3-7.突入
蒼薔薇騎士団がイリュリア王宮に乗り込んで、ジェルジュ王らと対応を協議してからおよそ丸1日、表面上は何事もなく過ぎていった。その間ヴィオレは一度も戻ってこず、ミカエラは幾度となく[感知]や[探査]の術式で探りを入れようとし、レギーナが焦れて王宮を飛び出そうとしては何度もアルベルトやジェルジュ王、重臣たちに引き止められる騒ぎの繰り返しだった。
鈴鐘のある高鐘楼は戦士団の一個中隊、25名の兵士が昼夜問わず常時守備についていて、中央広場を訪れる市民たちを不安に慄かせた。広場は市民の憩いの場であるだけでなく、多くの商会や交易所、各ギルドの建物などが周囲に建ち並んでいて王都でもっとも人通りの激しい場所だったから無理もなかった。
それなのに物々しい警備の詳細は市民たちには開示されなかったため、不安が様々な憶測を呼び起こして、王都は心なしか不安と疑心が渦巻く不穏な空気を纏うようになり始めていた。
このままではまずい。誰もがそう考えていたがどうにもならない。せめて敵の正体や潜伏箇所が分かれば動きようもあるが、それさえも推測するのが困難な現状では歯噛みしつつ待つほかはなかった。
イリュリア側でも手をこまねいていたわけではない。宰相以下重臣たちを中心として、国家の威信をかけてクレアの捜索と犯人の割り出しに全力が注がれた。
ただしそれはあくまでも内密に、秘密裏にだ。天下の勇者パーティの魔術師がむざむざ拐われたという事実が広まれば、勇者レギーナにとっては大きな失点に繋がるのは目に見えていたし、何よりイリュリア王国自体の信用に大きく関わる醜聞になるのが確実だったから、全ての関係者が全力で事態の秘匿にかかった。
そして、だからこそ捜索が難航したわけである。
事態が動いたのは、クレアが拐われた夜から数えて翌々日の日暮れ時である。
およそ1日半ぶりにヴィオレが戻ってきて、戻ってくるなりレギーナに何事か耳打ちする。サッと顔色を変えた彼女はミカエラとも素早く情報交換し、ジェルジュ王と王の執務室で密談に及んだ。その場に臨んだのは王と蒼薔薇騎士団の3人の計4人だけで、執事も護衛も全て遠ざけたから他に話が漏れることはなかった。
その後、蒼薔薇騎士団の姿が城内から消えた。誰にも何も告げずに姿を消したため、宰相や騎士団長が城内を探し回ったが彼女らの姿はない。王は王で渋面のまま臣下に何も告げなかったので、宰相は困惑し、騎士団長は思うところがあったのか慌ただしく王宮を辞してどこかへ向かった。
次いで、今度は軍務大臣の姿が消えた。やはり誰にも何も告げずに、忽然と王城から姿を消したのだ。宰相はそれはもう青ざめて手を尽して捜索させたが、どうやら王城を出たらしいということしか分からなかった。
自分の中だけでひとつの可能性に辿り着いて、宰相は自分も王城から消えてしまいたくなったが、流石に立場上もそれは不可能だった。王城に侍する政敵たちが身軽に動けるのに対して、そうはできない自らの地位と権勢を、この時ばかりは呪わずにはいられなかったことだろう。
騎士団や戦士団は何も指示されないままで、特段動きを見せなかった。ただ高鐘楼だけは、戦士団の一個小隊が警備の交代を告げて、それまで警備に当たっていた中隊と交代した。
その交代した中隊の中隊長は後に語ったものである。
「おかしいとは思ったのです。中隊で警備するよう指示があったにも関わらず交代に訪れたのは小隊でしたし、しかも通常の交代時間ではなかったのに彼らは現れた。だが騎士団長ではなく王自らお命じになったと言われ、命令書まで提示されては信じぬわけにもいきませぬ。結局、我らは従うほかはありませんでした。
今にして思えばあれは“餌”だったのでしょうな。しかし、何故あの時の小隊は6名編成だったのか。小隊は通常5名編成であるはずなのに⸺」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おかしいぞ」
とある建物の屋上、屋根に囲まれたわずかなデッドスペースから高鐘楼を見張っていた男が、訝しげに声を上げた。
犯行グループ側の、高鐘楼の見張り役の男である。
「どうした?」
その背後で油断なく周囲を警戒していた別の男が、その声に反応する。
「高鐘楼の見張りが交代した」
「何?交代の時間ではないはずだぞ」
「しかも交代しに来たのが小隊だった」
「なんだと?」
ふたりは無言のまま顔を見合わせた。
もし再襲撃の指示があった場合、警備の人数が減ったのは好都合だ。小隊程度ならこちらが数的優位に立てる。さすがに中隊を相手にするのは少々無謀だが、相手が小隊なら何とでもなる。
だが、だからといって安心できるかと言えばそんな事はない。そもそもこのタイミングで警備の人員を減らす意味が分からないし、それを単純に好機と捉えられるほど状況は安穏とはしていない。
