b-2.【幕間】あの日見た、憧れを追いかけて(2)
「……お客さん、来ませんね」
「…………ああ、そうだな」
アヴリーは、ギルドマスターと一緒に店のテーブルに頬杖をついて呟いていた。
あれから2年の月日が流れ、20歳になった彼女は給仕娘としてだけでなく受付嬢の仕事もきっちりこなせるようになり、すっかり一人前の〈黄金の杯〉亭の一員になっていた。
だというのに。
「なんでぇなんでぇ!雁首揃えてシケた面してんじゃねぇよ!」
「だってキャサリンさん。見てよこれ」
アヴリーが仰々しく両手を広げて立ち上がり、店内を見渡すかのようにくるりと身体を一回転してみせる。
その視線が巡った先には誰ひとりとして見当たらなかった。
そう、広い店内はアヴリーたち3人を除けば無人だ。陽の沈む晩時だというのに、誰も客がいないのだ。
冒険者が来ない理由は分かっている。
黒死病の流行が始まったのだ。
黒死病はラグにも蔓延し始めており、冒険者たちにも罹患する者が出始めていた。だから彼らも不特定多数が出入りする酒場を恐れて避けるようになり始めているのだ。
「だからよアヴリー」
「何ですかマスター」
「お前も、しばらく店には顔を出すな。家で親と一緒に大人しくしてろ」
「嫌ですよ。私に家から出るななんて、それ死ねって言ってるのと同じです」
「そうは言っても、黒死病に罹るよりはそっちのがいいだろ。俺としてもお前を黒死病で死なせちまったりしたら、親御さんにどんな顔向けていいか分かんねえしな」
「マスターの方こそ、奥さんの看病で家にいて下さい。店の方は私がやっときますから」
マスターの愛妻であるジャネットは、今病に伏せっている。元々身体が丈夫でなかった彼女は、時々こうして病に倒れることがある。
幸いにして彼女は黒死病には罹っておらず、だから看病していればすぐに良くなるだろう。だがその看病をするのはいかつい灰熊みたいなマスターしかいないのだ。
「パパ……」
幼い声がして、その場の3人が振り向くと、店からマスターの住居である奥に続く通路にひとりの幼女が立っている。
マスターのひとり娘、ステファンだ。
「どうしたステファン。店には出てくんなって言ってあるだろ」
「ママが……」
「何っ!?」
慌てて席を立つマスター。その顔が焦りに満ちている。
「行って下さいマスター。店の方は私がいますから!」
「済まねえアヴリー、頼まれてくれるか」
言うが早いか、マスターはステファンの手を取って奥へ駆けていく。ああ見えて子煩悩の愛妻家で、妻のそばを一時でも離れたくない質なのだ。
その背を見送って、アヴリーはまた席に座り直す。店は任せろとは言ったものの今日の依頼を出しているのはわずか数人で、それも大半はすでに帰ってきているから、残りの時間は無人の店内でぼーっとするだけだ。
「よっしゃ、ジャネットのためにお粥でも作るとすっかな」
キャサリンがわざとらしく腕まくりをして、厨房へと戻って行った。
と、そこへ、最後のひとりが帰ってくる。
「あ、お帰りアルさん」
「やあアヴリー。すっかり遅くなってしまったよ」
いつものように控えめな笑顔を見せてくれる彼の姿に、アヴリーも少しだけ笑顔になれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから5年。
黒死病は何とか収まり、〈黄金の杯〉亭にも再び冒険者が戻るようになってきていた。
だが店内にジャネットの姿はない。彼女はあの時の病気から快復せずに、結局そのまま息を引き取ってしまったのだ。黒死病ではなかったのに、病弱な彼女には冒険者ギルドと冒険者の酒場の激務はそれだけ心身の大きな負担になっていたのだろう。それに黒死病の対応で医者も薬師も神殿も大忙しで、満足に治療を受けられなかったのも痛かった。
そしてキャサリンの姿もない。彼女もまた黒死病の魔の手を逃れたのだが、黒死病の患者たちを救おうと飛び回る医者の青年のひとりを手伝うようになっていて、それが縁で彼と結婚することになり辞めていったのだ。
だから店内にはマスターとアヴリーだけが残り、そして新たに雇った料理人のハックマンというマスター以上の巨体の男と、その他にホワイトという、ジャネットに雰囲気の少しだけ似た女性が増えている。似ているのは雰囲気だけで、胸元はちっとも似ていないが。
ハックマンは黒死病のあおりで勤めていた店が潰れ、仕事をなくして面接に来た。ちょうどキャサリンが辞めるところでありがたく採用された。
そしてホワイトは、マスターが「友人から預かってくれと頼まれた」そうで、ある日突然連れてきた娘だ。経緯は詳しく聞かされていないが、どうも訳ありのようだ。だからというか、彼女は店には顔を出さずにギルドの経理専従ということになっている。
つまり、ギルドの受付も酒場の給仕も、アヴリーがひとりでこなさなければならない。以前の活気が戻ってくれば、さすがのアヴリーもひとりで回す自信はなかった。
