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落第冒険者“薬草殺し”は人の縁で成り上がる  作者: 杜野秋人
【第三章】イリュリア事変
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3-4.霊遺物

「えーと、じゃあ何?王太子の第一王子はこの子を担ごうとしてて、」


 頭を抱えてレギーナが言う。


「妾腹の第二王子は兄貴の王太子ば今んまま盛り立てようとしとって……」


 面倒くさそうな表情を隠そうともしなくなったミカエラが続ける。


「こちらの殿下、ティグラン王子は次兄の第二王子を擁立したがってる、というわけ」


 それを受けてヴィオレが締める。


「ややこしい…」


 クレアのその呟きが全てを言い表していた。

 そして当のティグラン王子は自分も知らなかった情報に目を白黒させている。護衛の黒騎士たちも同様だ。


「だいたい、なんでそんなややこしい事になってるのよ!?」

「それは、私から説明すべきなのかしらね……」


 ヴィオレがチラリとティグラン王子を見る。


「……長兄(あに)は、王太子ダビットは優しすぎるのです。臣民にとっては良き王となりましょうが、イリシャ国内、さらには周辺大国とのことを考えればいささか心許なく感じます。それに比べてペトロス兄上は冷静沈着にして国内外からも切れ者と評されておりまして、これからのイリュリアを導く“鷹の王”として相応しき方なのです」


 意を決したようにティグラン王子が語る。目の前の美女たちが蒼薔薇騎士団、つまり勇者レギーナとその仲間だと聞いてから、彼はすっかり敬語になっている。


「だけれど、貴方は現王后様の唯一の実子で公的にも嫡男という扱いなのですが、解っておられますか?」


 やんわりと、それでいてハッキリとヴィオレが口にする。ティグランの言い分は、嫡男である自分よりも妾腹の兄を上に立てようというもので、一般常識的には賛同は得られないはずだ。


「もちろん承知しております。ですが⸺」

「悪いけど、却下ね」

「えっ」

「そやなあ。第二王子は宰相あたりが適任やなかろうかね」

「そ、それは……」

「王太子が先后のお子、つまり元々の嫡男である以上、現状を変えるほどの正当性はありませんわよ、殿下」


 レギーナ、ミカエラ、ヴィオレに口々に指摘されてティグラン王子が黙り込む。彼と彼女たちとどちらに分があるか、言うまでもなかった。


「まあ変えるとしても、ティグラン(あなた)を立太子するくらいかしらね」

「そやね、それなら正統性もあるし、支持も得られろうね」

「い、いえ、私はまだ目立った能もない未熟者でして」

「関係ないわよ。王とは臣民に支えられるものなんだから」

「……そ、そうですが……」


 大国エトルリアの姫君に言われてしまっては、ティグランには返す言葉がない。


「ただまあ、それで話が終わらないのが問題なのよねえ」


 軽く頭を抱えながらヴィオレが続ける。


 彼女の調べによれば、ティグラン王子を拉致しようとしたのは王太子であるという。だが王太子は自身の護衛である白騎士を差し向けていて、同意を得た上で穏便に同行願うつもりだったようだ。そこへ雇われ者の一団が割り込んできて乱闘状態になり、ティグラン王子の護衛の白騎士たちが何とか王子を逃がしたのだという。

 ティグラン王子は護衛に護られつつ市街地に逃れ、衣服を調達して庶民に変装したまではよかったが、残りの白騎士たちとも全てはぐれてしまって追跡者たちに追われて路地裏を走る羽目になった。

 そこへ出くわしたのがアルベルトだったというわけだ。

 ヴィオレは近付いてくる少年が王子だとすぐに見抜き、アルベルトに保護を任せてすぐさま情報の追加収集に飛び、アルベルトはアルベルトで少年の正体も分からぬまま持ち前のお人好しを発揮して、そして今に至る。


