4-5.マトモなのもいるじゃない
「勇者様〜!お待ちを〜!」
後方から叫び声が聞こえて、レギーナが顔をしかめた。王女として貞淑であれと育てられたおかげで舌打ちこそしなかったが、もし平民出身なら舌打ちどころか悪態のひとつもつきかねない、王女としてやっちゃいけない顔をしている。
「止めて」
心底嫌そうに、彼女はアルベルトに命じた。
「いいのかい?」
「いいも何も、あんな暴走続けさせるわけにいかないわよ!」
完全に姿が見えなくなるほど置き去りにして来たはずの出迎えの大臣たちが、こうして追いついて来ているのだ。一般的な社会常識に従って速歩で進ませているスズとアプローズ号に追いついたということは、彼らは常識はずれのスピードで街中を暴走していることになる。
そんな暴走をしてまで追いかけて来ていると分かっていて、それでも逃げるというのは勇者としてのレギーナには取れない選択肢なのだ。だってそれは街中での事故の危険を放置するということに他ならないのだから。
というか、もうすでにここまでの道のりのどこかで事故を起こしてきていても不思議はない。アルベルトへの態度を見ても彼らが平民に配慮するようには見えなかったし、勇者に追いつくという自己の目的のためだけにスピード違反を堂々としでかすような輩が、たとえ事故を起こしたとしても被害者市民の救助に動くとも思えない。
仕方なく、アルベルトは手綱を引いてスズを止める。本当にいいの?といった視線をスズが向けてきたが、彼女はレギーナの顔を見て大人しく従った。
「勇者様、ひどいではござらんか。せっかくそれがしが出迎えに参ったというのに、置いていこうとなさるなど」
追いついて来た脚竜車から慌ただしく降りてきたタライ財務宰相はこれみよがしに胸を張って、まるでレギーナの方が悪いと言わんばかりだ。
ほとんど間を置かずにカラス外務宰相の脚竜車も追いついてきて、タライの前へ出ようとする。
「ささ、勇者様。本日のお宿に参りましょう!なに、このコンスタンティノスでも最高級の宿をこのカラスめがご用意致しましたから心配ありませんぞ!」
「いや頼んでないし」
「まあまあそう仰らず。宿泊代及び食事代は全て我が皇国政府持ちでありますから、どうぞごゆるりとお寛ぎ下され」
「そうですとも。なんなら他にもサービスを取り揃えてございますれば、いかなる遊びもお望みのままにお愉しみ頂いて構いませんぞ!いつでもこのタライにお命じくだされ!」
さあさあ行きましょう、と続けようとしたタライとカラスの口の動きがピタリと止まる。一緒に身体や表情まで固まってしまったかのように動かない。
それもそのはず。助手座に座っていたレギーナが立ち上がって、ドゥリンダナを抜いたのだ。
「それ、どういう意味か、聞いてもいいかしら?」
彼女はアルベルトが見たこともないほど酷薄な、まるで汚物でも見るような目つきで宰相両名を見下ろしていた。ついでに切っ先も両名に向かって突きつけている。
(いやまあ、そりゃあ怒るよなあ。姫様でもあるレギーナさんに向かって、宿で遊べとか、ねえ)
要するに宰相たちが言うサービスというのは男娼のことである。蒼薔薇騎士団が女性だけのパーティだというのは公開情報なので、おそらくそのつもりで準備していたのだろう。それを隠語に包んで言ったところで、アルベルトに分かるくらいなのだからレギーナが分からないはずがない。
「えっいやその⸺」
「お、男の従者を囲うぐらいですか⸺」
両名は最後まで言葉を紡げなかった。
レギーナがドゥリンダナをひと振りし、タライの乗ってきた脚竜車が一瞬で全壊したのだ。
「もう一度聞くわ。それ、どういう意味?」
「「……………ひ!?」」
「あんたらなあ。神教の教義ぐらいは知っとうやろ?」
ミカエラまでも御者台に出てきた。
「いくら他教とはいえ、知らんとは言わさんよ?」
