科学者と月ノ姫
2020年10月1日東京都渋谷区ハチ公前
三門七之助はそわそわしながら腕時計を見る。
「まだ17時か…… 早く着きすぎたかな」
緊張を取るために深く息を吸う。無意識的にポケットに手を突っ込む。かれこれ1時間はこの場所に居る。 どこかで時間を潰そう。そう思った時、
「あ!! 七之助君!!」
不意に聞き馴染みのある爽やかな声が聞こえた。顔を上げると、人混みの中から綺麗な黒い長髪の女性が手を振りながらこちらに近づいてくるのが見えた。
「まだ1時間前だよ。いつ来たの?」
声の主は十六夜亜希。僕の彼女だ。大きな二重の目に薄い唇、尖った鼻の美しい女性で、そしていい意味でこの世界の住人では無いようなミステリアスな雰囲気に惹かれこちらから交際を申し込んだ時からもう3年近くになる。
「僕もついさっき来たんだ。ようやく休み取れたし、今日が楽しみだったから」
「私も楽しみだよ。2人で遊びに行くのなんて久々だからね」
「それは良かった。じゃあ行こうか」
「うん。」
それから5分程歩いたところで目的のレストランに着いた。ガラス張りのドアから見える白色の壁に黒色の椅子とテーブルからは敷居の高さが感じられる。こういう所に入るのは未だ慣れないが、今日の僕には重大なミッションがある。こんな所でつまづく訳にはいかない。
「すみません、予約していた三門です」
店員にそう声を掛け、2人席に案内してもらう。
椅子に腰掛け、深く息を吐く。僕は名前を聞いたことのあるパスタとワイン、亜希はラザニアを注文した。一息ついて、今から第1ミッション開始だ、と心の中で呟いたところで、
「ねぇ……もしかして緊張してる?」
亜希が僕の心を見透かしたように言った。
「バレてたんだ……やっぱりこういう雰囲気は未だに慣れないな」
「七之助君は分かりやすいからね。それに庶民派なところ、私は好きだよ」
「それ褒めてる?」
「もちろん褒めてるよ。けど、こんな有名人が庶民派だって知られたら皆驚いちゃうよ」
亜希はスマホのニュースアプリを僕に見せながらそう言う。その画面には、20歳の天才科学者 三門七之助というトピックがあった。この僕のことだ。自慢じゃないけど数々の発明に役立ったのも事実だ。
「天才って……随分大げさだな」
「あはは、本当は嬉しい癖に。顔に出てるよ」
そうこう話をしているうちに注文した料理がきた。
2人一緒に頂きますと言い、食べ始めた。
僕の頼んだパスタは高級な味がしてそこそこ美味しかった。亜希も美味しそうに食べていたので何よりだ。
2人とも食べ終わった後、会計を済まして外へ出る。
作戦はここから第2ミッションに入る。意を決して亜希に声をかける。
「ねぇ亜希。連れていきたい所があるんだけどいい?」
「もちろん。どこに行くの?」
快く了承してくれたようでひとまず安心。
「着いてからのお楽しみ」
「何それ」
まぁとりあえず行こうよと亜希の手を引いて10分近く歩いた後に目当ての場所に着いた。
「亜希。着いたよ」
「わぁ……凄い綺麗!!」
僕が連れて来たのは渋谷スクランブルスクエアの屋上。そして今僕たちの目の前にあるのは、中秋の名月。今日は1年で最も月が綺麗に見える日だ。そしてついにここからが最終ミッション。月には申し訳ないが僕達の幸せの踏み台になってもらう。
「実は亜希に伝えたいことがあるんだ」
亜希の顔をじっと見つめる。亜希も何も言わずにこちらを見つめ返す。緊張で心臓の鼓動が止まらないが、失敗する訳にはいかない。この日のために家で何回も練習をしたんだ。右のポケットから小さな箱を取りだし、右の膝を地面について亜希に箱の中身を見せる。
一呼吸おいて、僕は覚悟を決めた。
「僕と……」
「ちょっと待って!!」
急に亜希が遮った。予想にない反応に戸惑ってしまった。思わず情けない声が出る。
「え?何……急に……」
もしかして研究所にこもってたまにしか会えない彼氏と結婚は出来ないとか言われるんじゃないかとか、たくさんの嫌な想像が頭の中を駆け巡る。それから亜希は気まずそうに口を開いた。
「実は……私も七之助君に言わないと行けないことがあるんだ……」
「……何?」
どうしよう。なんて言われるんだろう。不安が頭の中を満たしたまま、亜希が喋るのを待つ。
「私ね……月から来たんだ」
「は??」
え??なんだそれは??新手の男を振る方法とか?
