3-18.ここだけの話(1)
パチ、パチと焚き火にくべた薪が爆ぜる音が夜の森に響く。
すでに陽はとうに暮れ、辺りはとっぷりと夜闇に呑まれている。明るいのは焚き火の周りだけだ。
その焚き火の炎に照らされて見えるのは蒼薔薇騎士団の四人とアルベルト、それにスズとアプローズ号、あとは先程まで使っていた調理台代わりの簡易テーブルとその上の残り物食材くらいか。周囲の木々は闇とほぼ同化し、川の流れも見えずに水音だけが聞こえてくる。
そして空を見上げれば満天の星空。と言っても焚き火と立ち上る煙のおかげでほとんど見えないが。多分焚き火から離れれば素晴らしくよく見えることだろう。
「ねえ、“円卓の密談”しない?」
レギーナが目をキラキラさせて何やら言い出した。
彼女は元々が黄色い瞳で、その中に金の輝きをかすかに含んだ特徴的な目をしているのだが、今は違う意味でキラキラしている。
「まーた姫ちゃんがなんか言い出したばい」
呆れたようにミカエラが言う。実際呆れているのだが、レギーナが思いつきで突拍子でもないことを言い出すのなんていつもの事だから、彼女ももう慣れっこだ。
まあこうしたキャンプの醍醐味といえば、みんなで作った野外メシを食べて、焚き火を囲んで語り合うことなのだし、そういう意味で彼女はキャンプを正しく楽しんでいると言えるだろう。
ちなみに“円卓の密談”とは、「ここだけの話」を参加者で持ち寄って話して聞かせる座談会のことである。アルヴァイオン大公国がその昔、まだ古代ロマヌム帝国に征服される以前の『アヴァロス王国』だった時代に王に仕える騎士たち、その名も『円卓騎士団』の騎士たちが暇つぶしに語らい合っていたことが起源とされている。
円卓騎士団の騎士たちが頻繁に集まっては様々なことを話していた、という記録は古い文献にいくつも残っている。だが話されていた内容が一切残っていないため、内密の話でわざと記録に残さなかったのだろうと考えられていて、そこから集まった者たちだけの内緒話のことをそう呼ぶようになった、らしい。
だからそこで話した内容は外に一切洩らしてはならないとされていて、そのため重大な秘密でも恥ずかしい話でも、何でも気兼ねなく話せる………というのが“円卓の密談”の建前だ。
要するにレギーナは『秘密の暴露話』をしたいのだ。正確にはそれを聞きたいだけだが。
そして彼女の狙いは今までになかった新たな参加者、つまりアルベルトだ。
「で?誰から話す?」
「いやスルーか姫ちゃん」
何だかスルーされてばっかりなミカエラさんである。
とはいえ彼女がこうなのはいつもの事なので、ミカエラもそれ以上ツッコんだりはしない。
というかレギーナがこんな事を言い出したのは、普段の夜とは違うキャンプ独特の雰囲気に当てられたんだろうと彼女は正確に推測していた。だったら望みどおりにしてあげて満足させないと後々面倒である。
「ミカエラからいく?」
「いやそこは言い出しっぺからやろ」
「嫌よ。私は最後にするわ」
あからさまにズルいです、勇者様。
「あなた、なにか面白い話ないの?」
そしてミカエラの白い目を物ともせずに彼女はアルベルトに話を振ってしまった。いやそれをやってしまったら話が終わってしまうではないか。
やれやれしょうがない、とミカエラが声を上げる。
「いや、ウチがしたい話のあるけん」
「なによ、結局ミカエラからじゃないの」
