4-4.勇者候補
やり取りを続けながら、ミカエラがこっそりとアルベルトを肘でつついてくる。それを受けてアルベルトはスズに手綱だけで指示を出した。スズも心得たもので、彼女はタライの方へ一歩踏み出すと「グルルル…」と威嚇するかのように低く喉を鳴らした。
それに気圧されるようにタライと、その後ろに居並ぶ騎士たちが後ずさる。元より一般的に目にするアロサウル種より一回り大きなスズの身体は迫力満点だ。
スズが二歩目を踏み出したところで、さすがにタライも顔色が変わる。
「ゆ、勇者様?」
「悪いけど、もう行くわ」
ミカエラではなくレギーナに話を振ったタライに対して、彼女は素っ気なかった。アルベルトは素知らぬ顔をしてスズが歩むに任せる。
「おっ、お待ちを、勇者様⸺」
さすがにタライが脇に退避し、騎士たちが左右に退いたタイミングで、アルベルトはスズに鞭を一発入れる。心得たと言わんばかりにスズが並足から速歩に変わる。普通に歩いていたのが小走りになった形だ。
ちなみにもっと速度を上げると駈歩といい、余力を残しつつも速度を上げて普通に走る態勢になる。街道などは駈歩での移動が基本だ。それ以上スピードを上げると襲歩と言って、これがいわゆる全力疾走だ。なお通常、街中では速歩までしか認められていない。
速歩とはいえ身体の大きなスズのそれなので、アプローズ号はあっという間に騎士たちの目の前を通り過ぎ、コンスタンティノスの街中に走り去って行く。
それを見て慌ててタライが「何をしておる、追えー!」と騎士たちに叱咤を飛ばし、自分も乗ってきた脚竜車に慌てて乗り込む。そこでようやく茫然自失のままフリーズしていたカラスも立ち上がり、「ええい、者共タライめに遅れるな!」と配下の騎士たちを怒鳴りつけ、こちらも自分の乗ってきた脚竜車に慌てて飛び込んだ。だがそんな事をしている間にアプローズ号はとっくに姿が見えなくなっている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これで良かったのかい?」
タライもカラスも騎士たちも完全に置き去りにして姿が見えなくなったタイミングで、アルベルトはまだ隣に座っているレギーナに一応確認してみる。ちなみにミカエラはもう室内へと入って行った後なので、御者台にはふたりきりだ。
「今さら何言ってるのよ」
助手座の肘置きに頬杖をついたまま、アルベルトの方を見ずにレギーナは答えた。
「あなたは黙って雇い主の言うことを聞いてればいいのよ」
「ん、まあ、レギーナさんがそう言うのなら、俺は従うだけだけどね」
レギーナ個人の意見としてならアルベルトも拒否はできるだろう。だが雇い主としての言葉なら従うだけだ。この約1ヶ月ほどともに旅をしてきて、あまり口数の多くない彼女の言葉のニュアンスも、彼は概ね判別できるようになっていた。
「まあなんかあっても責任はこっち持ちやけん、おいちゃんは気にせんで良かとよ」
室内からミカエラが口を挟んできた。すっかり言葉遣いが普段のファガータ弁に戻っている。
「でもそうは言っても、君らまだ“認定”されてないだろう?それなのに皇帝の招待を断ったりして本当に大丈夫なのかい?」
“勇者”レギーナと名乗ってはいるが、実は彼女はまだ正式に勇者に認定されたわけではない。正しくはまだ“勇者候補”である。というのも、正式に勇者として認定されるためにはそれに相応しい“実績”が必須であるためで、彼女たちはまだ勇者として認められるための実績が不足していると見られているのだ。
彼女たちが今回、蛇王の再封印を命じられたのはその“実績”を積むためでもある。歴代勇者の多くが蛇王の再封印を果たした者たちでもあるため、彼女たちが無事に成功すれば“認定勇者”として認められる可能性が高くなる。
だが、それまではあくまでも“勇者候補”でしかないのだ。
