3-3.果たしてどういう事なのか
「……で?それでどうしてこの子を連れ帰って来ちゃったわけ?」
〈雄鷹の王冠〉亭の最高級客室のリビング。そのソファに座らされてオドオドする少年を、レギーナとミカエラが冷ややかに見つめていた。
「いやあ、とりあえず一番安全なのがここだと思ってね」
「いやまあ、そらそうやばってんが……」
有り体に言って、レギーナもミカエラも厄介事を持ち込まれたとしか思っていない。持ち込むにしてもせめて、身元の確認ぐらいはして欲しかったのが本音だ。
だが彼女たちとて、ここまでの付き合いでアルベルトがほぼ無条件で人助けに走るお人好しなのは分かっている。分かってはいるが、実際にこうして持ち込まれると面倒でしかない。
だからこそ、彼には何とかそれを改めさせなければとも思っていた。だがこうして目の前に『保護』して連れて来られている現状で言い出せることでもない。
ただまあ、彼は少年と出会う直前までヴィオレと一緒だったと言うし、そうであれば彼女も当然気付いていたはずだ。であればこの少年を保護することは彼女も同意したという事でもある。それに人助けそのものは『勇者的行為』でもある。
結局のところ遅かれ早かれ巻き込まれる運命だったと考えれば、自発的に首を突っ込んだ形の今の状況はまだしもマシかも知れない。
「まあいいわ。それで、貴方誰なの?」
「え、ええっと……」
無理からぬことだが、少年もレギーナたちも自分たちの素性を明らかにしようとしなかった。お互いがお互いの素性を隠したまま腹の探り合いをしているのだから、当然話が進まない。
「ウチらは旅の冒険者やけん、まあ君の警戒しとる利害関係とは無縁と思ってよかよ」
埒が明かないのでミカエラが補足する。とりあえず正体云々はさておいても、名前くらい名乗ってもらわなくては話にならない。
「その、僕は……イェラキと言います……」
「イェラキ君、ね。そんで?君ば追っかけとった奴らになんか心当たりのあるかいね?」
「それが……分からなくて……」
(あ〜、こん子巻き込まるうタイプの被害者やん。面倒くさかあ)
声や顔にこそ出さないが、ミカエラの心象が一気に渋くなる。
「顔は見たけど、雇われ者のゴロツキな雰囲気だったね。おそらく実行犯ってだけで、捕まえてもロクな情報は持ってないと思う」
「まあそらそうやろね。誘拐の実行犯やら無関係の下っ端以外にやらせられんもん」
「問題は、黒幕が誰かよね。まあそこは今頃調べてるだろうけど」
「そうだね。俺が気付いたぐらいだし、彼女が気付かなかったはずはないよ」
「えっと……?」
勝手に話、というか推測が目の前で進んでいくことに少年、イェラキが戸惑いを見せる。
「あなたにひとつだけ忠告しておくわね」
軽くため息を吐きつつレギーナが告げた。
「偽名を名乗るんなら、もっと分かりにくい名前を名乗りなさい。鷹なんて、イリュリアの王族だと名乗ったようなものよ?」
「えっ……!?ば、バレるんですか?」
「当たり前じゃない、イリシャ語でまんま“鷹”の意味だもの。それにイリュリアの民が鷹の子孫だってことくらい、少し歴史に明るければ誰でも知ってるわ」
「まあ知らんくても、イリュリア王家の紋章が鷹の意匠って知っとったら一発やんなあ」
「そう言えば、王室がらみでクーデターの動きがあるってことも彼女言ってたね」
「なんだ。そこまで分かってるんだったら、もう半分解決したようなものね」
偽名ひとつで次々と正確に推測されて、少年が目を丸くする。その様子だけでも、彼が世間知らずの箱入りなのが見て取れる。
つまり彼はイリュリアの王子だ。そしてクーデターを画策する側に、神輿として担がれるために身柄を拘束されようとしていたのだろう。
となるとあとの問題は、彼を担ごうとしているのが誰かということと、彼をぶつける標的がどこかという、その二点だけだろう。それは国王か、もしくは次期国王つまり王太子か。