「報告に戻って指示を仰ぐ。お前はそのまま見張りを続けていろ」
周囲を警戒していた男がそう言って立ち上がる。
「分かった。だがくれぐれも慎重にな。尾行でもされたら目も当てられん」
「要らぬ心配だ。そっちこそ気取られぬように気を付けろ」
「なあに、ここから動かなければ問題ない。それにもうじき夜になる。陽が暮れてしまえばまず見つかることはないさ」
確かに今ふたりのいる場所は周囲を屋根に囲まれた平坦な狭い屋上スペースで、高鐘楼とその入り口が建物の合間からピンポイントで見通せるというだけの、何の変哲もない目立たない場所だ。おそらくこの場から高鐘楼が監視できるというのも、彼ら以外に知っている者もないだろう。
この場所の存在を彼らに教えたのは依頼主だから彼ならば知っているはずだが、まだ計画は破綻しておらず依頼が失敗したわけでもないため、彼が男たちを裏切って密告に及ぶ可能性は低いだろう。
無言で頷きあって、ひとりが屋根を伝って器用に地上へと降りていく。彼が地上に降り立ったのを確認してから、男は再び高鐘楼への監視へと戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「拠点が割れた。引き払う準備をしろ」
入ってくるなりその場の面々にそう声をかけたのは、リーダーの男だ。その姿はイリュリア王国の制式の騎士鎧に騎士剣、それに制式のマントまで羽織っていて、どこからどう見ても“本物の騎士様”だ。
その彼が入ってきて、今男たちがいるのは下水の点検通路の奥深くにある例の拠点。男たちは必要があって出なければならない場合を除いて、できる限りこの中で生活するようにしていた。少なくともこの依頼があってからはずっとそういう生活だった。
その拠点の存在が知られたのだと、直ちに逃げろと、リーダーは言う。
「おいリーダー。なんて恰好でこんな所来てんだよ。誰かに見つかったらどうす⸺」
「緊急事態だと言っている。今は説明する時間さえ惜しいのだ」
だから取るものも取りあえず、急ぎ報告に来たのだと、リーダーは言った。
「確定情報なのかそれは」
「そう思ってもらって構わん」
「……逃げるのはいいとして、依頼はどうなる?」
「一旦は休止だ。作戦継続が可能なら継続、難しいなら中止あるいは失敗ということになる」
「つまり、判断は依頼主に委ねられる、ってわけか」
ある意味当然のことである。少なくとも依頼を受けた側の彼らには、自分たちで判断し決定できるような権限は与えられていないのだから。
「証拠の一切を残すな。僅かでも痕跡があれば失敗は確定だ。特に依頼主関連は絶対に隠滅しろ」
男たちは慌ただしく動き出した。ある者は生活の痕跡を消しにかかり、ある者は退路の確認へと向かう。またある者はどこからか大きめの袋を取り出してきて、痕跡を消し終えた部屋から順に袋を叩いて埃を振り撒いてゆく。自分の足跡を残さないように慎重に撒いて、初めから誰もいなかったかのように偽装していく。
いずれも手際のいい、やり慣れた動きだった。そしてそれらを指示するリーダーの男にも、緊張感はあるが焦りはない。
「おい、ちょっと報告があ⸺ってうわ、こんな所で何やってんですかきし…リーダー!」
そこへ、アジトへ入ってきた仲間のひとりが、言葉の途中でリーダーに気付いて素っ頓狂な声を出す。屋上で見張りをしていたうちのひとりだ。
「報告だと?手短に話せ」
「いやその前に、この騒ぎは………“撤退”か?」
「ああ、“一時撤退”だ。で?」
「“撤退”か、そうか……。いや、高鐘楼の守りが薄くなったんだが」
見張りの男の報告に、リーダーの顔が驚きに染まる。
「どの程度減った?」
「一個小隊だ」
「あまり減ってはいないか…」
「いや、言葉が足らなかったな。『一個小隊になった』んだ」
「…………は?」
一個中隊25名の配備が、一個小隊5名にまで減らされた。それはつまり、その引き上げた人員まで拠点の捜索に充てられたということになる。いや、この場合だと捜索ではなく制圧要員として回されたのだろう。
つまりもはや一刻の猶予もない。直ちに退去しなければならない。
「偽装はもういい。すぐに脱出だ!」
「いや、返り討ちって手もあるんじゃないか?」
撤退を優先させようとしたリーダーの前に進み出て不敵な笑みを浮かべたのは、例の女好きの男だった。
「何しろ切り札はこっちにある」
「いやそれは最終手段だろう」
「多分、使わなきゃ逃げ切れないと思うが?」
男の言葉が真理を突いている、とリーダーは認めざるを得なかった。状況証拠から拠点が割れているのはもはや確定だ。であれば、乗り込んでくるのは⸺。
「…………最悪の、展開だ」
リーダーは天井を見上げて嘆息する。
