4-9.最初の晩餐(2)
皇帝トルグト4世アブドラティフは、間近で見ると思ったよりもずっと巨きな身体をしていた。だがそれは主に横幅の話であって、身長はさほどでもなさそうだ。要するに巨漢である。
年齢はよく分からないが、おそらく見た目の印象よりはずっと年配であろう。第四皇子イルハンはレギーナたちより少し歳上、ヴィオレよりも若く見えたが、目元の印象など見てもイルハンとは随分歳が離れているように感じた。
その隣に座る神経質そうな御婦人は皇后ハリーデだ。こちらは病的なまでに細く、ふたりが並んで立っていれば数字の1と0が並んでいるような印象を受けるだろう。
「妾が皇后ハリーデである。苦しゅうない、楽にしてたもれ」
声も甲高くて、やっぱり神経質そうである。
このふたりが当然ながら上座を占めていて、大食卓の長辺の片側に居並ぶのが側妃と皇子皇女たちであろう。
側妃は4人。第二妃サブリエ、第三妃ハンダン、第五妃ヌルジャン、第六妃ララである。イルハンの母である第四妃シーラはすでに故人であるという。イルハンが父帝とは似ても似つかぬ容姿であるので、おそらく彼は亡母に似たのだろう。
サブリエ妃とハンダン妃は皇后より少し若いが中高年である。だがヌルジャン妃はヴィオレより少し若く見え、ララ妃に至ってはレギーナやミカエラとあまり変わらない若さだ。老境に差し掛かっていると思しきトルグト4世がこの若い妃を妻としていると思うと、レギーナは内心で嫌悪を催さざるを得ない。だってそれはレギーナたちも皇帝の守備範囲に入っているという証拠なのだから。
「よく参られた勇者殿。本日は是非とも親交を深めたいものだのおほほほほ」
好色で下劣な表情を隠そうともせずに気持ちの悪い笑い声を上げるのが問題の皇太子、アブドゥラである。公開情報通りなら35歳、奇しくもアルベルトと同い年だ。だが見た目の印象も内面のそれも、彼とは真反対と言っていい。
身体は長年の贅沢と不摂生でブヨブヨ、鼻の下を長々と伸ばして、レギーナたちを頭のてっぺんからつま先まで舐め回すように視線をまとわせてくるのが無性に気持ち悪い。肌はツヤツヤしているが、よく見なくとも脂ぎっているだけだ。
普段、アルベルトがどれほど紳士的に相対してくれているのかがよく分かる。それほどまでに皇太子の視線が、というか存在そのものが不快だった。
だがその皇太子アブドゥラの隣に座る美女がいるのだ。それが皇太子妃アダレト、アブドゥラのひとつ歳上の異母姉である。
アナトリアを含むこのあたりの地域には、昔から近親婚の習慣があるという。敢えて血を濃くすることで、血統の持つ能力や霊力を高める狙いがあるのだとか。
さすがに平民や下位貴族、軍閥貴族などの間ではもうほとんど廃れてしまった風習だというが、高位貴族の一部にはまだ根強く残っていて、ことに皇族は近親婚で生まれた子が継承順位も高くなる傾向にあるという。
何を隠そう皇太子アブドゥラも、皇帝トルグト4世アブドゥラティフとその妹ハリーデの子だし、そのアブドゥラティフもまた父帝とその従妹を両親に持つのだ。
《うわあ、ホントにソックリだわ……》
《髪色も面影もよお似とんねえ。さすがは姉弟》
そう。一見して怜悧な美貌を備える皇太子妃アダレトと、肉体的にも精神的にも緩みまくって肥りまくっている皇太子アブドゥラと、一見しただけでは似ても似つかないがよくよく見れば似ているのだ。ということはつまり、アブドゥラもきちんと節制して心身を鍛えればそれなりに美丈夫になる、ということだ。
まあとても信じられない、というかまず絶対にそんな日は来ないと断言できるが。
皇后ハリーデの子は皇太子アブドゥラのほか、第二皇女セファがいる。セファ皇女は母に似たのか神経質そうな目元のキツい美女だ。歳の頃は第五妃ヌルジャンより少し上、つまりヴィオレと歳が近いと見える。
