4-15.謝罪と約束
「これは一体、何があったので!?」
誰かが注進に及んだのだろう、大晩餐室に慌てて駆け込んできたのはイルハン皇子だ。
彼が駆け込んできた時には、比較的正気を保っていた会場警護の騎士たちの手で気絶したアカン軍務宰相が拘束され連れ出された後で、その他にも騒ぎを聞きつけてやって来た増援の騎士たちによって、気絶した使用人や高官たちが次々と運び出されていくところであった。
「あら、イルハン殿下」
思いがけずイケメンの顔が見れて、レギーナがふわりと微笑む。
「いえね、軍務宰相閣下がうちの勇者に喧嘩を吹っかけまして」
「アカン軍務宰相が!?」
「それで彼女がちょこーっと威圧を放ったら、まあご覧の通りの有様で」
にこやかに説明するミカエラの話に、みるみるイルハンの顔が青ざめてゆく。
「そ、それは……一体なんとお詫び申し上げてよいやら……」
「あら、殿下のご責任ではありませんわよ」
「し、しかし、我が国の宰相の失態ですので」
「この場にいた全員が証言致しましょう、愚行は軍務宰相個人の独断であったと」
そうなるようにあらかじめ発言しておいたあたりも含めて、レギーナの方が一枚も二枚もアカンより上であった。
「ですが、わたくしも少し大人げなかったと反省しております。いかに侮辱されたとて、このような室内で取るべき行動ではありませんでしたわ」
「まあ、我々としても事前に警告もせんやったのは事実ですし、給仕の子らにはちょっと可哀想なことをしてしまいました」
だがある程度発散して少しスッキリしてしまうと、さすがにちょっと配慮がなさすぎたことに気付いて、レギーナとミカエラがそれぞれ反省を口にする。その視線の先にあるのは、気絶し次々と運び出されてゆく給仕の使用人たちの姿。
いかに抑え気味だったとはいえ、彼女たちが勇者の威圧に耐えられるはずがないことくらい、配慮して然るべきだったのは事実だろう。
「レギーナ、あとで彼女たちになにか御見舞の品でも渡してもらってはどうかしら」
「そうねヴィオレ、そうしましょうか」
「そう仰られるご配慮には感謝申し上げますが、やはりそれも含めて軍務宰相の咎ですので」
と言いつつ、イルハンの顔つきに明らかに安堵の色が増す。
「ですがまあ、この件は本国に連絡して正式に抗議すると致しましょうか。彼、わたくしを『王女としてしか価値のない勇者』などと大言しましたので」
だがしれっと不満を述べるレギーナに、彼はまたしても顔を青くする。
「も、申し訳ございません!軍務宰相めには必ずや厳罰を与えますゆえ、どうかご寛恕を!」
「ええ、彼の言動はあくまでも個人的なもの。皇国の総意ではないと了解しておりますわ」
「ありがたきお言葉、感謝のしようもありません。後日改めて謝罪申し上げますので、この場は一旦御前を失礼致します」
そう言ってイルハンは丁寧に腰を折り、レギーナたちのそばを離れていった。
本来ならば皇国の総意と受け取っても良かったのだ。蒼薔薇騎士団としては、そうして皇国上層部の責を問うた方が動きやすくなるし、そのまま出立することも可能になったかも知れない。
だが、それではララ妃との約束が果たせなくなる。それは少し後味が悪い。
レギーナはイルハンを見る。
彼は今夜の警備責任者を務めているのか、慌ただしく駆け回る騎士たちや、パニックに陥った者たちを魔術で回復させて回る白加護の魔術師たちに指示を飛ばしている。
まあ、これだけのイケメンだものね。気持ちは分かるわ。本当にどうして、この一族からこれほどのイケメンが出たのやら。
《残念やったねえ、姫ちゃん》
《な、何がよ!?》
《よかよか、みなまで言わんでちゃよか。やけ酒なら後で付き合うちゃーけんが》
《ち、違うわよ!?誤解しないで!》
《そうかね、ほんならそういう事にしとこうかね》
完璧な淑女の微笑の下で、勇者が親友にからかわれているとは誰も気付くまい。
《珍しく興味を示したのだから、出来るなら叶えてあげたいのだけれどね。こればっかりはねえ…》
《わたしまだ子供だから、分かんないってことにしとくよ》