理解し難い発言に脳が混乱する。
「月からって……冗談よしてよ……こんな時にさぁ」
「本当だって!!冗談じゃないよ。証拠ならあるから私の家に来て欲しいんだ」
「えぇ……わ、分かったよ」
もう何が何だか分からなくなってきた。僕は混乱した頭のまま亜希の家の前まで行った。
少し離れた場所にある亜希の家は何回も行ったことがある。いたって普通の見た目で、特に目立った所なんてなかったような覚えがあるが……
「お邪魔します」
玄関をくぐる。相変わらず綺麗な部屋だ。
「どうぞどうぞ」
今1度内装を眺める。しかしどう見ても何の変哲もない部屋だ。
「それで、見せたいものって何?」
「ちょっと待っててね」
亜希はそう言ってどこからか南京錠付きの箱を重そうに抱えてきた。亜希は僕の前に箱を置き、ポケットから取り出した鍵でそれを開けた。
「見せたいものってこれ?」
「うん。きっとびっくりすると思うよ。ほら、見て」
箱の中を覗いてみる。そこには大きな灰色の石があった。
「石だ……」
僕は一瞬困惑したが、すぐに亜希の伝えたかったことを理解した。
「え……これって……」
「そう。本物の『月の石』だよ。ざっとさ3キロ程。成分を調べたら本物って理解できると思う」
「3キロか……」
確か前に13キロの月の石が250万ドルで売られたというニュースを見た事がある。たとえ3キロでもとんでもなく価値のあるものだ。そこで僕は頭に浮かんだ疑問を口にした。
「これ……いったいどこで手に入れたの」
「月からこっそり持ってきたんだよ。ここでも故郷を懐かしむために。あー……甲子園の土みたいな感覚かな?」
「なんだよそれ……」
頭が混乱しながらでも、これが明らかに一般人が持てるような品物じゃないことは分かるし、それに亜希が変な冗談を言わない性格だというのも、僕が何より知ってる事だ。亜希は本当に月から来たのかもしれないという考えが現実味を帯び始めたのを感じた。
「これである程度信じて貰えたと思う。それで、話の続きなんだけど……今から2年後、2022年の中秋の名月に私を迎えに月から使者が来るんだ。」
「2年後に?」
「そう。私は月でとある罪を犯してしまった。それで地球人として5年間過ごすという罰を下されたんだ」
「じゃあ僕の話を遮ったのは……」
「後2年間しか地球に居られないから」
「そんな……」
「今まで隠しててごめん。でもね七之助君。私は帰りたくないんだ……もっと地球を見て回りたいし、3年後も、4年後も七之助君と過ごしたいんだ。この気持ちは本当だよ」
「そんなこと言われても……」
少しの間気まずい沈黙が流れた。ずっと一緒にいたいのは僕も一緒だ。どうにか出来ないものか……
「あっ そうだ!!」
「どうしたの?」
「僕が亜希の完璧な複製を作ればいいんだ!!それを月の使者に渡す。どう?」
「どうって……そんな事できるの……?」
「できるさ!!僕は天才だからね!」
胸を張って自信満々に僕は言った。
「あはは、じゃあお願いしてもいいかな?」
「うん。頼りにしてて!!さっそく帰って作業を始めるよ。じゃあね」
「うん!じゃあね!期待してるよ!!」
僕は一応確認用に月の石の欠片を貰ったあと、亜希の家を後にし、タクシーで自宅まで帰った。家に入った後、僕はひとまず眠りに着いた。
