4-12.皇后とのお茶会
「姫ちゃんひとりで、ねえ」
立ち去ってゆく皇后付き侍女の気配が完全に消えるのを待ってから、ミカエラが口を開いた。
「早速仕掛けてきたわねえ、それも直接」
入れ替わるように戻ってきて話を聞いたヴィオレも呆れ顔である。
「皇后陛下って政略のできない人なのかしら?それとも私が侮られてるだけ?」
「「「多分、両方ね」」」
盛大にため息をつきつつこぼしたレギーナの呟きに、彼女以外の三人の声が、クレアまで含めて語尾を除いて綺麗にハモった。
「まあなんかなし、受けたんやけん行かなならんやろねえ」
「まあいいけどね、私をどうこうできるとも思えないし」
「逆に考えると今後の動き方がこれで決まるわね」
「めんどくさいから、もうこのまま出発しようよ…」
「そういうわけにもいかないわよ、私は勇者なんだから」
そうして彼女たちは互いに顔を見合わせ、盛大に一斉にため息をついた。
勇者は人類の守護者として、各国で尊重され特別待遇を受ける権利を持つ。だがそれに驕ってはならず、特権を享受する代わりに礼節を弁え、各国政府や人民の願いを無碍にしてはならない。つまるところ、もてなしてくれるというものを理由もなく拒否できないのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
指定された時刻に、レギーナは自分に付いてくれている侍女べステの案内でサロンに顔を出した。
彼女の装いは飾り気の少ないシンプルな蒼色のティードレスに、白い手袋と淡い黄色のカクテルハットを合わせている。蒼色の髪はハーフアップにまとめつつ、ふわりと広がるように背中に多めに垂らしていて、それが細く伸びやかでコルセットなしでも充分に美しいシルエットを保てているウエストを、より際立たせている。
そして胸元には大ぶりな真珠の、中央には真っ黒な縞瑪瑙の大玉をあしらったネックレスを付けていて、いつもの髪留めは後頭部で髪をまとめるのに用いられている。
べステが扉をノックし、来訪を告げる。中から入室を許可する声がかかり、侍女が開く扉をくぐってレギーナはサロンに足を踏み入れた。
窓を大きく取られた採光の良いサロンの、中央に置かれた大きな円形のテーブルには美しい純白のテーブルクロスがかけられているが、その上にはまだ何もない。席は三席用意してあるが、どの椅子も無人だった。
普通はもてなす側の主人が先に席について待っているものだが、とレギーナは心の中だけで首を傾げるものの、サロンに控えていた侍女が案内するままにレギーナは席に着く。指定されたのは窓側の上座ではなく扉側の下座だった。
どうやら、もうすでにどちらが上位なのかのマウント取りが始まっているらしい。
そのまま少し待たされて、予定時刻をやや過ぎたあたりで奥の扉のそばに控えた侍女が「皇后陛下のおなりでございます」と声を上げ、それから扉が開いて皇后ハリーデが入室してきた。
いや奥に居たのなら最初から出てきてなさいよ、それにもう時間過ぎてるんだけど?と内心ツッコみながらも、レギーナは立ち上がって美しい所作で淑女礼を披露する。
「エトルリア王女、勇者レギーナでございます。本日はお招き頂き、大変光栄に存じます」
敢えて「皇后陛下にはご機嫌麗しく」の文言は入れなかった。嫌味にもならないが、いささか意趣返しの気持ちがあるのは否定しないレギーナである。
「アナトリア皇后ハリーデである。よう来てくれた勇者どの。さ、お席に着いてたもれ。妾は堅苦しいのは好かぬ」
頭も下げない皇后は、しずしずと歩を進めて当たり前のように上座へ陣取った。給仕の侍女たちがすでに動き出していて、ケーキスタンドやティーセットを載せたワゴンが運び込まれ、あっという間にお茶の準備が整う。
音も立てずにテキパキと用意する侍女たちは仕事を終えると即座に離れ、壁際に控える。その洗練された所作を見る限り、エトルリアやアルヴァイオンなど西方の大国にも引けを取らない教育がきちんとなされているのが伺えた。
最後にひとり残った年嵩の侍女がティーポットを捧げ持ち、「御前失礼致します」と断ってからハリーデのカップに鮮やかな紅玉色の紅茶を注ぐ。注ぎ音どころか飛沫すら上げないその手腕はなかなか見事だった。
だが薄い磁器のカップが熱で痛まないよう先に斑牛乳を入れるアルヴァイオン式ではない。そのあたりはアナトリアの流行りや流儀があるのかも知れず、だからレギーナも何も言わない。
レギーナの前に用意されたティーカップにも同じように紅茶が注がれ、そしてティーポットをワゴンに片付けた侍女はそのままハリーデの斜め後ろに控えた。どうやら彼女だけは皇后の傍を離れないようだ。
