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落第冒険者“薬草殺し”は人の縁で成り上がる  作者: 杜野秋人
【第三章】イリュリア事変
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3-8.戦略的撤退

 炎だ、炎の壁だ。

 そう感じた瞬間、それまでレギーナの後方に控えて一切手出しも口出しもしなかったミカエラが前に踊り出る。


「のぉぅわ![水膜]!」


 なんか奇妙な、裏返ったような悲鳴のような掛け声とともに、ミカエラが両手を前に突き出して渾身の[水膜]を発動する。[水膜]はミカエラとすぐ後ろのレギーナだけを包み込み、その直後に[水膜]ごと炎の塊に呑み込まれる。

 さらに次の瞬間、爆風が押し寄せてきた。


(あっつ)ぅ!なんなこら(なにこれ)(えず)かあ!こげな威力の[業炎]やら誰が撃ったか知らんけど、危なかろうもん!」


 焦りまくっていっぺんに余裕をなくしたミカエラが叫ぶ。レギーナでさえ思わず身を固くしてしまっていた。

 何故なら、それは今まで食らったことがないほどの威力だったのだ。もしもひとりであれに晒されれば、防御魔術を目一杯底上げすればおそらく身体は守れるだろうが、服や装備まで守り通す自信はない。今無事なのだってミカエラが限界まで引き上げて発動させた[水膜]が間に合ったからだ。

 そうだ、この部屋には他にも人がいたはず。そう思ってレギーナが見回すと、部屋の男たちの大半は炎に全身を包まれて叫びながらのたうち回っていた。壁も天井も床も炎に覆われていて、唯一無事そうに立っている騎士団長も、全身を強張らせ両手を前に、[業炎]が飛んできた通路の方に突き出して肩で息をしている。その顔が恐怖に満ちていた。


「おっおいエンヴィル!話が違うぞ!?」


 騎士団長は焦りまくっているが、その声に応えてくるのは阿鼻叫喚の叫び声と、のたうち回って壁や床に身体を叩きつけ崩れ落ちていく男たちの姿だけだ。その惨状を目の当たりにして、騎士団長は言葉を無くす。

 さすがにそのまま死なせるわけにもいかないので、ミカエラがいくつか[水球]を発動させて男たちにぶつけ、部屋全体の消火を試みる。おかげで炎は収まったが、渾身の防御魔術で身を守りきった騎士団長以外は全身に重度の火傷を負って、服も髪も見るも無残な姿になって呻いている。無事そうな騎士団長にしても全身ボロボロである。


 エンヴィル、と呼ばれた男が誰が分からないが、話の流れからすれば騎士団長の横に出てきた品性のない笑みの男だろうか。いかにも女好きそうな下品な笑みで、見ているだけで思わず叩き潰したくなる感じの嫌らしい男だったが。

 だが、その男もまた全身に火傷を負って、力なく床に座り込んでいる。荒い息を吐いて、返事をすることさえ難しそうだ。もしかすると熱で喉を灼かれているかも知れない。


 炎と爆風が吹き出してきた通路の奥から、足音が聞こえた。それは軽い足音で、一定のリズムを刻んでゆっくりとこちらへやってくる。

 小柄な、おそらくは女の足音。明らかに五体満足な様子のその足音からして、やってくるのは[業炎]を撃ってきた魔術師に間違いない。その事実を認識してレギーナもミカエラも警戒を極限まで引き上げる。

 誰だか知らないが、相手はまず間違いなく全力で挑まねばならないほどの実力者だ。しかもそれ(・・)は、わざわざその姿を人前に晒すだけの余裕を見せている。となると、もしかすると先ほどの[業炎]でさえ軽く発動させただけの恐れさえ浮かび上がる。不意を突かれたとはいえ、全力で防がねばならなかったほどの魔術だ。もしもあれを上回る威力で撃たれたら次は防ぎきれる自信などなかった。

 レギーナもミカエラも、背中に冷たい汗が伝うのを感じた。警戒が振り切れて恐怖さえ覚えるなんて、一体いつぶりのことだろうか⸺。


「おとうさん?」


 極めて場違いな、それは少女の声。

 姿を現したのはクレアだった。拐われて、探し求めて、必死で無事を祈った、可愛い妹分。


「おとうさん、どこ⸺」

「クレア!」

「良かった、大丈夫やったねあんた!」


 それまでの極限の警戒も緊張も恐怖さえもいっぺんに消え去り、レギーナとミカエラは口々に彼女の名を呼んで駆け寄る。

 クレアは拐われたあの時と同じ、ダボダボのトゥシャツにホットパンツのラフな姿だった。身体は拭いているようだが風呂は入れていないようで、杏色の髪がやや艶を失くしてしんなりしている。だが健康状態に問題はなさそうだ。顔色もよく、少なくとも食事や睡眠はきちんと与えられ、魔力欠乏症からもしっかり回復しているのが見て取れる。