その翌朝、僕はベッドの上で昨日の軽はずみな発言を猛烈に後悔していた。とんでもないことを言ってしまった。だって普通に犯罪だし、仮にクローンを作れたとしても、それを世間が許してくれるわけが無い。倫理的に間違ってる。しょせんワインのアルコールでやられた脳で考えたアイデアだ。ごめん、やっぱり無理だった。亜希にそう言おう。そう思い、スマホの電源をつける。 待ち受け画面に、僕と亜希のツーショット写真が出た。後ろにはエトワール凱旋門。2年前に初めての旅行で行ったフランスで撮った写真だ。それを少しの間眺め、僕はスマホのパスワードを打った後、電話アプリではなく写真アプリを開いた。1枚ずつスライドしていく。2人で行った沖縄、京都、ニューヨークで撮ったたくさんの写真の間にある何気ない2人の日常の写真。何よりも大切な日々。そのどれもが、僕に決意を持たせるのには十分だった。ふと僕は立ち上がり、昨日寝る前に開始した月の石の解析結果を眺めた。何となく分かっていたが、それは月の成分とほぼ100%一致していた
それから僕は専用の研究室に入り浸った。いくら周りから天才ともてはやされていても、人間の完璧なクローンを作ることは一筋縄では行かなかった。どの研究者にも協力を頼むことは出来ない。亜希は体の構造すら地球人になっていたことが、唯一の救いだった。それでも試行錯誤の繰り返しで、気が滅入りそうだった。時折僕は亜希を呼び出して、実験に手伝って貰った。
「このいかにも危険そうなヘルメットを被ればいいの?私死なない?」
「大丈夫だよ。安全は確保してあるから。これで亜希の脳波を調べるんだ」
「七之助君がそう言うなら信じるしかないね。それに私もできることなら協力してあげたいし」
「ありがとう。助かるよ」
その後も試行錯誤と亜希のデータを取る事の繰り返しで、月日が経つのはあっという間だった……
2022年9月9日19時36分
眠たい目をこすりながら、僕は震える手で亜希に電話をかけた。
「亜希!!ついにやった!!ギリギリだけど間に合った!!」
「本当!!七之助君すごい!!天才!!」
「まあね!言動も、価値観、記憶も亜希と全く同じ完璧なクローンだ。それに加えて、モデルになった人物の命令を聞くようになっている。ただ1点、問題があって、寿命が極端に短い。恐らく延命機器を外してから5日程で命を落としてしまうんだ。」
「それなら大丈夫。私達は50時間程で月と地球を往復できるし、罪人は向こうで死んだも同然の扱いを受けるんだ。たとえすぐ死んだとしても誰も不審に思わないと思う。」
「それは酷い話だな。まぁ、明日が中秋の名月だ。取り敢えず僕の研究所に来て欲しい。クローンに命令できるのは君だけだ」
「わかった。すぐいくよ」
そして翌日、特に何事もなく私のクローンを連れて使者は月へと帰っていった。やっぱり七之助君は天才だ。その後、七之助君は色々と後処理があるからと研究所へ戻った。私は暇つぶしに家でテレビニュースを見ている。全てが終わったら、打ち上げをする約束もした。それにしても、本当に成功するとは思わなかった。藁にもすがる思いで頼ってみたが、これからも地球で七之助君と過ごせることが、何よりも嬉しい。なにか恩返しをしよう、何がいいかな、とか次の旅行はどこに行こうかとか考えていると、ニュースの画面が急に変わった。右上には、生放送を意味するLIVEの文字。そしてアナウンサーが厳格な面持ちで口を開いた。
「只今、三門七之助 容疑者がクローン技術規制法違反の疑いで逮捕されました。」
「え……」
信じられなかった。頭が理解することを拒んでいる。全身が熱くなっていくのを感じた。画面には警察に連れていかれる七之助君が映し出されていた。アナウンサーによると、彼の行動を不審に思った仕事仲間に通報されてしまったという。
「どうしよう……全部私のせいだ……」
