4-20.皇国の真の狙い
「では、ここまでに得られた情報を整理するわね」
蒼薔薇騎士団に与えられた居室内、そのリビングで、おもむろにヴィオレが口を開く。
滞在4日目。この日も予定されていた晩餐は開かれず、居室内で無為に1日を過ごしたその夜のことである。すでに晩食も終えて、本来ならばあとは寝るだけ、というタイミングだ。
この日、蒼薔薇騎士団は室外に出ることを禁じられていた。
いや拘束力のある命令など彼女たちに出せるはずもないのだが、朝っぱらから騎士たちが何人も押しかけてきて「賊の侵入があったため、念のため部屋から出ないように」と要請されたのである。
真偽のほどは分からないが、そう言われてしまうと皇国のメンツを立てるためにも外に出づらい。騎士たちは蒼薔薇騎士団の手を借りるつもりもないようで、だが警護と称して騎士の小隊が居室前の廊下に常に張り付いてしまったため、彼女たちも侍女の四人も、それに続き間の護衛詰所で過ごすアルタンとスレヤも、半ば閉じ込められるようにして部屋で過ごすしかなかった。
まあヴィオレだけはちょいちょい姿を消していたが。こういう時、隠密技能の高い者は自由で羨ましい。
ともあれ、そうやってヴィオレが集めてきた情報を今共有して整理しているところだ。
「すでに皇城、皇宮では勇者がアナトリアに帰属するという話が広まりつつあるわ」
蒼薔薇騎士団がアナトリアの皇都アンキューラに入ってちょうど丸3日、まだ3日である。そのわずか3日間だけで、早くもその噂は既定事実であるかのように語られているという。
「え、なんでよ。誰よそんなデマ流してるのは」
「それはこの際問題ではないわね。というか出処なんてもう知れているでしょう?」
「あーまあ、間違いなかろうねえ」
誰が、と言われれば、まあまず間違いなく皇太子と皇后だろう。レギーナに毒を盛り、既成事実を作ってまで婚姻に持ち込もうとした事実がある以上疑いようがない。というか彼らにしか動機がない。
だって何もせずとも勇者はアナトリアの国民を守るのだ。勇者とは人類全ての守護者であり、特定の国だけ守らないなどという事は基本的にはあり得ないのだから、わざわざ婚姻で国に縛る必要などないのだ。
そして何故そんな噂が流れているかと言えば。
「おおかた、姫ちゃんと事に及べんやったけんが、噂で縛って断れんごとしよる、ってとこかねえ」
「まあ、そんなところでしょうね」
「ねえ、その噂ホントに流れてるの?」
「本当よ。私や侍女が聞き込んできただけでも皇宮の女官や侍女たちも知っていたし、アルベルト氏からも皇城の使用人や下男たちまで噂していたと報告があったわ」
「うえぇ…」
「上から下まで万遍なく、やねえ」
「ねえ、条約は?」
クレアが不思議そうに訊ねた。
「そっちは、何故か誰も気にしてないのよねえ」
それを受けて、ヴィオレが軽く額を押さえて嘆息した。
「まあ、知らんとやろうねえ」
「知っていたらここまで噂が広まってないわね」
「なんでよおかしいでしょ!常識じゃないの!?」
「あんまり推測で物言うもんやないばってん、多分教えとらんっちゃろうと思うばい」
勇者に関する各種の取り決めは、どの国でも基礎教育のひとつとして周知されるものだ。だから普通は庶民であろうと知っている。
西方世界では、誰しもが魔力を持つがゆえに教育が盛んである。子供のうちから正しい知識を身につけさせて、一般常識や魔力のコントロール方法を教えこまなければ魔力の暴走や魔術による犯罪行為が頻発するので、それでどの国も制度を整えて、ほとんど無償で教育を受けられるようになっている。
だから各国とも教育普及率、特に識字率は平均で7割ほどと非常に高い。日常生活にはさほど関係のない勇者関連の知識も、それと同程度には広まっているのだ。
勇者がなぜ国境を超えて活躍できるのか。それはひとえに国際的な協力組織の存在があればこそである。勇者は少数の仲間たちだけで活動するわけではないのだ。
