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落第冒険者“薬草殺し”は人の縁で成り上がる  作者: 杜野秋人
【第三章】イリュリア事変
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3-13.てへぺろ

 目が醒めて、最初に目に入ったのは天井。

 美麗な神話の一幕が、素晴らしい筆致で天井一面を埋め尽くしていた。

 場面は、そう。イリュリアの民の始祖が鷹の産んだ卵から産まれ出ずるシーンだ。


 いつ、眠ったのだろうか、まるで記憶にない。

 というより、この部屋自体が見覚えがなかった。

 見覚えはなかったが、多分きっと王城の客間だ。そのくらいは察することができた。


 最後何してたんだっけ、と頭に手をやって思い出そうとする。


「…………………………っあ!」


 そうだ、クレアの[光線]に胸を貫かれて⸺!


 ガバッと身を起こして辺りを見回すミカエラ。

 部屋の中は他に誰もいなかった。室内には必要最低限の家具、書物机と椅子と、テーブルにソファ、それにクローゼットの扉が見えるだけだが、そのどれもがひと目で上質な高級品と分かる。身体の下にあるベッドも然りだ。入り口の扉は重厚な両開きの木扉で精緻な彫刻が施され、扉と反対側には採光の良い大きな窓、そこに豪奢なカーテンが踊っている。

 カーテンが閉まっているのは、眠っていた自分に配慮されたのだろう。だがカーテンごしに透けてくる光はすでに陽が高く上っていることを示していた。


 彼女はナイトドレスに着替えさせられていた。これもまた上質なものだ。襟元を少し開いて胸を確認すると、乳房の上、右胸の心臓寄りに穿たれた傷痕がかすかに残っていた。

 身体は綺麗に拭われていたが、胸からも髪からもかすかに血の臭いが漂ってくる。どうやら拭かれただけで湯を使われたわけではなさそうだ。


(やっぱり夢やない)


 そして、自分が狙い通りに即死を免れたことも分かった。

 だが、一体誰が治療したのだろう。即死ではないにせよそれに近い瀕死だったはずだが、体調を除けば違和感は一切なく身体機能は少なくとも元通りだと感じられる。これほど見事に癒やしたとなると相当に腕のいい青加護の魔術師か、高位の法術師、いずれにせよかなり困難を極めたはずだ。

 すぐにでもみんなの元へ、特に助け出されたはずのクレアの元へ行きたかったが、身を起こしただけでもう軽く目眩がする。どうやら相当量の血を失っているようで、霊力も戻りきっていない。こんな身体で部屋の外へ出たりしたらすぐ倒れてしまいそうだ。


 これほどの重傷を負ったのは、正直初めてのことだった。基本的に常にレギーナのバックアップに控えていたから、危険や脅威はほとんど彼女が引き受けていて、ミカエラ自身がそうしたものに晒された経験はほとんどなかった。だから、そういう意味ではいい経験と言えるのかも知れない。

 まあ、仲間と戦う経験なんて二度としたくなかったが。

 そもそも、相手がクレアでなければ彼女はまだ戦えたはずなのだ。相手が大事な仲間で、しかも何やら操られて正気をなくしていたのが明白だったから不戦非攻を貫かざるを得ず、だからこそ一方的に敗れ去っただけである。戦ってさえよいのなら彼女は魔王にだって遅れを取るつもりはなかった。


 ともあれ、彼女はやり遂げたのだ。クレアの術を防げないと確定したあの瞬間に決めた次善の目標、『クレアに殺されない、クレアに殺させない』を達成したのだ。

 だからもう、それだけで満足だった。


 とはいえ、目覚めたからには誰かに会って話を聞きたい。自分が意識を失ってから何があったのか、クレアやレギーナたちはどうなったのか、クレアを拐った犯人たちは捕まえられたのか。

 何も分からないから全部聞きたい。あとお風呂入りたい。お腹も減った。


 と、その時、ガチャリと扉が開いた。

 思わず反応して扉に目を向け、そして入ってきた人物と目が合った。


「……あら。ようやくお目覚めなのねミカエラちゃん」

「…………………………え?」

「アル兄さーん、ミカエラちゃんが目覚めたわよぉ〜!」


 その人物は、ミカエラが上体を起こしているのに気が付いてふわりと微笑んだあと、扉を閉めることもせずに誰かを呼びに駆け出して行ってしまった。


「は?」


 たった今見たものを、ミカエラは信じられなかった。

 だってそれは()()()()()()()()()()()だったのだから。


「えええええええええ!!??」


 そして、一人きりに戻った部屋の中から彼女の絶叫が廊下いっぱいに響きわたった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 その後はしばらく大騒ぎだった。

