4-17.意外な事実
夜会で軍務宰相相手に憂さ晴らしをした翌日、つまり皇城滞在3日目である。この日、レギーナたち蒼薔薇騎士団に告げられた予定は何もなかった。
というのも、予定されていた晩餐会が中止になったからである。
おそらく昨夜の件が響いているのだろう。ララ妃から聞いていた予定では、今夜は拝炎教の教団幹部が中心の晩餐会だったはずだが。まあ教団幹部なら昨夜の晩餐会にも何人も出席していたし、その全員が気絶したり怯えまくって醜態を晒したりしていたので、おそらく今頃は勇者の恐ろしさが誇張を伴って教団内部にあまねく周知されている頃だろう。
「ねえ、なんだか私、また変に誤解されてない?」
「誤解も何も、見たまんまが広がっとるとやないかいな?」
「見たまんま……っていうと、可憐で凛々しい美少女勇者がいかに素晴らしいか、とか?」
「どの口がなんばほざきよんしゃあとかいなね、こん人はほんなこつ」
しれっととぼけてみて、ミカエラに容赦なくツッコまれているレギーナである。
だがともかく、時間的猶予ができたのはありがたい。ヴィオレは早速自分付きのナズという侍女に指示を出して送り出し、自らも情報収集へと消えていった。
クレアは荷物から本を取り出して読み始めた。ラグシウムで街を回った際に、道中の暇つぶしにとアルベルトに買ってもらった小説である。
「クレア、あなたそれ、何回も読み返してるけど面白いの?」
「面白いよ」
「なんの本なの?」
「恋愛小説、かな」
「「れ……!?」」
意外すぎる答えに、レギーナもミカエラも思わず絶句する。
「王子様とその婚約者がね、王都の大学に通ってるんだけど王子様は婚約者が嫌いなの。でね、大学に平民上がりの男爵令嬢が入学してきて王子様と仲良くなるの。婚約者は男爵令嬢に色々注意するんだけど、それを意地悪されたって王子様に告げ口して、婚約者がどんどん嫌われていって、とうとう下級生を虐めてるって悪い噂が流れるの」
「どうしよう、クレアがおませさんになっちゃってる!」
「嘘やん、クレアがめっちゃ長ゼリフ喋りよう!」
レギーナとミカエラで驚きのポイントが絶妙に違っていた。そこはハモらんのかい。
「それで王子様が怒って、卒業パーティーで婚約者に虐めとかの証拠を突き付けて、婚約破棄して断罪するんだけど、婚約者はそこまでに王子様の不貞の証拠を集めてて、虐めとか悪い噂とかも冤罪だって証明して、それを元に“逆ざまあ”するの」
「「しかも“逆ざまあ”物!?」」
いやまあ確かにこの西方世界でも大学の卒業記念パーティーでの婚約破棄やら断罪やら、普通によく聞く話だし『西方通信』紙上でもニュースになっている。今年もガリオン王国やアウストリー公国、イヴェリアス王国などで似たような事件が起こったと載っていた。
そしてそれらを元に、クレアが今読んでいるような婚約破棄を題材にした小説や歌劇、演劇なども多く生み出され、大衆のみならず貴族子女も嗜んでいるらしい。
だがまさかクレアまで読んでいるとは。
「それで結局王子様は継承権剥奪の上廃嫡。男爵令嬢は王子様や高位貴族の子息たちを誑かしたってことで処刑、婚約者は望まない婚約から解放されてハッピーエンド」
「え、そういうのって別にヒーローが出てきたりするんじゃない?」
「んー、この本にはそういうの出なかったよ。婚約者のヒロインが逞しくてひとりで立ち向かってて、そこが新しくて良かった」
だがまあ、よくよく考えればクレアだって本来ならば大学に入学している歳だし、もしかすると自分が通わずに終わることになる大学生活というものに、憧れでもあったりするのだろうか。
「んー、別にないかな」
だがそう問われたクレアは素っ気ない。
