b-3.【幕間】秘密が多めのホワイト嬢
幕間をもうひとつ、こちらも一応前後編で。
終わったらいよいよ三章です。
地の文多めですいません。
仕事を終え、職場を出て家へと向かう。
もう8年も住んでいるので勝手知ったる我が家で、この道も通い慣れた馴染みの道だ。店を出て、大通りを少し歩いて富裕街の方へ続く脇通りへ曲がり、さらに庶民街との境に位置する脇通りに折れてしばらく進んだ、庶民街最北の一角に、彼女の家はある。
陽神も沈んで暗くなった星空の下、脇通りに点在する街灯に照らされながら彼女はいつもひとりで歩いて家へと帰る。やがて、小さいながらも戸建ての平屋が見えてきて、彼女はその家の扉の前に立つと、鍵を開けて中に滑り込んだ。
玄関脇の魔術灯に触れて灯りをつけ、居間へ入り荷物を置き、肩の力を緩めてふう、と息を吐く。それから、
「今日もご苦労さま」
誰に言うともなく、ひとりきりの空間に向かってそう声を出した。
その声に応じたかのように、ひとつの気配が離れていく。それを彼女は気付いたかどうか。
「ホワイトちゃん、帰ってきたよね?」
閉めた玄関扉の向こうでノックの音と女の声がして、帰ってきたばかりの彼女が扉を開けると、二十代半ばと思しき町民の娘が立っていた。隣に住む大家の娘で、名をルーシーという。
「ルーシーちゃん、ただいま」
「おかえり♪ごはん、まだよね?今日も一緒に食べよ?」
言いながら返事も待たずにズカズカと入ってくるルーシー。ホワイトと呼ばれた借り主の娘も、それを当然というかのように身をずらして彼女を迎え入れる。
ルーシーの手には、美味しそうな匂いと湯気を纏った鍋が持たれていた。
「いつも悪いわねえ」
「いいっていいって。いつも遅くまで仕事してるのに、帰ってからごはんまで自分で作るとかタイヘンだしねっ♪」
「でも、旦那様とかお子さんとか、面倒見なくていいのかしら?」
「いーのいーの。旦那のやつは隊商の護衛でしばらく帰ってこないし、ガキどもはもう寝かしつけたから」
ルーシーはそう言って人懐っこい笑顔でにかっと笑う。
彼女の夫は冒険者だ。さほど名前が売れているわけではなかったが、パーティを組んだ仲間とともにそれなりに仕事をこなし死線も潜り抜けて、所帯を持てるほどには結果を出していた。
そして彼女、ホワイトも冒険者には深い縁がある。父の縁のある冒険者ギルドのマスターに匿われて、そのままそこで働いているのだ。
ホワイト・ニー・ヒュー・ストーン。父は西方十王国の盟主たるアルヴァイオン大公国にその人ありと謳われる大貴族、オリバー・ド・ストーン侯爵である。年齢は今年、フェル歴675年で26歳。世が世ならとうにどこぞの貴族に輿入れしていて然るべき侯爵令嬢であった。
だが現実問題としてそうなってはいない。それどころか彼女は今、ただの平民の娘ホワイト・ソネットとして“自由都市”ラグにある冒険者ギルド〈黄金の杯〉亭でギルドの会計担当として働いている。
もちろん、侯爵令嬢であることは周囲には厳重に伏せられているが。
それというのも、彼女はストーン侯爵が愛人に産ませた庶子であったからだ。
西方世界は大半の国で一夫一妻制なのが一般的であり、それはアルヴァイオン大公国も例外ではないが、それでも王侯貴族を中心に貴顕の家では愛人や側妾が黙認されているような面がある。だからという訳ではないだろうが、ストーン侯爵も正妻の他に何人か愛人を作っていた。彼女はそのうちのひとりが産んだ子である。
通常ならば、そうした庶子たちは認知を受けた上で本邸に入り、正妻の子として何食わぬ顔をされて育てられるのが一般的だ。だが彼女だけはとある事情で手許に置いておけず、こうして家を出されてひとり暮らしをしている。
同い年で親友でもある大家の娘が食事の後、ひとしきり談笑してから帰るのを見送って、ホワイトは玄関扉を閉める。ようやくひとりきりになってホッとひと息吐き、瞬きをし、そして視界がうっすら歪んでいるのに気付く。
(あら……?)