各地の冒険者ギルドあるいは騎士団、政府などが窓口となり、勇者依頼の案件は全てその協力組織へと回される。勇者を選出し、認定するのもその組織であるため、上位組織と言い換えてもいいかも知れない。そうした組織的な支援体制があってこそ、勇者は特定の国家に縛られずに自由に活動することが可能になるのだ。
魔獣や魔物に関するトラブルがあった際、通常は冒険者ギルドに金銭で報酬を準備して討伐を依頼するものだが、勇者にだけは無償で誰でも依頼を出していいことになっている。そして勇者への報酬は、その協力組織が用意するのだ。ただし勇者が受けるのは相応に危険性と緊急性が認められる事案だけであり、それ以外の大半は冒険者ギルドに改めて依頼するよう差し戻される。
そんな勇者を自国に縛り付けようとするなど、通常は考えないし考えても実行できない。他の全ての国々から猛烈に非難されるからである。
だというのに、アナトリア皇国は今、それをしようとしているのだ。そんな非常識な事態が、特に批判も反論もなく噂という形で国家の中枢たる皇城と皇宮を覆いつつある。
そこから考えられることはただひとつ。
通常あるべき教育の根本が、この国には無いということだ。
「もうそこからおかしいでしょ」
レギーナが呆れる通りで、西方世界の一般的な国家としてはあり得ない事態である。アナトリアだって西方世界の国家群の一員、どころか有数の大国のひとつであるはずなのに。世界の常識を知らぬはずもないのに。
「まあこの国は、他とは事情が違うのだけれどね」
ヴィオレが思わせぶりに言って、べステをチラリと見た。べステやナズたち侍女四人はリビングの壁際に佇んで気配を殺していたが、視線を向けられて彼女たちはビクリと身体を揺らした。
その気配に、レギーナもミカエラもクレアまでもが、侍女たちに視線だけ向ける。
「ああ、気にしないで。別に貴女たちを責めているわけではないの。異邦人に国内事情をおいそれと話すわけにはいかないものね?」
「どういうことよ、ヴィオレ」
「この国はね、私たちに南へ行って欲しくないのよ」
べステの目線があからさまに逸れる。
それが何よりも雄弁に、ヴィオレの言葉を肯定していた。
アナトリア皇国は地理的には西方世界に属する国のひとつではあるが、その実一般的なその他の西方の国家とは一線を画する事情がある。表向きには東方世界からの窓口として、いわゆる“西方とも東方とも違う独自の文化”のゆえであると認識されているが、実態は少し違う。
実はこの国、国土面積がどれほどあるか公表していないのだ。
知られていないのは主に南側、そこに広がる砂漠地帯の向こうを知る者は、アナトリア国外にはほとんど存在しないのである。
一応、この国はかつては独立国家ではなく、統一イリシャ帝国、次いで古代ロマヌム帝国の版図であった歴史を持っている。その時代の情報で、現在知られているアナトリア地方の南に広がる砂漠地帯とその先の大洋の存在が知られていて、大まかな地図も残されている。それによれば砂漠地帯は現在のアナトリア地方に倍する面積があり、そこから西側、つまり南海のさらに南方にも陸続きの大地が確認されているのだ。
だが砂漠地帯より南側は統一イリシャでも古代帝国でも版図に組み入れられたことはなく、そのため西方世界との交流もほとんど無い。そして現在のアナトリア皇国を支配する、第三王朝オスマオウル朝はその砂漠地帯をも領有していると主張している。
「南っ側は確か、アレイビア首長国て言うたかね?」
「ええ。そんな名前の国があるという話よ」
それは、国名のみがわずかに伝わる一切が謎の国。西方世界ではアナトリア以外に国境を接する国はなく、そのアナトリアが存在を認めていないがためにアレイビアの全てが西方世界には知られていないのだ。
だがこの広い世界、意外とどんな場所にでも人類のコミュニティはあるものだ。ほとんど交流がなく一般には知られていない、南海のさらに南にある南方世界にも人は暮らしているというし、東方世界の砂漠と草原の広がる中央高原には部族単位で遊牧しつつさすらう民族がいくつもあるという。
そうした民族が砂漠にだっているのかも知れないし、そこに暮らす民族がいるのなら国家があっても何らおかしなことはない。