イェルゲイル神教の唯一とも言える教義が、『産めよ、殖やせよ、地に満ちよ』である。元々神教で崇める神々が自身を模して創造したのが人類だとも言われていて、それで神々は人類を愛し、人々に子孫を増やすことを奨励しているとされている。
そして神々は地上にほとんど干渉できない代わりに、気ままに人間として転生して、仮初めの人生を楽しんでいるとも言われている。どこにもない楽園ではそのくらいしか娯楽がないらしく、転生先を確保するためにも神々は地に人類が満ちることを望んでいるのだという。
そのため神教では基本的に娼館の存在を認めていないし、教義を厳密に解釈するなら中絶も認めていないのである。今の世で街に娼館があり、娼婦や男娼が職業として成り立っているのは、その需要と経済効果を無視できずに神教教団が黙認しているだけなのだ。
そしてそんな神教の高位の神徒である侍祭司徒をパーティメンバーに抱えるのが蒼薔薇騎士団で、その侍祭司徒であるミカエラはレギーナの無二の親友だ。当然、レギーナを含めてメンバーは全員が神徒、つまり神教の信者である。
それら全部が公開情報なのに、なぜそこに意識を向けないのだろうかと、アルベルトは不思議でならない。
そもそもそうでなくともレギーナは、王女としての立場もあってまだ男を知らぬ身であった。彼女はエトルリアの先代国王ヴィスコット2世の唯一の子にして現国王ヴィスコット3世のただひとりの姪であり、いざとなれば政略の駒として、勇者を引退してでも祖国に命じられるままに嫁がなくてはならない立場である。
そんな立場の彼女に、よりにもよって男遊びをほのめかしたのだ。
(アナトリアって、エトルリアと戦争したいのかなあ?)
アルベルトでなくともそう考えるだろう。レギーナがどう受け取るかなど、火を見るよりも明らかである。
「あなたたちの無礼の数々、アンキューラに着いたら全部皇帝陛下にお伝えしてあげるわ」
「ヒィ!?」
「そそそ、そんな!?」
「それにしても皇帝陛下の名代にこんな侮辱を受けるなんて思わなかったわ。これって私が勇者としてだけでなく、エトルリア王女としても軽んぜられているってことよね」
「へへへ陛下は関係がなくっ!」
「ゆゆゆ勇者様を侮ってなどっ!」
「ねえ、アナトリアってエトルリアに喧嘩売ってるのよね?」
「ちちち、違いまっ!?」
「ごごご誤解でっ!?」
「それでもまだ、私達と一緒にアンキューラまで行きたいの?」
「めめめ滅相もない!」
「どどどうかご勘弁を!」
とうとうタライもカラスも平伏して地面に頭をこすりつけて土下座してしまった。だがもうレギーナは赦すつもりなどない。
「いやぁ〜勇者様、そこを何とかお納め下さいませんかねえ?」
と、その時、ひとりの騎士が進み出てきた。
騎士らしい礼服に鍛え上げた身を包んで、身なりだけは立派だが、どうもなんか軽い雰囲気のある中年男だ。だが第一印象だけでレギーナは宰相両名よりはマシだと感じた。
勝手に前に出てきた騎士に宰相たちが顔を青くしたり赤くしたりしているが、自分たちが口を開けばまた勇者様の機嫌を損ねると思ったのか口をパクパクさせるだけで、だからレギーナはサクッと無視した。
「あなた誰?」
「申し遅れました。私、アナトリア皇国騎士団の第七副団長を拝命しております騎士アルタン・イスハークと申す者。勇者レギーナ様と蒼薔薇騎士団様の護衛と道中の案内を命じられ、カラス外務宰相に随行してお迎えに上がった次第でございます」
そう言って男はアナトリア式の騎士礼をしてみせる。見た目の印象とは裏腹にその所作は洗練されていて、レギーナたちを侮る様子は全くない。
なんだ、アナトリアにもマトモなのがいるじゃない、とレギーナはもちろんミカエラもアルベルトも意外に感じたほどだ。
「あら、護衛が必要なほど私って弱く見えるのかしら?」
だがレギーナはわざと嫌味を言ってみる。
「滅相もない。そう命じられただけの言葉の綾にございますれば、どうかご寛恕を」
