殿下の私室
お茶会の後、本当に迎えに来たルーク殿下に連れられてわたしは殿下の私室にあるテラスへ招かれた。今日が初対面だというのにいきなり私室へ連れ込まれるとは何事だろうか。やはり婚約が内定しているというのが本当なのだろうか。
「ごめんね、疲れてはいないかい?」
「いえ、大丈夫です」
テラスにある真っ白なテーブルセットに殿下と向かい合って座る。ルークのエスコートを受けながら椅子に座ると即座にメイドの手によって果実水の入ったグラスが用意された。数秒とはいえルークに触れた指先が、離れても感触が残っている様でなんだか胸が苦しい。何度も好きになった人だけになかなか簡単には気持ちを断ち切れないでいる自分が情けない。
「早速だがモデリーン嬢」
「はい」
本当は緊張でガチガチなのだがそこは元王太子妃! 悟られない様に姿勢を正してルークの方を見た。
「私は君を婚約者にしたいと考えている」
「っ!!」
いきなり直球で問題発言をされて何と答えて良いか分からず戸惑う。
「実は既に公爵家には打診済みだ。公爵からも承諾の返事を貰っている」
フライパンで頭を殴られた様な衝撃を受ける。ハウンドの言っていた通りにルークとの婚約は避ける事が出来ない状況になっていた。このまま悪役令嬢の道へ進むしかないのか……いや、まだゲームは始まってない。それ迄に婚約破棄さえ出来れば違う未来が開ける筈。
「今日改めて君を含めたご令嬢達と会ってみて、やはり私は君が一番相応しいと思ったし……それに……」
「……?」
まるで愛おしい人を見るかの様な、それでいて何故か少し悲しそうな表情になるルーク。
「私は君の事が好きなんだ、モデリーン嬢」
「…………は?」
空耳かと思われる様な言葉が聞こえた気がして目をパチクリとさせた。
(――えっと……今、この人なんて言った? 好き? え、わたしを好き?)
「あ、あのっ、それは一体どういう……」
「突然そんな事言われて驚かれるのも分かっている。だが私の気持ちは本心だ」
何がどうなっているのか全く分からない。そもそも今日が初対面な筈だが、あの短時間でそこまで惚れられる様な出来事なんて無かった……よね?
「失礼ですが、まさかとは思いますが……ひ、一目惚れ的な感じという事でしょうか?」
おずおずと問うてみるも首を横に振られた。そうだよね、王太子ともあろう人がそんな理由で惚れる訳がない。いや、惚れてはいけない。
「違うよ、もう随分と前になるが私は君と出会っているんだ。そして段々と君に惹かれた」
益々訳が分からなくなって来た。わたしとルークが以前に出会っている? 記憶の限りそんな覚えはない。
「君は私の妹のルーシーと仲が良いだろう?」
「え、あ……はい」
ルークには双子の妹のルーシー王女がいる。街の書店で偶然お忍びで買い物に来ていたルーシー王女と遭遇したわたしは、何度かその書店で王女と会う内に友人となったのだ。
「実は……その、君の名前は元々婚約者候補として聞いてはいたし。妹から君の話を色々と聞いている内に興味が湧いて、ルーシーの振りをして何度か君とは会っているんだ」
「は……? えええええっ!?」
(ルーク殿下とルーシー王女は双子で顔がそっくりではあるけど、そんな事ってあるの!? そういや確かに思い返してみれば、たまにスカートでなくズボン姿の時があったけど……それもお忍びの変装の為かと思っていたわ)
「騙す様な真似して本当にすまなかった。だが、今日のお茶会の前に君に会ってみて私は本当に良かったと思っているんだ。素の君を見る事が出来た」
「…………」
あまりの展開に眩暈がしそうだ。今迄何度もやり直して来てるけど、こんな事は初めてだ。そういやルーシーとはどのループ回でも友人ではあったけど、この時期から友人になったのは今回が初めてだと思う。大抵いつもはわたしが婚約者として城へと通う様になってからだった。
「どうか私の婚約者になって貰えないだろうか」
「……わ、分かりました。お受け致します」
どのみちお父様が了承の返事を返してしまっている。そうなると拒否する事も出来ないだろう。今は婚約者になるしか道はないらしい。
「ですが殿下、一つだけお約束して頂けませんか?」
「なんだ?」
「殿下にこの先、本当に愛する女性が現れた時は……どうか婚約を破棄して欲しいのです。わたくしは愛されないまま王太子妃になりたくはないのです」
「……モデリーン嬢」
わたしの言葉に困惑の表情を見せるルーク。そして再び悲し気な何とも言い難い顔になり、そのまま微笑まれた。わたしにはその微笑みの意味は分からない。
「分かった、約束しよう」
「ありがとう御座います」
「だが……」
と、言葉を切り。ルークはわたしの手を取った。
「生涯、私は君以外を愛したりはしないと誓うよ」
「……ありがとう御座います」
今度はわたしの方が悲し気な笑みを浮かべる番だった。だってわたしは知っている、ルークはいずれモニラの事を好きになるのだから。何度もそれを見て来たのだ。きっとこれからもそれは変わる事はないのだから。