ポイントを過ぎるごとに、舞愛のターンが留衣のそれよりも鋭くなっているのが、地上からも見て取れる。
「舞愛……」
少し心配そうに、上空を見上げる海斗。
「あなた、さっきまで酷いポンコツだった癖に、やるじゃない」
「アタシ、小さい頃に瞬発力は身に付いてるんで! 今、すっごく楽しいです!」
「それじゃ、次でラスト! 決めてみせて!」
「はいっ!」
「せーのっ!」
留衣を先導するくらいにまで勢いを増して、四番コーナーに飛び込む舞愛。
「!」
舞愛の早さに怯み、舞愛の右手と繋いでいた左手を、思わず離してしまう留衣。
鋭いターンを決めた舞愛が、その勢いのまま頭から地上の川面に向かっていく。
「あぁ〜っ!」
自分で自分の止め方がわからず、混乱して悲鳴を上げる舞愛。
「足! 足!」
留衣は舞愛を追うのを諦めてスピードダウンし、大声で舞愛に指示を出し続ける。
「!」
舞愛がその呼びかけに気付き、とっさに体を丸める。ジェットが地上に向き、急速にブレーキがかかったようにスピードダウンするが、勢いが止まりきらないまま、浮き島を横切って川の中に突っ込んでいき、大きな水柱を上げる。
「舞愛!」
慌てて川に向かって駆けていく海斗。留衣も上空から、川の中に落ちた舞愛めがけて降下していく。