「じゃあこの国はその国の存在を隠してるわけ?」
「隠しとるっちゅうか、攻め滅ぼして併合したがっとるらしいばい」
「砂漠の国を?」
「よう分からんばってん、なんか旨味のあるとやろうね」
「“黒水”の関係ではないかしらね。砂漠地帯は良質な黒水が採掘できるそうだから」
レギーナたちは詳しくは知らないが、アレイビア首長国は黒水の一大産地である。黒水、つまり火をつけるとよく燃える真っ黒な液体は地下から採掘されるとされていて、魔術を使わない場合の一般的な燃料として広く流通しているが、西方世界では主に北東の帝政ルーシと南東のアナトリア皇国からの輸入にほぼ依存しているのが現状だ。
要するにアナトリアは、南のアレイビアを征服して黒水の採掘量を確保したがっているわけだ。
「え、じゃあもしかして勇者を確保したがっているのって」
「ええ。自国に取り込んだ上で、南方戦線に投入したいのでしょうね」
ようやく全貌が見えてきた。
つまりアナトリアは、人の国同士の征服戦争に勇者という戦略兵器を持ち込もうと画策しているのだろう。
確かに勇者の参戦があれば、一般の兵士など何万集まろうとも物の数ではないだろうし、アナトリアの悲願であるらしき南方征服も容易になるだろう。だがそれはやってはいけないことだ。
「それでか……」
ミカエラが嘆息する。
確かにそうした目的のために勇者を確保するつもりならば、勇者に関する国際的な取り決めの情報を国民に隠して教えようとしないのも理解はできる。国民が知っていれば反対や批判が噴出して国家が転覆しかねないからだ。だが知られていなければ上層部の思惑を邪魔されることなく、国家ぐるみの陰謀も成立させやすくなるだろう。
もちろんアナトリアはルーシのように他国との交流を断っているわけではないから、完全に秘匿はできないだろう。だが勇者に関する取り決めを正しく知る者は限られるだろうし、そうした少数意見は国家権力で圧殺できる。この国は憲法も制定しない絶対帝政の国家であり、皇帝の意向に逆らった上でこの国に留まることは相応に難しいのだ。
相当に長期間、おそらくは10年以上かけてそうした偏向教育や情報統制を敷き続けて、この国は準備してきたのだろう。だって勇者は定期的に東方へ旅するためにこの国を訪れるのだから、その機会を逃さないためには万全の準備が必要だ。そして今回、ついに勇者レギーナがこの国を訪れたというわけだ。
「それだけじゃないわ」
ヴィオレがさらに口を開いた。
「どうもね、上層部は『アレイビアが勇者を味方に引き入れようとしている』と噂を流しているみたいなのよねえ」
もしも万が一にでも宿敵アレイビアが勇者を取り込んでしまえば、アナトリアの南方征服は絶望的になるだろう。だからこそこの国の人々は、西方世界の常識をかなぐり捨ててでも勇者を取り込む挙国一致の企みに邁進したのだろう。
だがそもそも、西方世界にとってアレイビアは存在するかも分からない未知の国。歴代の勇者でもアレイビアの在ると思われる地に足を踏み入れた者はおらず、情報も伝わらないせいでかの地で魔王が誕生したことがあるかも定かでないのだ。
つまりアナトリアの懸念は杞憂に過ぎない。というよりはそういう口実で国内世論を誘導したのだろう。
「ちなみに、この件に関して文献資料などは存在しないわ。全ては口頭で、あくまでも証拠を残さない形で長年仕組まれていたことよ」
「だけど勇者が来たことで、陰謀を企んだこの国の上層部が話題にすることが増えた……」
「そう。だから私も情報収集ができたし、実際に勇者の帰属の噂が流れたことで裏付けも取れたわ」
「完っ全にクロやし、アウトっちゅうことやね」
「ミカエラ」
「なん?」
「いつも言ってるアレ、許可するわ」
「おっし。ほんなら遠慮なくぼてくりこかそうかね」
「賛成よ」
「異議なし」
レギーナはもちろん、ミカエラもヴィオレもクレアでさえも、完全に目が据わった。この時点で、この国の命運は定まったも同然である。
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