勇者候補として活動を始めるのは主に〈賢者の学院〉の“力の塔”の成績上位10名、いわゆる首席から第10席までのうちの有志の面々で、数人が勇者を目指す年もあればひとりも立たない年もある。認定勇者がいれば候補は少なく、いなければ候補は多くなる傾向にある。そのほか、力の塔の卒塔生でなくとも市井の冒険者から勇者候補として認められる者もいるが、そうしたケースは10年にひとり出ればいい方である。
現在、勇者候補として活動しているのは3名。レギーナのほか、ブロイス帝国出身の勇者候補ヴォルフガングとアルヴァイオン大公国出身の勇者候補リチャードがいる。ヴォルフガングが670年度の力の塔首席、リチャードが671年度の力の塔首席だ。レギーナは672年度の力の塔首席で、彼らの後輩にあたる。
彼らはそれぞれ、西方世界の北方、西方、南方を中心に勇者候補として活動し研鑽を積んでいる最中だ。そしてその中では、先年に“大樹海”探索を終えて戻ってきた勇者候補ヴォルフガングが実績では一枚抜けていて、世間の人気という点では勇者候補レギーナが抜けている。
だが人気だけでは勇者とは認定されない。
そういった意味でも、レギーナにとってこの蛇王再封印の旅は必ず成功させなければならない使命であった。
「いいわよ別に。私たち三人とも事実上の“勇者”として活動することを認められてるもの」
だがレギーナはあっけらかんと言う。
「“聖イシュヴァールの左腕”がいなくなった以上、世界は一刻も早い“勇者”の誕生を待ちわびているわ。だから私たち三人はもう事実上の勇者だと認められているし、その中で誰が正式に認定されたとしても、あとのふたりも“勇者”と名乗って活動することを許されているの。だから私ももう“勇者”として動いてるのよ」
だからすでに勇者を名乗っているのだし、勇者としての権限も認められているのだと、レギーナはそう語った。
“聖イシュヴァールの左腕”。
王政マジャル出身の勇者候補アレクサンドルが率いた勇者パーティである。彼らは勇者ユーリと“輝ける五色の風”が引退したあと、次期勇者として最有力視された勇者候補であったが、670年にブロイス帝国中西部の都市アルトシュタットで発生した子供たちの集団失踪事件を調査中に六名全員が忽然と行方不明になった。
世にいう、『アルトシュタットの喪失』事件である。
魔王級と戦ったわけでもないのに勇者候補パーティが全員行方不明になるという前代未聞の事件は、世界を震撼させた。急遽主要各国の最高戦力を揃えて行われた大規模な捜索活動にも関わらず、聖イシュヴァールの左腕はおろか子供たちのひとりも発見できずに、事件は迷宮入りと化した。
世界が恐慌に陥らずに平穏を保てたのは、ひとえに同年に活動を開始した勇者候補ヴォルフガング率いる“虹の暁の騎兵団”の存在があればこそである。翌年に勇者候補リチャードが“陽神の愛し子たち”を立ち上げ活動を開始し、さらにその翌年にレギーナと“蒼薔薇騎士団”が活動を始めたことで、今の世界はひとときの落ち着きを取り戻しているのだ。
だが相変わらずアレクサンドルや“聖イシュヴァールの左腕”は発見されず、世界は勇者ユーリの後継を得られないままである。
「だからこそ、私たちは早く蛇王を再封印しないといけないの。正式に勇者が認定されなければ世界は安寧を得られないし、再封印の成功が認定されるためのもっとも大きな実績になるのよ」
だからアナトリアで無駄に拘束されるわけにはいかない。アナトリア皇帝トルグト4世がどういう思惑でレギーナたちを迎えようとしているのか分からない以上、彼女たちがそれに付き合ってやる義理などないのだ。
「だから言ったでしょう?こんな国、さっさと抜けてしまうに限るのよ」
車内でヴィオレがそう言って、心底面倒臭そうにため息をつくのが聞こえた。
「ていうか、アナトリアって昔っからこうなわけ?あなたたちの時はどうやって対処したの?」