イリュリアの王子ということになれば、公に名前が出ているのは3人。長兄の王太子と次兄そして末弟だが、目の前の少年もしくは成人したてくらいの若い王子は、公開情報と照らし合わせるなら今年成人したばかりの末弟のティグラン王子だろう。長兄のダビット王太子は今年22歳、次兄のペトロス王子は今年18歳で、どちらも年齢が合わない。
だから隠し子でもいない限りはティグラン王子で確定ということになる。
「それで、護衛はなんばしよんしゃっと?」
「え、なんば……?」
「護衛は『どうしてるんですか?』」
流石にラティン語のファガータ弁が通じなくて、ミカエラが渋々言い直す。西方世界全体で通用する現代ロマーノ語も、南海沿岸のエトルリアやスラヴィアの公用語であるラティン語の標準語も流暢に喋れるんだから喋ればいいのに、頑なに出身地の方言を貫き通すのはミカエラの誇りであるらしい。
「それが、途中ではぐれてしまって……」
「ふうん。倒された、というわけではないのね?」
「えっと……おそらくは……」
「ひめ、裏に人がいるよ…」
その時、リビングに音もなく入ってきたクレアが監視されていることを告げてきた。
「え、ひめ……?」
「何人ぐらいいそう?」
「分かるのは、ふたり…どっちも女の人…」
「おっし。ほんならウチが話ば付けてこう」
ミカエラがそう言って立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。アルベルトもついて行こうとしたが、レギーナに「足手まといだから行かなくていいわ」と釘を刺されていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こんばんわ〜」
宿の裏手には少しの緑地があり、枝ぶりの立派な木が何本も夜闇へとその枝を伸ばしていた。閑静な公園のようになっていて昼間ならば人々に木陰を提供しているであろうその木々は、この時間は夜闇をさらに濃くするだけで、その中に何やらこの世ならざるものを匿っているかのようだ。
不意に声をかけられて、その木陰に潜んでいた気配が一気に警戒の色を露わにする。同時に殺気を放とうとして、
「ああいや。王子はこっちで保護しとるけん、一緒来てもらえんですかね」
意外な提案に、少しだけ困惑の気配が帯びて、警戒だけがぐんぐん強くなる。
(ふうん。こらぁ王子側の反応やな)
声をかけた側、つまり気付かれないように宿を出て建物の裏手に回り込んだミカエラは、声掛けの反応から人影の立場を正確に推測する。
「諸事情あって、誘拐されそうになっとったところを保護しとっとですよ。引き取ってもらえんとやったら明日王宮さい連れて行きますばってん、どげんやろか」
ミカエラはあくまでも自然体だ。着ているのは神教青派の法衣で、普段腰の後ろに提げている戦棍さえも持っていない。表情はあくまでもにこやかに、だがしかし何かあっても即座に対応できる程度には緊張を身に纏っている。
「何者だ」
ややあって、極限の警戒を含んだ誰何の声だけが小さく聞こえた。
「名乗られもせんとに、こっちだけ名乗るっちゅうのも、ねえ?」
「……。」
「仮にも大事な王子ば助けてもろうとって、その態度はどげんやろかねえ?」
「……。」
返事はないが、警戒はMAXのままで、迷いの気配が若干強くなる。
「まあウチらは、どうせ明日の朝には王宮さい挨拶に出向くつもりやったけん、それまで保護しとっても良かとばってん」
正直な本音である。ティルカン到着が昼の遅い時間、早い話が陽の沈みかけた時間帯であったため、イリュリア王宮への挨拶は翌朝の予定に回してある。このまま何事もなければその際に王子を王宮へ送り届ければそれで済む話なのだ。
そして蒼薔薇騎士団がイリュリア国内に入っているのもティルカンに到着しているのも、情報としてはすでに王宮に届いているはずなのだ。たとえ目の前のふたりがそれを知らないとしても、王宮の方で承知していれば蒼薔薇騎士団としては立場が悪化する可能性も低いだろう。
やや長い逡巡のあと、ひとりが暗がりから進み出た。全て黒塗りの騎士鎧に騎士剣にマント、それに黒い布で顔を覆っていて、鎧やマントの紋章は巧妙に消されている。非常時の隠密行動の装束であると見て取れる。