《ちゅうことは、皇帝なぁ自分の娘と同年代ば嫁にもろうとるっちゅうことやんな》
《歳の差婚は王侯にはあることだけど、それでもゾッとしないわね》
第二妃サブリエの子が第一皇女にして皇太子妃のアダレト、それに第二皇子のオカンだ。オカン皇子はアブドゥラと違って痩せていて肌も青白く、よく陽焼けしたたくましい男性の多いアナトリアでは珍しいタイプだ。なんとなくオドオドしているあたり、もしかしたら普段は自室から出たくない人かも知れない。
《異母姉やったら嫁にしてもギリセーフ……》
《なわけないでしょ》
《やっぱそうやろねえ》
もちろんアウトである。だがそれはあくまでもレギーナたちの常識に照らせば、でしかないので、そこをツッコんでも仕方ない。
ちなみにサブリエ妃は皇帝アブドゥラティフの従妹だそうだ。
第三妃ハンダンの子は第三皇子コスカン、第三皇女フンダ、そして第五皇子カーシムの三名。コスカンとフンダは20代、カーシムは成人したてくらいに見える。
コスカン皇子は一見して外務宰相カラスと似た雰囲気を感じる。フンダ皇女は気位が高そうで、カーシム皇子は何というか、小生意気な雰囲気がある。ハンダン妃はアブドゥラティフの又従姉妹に当たるそうだ。
《ホントに近親婚ばっかりね》
《まあ従姉妹やら又従姉妹やらなら良かっちゃない?》
《その前がどうなってるのか分からないし、なんとも言えないわねえ……》
第五妃ヌルジャンの子は第六皇子セミルと第七皇子エムルのふたりだが、どちらも未成年のためこの場にはいない。そして第六妃ララは召し上げられて2年足らずと日が浅く、まだ子を産んでいないのだとか。
ヌルジャン妃はトルグト4世の姪にあたるが、ララ妃だけは血縁関係がなく国内の高位貴族の娘なのだという。そう言われてみればララ妃だけ顔立ちが全く違う。
ちなみに第四妃シーラの子は第四皇子イルハンだけだそうで、彼女はイルハンを産んで程なくしてから病を得てあっさりと亡くなってしまったのだという。
なおシーラ妃も皇帝家とは血縁関係がなく、イルハン皇子だけは頼るべき後ろ盾を持たない。それもあって彼は皇城内で肩身の狭い思いをしているらしい。
ともあれ、聞いているだけで充分に胸焼けしそうなほどドロドロの血縁関係である。彼らにとっては普通のことなのかも知れないが、正直レギーナたちは今すぐにでも皇城を出て行きたくて仕方なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
晩餐会そのものは、意外なことになんの波乱もなくただ普通に食事して歓談しただけで終わった。ただしそれはあくまでも表面上のことで、色欲を纏った視線や嫉妬を込めた殺意などが文字通り降り注いできて、レギーナもミカエラも表情を取り繕うのに苦労した。
ヴィオレはその手の悪意に慣れているのか、表向きは平然としていた。だが彼女は元より内面を悟らせない不思議な雰囲気を持っているし、もう3年近くともに活動しているレギーナたちにも彼女の内心は窺い知れない。
ちなみにクレアはいつものように、ひとり我関せずでフルコースを堪能していたが、小生意気そうなカーシム皇子になぜかやたらと絡まれていた。見ている限りでは学校のクラスのガキ大将が転校生にマウントを取って上下関係の序列をハッキリさせたがっているかのようにも見えたが、まあさすがに気のせいだろう。そういう事をするのは普通は10歳くらいまでだ。
レギーナたちに対して攻撃的なアクションを取らなかったのは、やはりというか、イルハン皇子だけだった。
そのほかに皇帝と皇后、それからララ妃が無関心を決め込んでいたが、皇帝はチラチラ見てきていたのできっと我慢していただけだろう。おそらく、隣に座る皇后が恐ろしくて話しかけられなかったのだろうと思われる。
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