助手座に座ったままのレギーナが、今度はアルベルトの方に顔を向けて聞いてくる。今さらながら、彼が一度は勇者候補パーティの一員としてこの国を通過した経験があることに気付いたのだろう。
「いやあそれがね、当時の“輝ける虹の風”は全く注目されてなくてね。勇者候補の認定レースでも全く有力視されてなかったから、行きはどの国でも全然騒がれなかったんだよね」
「……………は?」
意外すぎる返答に、レギーナが唖然としてアルベルトを二度見する。
「嘘やん!?」
ミカエラも思わず御者台まで確認に出てきたほどだ。
だってそれはそうだろう。勇者ユーリと彼の率いた“輝ける五色の風”は蛇王の再封印、イヴェリアス王国に出現した“西方の魔王”討伐のほか、魔王級へと至りかねない巨竜や吸血魔の討伐を幾度も繰り返して、引退した今なお暫定的に勇者として活動しているほどなのだ。
世間ではまだ40歳と若く力の衰えもないユーリの、勇者復帰を望む声さえあるというのに。
「ユーリはほら、一度自分のパーティを仲間割れから追い出されてるからさ。それで丸4年くらい棒に振ってて、当時大きく出遅れてたんだよね」
「いやいや初耳っちゃけど!?」
「そうよ!どこのバカなのよユーリ様を追い出した奴!」
ユーリは〈賢者の学院〉“力の塔”の卒塔生ではあるものの、卒塔席次は7席でしかない。当時、勇者候補として活動を始めた同期は他に3名いて、その中には首席も含まれておりユーリの席次は最下位であった。そのためにユーリは最初から“脱落候補”として見られていたのである。
しかもそれでいて、あくまでも認定勇者を目指すユーリと、早々に諦めて程々を目指そうとするパーティリーダーでもあった戦士ロンメルとが意見の相違から仲違いを起こし、孤立してパーティを追われたのがユーリ19歳の時である。その事件は勇者候補としてのユーリに大きな失点をつけ、彼は当時世間でも「勇者候補としては終わった」と見られていたのだ。
そんな彼がラグに出てきたばかりのアルベルトと彼の幼馴染みのアナスタシアに声をかけ、新たに組んだのが“輝ける虹の風”だったのだ。
その彼に回ってきた起死回生のチャンスが蛇王の再封印の指令である。すでに同期のパーティが失敗して全滅した後であり、ユーリにとっては受けるしか選択肢がない。失敗すれば全てが終わる、そんな中で彼とその仲間たちは犠牲を払いながらも見事に再封印を成し遂げて、西方世界へと凱旋を果たしたのだ。
ちなみに再封印とは言うが、ただ封印を強化すれば済むという話ではない。封印が綻ぶのは封じられた魔王が力を蓄えて内部から封印を破壊しにかかるためであり、だから再封印のためには結界内に入り込んで魔王を討伐し、力を奪って弱体化させる必要がある。
つまり、封印に力を封じられてなお勇者候補のパーティを全滅させるだけの力を蛇王は持つのだ。
「でも結局、蛇王の再封印だけではまだ実績が弱くてね。その後にイヴェリアスで魔王を倒したことでようやく正式に勇者に認定されたんだよね」
まあその頃には俺はもう抜けてたんだけど、とアルベルトは苦々しく微笑う。
「そう、だったのね……」
「ユーリ様も苦労しとったんやなあ」
「そんなだったからラグを発った時も見送りなんて誰もいなかったし、道中も誰にも注目されなかったんだ。なのに帰りはどこでも大歓迎でさ」
「あーまあ、そらそうやろね」
「だから正直な話、今回アナトリアの皇帝陛下がどんな思惑でレギーナさんたちを招待してるのか、俺にも全然分かんないんだよね」
さすがのアルベルトも、分からないことには対処のしようもない。
「どうせロクな用事じゃないわよ。無視するに限るわ」
なので結局、レギーナの方針は変わらなかった。
お読みいただきありがとうございます。毎週日曜更新の予定ですが、現在ストックがありません(汗)。
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