「先ほどティグラン王子を追っていた一団の正体だけれど、今のところはまだ正体が掴めないわね」

「なんな、ヴィオレでも探りきれんとね?」

「三人の王子たちとは別件で王太子派と第二王子派があるのよ。王太子派は宰相が中心、第二王子派は軍務大臣が中心。そして⸺」

「えっ待って連携してないの?」

「ええそう。そして第三王子派がティグラン王子の成人とともに形成され始めているわ」

「うわあ……」

「さらにもうひとつ、ティグラン王子のひとつ下に長女のザナ王女がいらっしゃるの」

「まだいるの!?」

「ザナ王女に国外から婿を得て次期王にしようとする派閥も形成されつつあるわね」

「そ、そうなんですか!?」


「そして困ったことにね、私の掴んだクーデター情報は、そのどの派閥とも関わりがなさそうなの」


「ウソでしょ……」

「ぐっちゃぐちゃやん……」

「は、初めて聞きました……」


 レギーナ、ミカエラ、そしてティグラン王子までもがげんなりした顔になる。当事者の王子でさえ全貌が掴めない、世にも奇怪な御家騒動であると言えよう。


「おっ、お待ち下さい!」


 それまで何も言わずに傅いて控えていた黒騎士のひとりが、たまらず声を上げる。

 意外とその声が可愛らしかったりしたのだが、もしかするとまだ若いのかも知れない。


「ペトロス王子殿下は、ティグラン様を擁立しようとしておられるのではなかったのですか!?」

「第二王子は、私の調べた限りでは現状維持のためにティグラン王子を説得なさりたいご意向のようよ」

「しっしかし、軍務大臣閣下は確かに『ペトロス様はティグラン様をお立てになる』と仰って……!」


「えぇ……この上まだややこしゅうなるとかいな……」


 話が違う、と言わんばかりの女黒騎士の発言に、もはや堪えきれないミカエラのボヤきが続いた。


 だがまあ、付き合ってられないのならあくる朝にティグランを王城に送り届けてそのまま出発してしまえばいいだけである。きっとアルベルトは最後まで世話を焼きたがるだろうが、そもそも目的があってここまで旅してきたのだから、優先順位を履き違えてはいけないのだ。

 それに、いかなる時でも人々を助けるのは勇者とそのパーティの務めではあるものの、こと王族の後継争いや国家間の戦争行為にはなるべく関わらない方がいいし、むしろ関わるべきでないとも言える。

 この世界における勇者とは特定の国家に縛られたり深入りしたりしてはならない存在であり、あくまでも国際的に中立が求められる。だからこそ彼ら彼女らは国を跨ぐ自由な通行が許されるし、どこの国や都市に行っても丁重に扱われるのだ。

 そうでなければならないし、そうあることを求められる。それが勇者というものなのだ。そして、だからこそ勇者は“人類共通の英雄”たりえるのである。


 だからレギーナの場合、エトルリアの姫であるにも関わらずエトルリアには縛られない。もしもエトルリアがレギーナを使おうとする場合、あくまでも「勇者とそのパーティに依頼」して、それを「請けて」もらわなくてはならないのだ。逆に彼女が勇者である限り、彼女はエトルリアの王女としての権力は行使しえないのである。

 もっとも、王女であることまでは否定されないので王位継承権は保持したままだし、エトルリア国民からも他国からもエトルリアの姫として扱われるのだが。


 そんなわけで、特に意見の擦り合わせをせずとも蒼薔薇騎士団の総意は「これ触らんとこ」に統一されつつあった。



 状況が一変したのはその時である。



 ゴーン…


 突然、何の前触れもなく鐘の音が響いた。

 その瞬間、宿の部屋の魔術灯が全て消えた。


「えっ?」


 突然訪れた暗がりの中、その声は誰が呟いたものだっただろうか。

 その場の全ての魔力(マナ)が何の前触れもなく停滞した。停滞した、つまり魔力の活性が滞ったわけだが、より分かりやすく言えば、魔力が「消えた」のだ。

 そしてそれは魔力を、つまり人体における霊力をも停滞させた。それはつまり生命力の枯渇状態を引き起こし、高い魔力を持つものほど身体が、呼吸が、そして心臓が、止まってゆく。


「なっ⸺!」

「これは!?」


 その場の誰も例外ではなかった。強い魔力と高い魔力抵抗(レジスト)を持つ蒼薔薇騎士団の面々でさえ、その影響を逃れることは出来なかった。魔力抵抗そのものが魔力を用いた魔術なのだから、その魔力が消えてしまっては発動のしようもなかった。