と言われても、言い出しっぺが先陣を切らないのなら代わりにミカエラが犠牲になるしかないのだ。
……と、言い訳めいたことを考えつつ、ミカエラは口を開いた。
「あんね、マリア様のことなんやけど」
マリアは[追跡]でアルベルトの動向をずっと探っていて、彼がラグから離れていくのを不思議に思って直接話を聞きに来た、と言った。そしてお付きの侍祭司徒や司徒たちの目を盗んで[転移]でティルカンまで跳んできた、と言ったのだ。
だが、[転移]で海を超えての長距離を移動したというのはなかなか聞いたことがない話だった。できるとすれば複数人で合同して発動させる『儀式魔術』が必要になるだろう。事実、黄神殿にある転移部屋は儀式魔術で強化し[固定]された魔方陣が描いてあるのだ。
だが彼女は誰にも知られずにこっそり跳んできたのだ。つまりそれは、ひとりで[転移]を発動させたということ。しかも行き先を自由に決められるなんて聞いたこともない。
「………そげんことってできるとかいな」
もしできたとすれば、マリアの霊力量は常人数人分の桁違いの量ということになる。そうではなく、何らかの方法で発動を強化したか、あるいは[追跡]のようにオリジナルの術式を隠し持っていたか、はたまた別に何か仕掛けがあるのか。
ただいずれにしても、露見すれば教団内で大問題になるであろうことは容易に想像がつく。何しろ教団内で籠の鳥であるべき巫女が自由に行動できてしまうのだから。巫女の安全面でもそうだし、巫女をコントロールしたい上層部にとっても由々しき問題であるだろう。
「…………もしかして私、まずかった?」
あの時、こっそり転移してきたのならバレないように帰るべきと提案したのはレギーナだった。ミカエラの話を聞いて、今さらながら懸念を覚えてしまうのも無理はない。
「どうだろうね。詳しいことは分かんないけど、多分マリアなら他にも色々隠してる気がするなあ」
苦笑しつつ言うアルベルト。こうと決めた時の尋常でない行動力をよく知っているだけに、彼の中にはそういう意味でのマリアへの信用はゼロである。というか絶対まだ色々隠してるハズだあの子は。
「というより、隠してるからこそ大人しく巫女を受けたのではなくて?」
ヴィオレが恐るべき懸念を口にした。
「まさか……!?」
「いやばってん、そげんことは……」
「でもあのマリアだからなあ……」
口々に否定しかけて、でも否定しきれなくて互いに顔を見合わす。
ちょっと考えただけで、というか考えれば考えるほどアウトな気がしてくる。というかこうなると、歴代の巫女たちでさえ大人しく囲われていただけなのか疑わしくなってきた。
いかん、なんかとんでもない闇を掘り起こしそうな気がしてきた。
「いやでも、マリアはあれで根は真面目な子だからさ!」
「そ、そうね!マリア様を信じましょうよ!」
「マリア様だって人間ですもの、秘密のひとつやふたつ、あってもおかしくないわよね?」
「いやばって、ウチこれ黙っとってよかっちゃろか……」
黙っておかないとマズそうな気はする。けど立場上黙ってたらヤバい気がする。自分で話し始めておいてジレンマに陥るミカエラである。
「でっでもほら、これは“円卓の密談”だからさ!」
「…………そっ、そやね!」
そして結局、彼女は何も気付かなかったフリをした。だってこれは『この場だけの内緒話』なんだから、外では喋れないもんね!