《あらクレア、それはいい心掛けだわ》
《ちょっとそこも!勝手なこと言わないで!》
ミカエラだけでなく、ヴィオレにもクレアにもイジられているレギーナである。
結局後日、簡単な取り調べと形式だけの裁判を経て軍務宰相アカンは罷免され、全財産と全ての地位を剥奪され平民に落とされた。それだけでなく、ここまでに彼が築き上げてきた実績や成果も全て抹消され無かったことにされたという。まあそれでも、命を奪われなかっただけまだマシであろう。
とばっちりで被害に遭った使用人たちには後日、全員に蒼薔薇騎士団の名義で見舞金と白属性の[平静]の術式が込められたペンダントタイプの装身具(魔道具)が贈られた。威圧でパニックにさせた詫びとしては充分と言えよう。
見下していたはずの女に敗れて全て失い、さぞかし逆恨みしているだろうと思いきや、アカンは絶望的なまでの力の差を見せつけられてすっかり心を折れ砕かれており、廃人のようになってしまっているのだとか。アカンの妻が離婚の意思を示さなかったそうで、今後は妻の実家に引き取られて療養するのだろう。
そのことを彼女たちが聞いたのは、皇城での全てが終わっていよいよ出立するその直前であったが、その前に色々あり過ぎて、すっかりレギーナの記憶からも消し去られていたのだった。
軍務宰相バルラス・アカン、つくづく救われない男であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜にもレギーナたちの客室に来客があった。
誰あろう、第四皇子イルハンその人である。確かに後日改めて謝罪すると言ってはいたが、まさか当日の夜に来られるとは予想外である。しかも。
「夜分に淑女たちの部屋を訪れる無礼をお赦し下さい」
「ちょ、ちょっと殿下!そのようなこと、お止め下さい!」
まだ廊下で、居住区画にさえ入っていないというのにイルハン皇子は両膝をつき、身体を折り曲げて両腕を頭上に伸ばし、身体を投げ出すように前に倒して額を床につける。レギーナは慌てて止めさせたが、これは“投地”と呼ばれるアナトリアの礼法のひとつで、皇帝へ挨拶する時や炎に向かって礼拝する時の一般的な作法なのだという。
つまり彼は蒼薔薇騎士団とレギーナに対して最上級の礼を示したことになる。それだけでも彼の篤実な人柄がよく分かるというものだ。
本来ならば男性の入室など許可しないが、ここまでされて門前払いするのも心苦しい。それに彼ならばある意味で歓迎でもある。狼藉を働くような人となりでもないのだし。
「本来ならば日を改めて、明日の日中に訪問すべきと承知してはいますが…」
どうしても今日中に詫びなければならないことがふたつある、と言われて、レギーナたちは揃って首を傾げた。
ひとつめはやはり、軍務宰相の件である。イルハンは非公式ではあるが皇帝トルグト4世の親書を携えてきていて、開いてみると詫び状であった。そこには国際紛争回避のためにレギーナがアカンの独断だと発言したことも理解した上で、本国への連絡はしないでもらいたいこと、そしてこのまま穏便に済ませてくれるなら礼として彼女たちの望みをなんでもひとつ叶える、と書いてある。
レギーナとしては特に異存はなかった。実害は皆無だし、むしろ八つ当たり的に憂さを晴らしただけなので、それ以上事を大きくするつもりもない。
「姫ちゃん、こらあ…」
「好都合ね、これ使わせてもらいましょう」
なにしろ皇帝が親書で直々に言ってきたのだから、アナトリア国内でこれ以上強力な手形もないだろう。皇太子にも、皇后にも口出しできるものではない。
とはいえ、その行使のためにはまだ確認すべきことが残っている。
それはともかく。
「ふたつめの件は何かしら?」
「それは、その……申し上げにくいことですが」
イルハンが口にしたのは、皇太子アブドゥラと皇后ハリーデの無礼に対する詫びであった。毒を盛ってレギーナを無理矢理我が物にしようとしたこと、そのことに対する皇太子と皇后の謝罪がないこと、それを含めて上位者たるレギーナへの無礼と侮辱の数々、それらを彼らに代わってイルハンが詫びてきたのだ。