 ガシャン、と窓ガラスが割れる音がした。


 音のした方を振り向くことができた全員の目に飛び込んできたのは、闇。窓から差し込む陰神(つき)明かりをかき消すようにバサリと音を立て、その闇は窓のそばに立っていたひとりの影をすっぽり飲み込んだ。


 闇じゃない、黒い布だ。

 そうと気付いた時には、割れた窓から侵入した何者かが、黒い布に包まれた小柄な人影を素早く抱えて窓枠から裏の緑地へ飛び出していた。


 ゴーン… リンゴーン… リンゴーン…


 鐘の音はまだ響いている。

 それがあたかも生命を吸い上げ魂を掠め取るようで、その場の誰もが動けなかった。


「っく…!」


 最初に身体の自由を取り戻したのはアルベルトだった。彼は生命の危機に瀕した身体を無理やり動かして必死で窓枠に駆け寄ったものの、その実ノロノロとした小走り程度の動きにしかならなかった。

 彼が何とか窓から身を乗り出した時、そこにはもう誰の人影も、もちろん黒布に包まれて拐われた誰かも見当たらなかった。


 鐘の音が止み、闇夜に溶けるようにその残響も消える。

 同時に魔術灯が復活し、魔力の流れも何事もなかったかのように戻ってきた。全員の身体を縛り付けていた重苦しさも、生命の危機を感じさせる息苦しさも綺麗サッパリ消えている。


「みんな、いる!?」


 アルベルトは振り返って確認する。

 ソファに崩れ落ちたミカエラとその隣で蹲るティグラン王子。壁に倒れかかりかろうじて身体を支えるヴィオレ。ソファの前のテーブルの横でうつ伏せに倒れ伏すレギーナ。ティグランの後ろで跪いたまま動けない黒騎士ふたり。

 誰の顔面も蒼白で、脂汗を滲ませて見るからに苦しそうに喘いでいる。もちろんそれはアルベルトとて例外ではなかったのだが。

 それでもティグランは何とか顔を上げ、ヴィオレはふらつきながらも倒れたレギーナに駆け寄る。レギーナが呻いて身じろぎした。ミカエラはまだピクリとも動かない。


 あの時、窓の近くに立っていたのは⸺。


「クレアちゃんが、拐われた……!?」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 更けていく夜闇の中、〈雄鷹の王冠〉亭の中は大混乱に陥っていた。アルベルトたちだけでなく、他の部屋に泊まっていた宿泊客にも従業員にも等しく影響を与えた魔力の停滞は、瞬間的に広範囲にわたって大規模に魔力欠乏症を引き起こし、ティルカン市街の至るところで倒れる者が続出したのだ。

 そしてそれは、霊力の高い者ほど重篤な被害をもたらした。アルベルトたちにしても霊力のさほど高くない彼やヴィオレは多少苦しんだだけで済んだが、濃い霊力を持つ王族のレギーナやティグランは瞬間的に気を失うほどのダメージを蒙ったし、それは黒騎士たちも同様だった。

 手持ちの霊力回復薬を全員で服用したものの、それでもレギーナやティグランは自分で身体を動かすことさえままならず、部屋にいた者の中でもっとも高い霊力を持つミカエラは未だに意識さえ戻らない。


 とてもではないが、拐われたクレアを取り戻しに追いかけるどころではなかった。蒼薔薇騎士団がここまで壊滅的なダメージを負うなど、結成以来初めてのことだった。


「クレアを……助けに……」


 ソファに寝かされているレギーナが、かすれた声で呻く。だが顔面は蒼白のままで起き上がる事さえできそうにない。


「無理よ。貴女がそんな調子じゃ私たち誰も動けないもの」


 そんなレギーナの手を握ってヴィオレが優しく諭す。彼女はもう動けるようになってはいるが、顔色はまだ辛そうなままだ。


「それにしても、何だったんだろう、あれ。あんな感覚は初めてだったけど……」

「分からないけれど、魔力を抑制する結界器(オブリーチェ)のようなもの、かしらね……」


 レギーナと、やはりソファに寝かされて昏倒したままのミカエラを気遣わしげに見やりながらアルベルトが呟く。それにヴィオレが応えるが、自信はなさそうだ。


霊遺物(アーティファクト)……」


 その時、昏倒しているはずのミカエラが小さく声を上げた。


「ミカエラ!」

「ミカエラさん!ああ、まだ動かないで」


 無理に上体を起こしかけたミカエラにアルベルトが駆け寄って、肩を抑える。彼女は抵抗せずにまた身をソファに沈めたが、目はうっすらと開いていた。


「あげな強力な効果を持つやら(なんて)、霊遺物以外に有り得んばい……」



 霊遺物(アーティファクト)

