状況整理
前世と合わせると人生五回分、更に今世の十歳迄の記憶が一気に頭の中へ流れ込んで来た為、情報過多となったらしくわたしはハウンドの見ている前でパタリと倒れたらしい。驚いたハウンドが主治医や両親を呼びに行き、主治医の見立てで知恵熱だと診断された。そのままわたしはウンウン唸りながら熱にうなされ寝込んでしまった。目が覚めたのは二日後――。
恐ろしくスッキリした気分で目が覚めた。寝室のカーテンは閉められていて部屋は暗く朝なのか夜なのか分からなかったが、時計を見るとどうやら真夜中の様だ。あと数時間すれば夜が明けるだろう。
部屋には誰も居ないらしく、そっと布団から抜け出して机へ向かい燭台に灯をともしノートを広げた。まずは状況整理をしなければならないからだ。わたしは悪役令嬢のモデリーン・ラントスだ。現在十歳。婚約者となるルーク殿下とはまだ幸いにも出逢っていなかった。羽ペンを走らせて思い出した記憶を出来るだけ書き出していく。
ヒロインである実の妹はモニラ・ラントス。わたしより二つ年下の八歳。ゲームの中でのモニラはヒロインらしく天真爛漫でいつも笑顔な誰からも好かれる少女だ。でも、わたしの知る現実のモニラは少し違う。ある意味天真爛漫なのは同じだが、酷く我儘で癇癪持ちだった。姉であるわたしの持ち物を何でも欲しがり、我儘が通らないと泣いて駄々をこねる。
「そういえば、幼い頃はあれ程我儘じゃなかったわね……」
頬杖をつきながらふと思い返す。
お互い幼い頃は仲の良い姉妹だった。それがいつの頃からかモニラの我儘が酷くなり、手に負えなくなった。先日の誕生日ではモニラは庭に咲く花で編んだ髪飾りを手作りしてプレゼントしてくれていた。可愛い妹からの手作りのプレゼントにわたしもとても喜んだのだ。なので現時点では妹との仲は悪くない。
「あっ……もしかしたら、あの時からかしら」
モニラが我儘放題になったのは、わたしと王太子が婚約を結んだ頃からだった気がする。今まではわたしの身に着けているアクセサリーやお菓子などを欲しがる程度だったモニラが何を思ったのか、わたしの婚約者であるルークを欲しがったのだ。
替えのきく宝石や菓子などなら『仕方ないわね』とモニラに譲ってあげていた。元々モニラびいきな母も甘いが、わたしも妹が可愛くて甘やかしてしまったのがいけなかったのかもしれない。喜ぶ顔が見たくてついつい言う事を聞いてしまっていた。
だがさすがにルークを『仕方ないわね』と譲るなんて出来る訳がない。ルークとの婚約は王家からの打診で決まった政略結婚だ。自分で言うのも何だがわたしは公爵令嬢として恥ずかしくない教養を得ていたし、学問も問題ない。対してモニラは母が甘やかして来たせいか礼儀作法もイマイチだし、学問は苦手で「こんなの難しくて出来ない」と泣いて家庭教師を困らせている。
そういう理由も踏まえて同じ公爵家の令嬢だからと婚約者をモニラに替えるなんて事だって出来ないし、ましてや人の婚約者を欲しがる事自体が非常識である事に違いはない。
――でも、まだ今ならそんな妹を矯正出来るかもしれない。それにヒロインなのだ、こんな我儘三昧なヒロインじゃ誰と結婚したとしても相手を困らせてしまうだろう。ゲームの始まりはヒロインが王立学園に入学する所から始まるから、あと七年ある。それ迄になんとかまともなヒロインになって貰わなければ。
「よしっ、まずは妹の矯正からだわ」
そして妹の事の他にもう一つ大きな課題がある。それはルークとの婚約の事だった。
「ルークとの出逢いは、婚約者候補を集めた城でのお茶会だったのよね……」
