スペーサー辺境伯邸
スペーサー領へと到着したのは翌日の夕方の事だった。さすが隣国との国境の境目にあるだけあって馬車での移動でも二日近く掛かってしまった。途中の宿屋で一泊する事も考えたが馬だけを乗り換えてひたすらスペーサー領を目指す形となった。
「やっと着いたわ……うーん、身体がバキバキだわ」
馬車の中でルーシーが腕や肩をクルクルと回して凝りをほぐす。わたしもそれに習って首をゆっくりと回転させて「ふうっ……本当ね」と同調して答えた。
領地へは無事に入ったがスペーサー辺境伯の邸までもう少し馬車を走らせなければいけない。窓の外には様々な畑や木々が広がっている。この辺りは街も遠いので殆どが自給自足の生活なのだろう。畑仕事に出て来た村人達が嵐の後の片付けを黙々と行っているのが見えた。
それから間もなくしてスペーサー辺境伯の邸へと到着したわたし達は出迎えに出て来た執事に連れられて応接間へと案内された。辺境の地にあるとは思えない程の高級感溢れる調度品で揃えられた応接間はまるで王宮の中に居るかの様な豪華さだった。
「よく来たなルーシー」
顎鬚をたくわえた大柄な中年男性が姿を現すとルーシーは笑顔でその男性へと駆けよって抱き付いた。
「ゲシュハルト叔父様! お久しぶりですっ」
「暫く見ない内にまた美しくなったな、ルーシー」
がははと豪快に笑いながらルーシーを抱きしめ返し、愛しい我が子の様にポンポンと頭を撫でるゲシュハルト・スペーサー。二人の様子から仲の良さが伺える。わたしも幾度かルーシー達と一緒に居る時にゲシュハルトとは遭遇していたので一応互いに面識はあった。
「叔父様、こちらご存知でしょうが友人のモデリーンです」
「ご無沙汰しております、スペーサー辺境伯」
わたしがカーテシーをするとゲシュハルトは顎鬚を撫でながら「うむ、久しいな。まぁ、楽にしてくれ」と返し、ソファーへと腰掛けた。わたしはルーシーと共にその向かい側へと座った。
「それで早速ですけどルーファスは何処ですか? 早く会いたいのですが」
「二階の部屋で休ませておる。すぐにでも会いたいのは分かるが実はその前に相談したい事があってな。モデリーン嬢も一緒なら話が早い」
いきなり自分の名前が出たので驚いた。ゲシュハルトはわたしの方へ視線を向け続けて口を開く。
「昔からルーファスには我が娘マーガレットを貰って欲しいと思っておったのだが……ルーファスが一向に首を縦に振らなんでな。だがどうやらかねてからの意中の相手であったモデリーン嬢と婚約したそうだな」
「は、はい……」
「マーガレットと共にこの領地を任せようと思っておったが王太子になってしまったのは仕方がない。ここの後継者は親族から養子でも迎えれば良いとして、問題はマーガレットだ。幼い頃からずっとルーファスに惚れこんでおるのだ。親としても出来ればその願いを叶えてやりたい」
何を言われるのだろうと身構える。まさか王太子妃の座をマーガレットに譲れとか、或いはルーファスと別れる様に言われるのだろうか。
「会えば分かると思うが、残念ながら今のルーファスはモデリーン嬢の事を忘れてしまっておる様だ。それならばいっその事マーガレットを婚約者に……」
「叔父様!!」
ルーシーがゲシュハルトの最後の言葉を遮って叫んだ。
「いくら大好きな叔父様でもそれは聞き入れられませんわ! 私の大切な友人を何だとお思いですか!! それにルーファスに対しても愚弄する事になりますわよ!」
「い、いや、出来たら……の話であってだな。このままモデリーン嬢の事を思い出さなかったら、想いがない相手を妻にするよりは昔から馴染みのマーガレットと一緒になった方がルーファスも良いではないか」
「ルーファスがモデリーンを思い出さないだなんて決めつけないで下さい! 二人がどんな想いで結ばれているのか知りもしないのに……」
ルーシーとゲシュハルトが言い合いをしている間、わたしは泣いてしまいそうになるのを必死に抑え込んでいた。ここで泣いてしまってはダメだ。まだ何も決まっていない。久々に“なんでも御座いませんわ”仮面を被り、ゲシュハルトを見据えた。
「ルーシーの言う通りです、申し訳ありませんが簡単に婚約者を降りる気はありません。それに王族の婚約が簡単に取り替えられる訳ないのはご存知ですよね?」
「勿論分かってはおる……ああ、そうじゃ。それならば側妃としてならどうだ? 別に正妃にしろと言う訳ではない、ルーファスの傍に置いてやってくれるだけで良いのだ」
側妃……。その言葉にモニラとの昔の事を思い出してしまう。またわたしにお飾りの正妃をしろと言うのだろうか……。いや、そうじゃない。まずはルーファスに会わなくては話は進まない。
「叔父様、いい加減に……」
「とにかくルーファスに会わせて下さい」
「…………分かった。二階に上がって右通路奥の部屋だ。マーガレットが部屋の前に居る筈だから会わせて貰うが良い」
ルーシーと顔を見合わせて互いに頷いて応接間を出る。玄関の方へと一度戻り、二階へ上がる階段へと足を掛ける。
「大丈夫よ、きっとすぐに思い出すわ」
「ええ……」
一歩一歩、階段を上ってルーファスの居る部屋へと近づいていく。ゲシュハルトの言う通り、部屋の前にはマーガレットが居た。わたしの姿を見つけると険しい表情を見せた。
「マーガレット。ルーファスに会わせて頂戴」
「どうぞ」
そう言ってくれたのでルーシーが部屋をノックすると中からルーファスの声が聞こえた。それだけで涙腺が緩みそうになる。
「私、ルーシーよ。モデリーンも連れて来たから入るわね」
そっと部屋の扉が開かれて部屋の中の様子が少しずつ見えて来る。入口付近にはソファーセットがあり、その奥には大きなガラス扉のあるバルコニーが続いている。右側奥には広い寝台が一つ。その上には頭に包帯を巻いたルーファスの姿が見えた。