 クレアは怪訝な表情で駆け寄ったふたりの顔を見上げた。そのピンクの瞳に何の感情も浮かんでいないことに気付いて、ふたりの伸ばしかけた手が止まる。

 何の感情も発しないまま、クレアはふたりから顔を背けた。キョロキョロと辺りを見回し、座り込んでいるエンヴィルを見つけた瞬間、その表情が一変した。


「おとうさんを、いじめたのは、誰?」


 クレアの瞳に、怒りが宿る。

 先ほどまで何の感情も浮かんでいなかった、その瞳に。


「え⸺」

「おとうさんをいじめるのは、赦さない」


 クレアがレギーナを見た。

 その右手が掲げられ、レギーナの顔に向けられる。

 その掌に濃密に魔力(マナ)が集まっていく。


「ちょっ、クレア?」

「待った(なん)しようとねあんた!?」


 クレアが口の中で詠唱を始めたのが分かった。魔術の詠唱というのは文言でなんの術式か容易に知れるため、通常は小さく口の中で呟くように唱えるだけで人に聞かせるものではない。だから手を伸ばせば届くような距離でも、クレアが何を詠唱しているかははっきりとは聞き取れない。

 だが、集まる魔力の量と濃度が先ほどの比ではないことに気付いて、ミカエラが慌てて詠唱を開始する。脳裏によぎった術式で間違いなければ、撃たれた時点で全てが終わる。


「焼じ⸺」

「[禁足]!!」


 クレアの術式の完成と、ミカエラの術式の発動が重なった。ミカエラが放った[禁足]の術式がクレアの術式を包み込み、抑え込み、発動を阻害する。


 [禁足]は術式の起動から発動までの僅かなタイミングに合わせてその術式に干渉し、発動を抑える魔術だ。魔術というのはどんな術式でも霊炉で起動し、それを体外に出して発動させるまでにタイムラグがある。[禁足]はそのタイムラグを利用し、発動の瞬間だけを妨害することで魔術を発動させなくする術式だ。

 妨害される魔術が何であれ、発動の瞬間さえ防げれば理論上はどんな強大な魔術でも発動を止めることができる。だが術式によって異なる発動タイミングの見極めが非常に難しく、しかも詠唱を隠すのはそのタイミングを誤魔化す意図もあるため、合わせるのは容易ではない。

 この時、クレアとミカエラは互いの詠唱が聞き取れるほど至近にいて、しかもミカエラはクレアの詠唱の癖やタイミングを熟知していた。だからこそ完璧にタイミングを合わせることができ、彼女の[禁足]は問題なくクレアの魔術を抑え込んだ。


「クレア!こげなとこで[焼塵]やら使(つこ)うてから!ウチら全員殺す気()!?」


 [禁足]で発動を防がれたのが不思議だったのか、自分の掌をしげしげと見ているクレアにミカエラの怒声が飛ぶ。[焼塵]は赤属性の、つまり火炎系の魔術でもっとも攻撃力の高い、その場の全てを燃やし尽くすまで止まらない広範囲殲滅魔術である。明らかにこんな地下の、狭い部屋の中で撃つべき魔術ではない。


「うるさい」


 だがクレアは怒られたことも意に介さない様子で、すぐに次の詠唱を始める。


「溶が⸺」

「[禁足]!!って今度は[溶河]やら!あんたほんと大概にせんね!」


 [溶河]は大地を溶かしマグマに変えてその中に敵を落とし、塵ひとつ残さず焼き尽くす術式だ。そんなものをこんな所で使われたら、この場の全員が髪の毛一本残さず溶けて消えるに違いない。


「炎りゅ⸺」

「ああもう![禁足]⸺!」


 [炎龍]は炎と熱で作った大質量の“龍”を敵にぶつける直接攻撃魔術。龍、というのは東方に伝わる霊獣で、一般的に西方世界で知られる亜竜とは違って蛇のような細くて長い姿をしているのだという。何故その姿を象るのかは、太古の術式作成者でなければもはや分からない。

 だがそれはひとまずどうでもいい。問題はクレアに敵意があり、攻撃の手を止めないことだ。殺意まではなさそうだが、どう見ても正気ではないし明らかにやり過ぎである。どうやら“おとうさん”を守りたいようだが、術を放てば放つほど彼女自身が“おとうさん”を危険に晒していることにまるで気付いていない。

 というかそもそも、“エンヴィル(おとうさん)”を瀕死に追い込んだのもクレア(あなた)が放った[業炎]なんですがね?


