4-3.先行きに不安しかない
「ええと、どちら様で?」
「フン。御者風情が我輩に話しかけるなど無礼な!」
改めて名を訊ねただけなのに、カイゼル髭はいきなり曲刀を抜いた。カイゼル髭の背後にズラリと居並ぶ騎士たちも同様に抜刀したところを見ると、どうやらカイゼル髭の部下のようである。
とはいえ、いきなりこの対応はない。車内に勇者がいると分かっているのだから、御者だって勇者の従者ということになるはずだが。
「者共!この無礼者を引っ捕らえ⸺」
グルルルルル…
曲刀を振りかざし、居丈高に号令しようとして、しかしカイゼル髭はスズの低い唸り声で固まってしまう。後ろの騎士たちも一斉に怯んだあたり、実はちょっとヘタレ揃いかも知れない。
「なによ、何だかうるさいわね。さっさと出発しなさいよ」
「いやあ、それがね。何だかヘンな人に絡まれちゃってさ」
車内から声だけでレギーナが話しかけてきて、アルベルトも困ってしまう。行く手を阻むようにカイゼル髭と騎士たちが立っているので、退いてもらわないと進めないのだ。
「なにそれ?」
「申し訳ないけど、ちょっと出てきてもらっていいかな?」
「なによもう。面倒くさいわね」
「なんね、どげしたとね?」
面倒くさいと言いつつも、レギーナは御者台に顔を出した。ミカエラも一緒だ。
そして彼女たちが顔を出したものだから、途端にカイゼル髭が喜色に溢れる。
「おお!確かに勇者様でございますな!ささ、そのような粗末な車ではなく⸺」
「は?」
喜々として話し始めたカイゼル髭の言葉は、氷点下まで下がったレギーナの声に遮られた。
「あなた今、もしかして私たちのアプローズ号を『粗末』って言った?」
「えっ、いや⸺」
「言うたねえ。姫ちゃんお気に入りの蒼薔薇騎士団専用車両ば、ハッキリと『粗末な車』て」
「ていうか、何その刀。それ私に向けてるってことで、いいのよね?」
ハッとして、大慌てで納刀する髭&騎士たち。
いやもう完璧に手遅れだと思いますが。
「最初の名乗りが正しいのなら、そこのオジサマは皇帝陛下の名代の外務宰相サマよね?」
ヴィオレまで御者台に顔を出してきた。しかも見計らったように完璧なタイミング、カイゼル髭にとっては最悪なタイミングで彼の正体をバラしてしまう。
「ほほ〜ん?っちゅうことは、アナトリアは勇者に弓引くわけたい?」
「あら。じゃあ上に報告しなきゃいけないわね」
「あっいや、違います!これはそこの無礼者を」
「あら。この人は私たちが雇った旅先案内人兼従者で旅の同行者なのだけれどね?それを無礼ということは…」
「おいちゃんば雇うた蒼薔薇騎士団に文句ば付けた、っちゅうことやんな?」
「めめめめ滅相もない!」
とうとうカイゼル髭は真っ青になってオロオロと慌て出す。
最初の本人の名乗りが正しければ彼は皇帝の名代なので、彼の行動は皇帝の意向ということになる。皇帝は国家の主権者であり体現者であるので、ミカエラの言う通りアナトリア皇国が勇者に敵対したことに等しいのだ。
そのことにようやく気付いたのだろう。だがもう遅い。
「スズ。構わないからアレ踏み潰していいわよ。国家を脅かした反逆者だから遠慮はいらないわ」
「グルル」
「ひぃ!?」
レギーナの言葉がちゃんと解っている賢いスズが勝手に歩き出し、カイゼル髭と配下の騎士たちは大慌てでその進路から逃げ散った。
なのに『踏み潰せ』と言われたものだから、スズはカイゼル髭に向かって進路を変える。もうこうなると言うこと聞かないだろうな、と理解しているアルベルトは手綱を握っているだけで、制止しようとすらしなかった。
「ももも申し訳ありませぬ!この通り!無礼をお詫び致しますゆえ!どうかお怒りをお収め⸺」
「バカなの?」
「ふへ?」
「頭が高いって言ってんのよ!」
この西方世界において、勇者とはどこの国家にも縛られぬ唯一無二の存在である。人類の英雄、世界の救済者たる勇者はその特殊な在り方ゆえにどの国にも属さず、どんな国にも頭を垂れることはない。逆に勇者に救われる国々のほうが本来なら勇者に頭を下げるべきなのだ。
つまりこのアナトリア皇国内において、皇帝に対して頭を下げなくて良い唯一の存在が勇者である。その勇者に対して皇帝の名代が剣を向けたのだ。
もはや怒りを収めるどころの騒ぎではない。下手をすると、いや下手しなくても国家存亡の危機というやつだ。だってさすがに勇者ひとりで国を物理的に滅ぼすことなどできないが、勇者に敵対した国は他の全ての国から『人類の敵』と看做され敵視されるのだから。
「皇帝の名代が勇者に剣を向けておいて、言葉だけの謝罪で済むと思ってるなら、やはり国家反逆罪で処刑するしかないわねえ?」
「ちゅうかこげなんば国の要職につけとうやら、皇帝の資質が問われるばいね」
「ぎゃあーーーー!!」
愚行の責任を問われるだけでなく、具体的に自分自身の処刑、さらには主君たる皇帝の正統性にまで言及されて、とうとうカイゼル髭は跪き、地面に額を擦りつけて命乞いを始めた。
「もももも申し訳ございませんっ!ここここの通り謝罪致しますゆえ!どどどどうかいいい命ばかりは!」