だが全体的に正規の騎士団の装備と身のこなしであるのはひと目で分かる。
「……失礼した。我らは王室親衛隊の者だ。王子を保護して頂いたこと、感謝する」
(王室親衛隊、ねえ)
親衛隊と名乗るからには表立って存在を公表されているはずなのだが、どうも雰囲気や身のこなしからして裏で動くことに特化している感がある。とすれば、公表されている正規の騎士団の他に秘匿された隠密騎士団でもあるのだろうか。まあ王族の親衛隊ならばそういうものが存在してもなんら不思議はない。
そして警戒が消えない辺りは優秀と言って良さそうだ。おそらく僅かでも隙を見せれば、ミカエラ自身はもちろん部屋の中のレギーナやクレアたちまで全員“消し”て、王子だけ連れ帰る気満々なのだろう。もっとも簡単に消されるほど勇者パーティはヤワではないし、仮に彼女らが王子の敵対側だったとしても、そう易々と手にかけさせるつもりはミカエラにも、レギーナにもなかった。
だがまあ、王室と事を構えるのも本意ではないので、ミカエラは素直に名乗りを上げる。
「ウチはミカエラ・ジョーナンク。蒼薔薇騎士団の法術師ですたい」
そう言いながら、ミカエラは金の認識票を法衣の胸元から取り出して、わざと月明かりに反射するように揺らしてみせた。
「なっ!?」
案の定驚かれた。そしてふたりとも慌てて暗がりから出てきて拝跪する。
「こっ、これは勇者さま方とは露知らず、大変ご無礼をば……!」
「この通りでございます!平に、平にご容赦を!」
「ああいや、そげん大袈裟にされたら誰かに見らるうけんが。よかけん部屋さい上がってもらえんですかね」
「「はっ、直ちに!」」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「殿下!ご無事で!?」
「ああ、うん。私はこの通り、無事だよ」
勢い込んで跪く黒塗りの騎士姿ふたつと、やや困惑気味の少年王子。確認するまでもなく面識がないのは一目瞭然だ。おそらく今までは影ながら護衛していたのだろうし、王子が初対面の反応を示していることでもそれが伺われる。
だが、そうであれば王子を『表立って護衛していた者たち』はどうなったのだろうか。
「それで、私の護衛たちはいかが致した」
「は……、白騎士の方々は……」
「その、大半は討たれ、残りは行方が分かりませぬ……」
要するに正規の護衛たちは全滅したということだ。
となると、敵も相応の戦力を確保しているということになる。
「それで?クーデターなんて画策してるのは誰なの?」
「は。こちらで掴んでおりますのは宰相のアルツール・アドイアン、それに軍務大臣のエフゲニー・カスパロフの両名にございます」
レギーナの問いに、黒装束の騎士のひとりが拝跪したまま答える。
黒布の覆面はすでに取り払われており、貌の整った白皙の素顔が見えている。妙齢のなかなかの美人で、おそらくは貴族の子女が騎士に叙せられたのだろう。
「ふうん。じゃあそのふたりを抑えればいいわけね」
「いえ、それが」
「なんね?なんか不都合でもあると?」
「アドイアン宰相は王太子派、カスパロフ軍務大臣はペトロス王子派でございまして」
「……ん?」
「その両派ともがティグラン王子を傀儡として担ごうとしておるのでございます」
「…………なんて?」
「えっ、ちょっと待って?自分たちの派閥の王子を担ぐんじゃなくて、この子を担ごうとしてるの?」
「あら。もしかしてもう説明は必要ない感じかしら?」
部屋の隅の暗がりから声がして、ヴィオレが姿を現した。窓もドアも開いた気配がないのに、一体どこから入ってきたんだこの人。
「いや、余計混乱したっちゅうか」
「むしろ今こそ説明が欲しくなった感じ、かしらね……」
これ以上ないほど面倒臭そうに、ミカエラとレギーナがヴィオレに応える。
「説明と言うならば、そろそろ私にそなたらが何者なのか教えてはもらえまいか」
そしてずっと話の蚊帳の外に置かれっぱなしだった少年王子が、ようやっと当然の問いを発したのだった。
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