「てなわけで、アンタは一足先に逃げろ。アンタがここに居ちゃマズいだろ」
その時、石壁が派手に砕かれる轟音が響きわたった。
「……どうやら、手遅れだったようだ」
そしてリーダーは、覚悟を決めた。
依頼は失敗だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レギーナの眼前で、音を立てて石壁が崩れ落ち瓦礫と化してゆく。地下深くの施設だから相応に加減はしているが、それでも二度ほど“ドゥリンダナ”を振るえば、何もない石壁に偽装した拠点の壁はほぼ全て崩れ落ちた。宝剣の力をもってすればこの程度は造作もないことだ。
崩れ落ちた瓦礫の前に立っていたのはレギーナとミカエラだった。蒼薔薇騎士団の主戦力たる二名である。
わざわざ正面から気付かれるように乱入してみせたのは示威行為のためである。敵はおそらくすでに襲撃に気付いてはいるだろうが、それでもいきなり頑丈な石壁を壊して突入されるとは予想していないだろう。それで戦意を喪失してくれれば、その分解決が早くなるというものだ。
レギーナは石壁だった瓦礫を軽い足取りで跳び越えて、その先にあった木扉を軽く撫で斬る。音を立てて崩れ落ちた木扉の向こうには、黒づくめの衣服に身を包んだ男たちの一団と、そのリーダーと思しき人物がいた。
「あら、こんな所で会うなんて、奇遇ね。
それで?ここで一体何をしてるのかしら、騎士団長さん?」
男たちは襲撃者の予想がついていたのだろう、どの顔にも怯えや驚きはない。そして声をかけられたリーダーの男は、ゆっくりと振り返った。
「お戯れを。全て調べがついているのでしょう?勇者殿」
悪びれもせず、リーダーの男こと騎士団長アルティン・エルバサンは言い放った。
「だが、こちらとて大義がある。手出し口出しは無用に願いたい」
「そうはいかないわ。ていうか私達に手を出させたのはそっちでしょう?」
「元はといえばそちらが王子を確保するからですよ。あれさえなければ丸く収まっておったものを」
「言い掛かりも甚だしいわね。私達が来ると分かっていて、それでも計画を取りやめなかったのはそちらの勝手。それを私のせいみたいに言われたって知るもんですか」
レギーナにしてみれば、クーデターだろうが何だろうが勝手にやっていればいいというのが本音だ。勇者とそのパーティは基本的に内政不干渉の原則があるのだから、自分たちの預かり知らぬ所で何が起ころうとも知ったことではないのだ。
だが、もしもその場に居合わせたら。そして罪なき誰かが危害を加えられようとしていたのなら。それを見過ごすことは勇者として認められないだけである。
だから彼女はアルベルトが連れて来た少年を放り出すことはしなかったし、その少年が王子だと知った時点で「巻き込まれる」ことをも受け入れていたのだ。そして身代わりなのか人違いなのかはさておくとしても、「身内」であるクレアに実害が及んだ時点で、彼ら実行犯グループを明確に蒼薔薇騎士団の「敵」と見做したのだ。
だから第一に、蒼薔薇騎士団がイリュリアに向かっているのに計画を進めたクーデター犯サイドが悪く、第二にクレアに危害を加えたクーデター犯サイドが悪いのだ。
「とにかく、もうこれまでなんだから大人しく投降しなさい。そしてクレアを返すのよ!」
「悪いが勇者サマ。そいつぁ出来ねえ相談だ」
そう言いつつ騎士団長の横に進み出た男にレギーナは眉をひそめた。
「抵抗するっていうならそれでもいいけど。でも、それならあなた達全員、少なくとも日常生活に支障が出る程度には壊すけど、それでもいいのね?」
サラッととんでもない脅し文句を吐いているが、レギーナにしてみれば「命までは取らない」と言っているわけで、これでも随分な譲歩のつもりだった。
だがそれに対して、男はいかにも品性のなさそうな笑みを浮かべるだけだ。そしてその横に立つ騎士団長も、それを咎めたり制止したりといった様子はない。
「だから、そいつぁ出来ねえ相談だと言ってるんですよ。分かんねえですかい?」
男のニヤニヤ顔が止まらない。
一体何を考えているのだか。
もしや恐怖で錯乱してしまっているのか?レギーナとしてはそこまで脅したつもりもなければ、さっさと投降してくれれば実際そこまでするつもりもないのだが。
まあ、それもクレアが無事ならば、というのが前提条件だが。
「四の五の言ってないで、さっさとクレアを返しなさい!さもないと⸺」
「ああ、そんじゃそろそろ“感動のご対面”といきますか⸺!」
その言葉が合図になったかのように、奥の部屋に通じる通路の向こうから爆発音が響いてきた。ほぼ同時に、通路を爆発的な速度で赤い壁が迫ってきた。
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