「わたしが通うってなると〈賢者の学院〉になるけど、そこの話はひめやミカから聞けるし」
確かにレギーナもミカエラも学院の卒塔生だ。
「わたしが通うなら“知識の塔”だけど、どんな授業内容かはサーヤさまに聞いたし」
「え、サーヤって……私のふたつ下の?」
サーヤ・フォン・シュヴァルツヴァルトはレギーナやミカエラの二学年下で、“知識の塔”の首席卒塔生である。レギーナは一学年下の後輩であるアンジェリーナ・グロウスターを通して、彼女と間接的に交流を持っている。
もっとも、直接会ったことはほとんどないが。
「ていうかクレア、いつ彼女と会うたん?」
「去年の、ほら、ガリオンとブロイスの小競り合い」
「「あー」」
去年、つまりフェル暦674年の暑季、ガリオン王国とブロイス帝国との間にちょっとした小競り合いがあった。ブロイスがガリオンに侵攻してきたわけだが、両国は数年おきに戦争している仇敵同士で、それ自体は特に珍しくもない。
問題は、ブロイス側に勇者ヴォルフガングの参戦があったことである。
これを重く見たガリオン側は同盟国であるアルヴァイオン大公国から勇者リチャードを招聘し、友好国であるエトルリア連邦にも勇者レギーナの参戦を求めた。結果、当代の勇者候補三名が戦場で敵対するという前代未聞の事態に発展したのである。
まあ結果的には、彼ら三名が戦場に出てきたことで逆に武力衝突が回避され、無駄に緊張が高まっただけで終わったのだが。
だって勇者の戦力に一般兵が太刀打ちなど出来るはずもない。そして勇者の側にも一般人の兵士たちを攻撃する理由がない。勇者とは人類を攻撃するために存在するものではないのだ。
だから勇者同士で代理戦を行う、ということに決まりかけ、だがしかし勇者ヴォルフガングが勇者レギーナにプロポーズするという誰も予想だにしなかった行動に出て、レギーナに振られて終わったのである。
この時、紛争調停役としてアレマニア公国から派遣されていたのが、当時〈賢者の学院〉を卒塔したばかりのサーヤであった。
アレマニアはブロイスの同盟国であり、一方で隣国としてガリオンとも親交がある。そしてサーヤは王族のほぼ全員が魔術師というアレマニアのシュヴァルツヴァルト家の一族であり、ガリオンの王位継承権を持つノルマンド公女レティシアの先輩であり、そしてブロイス皇帝ヴィルヘルム3世の従妹でもある。まだ歳は若いが中立の調停役としては最適な人選であった。
レギーナがヴォルフガングに追い回されているその横でミカエラがリチャードから逃げ回っていて、クレアが一時的にひとりフリーになっていた時間帯があったことをふたりは思い出した。おそらくその時に彼女とサーヤは同じ魔術師同士、言葉を交わしていたのだろう。
「サーヤさまはおじいさまの話を聞きたがったし、わたしは賢者の学院の授業内容を知りたかったから、情報交換したの」
かたや知識の塔の首席にしてアレマニア公国の筆頭宮廷魔術師、かたや“七賢人”のひとり大地の賢者ガルシア・パスキュールの孫娘。どちらも西方世界屈指の魔術師であり、さぞかし話に花が咲いたことだろう。
しかも当時16歳と12歳の乙女たちだ。きっとその場だけ、戦場の雰囲気など微塵も残ってなかったに違いない。
「それで結局、この授業内容だったら別に通わなくてもいいかな、って」
「あんたそれ、マスタング先生が聞いたら絶対泣くばい……」
「あ、マスタング先生には会いたかったかな」
竜人族のマスタングは〈賢者の学院〉の魔術科の導師で、先代勇者パーティ“輝ける五色の風”の魔術師だった人物だ。