 レギーナがアルベルトとともに駆け込んできて彼女に抱きつかれて泣かれるわ、クレアは顔を合わせるのを恐がっていて逃げ回るのをヴィオレが捕まえて連れてくるわ、マリアを問い詰めようとすれば見かけ上慈愛たっぷりの微笑みで逃げられるわ、それをアルベルトが捕獲して引きずってくるわ、ジェルジュ王も王子たちも死刑宣告を受けた囚人みたいな顔をしてやってくるわで、しばらくミカエラには辛いほどの騒々しさだった。

 まともに話の整理もできない有り様だったため、ミカエラはまず食事を要求し、それから湯場(バスルーム)を使わせてもらった。湯場にひとりで入らせるわけにはいかないと王が侍女を付けようとして、レギーナがそれを断って蒼薔薇騎士団が全員で入る羽目になった。


 で、空が茜色に染まったこの時間、部屋にいるのは蒼薔薇騎士団の四人とアルベルト、それにマリアの計六人である。入浴してサッパリしたミカエラは部屋着に着替えていて安楽椅子に横になり、レギーナたちもそれぞれラフな格好でソファや椅子で楽にしていた。

 ただ黒一点のアルベルトだけが落ち着きなくソワソワしている。


「えっと、俺、この空間にいていいのかな……」

「良くないけど許してあげる。あなたがいないとマリア様に話聞けないもの」

「ていうか私、兄さんとふたりっきりがいいな〜」

「「「「「却下」」」」」


 マリアがクネクネしながら口にした希望は、他の全員に即座に却下された。


「んで?ウチを癒やして下さったんはマリア様。そこまではよかたい。

ばって(でも)何故(なし)マリア様はここさい()おんしゃっと(いらっしゃるの)?」


 問題はそれである。いてくれたこと自体は非常に助かったが、本来居てはいけない人なのだ。そこをきちんと正さないと、確実に教団内で問題になる。


「ん〜」


 マリアが小首を傾げて、頬に指を当てて宙を見上げる。

 神に愛されたとまで言われる美貌のマリアがそんな可愛らしい仕草をすると、思わず見惚れるほどに絵になる。ていうかもう32歳になるのに、こんなあざとい仕草が似合いすぎるのって反則としか言いようがない。

 普段の巫女としての取り澄ました姿しか知らないミカエラには、今の彼女の言動そのものが違和感でしかない。こちらが素なのかも知れないが、もしそうだとすれば今まで完璧に猫を被っていたことになる。


「兄さんがスラヴィアを出たから?」


 そしてその仕草のまま、マリアが意味の分からないことを言い出した。


「……………は?」


 とミカエラ。


「ほら、今までは兄さんがラグからどこかに出かけるのって、基本的にはほとんどユーリ様と一緒だったじゃない?それが今回、ユーリ様と一緒じゃないのに回廊をどんどん南下して、とうとうスラヴィアから出ちゃったもんだから、ちょっとどこ行くのか聞きに行こうと思って」


「…………………は!?」


 と今度はアルベルト。


「ラグシウムでしばらく留まってたから最初はリゾートにでも遊びに行ったのかと思ったんだけど、ほら、まだシーズンにはちょっと早いじゃない?おっかしいな〜って思ってたらまた動き出して、今度はティルカンで丸1日以上止まってるから、聞きに行くなら今のうちだな〜って」


「ちょっとこの人何言ってるか分かんない」


 とレギーナ。

 大丈夫、この場の誰ひとりとして分かってませんから。


「侍祭や司徒たちの目を盗んでこっそり[転移]して来たのはいいものの、なんか兄さんの反応がすっごい地下深くに潜ってくじゃない?だから、どこに行くのかなーって」


「…………いやいや待ってマリア?俺の“反応”って何!?」

「えっ?……ああ、言ってなかったっけ?兄さんのこと[追跡]でマーキングしてるから、どこにいるか私すぐ分かるの」


「「「「「はあ!? 」」」」」


 神教唯一の巫女様は、実はストーカーでした。

 ていうか[追跡]ってなに!?そんな術式ありませんよね!?