そう答えてアルタンは苦笑した。その言葉にも裏はなさそうだ。
「宰相両名の無礼、誠に申し訳なく。ですが我らも皇命にて参りました以上、勇者様方のお側に仕えぬわけにも参らぬのです。ですのでどうか、この場に居並ぶ騎士の何名かだけでも随行をお許し下されば幸甚に存じます」
「正直要らないんだけど」
「そこを何とか。随行員は勇者様のお眼鏡に適う者を自由にお選び下さって構いませぬゆえ」
あくまでも低姿勢で、だがそれでいて慇懃無礼なところもなく、概ね好印象である。まあ宰相両名が酷かっただけにそのぶん加点されているだけかも知れないが。
だがレギーナも、あまりに何もかも突っぱねるのも皇帝に対して失礼にあたる、と思い直す程度には心証が改善された。
「じゃ、あなた」
「は。謹んで拝命致します」
「それとあとひとり、あなたが選んで頂戴」
そう言われてアルタンは顔を上げ、居並ぶ騎士たちを見渡した。
「では………スレヤ・エルギン、前へ」
「はっ」
そうして呼ばれたのは若い女騎士であった。気の強そうな顔立ちで、やや小柄だがよく整った体躯と顔立ちからして貴族の娘であろうか。彼女はレギーナたちの前に進み出ると、やはり整った所作の騎士礼で頭を垂れた。
「アナトリア皇国、皇国第五騎士団所属、騎士スレヤ・エルギンにございます。勇者様におかれましてはご機嫌麗し………くはありますまいが、何卒ご容赦のほどを」
ついつい定形の口上を言いかけたのだろう。だがこうもハッキリと言い換えるあたり、彼女も両宰相の酷さに思うところがあったようだ。事実、チラッと見やった宰相両名に対する彼女の目は蔑みに満ちていた。もちろんレギーナに目線を向ける時にはそんな感情は霧散している。
その言動はアルタンと同じく真っ直ぐで、これもレギーナには満足いくものだった。それに同性ということも好印象である。
「この国って女騎士なんて居ないのかと思ってたわ」
「よく言われます。騎士団総員のうち女性騎士は3名だけですね」
「あ、やっぱりそうなのね」
「はい。残念ながら」
「あなた達、移動はどうするの?」
「我らは騎竜がおりますゆえ、それで随行致します」
「そう。分かったわ」
「旅程は勇者様の当初のご予定の通りで構いませんよ。我らが合わせますゆえ」
「え、嫌だって言われたってそうするわ」
「ははは、これは手厳しゅうございます」
「待て待て待てーい!」
レギーナとアルタンが道中の打ち合わせを始めたところで、今度は壮年の騎士が慌てたように前に出てきた。
「アルタン、貴様っ!何を勝手に⸺」
「貴方こそ、何を勝手に出てきてるの?私呼んでないんだけど?」
レギーナの冷淡な視線に刺し貫かれて、壮年騎士はビクリとして止まった。
「は?あ、いや⸺」
「どうせ騎士団長か何かで部下の勝手を咎めるつもりなんでしょうけど、お呼びじゃないのよ。そもそも貴方達のトップがああだしね」
「そ、それは、その⸺」
「ほら、退きなさい。じゃないと踏み潰すわよ?」
そう言ったレギーナに目線だけで指示され、アルベルトはスズの手綱をしごく。というかその寸前にスズは自分でもう一歩踏み出している。
「え、あ、ちょ、ゆ⸺」
「ああ、そうそう!」
レギーナは助手座から再び立ち上がると、ドゥリンダナの斬撃を飛ばしてカラスの脚竜車も破壊した。
「次、暴走するようなら貴方達、命はないと思いなさい!」
市民を守り、弱者を守るのが勇者である。だからレギーナにとって、市民に危害を加えかねない国の高官など害悪も同然であり、守るべき対象ではないのだった。
走り出したアプローズ号に、アルタンとスレヤが素早く騎竜に跨り追随する。
そうして呆然と見送るカラスやタライや騎士団長を尻目に、今度こそアプローズ号はコンスタンティノスを出発して行ったのだった。
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