そんな彼とクレアとが念願かなって対面するのはもう少しあと、翌年の稔季になってからの事になるのだが、それはまた別のお話。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼を過ぎたところで、またしてもレギーナに茶会の招待が舞い込んだ。
ただし、招待してきたのはララ妃である。
相手が相手なだけに、レギーナとミカエラも招待を受けることにした。蒼薔薇騎士団全員を招待してくれていたが、ヴィオレはまだ戻って来ていないしクレアは留守番するという。
「大丈夫だよ、誰も入れさせないから」
「そう。じゃあ、留守をお願いね」
クレアが誰も入れさせないと言う以上、それはこの客間が魔術的に鉄壁な要塞と化すことを意味している。この国にはクレアを超えるような魔術師など居ないだろうし、まずは安心していいだろう。
レギーナとミカエラは準備を整え、それぞれドレスに身を包んで、侍女べステの案内でララ妃の元へ向かった。案内されたのはララ妃が私的に与えられているエリアのお茶室である。
皇后ハリーデに招かれたのも日当たりがよく品の良いサロンだったが、この茶室も落ち着きがあって、昼下がりの時間をのんびり過ごすのに良さそうだ。
「招待を受けて頂き御礼を申し上げます」
ララ妃は美しい所作の淑女礼で出迎え、レギーナとミカエラもエトルリア王宮仕込みの所作で返礼する。早速三人は席についた。
「まずはお招きありがとうございます。⸺で、わざわざ呼び出したのは、何か新たな情報でもありましたか?」
挨拶もそこそこにレギーナが切り出す。ある程度気心も知れているし、何よりお互いが相手のことを味方だと認識しているので、腹の探り合いがなくてよい。
「はい。ですがまずはお召し上がり下さいな」
ワゴンが運び込まれ、ケーキスタンドやティーポット、カップが準備され、まずは空のティーポットを見せられる。[解析]をお願いしますと言われてミカエラが発動させ調べたが、毒も検知されないし特に問題はなさそうだ。
ティーポットに湯が入れられ、茶葉を入れた球形の銀の網が投入され、しばし待つ。充分くゆらせ薫りが立ったのち、再びポットの中身を見せられる。中は濃い琥珀色の紅茶になっていて、皇后の用意したものとは茶葉が違うとひと目で分かる。
琥珀色の紅茶が注がれたカップがふたつ、卓の横のサイドテーブルに置かれる。ララ妃側の年配の侍女とレギーナ側の侍女べステがその前に立ちそれぞれ一礼し、「毒味を致します」と断ってから、まず匂いを嗅ぎ、指を浸し、舌先を差し込み、その上で一口含む。口の中でしばらく転がし、飲み込み、そしてふたりともカップを傾けて飲み干した。
そこからしばし時間を置くが、特に問題はなさそうだ。
「本当は専属の毒味に飲ませるのですけれど」
だがレギーナたちの知らない人間では信用できぬだろうと、自分に付いている侍女頭とレギーナたちに付けたべステとに代役させたのだという。
申し訳なさそうにララ妃が目を伏せたのは、レギーナたちに対する詫びなのか、べステたち侍女に毒味をさせた申し訳なさか。
「お気遣いなく。わたくしたちに毒は効きませんから」
そもそも勇者パーティを害せる者もそうはいないはずである。とはいえ今日は[魔力抵抗]を発動させていないので、毒を飲めば多少は効いてしまうだろうが。
だがそれでも、作法通りに毒味を介そうとするその誠実さは好感が持てる。そう考えると、やはり皇后は最初からそのつもりであったのだとよく分かる。
「そうなのですね、さすがは勇者さま」
安心したように、ララ妃は微笑んだ。
「それでですね、本日お伝えしたいのは」
そして少しだけ、ララ妃が身を乗り出す。レギーナもミカエラも紅茶をひと口味わってから、カップを音もなく置いた。
