4-1.双子都市
大変長らくお待たせしました。四章の更新を開始します。
ただ、ストックがほとんど書き上がっていないので、大変申し訳ありませんが更新は毎週日曜ということにさせて頂きます。悪しからずご了承下さい。
なお、四章の章タイトルは仮題とさせて頂きます。大まかにプロットは作ってありますが、どう転ぶかは書いてみないと作者にも分かりません(笑)。
一夜明け、キャンプ地を後にした一行は、トゥラケリアの国内に入ってデデアーチを素通りすると、ロドストまで一気に進んだ。
そしてロドストで1泊したのち、イリシャ最後の都市ビュザンティオンを目指す。
なお“円卓の密談”のあとに微妙な雰囲気になりつつも、ようやく念願叶ってアプローズ号寝室の二段ベッドで眠れたレギーナは翌朝にはたいそう上機嫌で、朝食にアルベルトが釣り上げた川魚を頬張ってご満悦だった。当初の目的だったはずの『アルベルトの過去話を聞く』というのはすっかり忘れてしまったようだったから、アルベルトもミカエラも敢えてツッコまなかった。
クレアは目覚めてからも昨夜自分が何を話したか憶えていたようで青い顔をしていたが、アルベルトをはじめ全員から抱きしめられ頭を撫でられて、これまでと変わらず愛してもらえることに心からホッとしていたようだった。
「この峠を越えたら、そろそろビュザンティオンが見えてくるはずだよ」
例によってアルベルトが覗き窓越しに車内へと声をかけ、物見遊山な面々が御者台へと顔を出してくる。
「………って、まだ全然見えないじゃない!」
「ん〜見えるのは峠を越えて下り坂に入ってからだね」
「あとどんくらいで峠越えるん?」
「もうぼちぼちだと思うけどね」
アルベルトの言うとおり、回廊沿いの木々の梢の隙間から空が見えるようになってきている。つまり今はもう峠の頂上部分を走っているということだ。
そしてそこからさほど走らぬうちに、眼前が急に大きく開けた。
「わぁ……!」
レギーナが思わず感嘆の声を上げるのも無理はない。下り始めた回廊の見はるかすその先、眼下には地平線まで見渡せる一大パノラマのごとき絶景が広がっていた。
正面から右手側にかけて鋭角に切れ込むように広がる海は、回廊沿いの木々の梢に隠れるように後方まで果てしなく広がる南海だ。そして正面、回廊の延びる先には巨大な都市が広がっていた。
それは南側、つまり右手側に南海の海岸線を望み、その海岸線の延びてゆく先に無数の家屋の屋根を煌めかせていた。そして現在位置からでは細い糸のように見える海峡を隔てて、その先にも果てしなく家屋が連なっている。海峡の向こうの市街地がどこまで広がっているか、現時点では目視できないほどである。
さらにその都市の向こう、つまり正面やや左方の奥の方にも陽の光を反射する水面がかすかに判別できる。南海と細い海峡ひとつでかろうじて繋がる内海、“暗海”だ。水中の海藻や微生物の影響か透明度がほとんどなく、季節や昼夜を問わず暗い水を湛えているためこの名がある。
手前側に広がる都市はスラヴィアではまず見ることのない規模の市街地が広がっている。スラヴィアの各都市のような城壁で囲われた城塞都市ではなく、市街地の端とその周りの草原地帯や荒野との区別が付きにくい。
城壁はある、正確にはあったのだが、とうの昔にその外側にまで市街地が溢れてしまっていてもはや意味をなさないのだ。
「あれがイリシャ最大の都市、ビュザンティオンだよ」
「すごい、話には聞いてたけどほんとに大都市なのね!」
「まあ、ビュザンティオンは海峡のこちら側だけだけどね」
「じゃあその向こうは?」
「あっちはアナトリアの副都コンスタンティノスだよ」
「えっ、じゃあ首都同士隣り合ってるの!?」
イリシャ連邦トゥラケリア王国の首都ビュザンティオンとアナトリア皇国の、今は副都だがかつては首都でもあったコンスタンティノスは、細い海峡を隔てただけの目と鼻の先に位置する“双子都市”である。元々この地は歴史的にはアナトリアの支配地であり、両都市もアナトリアが、正しくは古代ロマヌム帝国に征服される以前にこの地を治めていた統一イリシャ帝国が建設して古代ロマヌム帝国時代に発展した、本来はひとつの都市であった。
だが現在、海峡を挟んで西岸と東岸とを別々の国が支配している。それが西岸のイリシャ連邦王国と東岸のアナトリア皇国である。両国ともゆくゆくは対岸の都市も支配下に置こうと画策していて、それで過去に何度も戦争を繰り返していた。
だが現在、もう十数年も休戦状態が続いていて、長いこと小競り合いしか起きていない。
「それでよく平和が保たれてるわね」
「なん言いようとよ姫ちゃん。大国同士の国境線、しかもお互いが相手の都市ば占領しようてしよるとに、平和なわけがなかろうもん」
「ボアジッチ海峡はそれだけじゃなくて、暗海の水運利権も絡んでるからね。お互いの攻城砲の射程内に軍事拠点を据えなくちゃならない以上、1発でも撃てば即座に全面戦争だから、お互いに慎重にならざるを得ないんだ」
フェル暦675年雨季上月現在、西方世界全域の中でもっとも軍事的緊張が高いのがこのボアジッチ海峡である。かつての古代ロマヌム帝国以前にこの地を支配していた、統一イリシャ帝国の時代にはひとつの国家だった今のイリシャとアナトリアは、現在でもなお互いに相手を併呑しようと狙っているのだ。その状態で小競り合いだけで済んでいるのだから、むしろよく治まっているとすら言えるかも知れない。
