1
「舞愛。俺、アレを目指す事にした」
幼馴染の海斗に『二人きりで会いたい』と呼び出され、告白でもされるのかと身構えながら多摩川の河川敷へとやってきた舞愛は、彼が指さす上空を見上げ、ポカンとしている。
初夏のオレンジに染まった夕方の空に、ランドセルのような流線型の装置を背負った男女が、競泳用水着に陸上競技のユニフォームを重ね着したようなユニフォーム姿で飛び回っている。
「アレって、ジェットバック……だったっけ?」
上空の二人を目で追いながら、隣に立つ海斗に問いかける舞愛。二人とも通う中学校の制服姿で、舞愛は高めの位置で結んだ癖っ毛のポニーテールがトレードマークの、見るからに活発そうな少女。海斗は飾り気のない無造作なショートヘアで、まだ少し幼さが感じられる。
「あぁ。前からここでやってたのを見かけて、気になって調べたんだ。今年の冬に、初めてのプロテストがあるんだ」
空には番号の付いた立方体の枠が浮かんでいて、二人はその番号の順に沿って飛んでいる。女性は枠に入るたびに競泳のターンのような動きを繰り返してジグザグな軌道を描き、男性の方はひたすらトップスピードで止まらずに大回りをしながら曲線的な軌道を描いている。そんな対称的な動きで、その速さを競っている。
地上に目を移すと、河川敷にワゴン車が止まっている。その開いた屋根から広がる光の帯が、これらの上空の枠を投影している。ワゴン車の周囲には、技術スタッフと思われる私服姿の男女数人と、その下は飛んでいる二人と同じようなユニフォーム姿であろう、パーカーにスポーツシューズ姿の男女も何人かがいて、上空の競争を見守っている。
その様子を少し離れた土手から、舞愛と海斗は眺めている。実際にジェットバックで人が飛んでいる姿を見られる場所がまだ限られている事もあり、物珍しそうに土手から空を見ている人も、いくらか見かけられる。
「あんなの、お金持ちがやる趣味じゃない。アタシ達みたいなのが、買える訳ないよ」
「買えなくたって、選手にはなれるさ。オートレースや競馬なんかと同じなんだから」
上空で競っていた二人は、最後のターンを綺麗に決めた女性選手がわずかにリードして、川面に浮かんでいるプールの遊具のような浮き島にトン、っと綺麗に着地して、続けて男性選手が浮き島に滑り込むように着地する。上空の投影が『GOAL!』に切り替わり、ワゴン車の周囲で見物していた何人かが、拍手で駆け寄り選手の二人を出迎えていく。
「それならさぁ海斗、アタシもやってみようかな? ほら、今の勝負だって、女の人が勝ったみたいだし。空飛ぶのって、なんか面白そう」
「あのなぁ舞愛。ジェットバックってのは、結構危険なんだぞ。それにだな……」
ワゴン車の近くにいたパーカー姿だった男女のうち、見るからにスタイルが良さそうな女性がパーカーを脱いで、ジェットバックを背負う動作を始めている。先程まで飛んでいた女性とは違い、まるでグラビアアイドルがするような水着姿に、海斗は気恥ずかしそうな表情をして、彼女をチラチラと目線を向けたり外したりを繰り返している。
「んー……」
それを敏感に察知し、彼を訝しげに睨む舞愛。
もう一人、パーカーを脱いでフィギュアスケーター風衣装になった男性が、水着姿の女性と同様にジェットバックを背負い、彼女の手を取って、二人して上空へと上がっていく。
上空の投影が丸や三角といった記号に変わり、フィギュアスケートの男女ペアのようなアクロバティックな動きを、空中で演じ始める。
「……」
はじめは海斗の目がうわついている様を凝視していた舞愛だったが、上空の二人の動きが気になり始め、それを目で追うようになる。その様子に気付く海斗。
「……お前も選手になったら、あんな格好して大勢の人に見られるんだぞ。恥ずかしくないのかよ?」
「海斗さぁ、あの人と一緒に飛んでみたいんでしょ? だから、アタシがいたら邪魔なんだ」
「そ、そんなんじゃないさ。お前がああいう事して、知らない男に変な目で見られるのは嫌だっていうか……」
「何それ?」
「お前は普通に高校行けよ。親戚の世話になってるっていっても、親代わりなんだからそのくらいはさせてもらえるだろ。俺が稼げるようになったら、離れて暮らしてる妹の香里奈を呼ぶつもりだけど、その、よかったらお前も……」
「は? 何その上から目線。アタシってアンタの何な訳! 海斗のそういうトコ、前から嫌なんだけど!」
舞愛の怒りが頂点に達したその時だった。
「!」
大きな衝突音が響く。
直後、川に大きな水柱が二つ上がる。上空でアクロバット飛行をしていた二人が、背中合わせに追突したようだった。
ワゴン車付近に居たスタッフ達がざわつきだし、先程のレースを終えていた二人が、慌てて救出に飛び出して行く。
「おーい! 大丈夫か〜!」
川から引き上げられた二人の元にスタッフ達が集まり、つられて土手の上にいた舞愛と海斗も、心配そうに近寄っていく。
「すまないけど、ここでいい?」
事故に遭った二人の背から破損したジェットを外していく作業が、慌ただしく行われていく。ユニフォームもその場で脱がされ、スタッフ達が怪我の状況を確認している。
「!」
背中の広い範囲が赤く腫れていて、切り傷も複数ある様子が、舞愛と海斗の目に飛び込んでくる。
「何?」
怪我人二人の搬送にスタッフが右往左往している最中、脇に置かれていたジェットが発火する。
「危ないから、下がって!」
スタッフの一人に注意され、身を引く舞愛達。
「海斗、行こ……」
海斗の制服の裾をクイっと掴み、促す舞愛。
「あ、あぁ……」
ワゴン車から消化器を持ったスタッフが出てくるなど、河川敷が物々しい雰囲気になる中、立ち止まって振り返る舞愛の目は、少し怯えているようにも見えた。