ルークと同年代の貴族の令嬢を集めて開かれた王妃主催のお茶会。そこへわたしと妹は招待を受け参加した。そのお茶会はルークの誕生日会を兼ねていたので今から三ヶ月ほど先の筈だ。そろそろ城から招待状が来てもおかしくない。
このお茶会で何故かわたしはルークの婚約者に選ばれてしまったらしい。特に目立った事もしていなければ、ルークや王妃ともたいした会話を交わした覚えもなかった筈。せっかくルークと出逢う前に巻き戻れたのだ。出来るなら婚約は結びたくない。婚約者にさえならなければ悪役令嬢になる事も、悲運の運命を辿る事はないかもしれない。
ノートに目標として「妹の矯正」「ルークとの婚約回避」と大きく書いて眺める。とにかくこの二つを何とかしなければわたしの未来はない。
「うーん、それは難しいんじゃないですかねぇ……」
背後から急に声がして驚いて飛び上がった。いつの間に部屋へ入って来たのか、ハウンドが水差しを持って立っている。
「ハ、ハウンド!! ビックリするじゃない」
「申し訳ありませんお嬢様。水を入れ替えて帰って来たら何やら熱心に書き物をされている様でしたので……」
そう答えながら新しく持って来た水差しをチェストの上に置く。
「病み上がりなんですから駄目ですよ、ベッドへ戻って下さい」
「もう大丈夫よ」
「熱は下がりましたが体力が落ちてます、あと一日はベッドから出るのは禁止です」
「……分かったわよ」
机に広げていたノートやペンなどをササっと片付けて、渋々寝室の方へと戻る。
「冷たいお水、いかがですか?」
「そうね、頂くわ」
ハウンドはすかさず水差しからグラスへ水を注ぎ、わたしの元へと持って来た。それを受け取りグラスに口を付けると身体の中へ程よく冷えた水が広がる。思わず一気に飲み干し、おかわりを催促した。どうやら自分では気付いていなかったが酷く喉が渇いていたらしい。
「ふうっ、ありがとう」
わたしが礼を言うとハウンドは緩やかに口角を上げて微笑んだ。ハウンドとはもう長い付き合いになる。代々我がラントス公爵家に従事してくれている優秀な従者の家系で、お父様の専属従者はハウンドの父親だ。
「ところでお嬢様、先程の件ですが」
グラスを片付けたハウンドが戻って来てわたしに布団を掛けてくれる。
「何やら変な目標を掲げておられましたが、一体どうしたんですか」
「あー……な、なんでもないの。気にしないで」
「そもそもお嬢様と王太子殿下との婚約回避は無理かと思われます」
「ええっ、どうして!?」
まだ出逢ってもいないのに無理と言われて驚愕する。
「王太子殿下が誕生されて間もなく、お嬢様が婚約者候補筆頭として名前が挙がっておりました。その後お嬢様のご成長をお聞きになられた王妃様が是非にと当家へ打診されております」
「なっ……」
という事は今度開かれるお茶会は最初から出来レースだったという事になる。生まれた時からほぼ、婚約者に内定していたというのか。
「そんな嫌そうなお顔されなくても……王太子殿下は非常に聡明で素敵な方だと聞いていますよ? まだお会いになってもいないのに決めるのは早計かと。まぁ、もっとも王家からの打診となれば嫌も何もありませんけどね」
「うぅ……」
出逢う前に戻ったのに既に詰んでしまっていたなんて。悪役令嬢の道からは逃れられないという事なのか。
「とにかく今はゆっくりお休み下さい、まずは体力を取り戻してからのお話です」
「ええ、分かったわ」
「お休みなさいませ、お嬢様」
「お休み、ハウンド」
(ハウンドの言う通り、今は休んで身体を整えなくちゃ。今後の対策はまた起きてから考える事にしよう)
わたしは大人しく目を閉じてふかふかの布団の中へと潜り込んだのだった。