だが幸か不幸か、戻ってきた冒険者はまだそう多くはない。ラグで〈黄金の杯〉亭と並ぶ大きな冒険者ギルドである〈竜の泉〉亭の方はもうだいぶ活気が戻っているというが、まだ活気の戻りきっていない現状はアヴリーにとって少しだけ有り難かった。
勇者ユーリはあのあと何度かギルドに顔を出した。だが顔を出したのは彼だけで、他のメンバーは誰も来なかった。
聞けば凱旋からわずか10年足らずで突如ユーリはパーティを解散して自らも勇者を引退したという。そしてエルフの狩人の女性は故郷に帰り、法術師の聖女のような女性は神教の巫女になり、探索者の男性は解散してほどなく失踪し、死んだアナスタシアの代わりにパーティに加わった竜人族の魔術師は〈賢者の学院〉で講師になったという。
ちなみにパーティは、竜人族の魔術師の加入に伴って“輝ける五色の風”と改名していたのだそうだ。だがアヴリーがそれを知ったのは、彼らが解散してからのことだった。つまりはそれだけ、彼らに対する興味を無くしていたということになる。
ユーリが顔を出すようになったのは勇者を引退してからだ。そして時々やってきては、アルベルトを誘ってふたりでどこかに冒険に出かけ、数日から数週の間帰ってこない、そういう事が年に二、三度ある。
だがアヴリーの心には、ユーリと会えたり話せたりする喜びよりも、アルベルトを連れ出されて顔を見られない、話せない日がある寂しさが強くて、それでまたユーリのことを少しだけ好きになれなくなっていた。
そして今も、彼はユーリに連れられて行って留守にしている。いつ戻るかは聞かされていない。
「アヴリー!私も手伝う!」
声をかけられて振り向くとそこにはステファンが立っていて、その目がやる気に満ちている。
「ステファン、ダメよ。お家にいなさい」
「なんで!?私だってアヴリーとパパの役に立ちたい!」
「ダーメ。あなたはまだ学校を終えたばかりでしょ」
ステファンは今年12歳で、中等教育の学校を卒業したばかりだ。そして12歳と言えば、アヴリーが“輝ける虹の風”の凱旋パレードを見て憧れを抱いた年齢でもある。
そういう意味では、彼女が冒険者の派手な生活に憧れを抱いてもおかしくはない。彼女は幼い頃から店内を遊び場にしていて、マスターのひとり娘ということで冒険者たちにもよく可愛がられていたから、その意味で不安は少ない。それに彼女はここ数年の閑散とした店の状況も見て知っているから、余計に父の仕事を手伝いたくもあるのだろう。
だがまだ未成年の娘を大人の職場、それも酒場で働かせるわけにはいかない。
「ステファン、いつも言ってるだろ。お前にゃこの仕事は向かねえ」
マスターも困惑気味だ。父親を手伝いたいと言ってくれるのは嬉しいが、それ以上に娘の身の安全と健全な成長が大事だ。そういう葛藤が彼のいかつい顔に如実に出ている。
「イヤ!私だってできるもん!」
「いいや、できねえ」
「そうよステファン。パパの言うこと聞きなさい」
「子ども扱いしないでよ!」
「そうは言っても子供じゃねぇか。子供は子供らしくしていろ」
「あのねステファン。私も15歳になってすぐ、働かせてくれってこのお店に来たの。でもマスターに、あなたのパパに言われたわ」
アヴリーは身を屈めて、ステファンに目線を合わせてから諭すように優しく言う。
子供とは言えない、でも大人にはなりきれない、今のステファンや当時のアヴリーのような年頃の娘には、冒険者の酒場という『大人の職場』は確かにまだ早い。憧れるのは無理もないが、意気込みだけでできるほど生易しい仕事ではないのだ。
「……なんて?」
「まだ早い、って」
「……15歳になったのに?」
「そうよ。お酒が飲めるようになって、冒険者のお客さんたちが喧嘩しても仲裁できるように勉強も魔術も頑張って覚えてからまたおいで、って言われたわ」
今ならあの時のマスターの気持ちがアヴリーにはよく分かる。成長し、25歳になった今でさえ酔った冒険者に絡まれて手も足も出ない事さえあるのだから。
だが幸いにも、働き始めてからずっと彼女はマスターやジャネットなど先輩たち、それに客である古参の冒険者たちにも可愛がられていて、新参者などが酔って絡んできてもみんな彼女を助けてくれる。きっと彼女もそうしてみんなから可愛がられるだろうが、それでもせめて15歳になってお酒が飲めるようになるまでは待たせるべきだろう。
「だからね、今はステファンもたくさんお勉強して、いっぱいご飯食べて、大きく育ちなさい。あなたが大人になって働けるようになるまで私もマスターも待っていてあげるし、お店もなくなったりしないから」
「………………わかった」
ややあって、渋々とステファンは頷いた。どうやらこの場は納得してくれたようで、アヴリーはホッと息を吐く。
「でも、じゃあ……」
だがステファンが続けた言葉に彼女は狼狽することになる。
「アヴリー、ママになって」
「は?」
「んなっ!?」
アヴリーと、横にいたマスターとがふたりして思わず間抜けな声を出してしまう。