「ちょっと!埒が明かないわよこれ!」

「分かっとう(てる)ばって(でも)どげんも(どうにも)ならんやろうもん!」

「ちょっと団長さん!?クレアに一体何したの!?」


 この場で唯一状況を説明できそうな騎士団長にレギーナの詰問が飛ぶ。確かにどうなっているのか説明がなければ、これ以上の理解が及びそうにない。


「業火きゅ⸺」

「[禁足]ぅ⸺!!」


 ミカエラも[禁足]で防ぎ続けるしか手がない。魔術師としては明らかにクレアの方が格上なのだから、まともに術式を発動されてしまえば勝ち目はないのだ。

 だが、タイミングを読むのがシビアな[禁足]がいつまでも成功するとは限らない。クレアだって馬鹿ではないのだからタイミングを外す手段ならいくらでも持っている。


「い……いや、私が聞いているのは、催眠暗示をかけて我々を味方だと思い込ませると、それしか⸺」

「暗示!?洗脳じゃなくて!?」


 つまりクレアは暗示によってエンヴィルという男を父親だと思い込まされ、その父を助けるために父を攻撃した(と思い込んでいる)レギーナたちに攻撃を仕掛けているのだ。


 端的に言って絶望的な状況であった。洗脳であれば脳に干渉する魔術的作用のある精神攻撃の一種なので、青属性のミカエラに解除の手段がある。だが暗示は「誤った情報を真実と思い込ませる」という刷り込みの技術なので、魔術ではないから解除が利かない。どうにかしてそれが間違っていると、思い込まされた者、この場合はクレアに気付かせなければならないのだ。

 そして、当のクレアは今まったく聞く耳を持たない。[静寂]の術式で詠唱の発音を封じたところで詠唱そのものは無音でも効力を発揮するし、物理的に身体を傷付けて精神集中をできなくすれば魔術の攻撃は止まるだろうがそれだけはしたくない。後で治せると分かってはいても、その時に受けた苦痛の記憶まで消せるわけではないのだ。


 つまり、この場でレギーナは全くの無力だった。クレアとミカエラの魔術の攻防に割って入れる力はないし、怪我をさせずにクレアを止めるのも無理だ。そしてレギーナが説得したところで今のクレアの心には届かない。


「姫ちゃん!こらもうアレしかないばい!」


 限界ギリギリの攻防を続けながらミカエラが叫ぶ。


「アレ?アレって何よ!?」

「クレアの“おとうさん”て言うたらおいちゃんの事やろ!おいちゃんば呼んでくるしかなかばい!」

「ええ!?」


 いやまあ確かに正気のクレアがアルベルトをおとうさんと呼んでいるのは事実だ。

 事実だが、事実ではない。そこはいいのか。


「それとも他になんか手があるとね!?」

「いや、それはそうだけど……」


 クレアに正気を取り戻させるためには、自分たちよりはるかに実力の劣る彼を頼るしかない。その事実がレギーナを躊躇わせる。


「早よしてて!ウチもそげん保たせられんっちゃけん!」

「爆は⸺」

「っ![禁足]うぅ!」


 会話しながらミカエラが[禁足]をかけ続ける。

 実は彼女はレギーナと会話しながら[禁足]をダブルで起動させ続け、タイミングの合う方で発動させていた。つまりレギーナとの会話が長引けば長引くほどミカエラの神経は磨り減っていく。


 もうこうなっては、背に腹は替えられない。

 そうしてレギーナは、悔しさと無力感を飲み込んで敵前逃亡(・・・・)を選ぶ。


「敵前逃亡じゃないからね!戦略的撤退(・・・・・)だからね!」

「分かっとうて(てるって)!早よ行かんね!!」

「ミカエラも、死なないでよ!」

「死なせとう(たく)なかったら早よ行って早よ帰ってきて!」


 そしてレギーナは駆け出す。目指すは地上、別の作戦に向かっているアルベルトのもとへ⸺。




お読みいただきありがとうございます。可能な限り毎日更新の予定です。


もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマーク・いいねをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!

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