さすがに見かねてアルベルトが手綱を引き、スズも解ってると言いたげにわざとカイゼル髭の至近に脚を踏み下ろす。
「ぎゃひーーーー!!??」
その拍子に振動でひっくり返ったカイゼル髭は、もう顔面蒼白で死にそうな顔になっている。
「貴方むしろ皇帝陛下にお詫びすべきではなくて?まあ許されると思えないけれど」
「そうね。まあその前に私が許すなって言うけどね」
「そっそんな!ご無体な!?」
「まあアナトリアの陛下は苛烈っちゅう噂やけんが、一族郎党皆殺しになるっちゃない?」
「………っひぃ!?」
ますます顔面蒼白になるあたり、自分でも具体的に想像できてしまったのだろう。まあ思い上がった態度を取っていたのだから、完全に自業自得である。
「おそれながら、もうそのあたりで赦してやっては頂けませぬか勇者様」
不意に声が響いて、アルベルトもレギーナたちも声のした方に振り向く。
そこには恰幅の良い、顎髭を蓄えた猫目の男が、やはり騎士の一団を従えて立っている。ガイゼル髭と同じようにジャラジャラと勲章を付けた豪奢な礼服を身に纏っていて、一見してやはり皇国の宰相のひとりに見受けられる。
「あなた誰よ?」
「これは申し遅れました。それがし、アナトリア皇国で財務宰相を務めておりますジェム・タライと申す者。外務宰相ブニャミン・カラスめが大変失礼をば致しました。どうかお怒りをお納め下されば幸いに存じます」
慇懃無礼、というのはこういう人物のことを言うのだろうか。そう思ってしまうほど、物腰は低いが尊大な態度が隠せていない。まるで、私がここまで言うのだから当然矛を収めるべきだ、と言っているようにしか聞こえない。
まさかと思うが、アナトリアの閣僚ってこの手のいけ好かない連中しかいないのだろうか?
「たっ、タライ財務!?」
そこで初めて気付いたかのように金切り声を上げるカラス外務宰相。
「お主、何故ここへ!?」
「何故も何もないわ。どうせお主のことだから勇者様方のご不興を買いかねん、と思って念のために来てみればこれだ。出迎えの使者ひとつ務まらんで、よく外務宰相などやっておれるな」
「なっ、なにおう!?」
カラスが顔を真っ赤にして怒っているが、全くもってタライ財務宰相の言う通りである。態度こそ慇懃無礼だが一応話に筋は通っているし、何より外務宰相よりは話が通じそうである。
「それでですな勇者様」
「なによ」
「それがしがこうして参ったのは、我らが皇帝陛下より勇者様を皇城にお招き申し上げるよう仰せつかったからにございます。丁重にご案内申し上げ、道中の諸々を取り仕切り遺漏のないよう厳命されておりますれば、どうか皇都アンキューラまでお越し頂きますよう、伏して願い奉るものでございます」
恭しく頭を下げるタライ。
レギーナは思わずミカエラと顔を見合わせてしまった。
アンキューラに行くこと自体は問題ない。竜骨回廊沿いの都市なので、どのみち通過する予定なのだ。問題は「皇城への招待」の部分である。
アナトリアは絶対帝政で皇帝権力が非常に強く、しかもヴィオレの話を事実だと仮定すれば皇太子がレギーナたちを気に入る可能性が高そうだ。それでなくともアナトリアは勇者として初めて訪れた地で、お国柄もよく分からないし皇帝の思惑が読めない。
「お招きありがとうございます。我らとしましてもアンキューラの通過は予定しておりますし、皇城へもご挨拶に寄らせて頂くつもりでおりました。
ただし我らは東方への旅の途上でありますし、アナトリア国内も通過に留めて長居はせぬつもりでおります。ですのでどうかお構い無く。通行許可さえ頂ければと存じます」
ミカエラが突然、流暢に現代ロマーノ語で挨拶を始めてアルベルトは驚く。出会ってこのかた、彼女はずっと頑ななまでに南部ラティン語のファガータ方言を貫き通していたというのに。
「ははは。法術師ミカエラ殿、そのように遠慮なさらずとも結構ですぞ。皇城ではすでに歓待の準備も進んでおりますゆえ、ごゆるりと逗留なさるとよろしかろう」
「いえ、アナトリア国内は15日ほどで通過する予定ですので。お気遣いは無用に願います」
そんなアルベルトの様子に気付くこともなく、タライはにこやかにミカエラに応対し、ミカエラはミカエラでさらに断りを入れる。
それを見て、アルベルトは解ってしまった。これは彼女が本気で嫌な相手を拒否しているのだと。
彼女の隣でレギーナが押し黙ったまま目線だけ逸らしているところを見ても、多分間違っていないだろう。
「いえいえ、そう仰らずに。すでにこのコンスタンティノスでの宿も手配してございますれば」
「ああ、この街には宿泊しませんので遠慮申し上げます。この旅のための専用の脚竜車もありますし、野営も慣れておりますから」
「それこそ滅相もない。栄えある勇者様方をもてなしもせぬとあっては、我がアナトリアが世界の笑いものになりますゆえ、どうか」
「他のどの国でも基本的に我々は自由にやらせてもらっておりますし、ご心配は無用です」
やり取りを続けながら、ミカエラがこっそりとアルベルトを肘でつついてくる。これはどうやら、もう無視して行けという事だろう。
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