「えっ?あ〜、作ってもらったの。マッさんに」


 気安く渾名で呼んでいるが、マリアの言う「マッさん」とは“輝ける五色の風”の魔術師だったマスタングのことである。二つ名を“豪炎の魔術師”と言って、五色の風の解散後は〈賢者の学院〉で後進の育成に当たっている。だからレギーナもミカエラも彼の授業を受けたことがある。

 [追跡]の術式は無属性魔術で、[感知]をベースに特定の対象だけを追尾し位置確認できるよう改変した術式である。マーキングした相手しか追えなくしたことで距離の制限を解消したが、位置を追えたところで離れていてはなんの影響も及ぼせないので、ぶっちゃけた話使い道はない。

 近くの味方と即座に合流するような場合ならともかく、離れすぎていてはマリアみたいにストーキングに使うしかない術式なのだ。しかも[感知]と同じく対象を魔力としてしか認識できないので、マーキングした相手が何を見ているとか誰と話しているとか、そんなのが分かるわけでもない。


「マスタング先生まで絡んどるんか……」

「あの真面目竜人がよく加担したわね……」

「ていうかいつ!?いつそんなのマーキングしたのさ!?」

「そんなの兄さんと最後に会った時に決まってるじゃない」


「…………ああ、解散パーティーの時かぁ……」

「ってことは[固定]かけてる!?」

「もっちろん。私がありったけ霊力込めたから、少なくとも兄さんが天寿を全うするくらいまでは有効のはずよ♪」



 勇者ユーリが率いた“輝ける五色の風”が突如解散に踏み切ったのはフェル暦665年、今からちょうど10年前のことである。それにより勇者ユーリは正式に勇者と認定されてからわずか5年という異例の短期間で引退することになった。だがこれは、ユーリがシェレンベルク=ファドゥーツ公国の公女に見初められてアンドレアス公爵家に婿入りすることが決まったからであり、ある意味でやむを得ないことではあった。

 元パーティメンバーという誼でアルベルトも公国の首都ファドゥーツで開かれた解散パーティーに招待され、厨房で腕を奮ったりもしたのだが、7年ぶりに会ったマリアは22歳の素晴らしい美女に成長していて、しかもそれが昔のようにべったりとくっついて来るものだからアルベルトは内心ドギマギしたものである。

 だが今の話だと、マリアはその頃からアルベルトに執心していてストーキング準備を始めていたことになる。ていうか、それからずっとアルベルトの動向を把握していたと考えるとちょっと、いやかなり怖い。


「ていうかそれ、“巫女”になる前からじゃないか!」

「マスタング先生も先生になる前の話やんか!」


 そう、マリアが巫女の座に就任したのは解散から約1年後のことである。マスタングが〈賢者の学院〉に講師として入ったのもその頃だ。そしてアルベルトにマーキングを仕込んだ時期やその準備期間を考えると、ふたりは勇者パーティとして活動していた頃からその企みを進めていたことになる。

 ぶっちゃけた話、(おおやけ)にしてはヤバいタイプのスキャンダルである。


「やだなぁ、愛ですよあ・い♡」

「絶対そんな可愛らしいものじゃないわよ!」

(えず)かあ〜!マリア様こげな人やったったい……」


 後輩勇者パーティのレギーナとミカエラに口々にツッコまれ、マリアは「そう?」と小首を傾げたあと、額にコツンと拳を当てて「てへ☆」と呟いて可愛い舌をペロッと出した。

 いや今やらないでいつやるのという仕草だが、それで済ませられるはずもない。


 はずもないが、それで済まさないともっと大事(おおごと)になるのは間違いなかった。


「ま、まあ、それはよかたい」


 良くないけど!絶対良くないけど!

 ……とマリア以外の全員が心中ツッコんでいたが、口に出しては誰も言わなかった。


「ほんならウチは死なんで済んだとですよね?」

「ええ、ギリギリだったけど生きてたわ。ミカエラちゃんが最後まで諦めずに、ほんの少しでも心臓を逸らして致命傷を避けたからよ。

ほんと、[光線]なんて人間の反応速度で避けられるようなものでもないのに、よく躱しきれたと思うわ。頑張ったわねえ」


 ミカエラが最後まで諦めずに足掻き、必死に射線から心臓を逸らして即死を免れ、しかも倒れ込む際にも肺に溜まる血を吐き出そうとうつ伏せを心がけたこと。それだけでなくクレアが単体攻撃魔術を選択したこと、レギーナがミカエラに縋りつくのをアルベルトが必死になって止めたこと、さらにはあのタイミングでマリアがアルベルトの前に現れたこと。

 そのどれかひとつでも欠けていたら、ミカエラの命はなかった。まさに奇跡と言えよう。


「良かった……クレアに人殺しやらさせんで済んで、本当に良かった……」

「ミカ……………」


 心の底から安堵するミカエラの呟きに、罪悪感に塗れたままで縮こまっていたクレアの瞳が大きく見開かれ、そして一気に涙で潤む。


「ごめんなさい…本当にごめんなさい…」

「よかよか、クレアはなんも悪うない。悪うないけん泣かんで良かよ」


 大粒の涙をこぼしながらミカエラに縋りついて謝り続けるクレアを、彼女は優しくそっと抱きしめて、泣き止むまで頭を撫でてやったのだった。





お読みいただきありがとうございます。可能な限り毎日更新の予定です。


もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマーク・いいねをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!

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