慌てて彼女は浴室に入り、洗面台に備え付けてある鏡を覗き込む。
案の定、両目の瞬膜が上がってしまっていた。
「いけないわ、もうそんな時期なのね」
彼女はそのままブラウスのボタンを少し外して胸元を確認する。大きめに設えたブラウスを突き破らんばかりに盛り上がった巨大な双丘の少し上、ブラウスのボタンを閉じていれば決して人目に晒されない肌の一部が鱗状に変化していた。腹も背中も、触ればすでに鱗が形成され始めている。
この分だと、明日の朝には全身が鱗に覆われてしまうだろう。
「またお休みを取らなくちゃ」
彼女は月に一度、こうした肉体的変化をきたす。この時の姿を誰にも見られてはいけないと実母から強く言われていて、それでその日は休みをもらって一日中家に籠もり、誰とも会わないようにしている。
これこそが、彼女が家を出された理由の全てであった。彼女は、人間と竜乙女のハーフなのだ。
彼女は居間の書棚から紙とペンを取り出してきて、テーブルの上で何事か書きつける。書き終えて、少しインクを乾かしたあと、その紙を丁寧に折り畳んで封筒に入れ、表に宛名を書き裏に署名をして蝋印で封をする。
それをテーブルに置くと、天井を見上げて呟いた。
「これ、お願いしますね」
それから彼女は入浴するため、改めて浴室に入っていった。
残された封筒はしばらくそのままだったが、浴室から水音が聞こえてくる頃になってひとりでにふわりと宙に浮き、くるりとその場で一回転したかと思えばそのまま消えた。それは翌朝に〈黄金の杯〉亭の依頼受付カウンターの上で発見されることになるだろう。
竜乙女。
それは水辺に好んで住むという希少種の獣人族で、竜人族の亜種と見られている。見た目や体格は人間とさほど変わらず、女性しかいないと言われているが詳しいことは知られていない。月に一度、本来の姿である竜の姿に戻らねばならないが、そのことを知る者は多くなく、見たことのある者はほとんどいない。
決まった集落や国家などは持たず、普段は人目につかないようひっそりと暮らしているか、人間のふりをして人間社会に紛れて生きている。基本的に人間たちには友好的で、彼女たちは人間の男を好んで夫とするという。
ただ人間とは異種族を排斥しがちな種族であり、竜乙女も幾度となく差別や偏見、迫害といった被害に遭ってきていることから、よほど相手を信頼しないと自らの正体を明かすことはない。夫となる男にさえ正体を隠したまま一生添い遂げるのが普通で、だから夫は妻が亡くなって初めてその正体に気付いた、などという昔話がいくつもあり、詩人たちが歌の題材にして残している。
ホワイトの母も竜乙女であった。彼女も一族の慣例に従って正体を隠して生活していたが、幸か不幸かその地を治める大貴族、ストーン侯爵家の当主と出会ってしまった。最初は何とか逃れようとしたものの、彼女の素晴らしい美貌に惚れ込んだ侯爵の熱烈かつ執拗なアプローチを受け、とうとうそれを受け入れて一夜を共にしてしまったのだ。
とはいえ相手は大貴族。人間に紛れ、人間の街で平民として暮らしていた彼女が正式な妻として邸に上げられることは遂になかった。だから彼にとって彼女は「邸の外に作った愛人のひとり」ということになる。
それでも住む家を用意され、時折訪れる夫と一時の逢瀬を楽しむだけでも彼女は充分幸せだっただろうか。そのうちに娘が生まれ、彼女は満ち足りた生活を送っていた。
それが脆くも崩れさったのは、彼女とその娘の存在が正妻に露見したことがきっかけだった。
侯爵は貴族であるため、ひとりで行動するという事があり得ない。だから彼女の元を訪れる際にも、必ず馬車を仕立てて護衛を伴ってやって来ていた。つまり彼の他に御者と数人の護衛がこの密やかな逢瀬のことを知りうる立場にあったわけだ。
そして、その護衛のひとりが正妻に買収され情報を流したのだ。
もともと、侯爵が彼女の元を訪れる頻度はそう多くはなかった。年に二度か三度、ひと晩泊まりに来るだけで、だからホワイトも父の顔をそう何度も見られたわけではない。
そして正妻に関係が露見したのはホワイトがまだ5歳の時のこと。正妻付きの護衛の一部を暗殺者として差し向けられ、住処に押し込みをかけられたのだ。
平民とはいえ、侯爵の大事な愛人である。だから侯爵は彼女にも密かに護衛を付けていた。それがなければ、彼女は娘ともども人知れず殺されていただろう。
彼女に付けられていた護衛はその街の冒険者上がりの男たちだった。冒険者上がりとはいえ信頼できる面々を厳選されていて、だから彼らは彼女に護衛されている事さえ気付かせなかったし、きっと襲撃された時にも、彼女は通りすがりの人が騒ぎを聞きつけて助けに来てくれたのだとしか思わなかったに違いない。