「だってママがいないと寂しいもん!アヴリーがママになってくれたら、おうちでも寂しくないもん!」
「い、いや……それは……」
そこまで言って、あとの言葉が続かない。今までアヴリーはマスターをそんな目で見たことはなかったし、それどころか父親みたいに思っていたのに。
というか自身の結婚など考えたこともない。漠然と心に思い描いている相手がいないでもなかったが、その人と結ばれることはないと分かっていたし、そういう処理しきれない無理めな恋心があったからこそ、陰で「嫁き遅れ」だと言われるようなこの歳まで結婚できずに独身でいるハメになっているのに。
何より、マスターは確かもう50になるはずだ。流石に自分の倍も生きている相手とそういう仲になるなんて、アヴリーにはとても考えられなかった。
「いいいやステファン!お前何言い出すんだ!?」
そしてアヴリー以上にマスターが狼狽えている。彼にとっても思ってもみない提案だったのがこれ以上ないほどよく分かる。
「だって今までもアヴリーはママみたいに優しくしてくれてたもん!」
「いやそれを言うならお姉ちゃんって言って!?」
アヴリー25歳、ステファン12歳。13歳差というのは確かにどっちつかずで、世間では未成年のその年頃で子供を産んでしまう早熟な娘がいないでもないから、確かに母子と言えなくもない年齢差ではあるのだが。それでもやっぱり母と言うには少し若すぎるし、何よりもアヴリーはステファンのことを歳の離れた妹みたいにしか思っていなかった。
だから、いきなり「ママになって」などと言われても困ってしまう。というかおそらくきっと、ステファンは「アヴリーが母親になる」ということの正確な意味も分かっていない気がする。
余談だが、ステファンの母ジャネットがもし生きていたら今年で35歳になる。そういう意味でもアヴリーはどっちつかずだ。
「い、いいからステファン!ほら、家に帰ろう、なっ?」
「ヤーダー!ママになってくれるまで帰らーなーいー!」
ステファンの手を握って半ば強引に家に戻そうとするマスター。
それに全身で抵抗するステファン。
実の父娘だというのを知っていなければ、まるで人攫いが少女を攫っているようにしか見えない。
「おお?なんだなんだ、マスターとアヴリーが結婚するって?」
「いいんじゃねぇか?男やもめと嫁き遅れで丁度いい組み合わせだと思うぞ」
「違ぇねえ!」
「しないから!私とマスターはそんなんじゃないから!」
その場に居合わせた冒険者たちに口々に囃し立てられ、真っ赤になって否定するアヴリーであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして現在。
アルベルトが蒼薔薇騎士団に雇われて、東方世界へと再び旅立って行った、〈黄金の杯〉亭の店内。
殺しても死ななそうだったマスターも前年の暮れにふと拗らせた病で呆気なく死に、周囲の反対を押し切ってステファンがマスターを継ぎ、店には今年アヴリーが採用したニースが増えているが、その店からはアルベルトだけがいなくなっている。
「アヴリーさぁん。元気出しなよ〜。いくら恋しいアルさんが居ないからって……」
「だっ誰が誰を恋しいって!?」
ニースの一言に、店の掃除の途中でつい手が止まってぼーっとしていたアヴリーが、目に見えて狼狽した。
「いやだから、アルさんのこと好きなんでしょ、アヴリーさん」
「そっそそそ、そんな事なわいよ!?」
「いやアヴリーさん、テンパりすぎ」
「あらあら〜。アヴリーちゃんやっぱりそうだったのねぇ」
「ちっちっ違うからね!?」
ニースとホワイトに口々に囃され、5年前のあの日のように顔を真っ赤にするアヴリー。
「ほっほ。バレとらんと思うとるのはお主だけじゃ」
「ざ、ザンディスさん!?」
「いや結構分かりやすいと思うけど?」
「ファーナも!?」
「えぇ……だから誰もアヴリーさんのこと口説こうとしないし……」
「だよね……」
「ミックくんにアリアちゃんまで!?」
「あれだけあやつの世話ばかり焼いとったら、そりゃ誰でも分かるじゃろ」
自分でさえ漠然としか気付いていなかった恋心を、周囲の親しい人たち全員に見抜かれていると、アヴリーだけが気付いていなかった。
「だからほら、アルさんが帰ってくるまでにしっかり女磨いとかないと。じゃないと勇者さまに取られちゃうかもよ?」
「だっだから違うってば!?」
「そんな顔を真っ赤にして、説得力ゼロだからね?」
「う、ううう……」
30歳にして未だ恋する乙女なアヴリーである。彼女の恋路が実るかどうか、それはお天道様のみが知ることだろう。
ということで、〈黄金の杯〉亭とアヴリーのお話でした。
なお現在のところ、レギーナとアルベルトにそういった雰囲気は微塵もありません(笑)。
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