本当はいけないことだとは分かっていた。それでも、2人で過ごせる希望に私は縋ってしまったのだ。急いで靴を履き、玄関を出る。急いで彼の研究所に向かう。研究所の前には警察とパトカー、多くの野次馬がいた。もう2人の日常は戻ってこないのたと確信した。私は急に脱力感に襲われ、膝から崩れ落ちた。
それから1週間たった。私は何もする気力が起きないまま、家に引きこもっていた。地球に残れたにもかかわらず、地球に残る目的を失ってしまった。私の家にマスコミが来ないことから、七之助君は私に関するデータは全部消していたのだと察した。月に行った私のクローンもそろそろ死んでいる頃だ。ふとそんなことを考えた。もしかしたら私も生きるべきでは無いのかもしれない。どこかで身投げでもしようかと思ったその時、インターホンが鳴った。おぼつかない足取りでドアへ向かい、覗き穴で外側を見る。
そこには、七之助君がいた。
私はすぐにドアを開けた。
「え……え? どうして……?」
「話は後でいい。僕はこれから人目のつかない田舎で暮らすことにする。亜希が着いてくるかどうかだけ聞きに来たんだ」
「つ……着いていく!!」
「分かった。じゃあ僕の車に乗ってくれ」
私は運転中の七之助君に気になってることを聞いた。
「ねぇ……どうして無事なの?捕まったはずじゃ……」
「え?まさかニュース見てなかったの?亜希は真っ先に気づくと思ってたんだけど」
私は急いでスマホのニュースアプリを開いた。そこには七之助君が逮捕された3日後に亡くなってしまった。という記事があった。
「これって……まさか!!」
「そう。そのまさか。安全確認のために亜希のより先に作っておいた、言わば試作品ってとこだ。亜希のクローンが完成間近の時に誰かに探られてることに気づいた僕は、こいつに命令して研究データを消してもらった。案の定警察が来たが、捕まるのは僕じゃなく、僕のクローンだ。」
「すご……」
「向こうに着くまで寝ておきなよ。疲れてるでしょ」
「うん。ありがとう」
急な安心感からか、すぐに私は深い眠りに落ちた。
「亜希、着いたよ。」
七之助君に起こされ、目を覚ます。もう夕方になっていた。目の前には、自然に囲まれた場所にある小さな村があった。
「ここが僕たちの新しいすみかだ。ここなら誰にもバレずに、2人で暮らせる。都会と比べたら何も無いけど、僕の貯金もあるし、僕らで野菜とか作れば特に不自由なく過ごせると思うんだ」
「えっと……七之助君、あの……」
「あー、もしかして田舎嫌いだった?」
「そうじゃなくて……ずっと謝りたかった。私のワガママで大変なことになっちゃって……私は願いが叶ったけど、七之助君は全部失っちゃって……本当にごめん」
深々と頭を下げる。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。なんと言われても受け入れるつもりだった。少しの沈黙の後、七之助君が口を開いた。
「確かに僕は地位も、名声も無くなった。……それでも、僕には君がいる。亜希さえいてくれれば……僕は十分なんだ。それに……僕、都会の空気は苦手なんだよね。離れる理由ができて、良かったよ」
七之助君は笑いながらそう言った。それを聞いた私は泣きながら七之助君の胸に飛び込んだ。申し訳なさと七之助君の優しさで、涙が止まらなくなった。
「ごめん……本当に……」
「いいからいいから。それより明日からまた忙しくなる。今日はもう寝よう」
「……うん」
私達は新たな家へと向かった。頬を濡らした涙が風に当たり、涼しさを感じる。空には月が輝いていた。
読んでくださりありがとうございました。