「さて、まずは熱いうちに飲んでたもれ。今日のためにわざわざアルヴァイオンから取り寄せた、最高級の東方産の茶葉じゃ。きっと気に入るであろう」
「まあ。それではお言葉に甘えて頂きますわ」
侍女の毒味はなかった。なかったのに、ハリーデは飲めと言う。もうそれだけで本来ならばアウトだが、レギーナは何食わぬ顔で紅茶に口をつけた。
味そのものは確かに最高級と言ってよい極上の味わい。茶葉はもちろんのこと、淹れ方に熟練の技が感じられた。レギーナもこれでエトルリア王宮の育ちだから最高級の茶葉も熟練の技も飲めば分かるし、一方で勇者として、冒険者として自分たちで不味い茶を淹れた経験もあり、だからものの良し悪しも、一流も三流もすぐ分かる。
そして、紅茶の味の中のごくわずかな違和感も。
「大変美味しゅうございますわ。このお味は、東方ヒンドスタン帝国の、セロン島でしょうか」
「ほう、ご名答じゃ。さすがは勇者どの」
何食わぬ顔でレギーナは産地を言い当て、素知らぬ顔で皇后も肯定する。産地が分かるのは勇者としての経験じゃなくてエトルリア王宮で飲んでたからなんだけど、とは思っても、それをわずかでも晒すほどレギーナも無礼ではない。
そして穏やかに笑みを浮かべたまま、レギーナは二口めを含んだ。そこまで見て、ようやく皇后も自分の紅茶に口をつけた。その口元にわずかに笑みが浮かんでいるのを、レギーナは敢えて無視する。
三段のケーキスタンドには最下段にファラフェルが並んでいる。これは大河沿岸で主に食されるピタと呼ばれる平らに焼いたパンを裂いて袋状に加工したものにひよこ豆や野菜などを詰めたもので、アナトリアでは一般的に軽食として食べられているものだ。二段目には切り分けた焼きプリンや色とりどりの砂糖菓子が並べられ、そして最上段にはマカロンが並んでいる。マカロンはガリオンからの輸入ものだろう。
アルヴァイオンからの茶葉、ガリオンからの菓子、そしてアナトリアで食べられる軽食やケーキ。なんとも統一感がないが、皇后が平然としているところを見るとこれが一般的なのだろう。
「勇者どのは、甘いものは好きかえ?」
不意に皇后がそう訊ねてきた。
「特に好みはしませんが、嫌いでもありませんわ」
「であれば、是非とも味わってたもれ」
「ではお言葉に甘えまして」
皇后は閉じた扇でレギーナの側に置いてあるスタンドの二段目を指した。それを受けてレギーナは一段目のファラフェルを見る。べステがそれを皿に取ろうとすると、いつの間にか寄ってきていたサロンの侍女がサッと動いて二段目のロクムをひとつ皿に取り、素早くレギーナの前へ置く。
どうやら、これを食べさせたいようだ。
「ありがとう」
だが何食わぬ顔でレギーナは礼とともにそれを受け取った。出番を奪われたべステが不安げな目を向けているが、そちらは敢えて無視する。
そしてレギーナはロクムをナイフで一口大に切り取り、扇を開いて口元を隠しつつフォークで口に運んだ。
「うっ………!?」
サクリ、サクリと二度ほど咀嚼したところで、突然レギーナが呻いて前のめりに身を屈めた。
「レギーナさま!?」
べステが慌てた声を上げ、皇后とその周りの侍女たちがにやりと顔を歪めた。
「………っあ、甘いですわね、これは」
だのに。
レギーナがケロリとした顔で……じゃなかった、甘さに顔をしかめて起き上がったものだから全員が唖然とする。彼女はそんな周囲にも気付いてか気付いてないのか、シャクシャクと咀嚼を進めてこくりと飲み込み、すぐに紅茶で流し込んだ。
「お代わりをいただけるかしら?」
そして紅茶のお代わりまで要求している。
皇后やその侍女たちは驚きに固まって、呆然とそんなレギーナを凝視するばかり。
「嫌ですわ皇后陛下。そのように見つめられては恥ずかしゅうございます」
そんな皇后らの様子を気にも止めずに、レギーナはしれっと頬に手を当てて照れてみせた。
「な………なんともないのかえ、そなた?」
「なんとも、とは?」
「あ………いや、」
思わず口をついて出てしまったのだろう。レギーナに不思議そうに聞き返され、思わず皇后は口ごもった。
「ああ、この程度の神経毒なら効きませんから、ご心配には及びませんわ」
レギーナはあらかじめ、[魔力抵抗]を発動させていたのだ。これにより耐毒能力が大幅に強化されていて、今の彼女にはよほど強力な毒でなければまず効かない。念のためではあったが、警戒しておいて正解であった。
だがそのレギーナの返事を聞いて、今度こそ皇后は顔を歪めた。
