3-15.旅の再開
その後マリアは、アルベルトと約束したとおりに帰って行った。
「じゃ、私、帰るね〜。
あ、けどミカエラちゃんはホントにちゃんと療養して?私が帰ったあと容態が急変して死んじゃったりしたら私何言われるか分かんないんだからね?」
「いやマリア様の施術受けといて死にゃあせんですて」
「えーこんないい加減な人信用してていいの〜?」
いや自分で言うな自分で。
てか仮にも勇者パーティのメンバーだったんだから、施術に問題があったらそれはそれでヤバい話なんですがね?
そしてマリアは口の中で詠唱して[転移]を起動させる。
「あーあ。もっとのんびり遊んでたかったな〜」
「本音漏れてるからねマリア?」
気持ちは分かるけども。でもそれ言っちゃダメなやつ。
「ていうかマリア様って、確か『こっそり抜け出してきた』って言ってなかったかしら?」
「言うとったけど、それがどげしたん姫ちゃん?」
「いや、こっそり抜け出してきた時に[転移]を使ったのなら、今[転移]で帰ったら抜け出した方法がバレるんじゃないかな、って」
「……………あ、そっか。じゃあやーめたっと」
レギーナのその何気ない言葉で、マリアはあっさりと詠唱を破棄して発動を止めてしまった。
「待ってマリア?結局居座るとか言うんじゃないだろうね?」
「居座っていいならそうしますけどぉ、兄さんに怒られるのは嫌だからちゃんと帰りますって」
マリアはティルカンの黄神殿から帰ると話した。
神教神殿の黄神殿には、どこも必ず[転移]の方陣が[固定]された部屋がある。神殿で然るべき料金を収めれば、誰でも目的地の近くの黄神殿まで転移させてもらえるのだ。
そして彼女は中央大神殿に隣接している巫女神殿へ帰るのだから、ティルカンの黄神殿から中央大神殿の黄神殿に、正規ルートで戻ればいいだけなのだ。すでにティルカンに来ていることは通告してあるし、ティルカンの神殿長からは毎日様子伺いの使者が来る。だったら帰還も黄神殿を使って大神殿に通告してもらえば話が早い。
ちなみに、神殿同士の遠距離連絡を可能にする[通信]の設備も黄神殿にはある。
「うん、マリアがそれでいいなら構わないんじゃないかな」
「ていうかその方が私も霊力使わなくて楽ですし♪」
なるほど、それが本音か。
まあ、抜け出す手段がバレたくないというのも本音だろうけど。
ともかく、こうしてマリアは大人しく帰って行った。
………まあ、それまでに何度も隙を見てはアルベルトに抱きつこうとして、デコピンで返り討ちにされてはいたが。
ミカエラの療養には、その後さらに4日を費やした。彼女自身は何度も「もう大丈夫」と言い張っていたが、レギーナもヴィオレもクレアも頑として受け付けなかった。
実のところ3日目にはすでに普通に出歩けるようになっていたのだが、レギーナの「ずっとベッドに寝てて足腰鈍ってるでしょ!歩く練習して体力戻さないとダメよ!」という主張に押し切られて、最後の1日はひたすら王城内の庭園を散歩させられていたのだった。
ということで、ティルカン滞在は計10日間に及んだ。当初予定ではティルカンには一泊のみの予定だったから、大幅な遅延でミカエラにとっては頭が痛い。旅程が延びれば延びるほど経費が嵩んでいくのだから、パーティの経理も担当する身としては頭を抱えるほかはない。しかもそれが半分は自分のせいなのだから、誰にも文句が言えないのが辛いところである。
まあ、王城滞在中はアルベルトの手料理を食べずに済んだので、そういうところも含めて痛し痒しといったところである。ただアルベルト自身は世話になっているお礼と称して王城の使用人たちや王家の人々に自慢の腕を何度か揮っていて、余計なファンを増やしたものである。
なお撃ち抜かれて血に染まったミカエラの法衣は、この10日の間に新しいものが大神殿からティルカン黄神殿経由で送られてきている。一般の法衣ならともかく、高位の侍祭司徒の法衣は大神殿にしか備蓄がないのでこれは有り難かった。
今回の騒動に関しては、第三王子ティグランの誘拐未遂事件として処理されることになり、蒼薔薇騎士団はたまたま居合わせただけで解決に協力してくれた、という形で収められる事になった。クレアが誘拐されたことも、ミカエラが瀕死の重傷を負ったことも公式には『なかったこと』にされた。