ともあれ、彼女は護衛たちによって襲撃者の手を逃れ、着の身着のまま娘を連れて逃げ出した。助けてくれた者たちの言葉に従って、その街ではない、どこか遠くの街へ。
そして彼女に付いていた護衛は遺体の発見できなかったひとりを除いて全員が殺され、彼女と娘の行方も分からなくなった。どこに向かったか知っているのは、殺された護衛たちだけだったのだ。
侯爵は彼女と愛娘の行方を必死になって探し続けた。正妻のほうでも追手を差し向けているのは分かっていたから、それよりも早く見つけ出して保護しなければならなかった。だが彼女と娘の行方は杳として知れないままだった。
そして、10年あまりが過ぎた。
すっかり老境に差し掛かった侯爵、いや家督を息子に譲った元侯爵が見つけ出した時には、すでに彼女は病を得て亡くなった後で、残された娘だけがひとり孤児院で暮らしていた。海を越えてガリオン王国の辺鄙な田舎町の、近隣都市の神殿が運営する小さな孤児院、そこに預けられて育った娘は、成人して孤児院を出る年齢になってからもその手伝いのために残り、弟妹たちの面倒を見ていたのだ。
元侯爵が自ら会いに行くと、その娘、ホワイトは父の顔を憶えていた。そして父に、母が竜乙女であったこと、自分もまた竜乙女の血を強く引いていること、成人して竜乙女の特徴が強く出始めているから、このまま孤児院で暮らすのは難しくなっていることなど、包み隠さず打ち明けた。だから安心して身を落ち着ける場所に行きたいと、ひとりで生きていけるようにしたいと訴えた。
元侯爵は驚いたが、それ以上に困ってしまった。彼はホワイトを認知して、どこか然るべき貴族の家にでも嫁がせようと考えていたのだ。嫉妬深かった正妻もすでに亡くなっており、今なら彼女の安全は確保できるし楽な生活もさせてやれる。そのはずだった。
だが当のホワイトが異種族となれば話は変わる。ただでさえ平民の子、社交界での礼儀作法も何も学んでいない異種族の彼女を見初めてくれる貴族など、排他的なアルヴァイオンの貴族社会にはいないだろう。自分だって、ホワイトの母が竜乙女だと知っていれば手を出さなかったのに。
結局、元侯爵は自分の持っている領地のうち、一番小さくて辺鄙なニー・ヒューという土地を彼女に分与することにした。その上で継承権だけ保持している子爵株を彼女に相続させ、書類上でのみ彼女を「ニー・ヒュー子爵」ということにして、その上で彼女を自由自治州として知られるスラヴィアに、ラグ市にいる古い友人を頼る形で送り出したのだ。
スラヴィアならば彼女の自由は保証される。そして冒険者の街として知られるラグならば、彼女の安全も担保できるだろう。幸い友人はかつて名の知れた冒険者だったし、彼に任せておけば心配ないだろう。そしてニー・ヒュー領からの税収をそのまま彼女に届くようにしてやれば、少なくとも生活に困ることはないはずだ。
こうして、ラグにやって来たホワイト“ニー・ヒュー”ストーンは、元侯爵との繋がりを隠すためホワイト・ソネットと名を変え、ラグの老舗冒険者の宿、〈黄金の杯〉亭で働くことになったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
竜乙女に特有の“竜化”も終えて、ホワイトは再び〈黄金の杯〉亭に働きに出るようになった。匿ってくれていたギルドマスターは昨年の暮れに病で亡くなってしまったが、彼女は相変わらず働いていて、辞めるつもりはなかった。
もっとも、自分の素性や正体はギルドマスター以外に知らせていなかったから、もしも露見するようなことになればまた姿をくらまさなければならないかも知れない。
ただ、〈黄金の杯〉亭は冒険者ギルドなのだから、もしも彼女が人間ではないと知られても即座に迫害されるようなことはないだろうと感じている。だって冒険者の中には、エルフやドワーフといった比較的よく目にする異種族や、スプライトやフィルボルグといったあまり見かけない種族だっているのだから。
もちろん竜乙女のような希少種族は見かけないが、それでもその存在自体は知識として知られているのだから、決して悪いことにはならないだろう。
そして彼女の後ろには、相変わらず“見えない護衛”の姿がある。彼女自身は何かした訳ではなく、その“護衛”と会ったこともなかったが、何となくその存在のことは感じていて、おそらく父が何か手配したのだろうと考えている。
彼女は今日も“護衛”を引き連れ仕事へ向かう。今日を生きるため、周囲みんなが与えてくれた自由を精一杯満喫するために⸺。
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