 この世界にいつから魔力と魔術があるのか、記録に残されておらず知られていない。だが古代には現代よりもずっと強力な魔術が存在していたとされていて、すでに失われてしまった術式も多いという。

 霊遺物とは、そんな古い時代に製作されて現代では製法も残らず再現も不可能な、強力かつ希少な魔道具のことである。

 そうしたものはまれに迷宮や遺跡などから発掘されることがあり、出土すればその希少性から高額で取引される。多くの遺跡などを探索して回る冒険者たちが発見しては、魔術師ギルドや冒険者ギルドなどを介して世に出回るものだ。物によっては国の防衛など戦力として保持されることも多く、そうした国家の所有物となった霊遺物は、情報どころか存在さえ世に知られず秘匿されることも稀ではない。


 ミカエラは、勇者パーティでさえ無力化するほどの強力な効果を持つものなど霊遺物以外にはあり得ない、と言っているのだ。


「やけん、クレアが…………!」


 そう。それほどの効果を持つ霊遺物ならばもっとも影響を受けたのはクレアのはずなのだ。彼女がパーティでもっとも霊力が高いのだから、少し考えれば分かることだった。しかもまだ13歳(未成年)で、魔力を介在しない身体的抵抗力は歳相応でしかないのだ。

 おそらく彼女は、あの瞬間にミカエラと同じく昏倒してしまったことだろう。そして倒れ込むところをあの黒い布で包まれ、何の抵抗もできないまま連れ去られてしまったのだ。

 そしてきっと、まだ昏倒したままの重篤な状態が続いていると考えられる。それを理解しているからこそレギーナは無理にでも動こうとしたし、ミカエラもまた行動を起こそうとしたのだ。


「一刻を争うのはよく分かったよ」


 だがアルベルトはミカエラの手を取って言った。


「でも気持ちは分かるけど、まずは君たちが回復しないと。でないと助けるべきものも助けられないからね」


 正論だった。味方にこれだけの被害が出ている状況で、敵の規模も力量も分からない状態で、どこに逃げたかも知れないのに無理に動いても益はない。それどころか簡単に返り討ちに遭うことさえ考えられるのだ。最低でも霊力を回復させて不自由なく動けるようにならないと、戦うことさえ覚束ないだろう。

 しかも敵は勇者レギーナさえ無力化するほどの霊遺物を押さえているのだ。もしもまた使われたりすれば、今度こそ全滅の憂き目に遭うに違いなかった。


「分かっとう、けど……」


 ミカエラが悔しそうに言って、閉じた両目を空いている右手で覆う。その無念さがアルベルトの心にも刺さる。


「……寝るわ」


 反対側のソファでレギーナが身じろぎした。不機嫌そうなその言葉はやはり抑えきれない悔しさと怒りを滲ませていて、だが現状どうにもならないこともまた理解しているようだった。

 なんにせよ、一晩眠れば霊力は回復する。心休まらぬ状況で全快するかは何とも言えないが、少なくとも今無理に動くよりはマシだろうと、レギーナも考えたようだった。


「ではベッドに行きましょう」


 ヴィオレがそう言ってレギーナを抱き上げる。レギーナはそれに抵抗せずに大人しくされるがままになっていて、ふたりは隣の寝室に入っていく。しばらくして出てきたヴィオレはミカエラも抱き上げて、やはり寝室へと運び込む。

 ヴィオレ自身もまだ辛いだろうに、彼女はそれを誰にも任せなかった。運ばれていくミカエラの頬に光るものが見えて、アルベルトはそれを見なかったフリをした。


 ティグラン王子もアルベルトも別の寝室へと向かう。黒騎士たちはそれまでいた居間の寝室側の壁に寄りかかって座り、そこで仮眠を取るようだ。


 こうして、波乱の予感を孕みつつティルカン初日の夜は幕を下ろした。




お読みいただきありがとうございます。可能な限り毎日更新の予定です。


もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマーク・いいねをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!

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