しかもこれは騒動が露見した場合の『公的見解』であり、対外的には騒動自体がなかったこととされ箝口令が敷かれた。ただし神教教団やイリシャ本国、勇者の関係者など一部には隠し通せなかった、というか隠してはならない重大事件だったため、必要最低限の周知はなされた。それゆえイリシャ連邦によるイリュリア王家に対する処分はなされる見込みである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ともあれようやく、蒼薔薇騎士団とアルベルトはイリュリア王家の人々に見送られつつ、アプローズ号に乗り込んでティルカンを出発した。この10日間厩舎でひたすら食餌を供されるばかりだったスズも、久々に身体を動かせて心なしか嬉しそうである。
一方でアルベルトが予定外の滞在でいくつか駄目になった食材が出てしまったことを嘆いたりしていたが、まあそこはそれ。
一行はイリュリア国内をヴロラ、オンヘスモスと宿泊しながら青海沿いに南下し、イリシャ連邦の中央部に位置するテッサリア王国に入ってユスティニアヌスへと到着する。竜骨回廊はここから二手に分かれ、このまま南下すると南部の連邦宗主国アカエイア王国に至り、レギーナが行きたがったアーテニへ、そこからさらに南下して竜骨回廊を離れればラケダイモーンへと行くことができる。
ただ、予定通りそちらへは行かず、東へ向かってエリメイアを飛ばしてサロニカを目指す予定である。
「ねえ、本当にラケダイモーンには行かないの?」
「行かんて。しつこかよ姫ちゃん」
本当はアカエイア王家からも是非にとラケダイモーンへ招待されていたのだが、ミカエラがレギーナにも告げずに断っていた。そのあたり彼女は容赦なかった。
まあ、行けば行ったで絶対色々と面倒くさい事になるのは分かっていたので、これは正解だろう。ただアカエイア王家が勇者パーティのご機嫌取りに必死なのは分かっていたから、そちらに瑕疵を求めるつもりはないとくどいほどミカエラが説明する羽目になった。
ユスティニアヌスは西方世界でも有数の古都である。およそ1000年ほど前に栄えた古代ロマヌム帝国時代よりさらに前、現在のイリシャを中心に栄えた古代グラエキア帝国の皇帝が興した街で、その皇帝の名がそのまま街の名前になっているのだ。海沿いから少し内陸部に入った高台に位置する湖の畔の湖沼都市で、イリシャ国内では暑季の避暑地として人気があり、また人口も多い。
ただ湖畔にあるため、雨季にはやや湿気がきつくて辟易するのが難点ではある。そして今はその雨季の真っ只中、雨季上月もそろそろ下週に入る。
「ホントは雨季が本格化する前にユスティニアヌスば通り過ぎとるはずやったっちゃけどなぁ」
「しょうがないじゃない、今さらどうにもならないことをグチグチ言っても始まらないわよ」
天を仰いでミカエラが嘆息する。それをレギーナがたしなめている。たしなめる、というか愚痴なんて聞きたくないからぶった切っているだけだが。
ミカエラの見上げる天空からは大粒の雨が間断なく降り注いでいる。わずかに顔をしかめたところを見ると、もしかすると胸の傷にちょっと響いているのかも知れない。
「まあ泊まるのは今夜だけなのだから、今夜我慢すればいいだけよ」
そう言ってヴィオレが宿に入ってゆき、クレアが黙って続く。それを追うようにレギーナもミカエラも宿へ入っていったのを確認してから、アルベルトはアプローズ号を車置きに回していった。
そのまま何事もなく夜を明かし、朝になって一行は予定通りユスティニアヌスを発ってサロニカへと向かう。
ティルカンを発ってからは順調すぎるほど順調だ。まあスラヴィアと違って行く先々で土地の領主に挨拶しなくてもよいのだから、そういう意味でも気が楽というものだが。
レギーナではないが、イリシャの国内は観光名所が多い。もともと古代グラエキア帝国の栄えた土地であり、それ以前は多くの都市国家が乱立していた地域である。西方世界における人間たちがもっとも早くに居住を始めた土地と言われていて、だからどの都市も長い歴史を誇っている。
そういう意味では、ユスティニアヌスなどまだ歴史が浅い方である。アーテニやラケダイモーン、コリンソス、それにこれから向かうサロニカなどは古代グラエキア帝国以前の都市国家がそのまま現代まで続いている都市であり、いずれも2000年以上の歴史があると言われている。言われているだけでなく、古い文献や遺跡なども大量に残っていて、だからイリシャは太古の歴史を研究する学問、いわゆる考古学が盛んである。
ゆえにイリシャには歴史学者や考古学者、それらの学問を学ぶ学徒が多く集まっている。
「………っていう話やったとばってん、街並みとか結構今風な感じやんな?」
イリシャの歴史など大まかに語り終えたところで、最後にミカエラが疑問を呈す。彼女は知識としては知っているが、実際にイリシャ国内を訪れたのは今回が初めてだったりする。