「我が国の者たちが恥を晒すばかりで、本当にお詫びのしようもなく………」
「それはまあ、腹に据えかねてはおりますけれど。でも殿下が頭を下げられることではありませんわ」
「そうですよ殿下。謝罪なさりたいと仰せなら皇后陛下と皇太子殿下がいらっしゃるべきでは?」
「ええ、ですから私がお二方に代わって」
「ですから、何故殿下がその代理をなさるので?」
レギーナとミカエラの主張はもっともだ。謝罪するというのならアブドゥラとハリーデが直接出頭すべきなのだ。それを異母弟のイルハンを遣わして代理で詫びさせるなど、どこまで人を愚弄すれば気が済むのか。
「あっいえ、私がここに来たのはあくまでも個人的な判断でして」
「……………は?詫びてこいと言われたのではなくて?」
どうやら、皇后も皇太子も詫びるつもりは一切ないようだ。
「というか、皇太子殿下はレギーナ様を太子妃とする準備を始めておられます…」
「嘘でしょ!?」
「まぁだ諦めとらんとかあの皇太子は!」
「私も何とかお諌めしようと思ってはいるのですが、恥を承知で申し上げますと私は皇宮内での地位が弱くて、皇太子殿下の庇護を受けている身なのです………」
聞けばイルハンは、母シーラ妃が平民の踊り子だったのだという。旅芸人一座のメンバーとして皇都で興行していた際、噂を聞いた皇帝に喚ばれて皇城で公演することになり、そこで皇帝が母を見初めて手を付け、側妃に召し上げたのだという。
「母は平民の、それも流れの踊り子です。それが召し上げられてすぐに懐妊して、しかも生まれたのが皇子である私であったことから母は激しい嫉妬を受けまして」
イルハンははっきりとは言わないが、おそらくシーラ妃は暗殺されたのだろう。だがさすがにトルグト4世が認知した皇子を暗殺することは叶わず、それで忌み子のように扱われた少年時代を過ごした、と彼は語った。
皇帝は認知こそしたものの積極的に庇護することもなく、母の死の真相を調べることもなく、彼は母シーラ妃付きだった侍女たちの手で育てられたのだという。
「そうだったの。それで殿下は、ご自分の身を守るために」
そう。皇帝の庇護を受けられないのだから、その次に力のある皇太子を頼るしかなかったのだ。
「ですから、私の力では皇太子殿下をお止めすることは難しいでしょう。しかしそれでも、レギーナ様が望まぬ婚姻を強いられることなどあってはならないと考えています」
それはきっと、望まぬ不遇の人生を送り続けて来た彼だからこその想い。その気持ちだけでも、この国に入ってから不当な扱いを受け続けているレギーナの心を癒やすに充分な力があった。
「分かりました。イルハン様の、謝罪を受け入れます」
だからこそ、彼には幸せになって欲しいと、レギーナは心からそう願う。
「ところで殿下、確認したいことがひとつあるのですが」
「謝罪を収めて下さって心より感謝申し上げます。
⸺で、確認とはなんでしょう」
「実はですね…」
レギーナたちは昨夜ここにララ妃が訪れたこと、彼女からも支援を約束されていること、その見返りとしてひとつのお願いをされていることなど、包み隠さずにイルハンに話した。
「確かにララ様はとても聡明でお美しく、人柄もお優しくて素晴らしいお方です。ですが、そうですか………ララ様が、そんなことを………」
最初は驚いていたイルハンだったが、次第にその瞳に真剣さを帯びてゆく。
その顔を見て、レギーナたちも笑顔になる。
「では、決まりね」
「しかし、本当によろしいので?」
「ええ。この城でわたくしたちに良くして下さったのはイルハン殿下とララ妃殿下だけですもの。お二人には幸せになって頂きたいわ」
「…っ、なんと勿体ないお言葉。本当に、なんと御礼を申し上げてよいやら………!」
「あら。お礼は事が成就した暁で結構ですわよ」
イルハンは何度も頭を下げながら辞去していった。その背を見送って、レギーナたちは必ずや約束を果たさねばと改めて心に誓うのであった。
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