線を飛び出す
ーー線の内側にお立ちください
いつも通りの駅のアナウンス。
僕たちはいつでも安全な場所に誘導されて、守られている。
戦争が始まって2ヶ月。
互いの国で決めたエリア内だけで、戦争をしている。
自分の国はここだけ。
相手の国はここだけ。
その境界線が守られているから、線の外にいる僕たちは、前と変わらない日常を送っている。
少しだけ、戦争に必要な食料や物資を供給する企業の株価が上がったけれど。
それだけ。
学生の僕には、何の関係もない。
駅のホームに電車が滑りこんでくる。
その乾いた空気が、春なのだと告げていた。
電車に乗り込み、だいたいの定位置に移動する。
下手に場所を変えると、それだけで越境者扱いされる。
何をしたのかすらわからないのに。
日常はいつも通りで、学校もいつも通り。
いつも通りに、いじめのルーティンが行われて、いじめになる奴もいつも通りに数ヶ月で入れ替わる。
何がきっかけで、いじめのターゲットになるのかは、分からない。
誰かが言い出したのか、グループラインに残す間抜けはいない。
いつも教室の中で、視線だけで決まる。
『あいつ、なんか嫌だよね』
『さっきもわたしのこと、にらんだ』
具体的な線引きはないのに、はっきりと決まる。
そして、それは今、僕に回ってきた。
気がついたらラインをブロックされていた。
休み時間に声をかけても無視をされる。
身体的な暴力は無い。
ただ、そこにいると明確に意識されながら、声をかけられることがない。
反応がない。
ただそれだけだ。
それだけで、僕は存在しない人間になる。
厄介なことは、教師には僕は存在しているということ。
「みんなのプリントを集めてきて欲しい」
それだけのことが、どれほどの苦痛か、先生には分かりますか?
黒板にプリントを提出するようにと書いて、矢印を教卓に向けて書いた。
トイレに行って戻ったら、消されていた。
電車はいつも通りに線路を走る。
決まった道を決まった時間に走る。
僕は行きたくもない学校へ、今日も行く。
誰にも見えない存在として、学校へ行く。
とととん、とととん。
僕の心臓よりも、緩やかな音を立てて、電車は走る。
「学校に行きたくない」
勇気を振り絞って、朝、言ってみた。
お父さんは、黙ってテレビから僕に視線を移すと、
「戦争のエリアに入っている学生たちは、勉強もできない子どもが多い。
その人たちに比べれば恵まれているんだ」
と、言った。
お母さんは、
「学校は行かなくちゃだめよ」
と、背中を向けたまま、歌うように言った。
お兄ちゃんは、
「お前より大変な人はたくさんいるんだ」
と、言ってみそ汁をすすった。
学校と同じで、僕は家族の中にも存在していないようだ。
線路はどこまでも続いている。
それならどこまでも乗れば、ここから逃げられるのだろうか。
そう思って先月、学校をさぼって一日中電車に乗った。
結局はどこかで下ろされる。
終電の後には、駅から出されてしまう。
どこかにいけると思ったのに、結局は家に戻されて、学校へ行けと言われた。
衣食住が足りている。
それだけで、人は生きていけるのなら、どうして僕はこんなに死にたいのだろう。
急に電車が止まった。
車内アナウンスが流れる。
「ミサイルが発射されました。
×時××分に周辺に着弾する可能性があります。
頑丈な建物の中に避難してください」
乗客が開いた扉へと殺到する。
その波に押されて、小さな子どもが母親と思しき女の人のそばから飛ばされた。
壁に背中を打ったのか、うずくまったまま動かない。
僕は人の波に逆らって、女の子の元に歩み寄る。
「だいじょうぶ?」
すると、女の子は僕を見上げて、
「お兄ちゃん、いたい」
と、涙をこぼしながら言った。
僕は久しぶりに、僕という存在を思い出した。
ああ、僕はここにいるんだな。
ここにいても、いいんだな。
誰だかわからないけれど、僕を頼れる人だと認めてくれた女の子を、僕は助けようと思った。
認めてくれる存在が消えたら、僕も消えてしまうから。
「背中かな、いたい?
外に出て、お母さんと一緒にお医者さんに診てもらおう」
そう言って、僕は女の子を抱き上げた。
思ったよりもずっしりと重く、思ったよりも温かい。
泣いているせいだろうか。
抱き上げている体が、じっとりと湿気を孕んでいる。
誰もいなくなった車内をゆっくりと歩く。
開け放ったままの扉の溝に足を乗せる。
踏み外さないように、慎重に体重をかけて、線路の外に飛び降りようとした時。
「おかあさん!!」
抱き上げていた女の子が叫んだ。
女の子の視線を辿ると、さっきの女の人が、僕に向かって腕を伸ばしていた。
ああ、思ったよりも早く見つかったな。
そう思って、重くて温かい生き物を女の人の腕にしゃがみ込んだ姿勢で渡した。
車内から見下ろした線路脇の女の人が、安心したように目を潤ませた。
そして、
「ありがとう」
と、僕に言った。
それだけで、僕はもう充分だと思った。
だから、こっちに向かって飛んできた複数のミサイルに、体を投げ出しても後悔はしなかった。
ここは戦争をしないエリアのはずなのに、と、呟く声が聞こえたけれど。
それも空耳かもしれない。
境界線は、はっきりしているように思えるけど、結局は曖昧で変わるから。
絶対に線の内側にいると、断言はできない。
僕は線路脇に立ったままの女の子と女の人に、ミサイルが当たらないといいな、と思いながら、体を広げて電車から飛び降りた。
奇跡的に僕にだけ、着弾した。
一瞬で死ぬんだろうな、と線路脇に落ちた時に思った。
不思議なもので、その一瞬でたくさんのことを考えた。
そして、最期の欲に気がついた。
「どうか女の子とそのお母さんが僕のことを覚えていてくれますように」
教室にも、家にも存在しない僕を、どうか忘れないで。
飛び散った肉片は、春の暖かな陽射しが照らしていた。
転がった頭部は、青い空を見るように、上を向いていた。
不思議と口元は笑っていた。