どうもこの様子だと、古風な街並みが広がっているとでも思っていたようである。
「そりゃそうだよ、住んでるのは現代の人たちなんだから」
一度は通過した経験のあるアルベルトが苦笑する。
「18年前と比べても色々と発展してるよ。より住みやすく変えていってるんだろうね」
「ふーん、そうなんだ」
勇者という立場上、個々の国に特段思い入れのないレギーナは興味なさそうだ。まあ彼女は自分の国が大好きなので、極端に言えばその他の国は『どうでもいい』のだ。
ちなみにクレアは初めて見る景色に目をキラキラさせていて、ヴィオレは何か思うところがあるのか、さっきから黙っている。
「で?ヴィオレは何か言いたそうよね?」
「別に、何でもないわ。ここはまだイリシャだから」
どうも彼女はこの次に訪れるアナトリア皇国のことを考えているような口ぶりである。
どうも過去に何やら因縁がありそうだが、彼女は過去のことをレギーナたちにさえ明かしていないため、レギーナもミカエラもそれ以上聞こうとはしない。彼女たちが聞こうとしないのでアルベルトもその点スルーしている。
人間誰しも思い出したくない過去のひとつやふたつあるものなので、敢えてスルーするのも円滑な人間関係構築のためには必要なことだ。もしも話さなければならないのなら本人がきちんと打ち明けてくれるはずなので、それを信じて待てばよいだけだ。
「でね、ちょっと思ったんだけど」
「なんね?」
「私たち、せっかく脚竜車を新調したってのに1回も泊まってないわよね?」
確かに、ラグを出発してもう20日以上経つというのに、無理のない旅程を心がけているせいでまだ一度も脚竜車での野宿をやっていない。そのため、あれだけ目を輝かせて喜んだ二段ベッドで、レギーナはまだ一度も寝れていないのだ。
ゆえにまだベッドは新品同様である。都市間の移動の道中などに寝室で休憩したことはあるが、やはりレギーナとしては本格的に泊まり込んで眠ってみたい。
「ん〜そうだなあ、」
昼食の準備のために一旦車両を停めて中に入ってきたアルベルトが少し思案する。
「次のサロニカは買い出しの予定もあるから泊まるとして、その次なら大丈夫かな」
イリシャ国内での残りの都市は、サロニカ、モルネツ、デデアーチ、ロドストときてビュザンティオンまで。そこからボアジッチ海峡を越えれば対岸はアナトリア皇国のコンスタンティノスだ。
だからモルネツで泊まる予定を取りやめれば、モルネツから少し進んだ辺りで夜を過ごすことになるだろう。
「え、サロニカに泊まるの止めればいいじゃない。それとも、そんなすぐに買い足さないといけないものとかあるわけ?」
「いやあ、サロニカは大きな街だからね。念のために泊まっておけば色々便利だと思うよ」
レギーナたちが慣れ親しんだ西方世界の文化や習俗はイリシャまでである。アナトリアは大河の沿岸国であり、どちらかと言えば東方世界に近い文化を持っていて独特の雰囲気があり、だから馴染みの品を買おうとするならサロニカへの宿泊は必須になるのだ。
サロニカの次の大都市と言えばビュザンティオンだが、ビュザンティオンとコンスタンティノスはかつては同一の都市として発展した歴史があり、だから今はイリシャ領だがビュザンティオンはアナトリアの影響が強い。そして。
「私は個人的にはビュザンティオンもコンスタンティノスも泊まりたくないわ。だから素通りしてくれると有り難いのだけれど」
と、ヴィオレが珍しく主張してくるので、ロドストに宿泊の上で両都市は素通りする予定なのだ。となるとますますサロニカに泊まる必要が出てくる。
「もう、仕方ないわね。じゃあそれで我慢してあげる」
ということで、アプローズ号での野宿は明後日決行と決まった。
ということで、三章最後のエピソードはキャンプです。
お読みいただきありがとうございます。第三章完結までは毎日更新の予定です。
もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマーク・いいねをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!
【追記】
イリシャ国内の地理的説明に誤りがあったので修正しました(2023/11/30)。最北のイリュリア王国を抜けるとテッサリア王国、そこから東へ向かってマケダニア王国、トゥラケリア王国からアナトリア皇国へと至ります。つまりレギーナたちは南部のアカエイア王国にだけ立ち寄っていないという事になります。