「皇太子殿下がレギーナさまを皇太子妃にとお考えなのはやはり事実です。ですが、そのことを陛下はご承知なさっておられません」
「それは、そう望んだのに認められなかった、という意味かしら?」
「いいえ、そもそもお話自体をご存知ではないようです」
それはつまり、皇太子の独断だということだ。
いや、皇后も噛んでいるのだから、これは皇太子と皇后が皇帝に逆らった事案だと見ることも可能だろう。
「それはそれは」
ミカエラがニヤリと笑う。
「じゃ、ますます遠慮は無用ね」
レギーナも不敵に笑う。というか元々彼女は遠慮するつもりなどなさそうだが。
「わたくしとしては、何とか穏便に終わればと願っていたのですが……」
ふたりの様子を見て、ララ妃が目を伏せてそっと嘆息した。
残念ながら、彼女のその願いが叶うことはなさそうである。
【かんたん時系列】
実は意外と各作品がリンクしている……というほどではありませんが、近い時系列で存在しています。
◇フェル暦674年
〖暑季中月〗
・ブロイス帝国がガリオン王国に侵攻。勇者候補三名が戦場で敵対する前代未聞の事態に
◇フェル暦675年
〖花季上月〗
・下週にアルベルトと蒼薔薇騎士団が出会う
〖花季下月(卒業シーズン)〗
・ガリオン王国、ルテティア国立学園の卒業記念パーティーで第二王子シャルルによるアクイタニア公女ブランディーヌに対する婚約破棄騒動
(『王子妃教育1日無料体験実施中!』)
・イヴェリアス王国、王立貴族学院の卒業記念パーティーでサンルーカル子爵イグナシオ(タルシュ侯爵家後継者)によるモンテローサ伯爵家令嬢セリアに対する婚約破棄と暴行事件
(『そして、誰もいなくなった』)
・アウストリー公国、公立学術院の卒業記念パーティーにおいて、公太子ディートフリートによるシュミット侯女アーデルハイトに対する婚約破棄と断罪
(『破棄から始まる下克上』ラストで言及した未公開作品。タイトル未定)
・最終日、蒼薔薇騎士団とアルベルトが東方に向かって旅立つ
〖雨季上月〗
・中週、蒼薔薇騎士団、イリュリア王国の首都ティルカンで王子誘拐の陰謀に巻き込まれる
〖雨季下月〗
・上週、勇者レギーナと蒼薔薇騎士団がアナトリア皇国の皇都アンキューラに至り皇城に滞在(←イマココ)
・ブロイス帝国の都市ハノヴェルにあるハノヴェル城において、皇弟マインラートが婚約者のグロウスター伯爵家令嬢アンジェリーナに婚約破棄される
(『わたくしの望みはただひとつ!』)
【季節と月の名称おさらい】
お忘れかと思いますので季節と月の呼び方をもう一度。
なお地球の3月が正月(新年)に相当します。
・花季(春)
新年から暖かくなるまでの約2ヶ月。花が咲き新芽が芽吹く命の季節。
・雨季(梅雨)
雨が集中的に降る約2ヶ月。花季に芽吹いた芽が伸びて葉になり大きく成長する。
・暑季(夏)
雨季終わりからの暑い約3ヶ月。陽神の活動が強まり生命が躍動する季節。
・稔季(秋)
暑季に成長した動植物が実る(稔る)季節で、約2ヶ月。人間を含め全ての動物はこの時季に冬支度に追われる。
・寒季(冬)
陽神の活動が弱まり寒さに凍える約3ヶ月。地域によっては寒季が約半年に及ぶこともあるという。
・1月:花季上月(地球暦3月)
・2月:花季下月(同4月)
・3月:雨季上月(同5月)
・4月:雨季下月(同6月)
・5月:暑季上月(同7月)
・6月:暑季中月(同8月)
・7月:暑季下月(同9月)
・8月:稔季上月(同10月)
・9月:稔季下月(同11月)
・10月:寒季上月(同12月)
・11月:寒季中月(同1月)
・12月:寒季下月(同2月)
※そのほか、約6年ごとに閏月が加わります。
1ヶ月は30日。10日ごとに区切られ「週」と呼ばれます。