そして彼女はついでに、アルベルトが微妙にマリアの擁護に回っているのも見ないフリをした。多分きっとこの人はもっとヤバいことに気が付いてて、それを必死で誤魔化そうとしてるんだろうなあ。なんてことを思いながら、もろもろ全部を円卓の密談に閉じ込める決断をしたのだった。
「ところで、私はクレアの話が聞きたいのだけれど」
話が途切れたタイミングを見計らったのか、ヴィオレがクレアの方を見ながら口を開いた。
「わたしの…?」
「ええそう。貴女結局、拐われてから発見されるまでのことをほとんど話してないでしょう?憶えている事だけでも、話せる事だけでも構わないから、話してご覧なさいな」
クレアが無事に戻ったあと、ミカエラの療養を兼ねてイリュリアの王宮にいた時は、事件の後処理やクレアの心身のケアが優先されていて彼女自身からの聞き取りは最低限しかなされなかった。具体的には催眠暗示からどうやって正気を取り戻せたのか、それしか彼女からは聴取しなかった。
まだ彼女がミカエラに対する罪悪感で怯えきっていたこともあり、可能な限りアルベルトが側についていてやって落ち着かせ、それでもなお「おとうさんの、においと声が、違ったの」という一言だけしか聞き出せていなかった。
だからヴィオレのこの問いはある意味で賭けでもあった。あれから日数も経ってクレアも表面上はいつも通りに見えるほど落ち着いてきていたし、アルベルトとミカエラが積極的にいつも通りに接することを繰り返して、それでようやく彼女も自然な笑顔を浮かべられるくらいに戻ってきたのだ。
だから今なら、彼女が自身の裡に溜めているモノを吐き出せるのではないか。そして吐き出せてしまえば、きっと彼女の心も軽くなるだろう。これはそういう、ヴィオレなりの気遣いでもあった。
クレアの隣に座っているアルベルトが、彼女の小さな手をそっと拳で包んだ。
それを見て、それからアルベルトの顔を見て、クレアの顔が安心したようにほころぶ。
「えっとね」
そしてクレアは口を開いた。
「目が覚めたらね、知らない人がいたの。『これを見て』って言われて、なにか模様の入った丸いものをぶら下げた紐を見せられて、『よーく見てごらん』って言われて。」
誰もが無言で彼女の話に聴き入っていた。
「目の前で揺れるそれを見てたら、なんだか頭がぼうっとしてきて。そしたら『おとうさんだよ、分かるかい?』って聞かれて。だから、『分かるよ』って答えたの」
「それでね、『おとうさん』がこれからはずーっと一緒にいるって。でも、これから『悪いやつ』が来るから、そしたら『おとうさん』と一緒にいる仲間のひとを守って戦って欲しい、って」
「悪いやつはいつ来るの?って聞いたら、『もし来たら』だよ、って言うから、分かったって答えたの」
途切れ途切れに、クレアは語る。
それを全員が口を挟まずに聞いていた。
つまりクレアは、あのエンヴィルとかいう男を父親だと思い込まされただけでなく、レギーナたちのことを敵だと教えられていたわけだ。
「そういうことな。それでウチがなんぼ言うたっちゃ聞く耳持たんやったんやな」
「ごめんなさい…」
「よかよか、もう終わったことやけん」
「あの時、よく考えたらずーっとなにか引っかかってたの。悪いやつなのにおとうさんを治癒するとか言うし、でもおとうさんはもう助かりそうになくて、それで絶対に仇をうたなきゃって思って。でも倒したと思ってよく見たらミカだったの」
次第に思い出してきたのか、クレアの瞳が涙で潤んでいく。
アルベルトが彼女の肩をそっと抱く。
「なんでミカがおとうさんを攻撃したんだろうって思って、わけが分からなくなって。そしたらおとうさんのにおいも違ってたことに気がついて、頭の中が『どうして?』でいっぱいになって」
「そしたら、アルベルトのにおいがしたの。呼んでみたら、わたしを呼ぶ声もおとうさんで。初めて抱きしめてもらって嬉しくて、でもミカが死んじゃうと思ったら悲しくて」
「もういい、もういいよクレアちゃん」
涙を溢しながら語り続けるクレアにいたたまれなくなって、アルベルトが彼女をギュッと抱きしめる。
「俺が君のお父さんだから」
「うん」
「誰も死ななかったからね、みんなずっと一緒にいるからね」
「うん…」
「だからもう、忘れよう。誰も君のことを責めたりしないし、ちゃんとみんな元通りだから。ね?」
「うん…うん…うああああ」
アルベルトに縋りついて泣き出してしまったクレアを、アルベルトはいつまでも抱きしめ続けた。ミカエラが立ち上がってクレアのそばに寄り、その頭を優しく撫でる。レギーナはその背をそっと撫で、ヴィオレはその華奢な手をずっと握ってやっていた。
そうして全員が、彼女が泣き疲れて眠ってしまうまで寄り添ってあげたのだった。
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