「そういうことだから、この地はさっさと抜けてしまうに限るのよ」
面倒臭そうな表情さえ隠そうとしないヴィオレ。イリュリアでの事件の教訓という意味でも、彼女の言葉を否定する意味も意義もなかった。
とはいえまだ今はまだビュザンティオンを遥か遠くにようやく眺められた程度である。スズの脚なら大一もかからずに市街地へ入れるだろうが、それでも距離にして20スタディオンほどはあるだろうか。それでも今日は朝の早い時間から移動していることもあり、うまく行けば昼頃には国境連絡船でコンスタンティノスへと渡り終えられるはずだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アプローズ号はビュザンティオンに入っても休まずに走り続け、市街地を素通りしてボアジッチ海峡付近まで到達した。例によってヴィオレがひとり先行して国境連絡船の出港時間を確認し、アプローズ号を載せられる大型連絡船の予約を取り付けてきた。
その出港時刻が昼二ということで、一行はひとまず昼食を取ることにした。時刻は朝六、少し早いが昼食を取るにはいい時間だ。
「初めて来たけど、この街ってなんていうか、ずいぶん雰囲気が独特よね」
昼食を終え、再びアプローズ号に乗り込んで市街地をゆっくり走行するその窓から外を眺めつつ、レギーナが独りごちる。
「なんかもう東方世界さい入ったげな感じやんね」
「というより〈大河〉の沿岸域が独自の文化圏になってる、っていう方が正しいかな」
「ちゅうことは、あれな?西でも東でもない、げな感じなん?」
「うん、まあそんな感じだね。そもそも今のアナトリアのほぼ全域も、かつての“蛇王”の支配地だったみたいだよ」
「その“蛇王”って、だいたいいつくらいの時代の王だったのかしら?」
「はっきりとは分かってないらしいけど、少なくとも数千年は下らないみたいだね。東方世界ではほとんど神話として扱われてるくらいだし」
「数千年、ってことは“ラティアース”より前の“オーリムアース”の時代、ってこと?」
「多分そうじゃないかな」
神話では、蛇王の治世はおよそ千年にも及んだとされている。その蛇王が簒奪したとされる“賢王”イマの治世はおよそ七百年、蛇王を倒した“英雄王”ファリドゥーンの治世がやはり千年と言われる。それでいて英雄王は賢王の孫にあたるというのだから、現代の人類の常識からはかけ離れている。長命で知られているエルフであってさえ、千年を生きる者は稀だと言われているのに。
「神話ねえ……聞いたこともないのよね」
「まあそれは仕方ないんじゃないかな。神教の神話じゃなくて“拝炎教”の神話だから」
「拝炎教?」
「主に〈大河〉沿岸域で信仰されてる宗教でね、神様は特にいなくて、信者は炎を崇拝してるそうなんだ」
「炎を?変わった宗教もあるものね」
拝炎教は主に〈大河〉の中流域から下流域にかけて広く信仰されている宗教で、炎を浄化と再生の象徴たる聖なるものとして崇めているのが特徴的だ。そのため、炎は一旦起こすと消してはならず、人が死ねば炎で浄化したのちに埋めたり海に撒いたりするのだという。
火は消してはならないものだから、火事などが起こると自然鎮火するまで放置するのだという。火は勝手に燃え上がるのではなく浄化のために生まれるのだから、燃えた家や人は浄化されるべき何かがあったのだと考えるのだという。
「うわぁ……それもすごい考え方ね」
げんなりした顔でレギーナがため息をつく。
「だから東方の方では火事被害が毎年かなりあるらしいよ」
まああっちでは『被害』とは言わないらしいけど、と続けるアルベルト。
東方に行ったら、アプローズ号だけは火事を起こさないようにしないとね、とレギーナたちは固く誓いあった。万が一火が出ても消火を手伝ってもらえないどころか、妨害されかねない。
「っと、渡し場が見えてきたね」
御者台からアルベルトが言う。ここまでの彼らの会話も御者台と室内とで覗き窓を介した[通信]の術式によるものだ。
「ところで誰か、アナトリア語話せる人、いる?」
「ああ、心配ないよレギーナさん。現代ロマーノ語で通じるから」
「そっか、それもそうね」
イリシャはもちろん、アナトリアもまだ西方世界である。西方世界において、現代ロマーノ語が通用しない地域というのはほとんどない。だからこそ、各国共通の公用語として用いられるのだ。
「というか、東方世界に入っても現代ロマーノ語が通用する土地が多いからね」
「そうなの!?」
「竜骨回廊の沿道域は特にね。西方の商人たちも多く行き来するから、リ・カルンの王都アスパード・ダナまでは問題ないはずだよ」
そう言われれば納得もする。商人たちだけでなくて歴代の勇者パーティも蛇王の封印修正のために定期的に訪れているのだから、昔から交流はあるのだ。
だったら向こうでこちらの言葉が通じても不思議はないし、逆に言えばアナトリアでは東方の言葉も通じるのだろう。
そういう意味では、やはりアルベルトを案内人として雇って正解であった。実際に行って戻ってきた経験のある彼がいるからこそ、レギーナたちだけでは気付けないこうした細々とした問題も何事もなかったかのようにクリアできているのだから。