「な!?妾が毒を盛ったとでも申すのか!?」
「盛ったでしょう?この紅茶には麻痺毒、この砂糖菓子には神経毒。おそらく紅茶の毒はカップにでも塗ってあったのでしょう?乾いてしまってほとんど溶け出しておりませんでしたわ」
「な………な………」
「この様子だとマカロン以外には全部仕込んであると見ましたが、違いますか?」
皇后は怒りと羞恥で顔を染め、震えるばかりで声を返せない。
「ところで、致死毒を仕込んだのはどれですか?本当はそれを食べさせたかったのではなくて?」
「ばっ、バカな!致死毒なぞ仕込んでおらぬわ!」
「あら。やっぱり可愛い我が子の嫁候補の命までは取らぬと仰せで?」
「んなっ!?」
とうとう皇后は驚きのあまり立ち上がってしまった。
「貴女たちの考えなんてお見通しよ。おおかた、毒で身体の自由を奪って無理矢理既成事実でも作ってしまおうとか考えたんでしょうけど」
「なっ、なっ……」
「でもお生憎様、私は勇者なのよ。ていうか勇者相手に普通の毒を盛ろうだなんて、侮られるにも程があるわ」
つまり、皇后ハリーデは勇者を誘い出して毒で身体の自由を奪い、その上で奥の部屋へ連れ込もうと画策していたのだ。
そして、その奥の部屋に何があって誰が隠れているのかと言えば、自ずと答えは明らかとなる。それは皇后が自ら手を貸すほどの人物なのだ。
「どうせ奥に待たせているのでしょう?さっさと呼びなさい、ハリーデ」
そして今度こそ淑女の微笑をやめて、レギーナが扇を皇后に突き付ける。
「き、貴様!妾を呼び捨てに」
「するわよ。忘れたの?勇者は各国の王と同等の地位にあるのよ?」
つまり、このアナトリアでレギーナの地位は皇帝トルグト4世と同等なのだ。そして男尊女卑思想の強いアナトリアでは、皇后は皇帝よりも地位が低いのだ。
なお皇后ハリーデは皇帝の2歳歳下の54歳、レギーナは19歳である。皇后にしてみれば年端も行かぬ小娘が自分より地位が高いなど、到底認められたものではなかったのだろう。
「私は最初に名乗ったはずよ、勇者レギーナだとね。でも貴女は最初から、私の方が上位者だと気付いていなかったようだけどね?それとも、認めたくなくて見て見ぬふりをしていたのかしら?」
いつもお読みいただきありがとうございます。毎週日曜更新の予定ですが、現在ストックがありません(汗)。頑張って書いてはいますが、書き上がらなければ不定期更新になりますm(_ _)m
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【補足・毒の種類】
主な毒はこんなところ。現実世界のそれとは異なる場合があります。
・麻痺毒
現実世界では麻痺毒と神経毒は特に区別されることはないが、この世界では別物として扱う。一般的に弱毒性のものを指し、摂取すると軽症の場合は四肢の麻痺、重篤になると全身の筋弛緩を引き起こして呼吸困難に陥ることも。ただし痛覚は失われず、意識の混濁も起こさない。
この世界では麻痺草と呼ばれる毒草から抽出され、その毒草もまたパラミリアと呼ばれる。
・麻酔毒
摂取するとまず痛覚の喪失を引き起こし、次いで四肢あるいは全身の麻痺を起こす。重篤になると意識の混濁を招き、場合によっては記憶障害など脳に後遺症を及ぼすこともある。
摂取量が少量ならば痛覚の喪失のみで済むため、魔術に依らない外科医療の鎮痛剤として用いられる。若干の中毒性があり、連続あるいは多回数の使用には注意が必要。
・神経毒
少量の摂取だと興奮・覚醒作用があるが、多量を摂取すれば神経細胞の自壊を引き起こして麻痺、痙攣、呼吸不全などを併発して死に至る。一般的に劇毒に分類され、通常は入手が困難だし人に対して使用するのはどの国でも法律で禁じられる傾向にある。
※現実世界だとテトロドトキシン(フグ毒)が有名。セアカゴケグモやスズメバチなども神経毒を持つ。
・致死毒
致死性の劇毒にはいくつか種類があるが、ヴェラドンナが代表的で代名詞にもなっている。ベラドンナという植物の花粉から採取される毒で、ごく少量でもほぼ確実に生命を死に追いやることから非常に恐れられている。西方世界の各地でかつては多量に自生していたが、その毒性の強さから各地で見つけ次第焼き払われ、現在ではもう一般人が目にするような場所で自生していることはほとんどなくなっている。
※現実世界のベラドンナは全草に毒性があり、根茎と根にもっとも毒性が集まると言われている。
毒は他にもいくつか設定がありますが、代表的なのはこんなところで。




