2-13.海と波と真珠と勇者(1)
またまた前後編になります。
遊覧船に乗った気分で、情景を想像しながらお楽しみ下さい。
次回、ちょっとしたトラブルが…!
昨日から更新時間を1時間遅らせています。ご了承下さい。
汽笛を鳴らしつつ、ゆっくりと遊覧船が桟橋を離れてゆく。
『このたびはご乗船まことにありがとうございます。〈海神の揺りかご〉号はこれよりラグシウム近海の“真珠”の合間を縫って、皆様に最上の景色と極上のひと時をお贈りすべく、しばしの旅にお連れ致します。皆様どうか、存分にお寛ぎ下さいますよう。
私、当船の船長を務めさせて頂きます、アレクサンドル・ホグシッチと申します。しばしの間お付き合い下さいませ』
船内に[拡声]の術式を利用した船内放送が流れる。
それを受けて船員が客席を回って着座した乗客たちに座席の腰帯を外すよう促して回る。レギーナたちもそれを受けて各々席を立ち、早速舷側へと寄っていく。
船は徐々に速度を上げ、舷側に出れば潮風が心地よい。けれど決して速くなりすぎることはなく、揺れもほとんど感じないため思ったよりも快適だ。
後方には遠くなっていくラグシウムの街並みが見えていて、なるほどひと粒の真珠のように白く煌めいていた。
「風が気持ちいいわね!」
「潮風の匂いが良かねえ。懐かしかぁ」
「これはいいわね。とても優雅で」
「おっきな、しんじゅ…!」
4人娘もそれぞれ笑顔で、あるいは驚きに満ちた顔で、あちこち見て回る。その後を微笑ましく見つめながらアルベルトがついて行く。
「この船、どうやって動いてるのかしら。帆船じゃなかったわよね?」
「櫂も見えなかったわね」
「ふしぎ…」
「あれやないと?軍艦やら外洋船やらと同じやない?」
巡航船の名の通り、船は沿岸域で一般的に用いられる帆船ではなく、動力炉と推進機関を備えた、主に外洋航路や軍艦に用いられるものと同じタイプの自航船だ。
「この船、多分最新式の動力船だと思うよ。前までは五段櫂船だったはずなんだけど、新しくなってるね」
「へえ、そうなの。どうやって動いてるの?」
「それはまあ、俺にもよく分かんないけど」
「おいちゃんにも分からんことのあるったい」
と言われても、アルベルトだって船にまで詳しいわけではないので答えられない。そもそも泳げないので船に乗る事だって稀なのだ。
動力船は機関部に備えた燃焼機関で燃料を燃やし、発生した熱で空気を圧縮した際に生じるエネルギーを推進力に転換して船体を動かしている。それにより魔術を使わずとも大きな動力を得られるのだ。魔術は使わず、というより魔術でこのサイズの船体を動かそうと思えば莫大な魔力が必要になるので、そもそも魔術は使えない。
機関部で発生させたエネルギーはシャフトを通じて船外後方下部、水面下に突き出たスクリューを回転させる動力となり、スクリューが回ることで推力を得て船は進む。スクリューは一般的によく目にする送風器という魔道具とよく似た構造になっており、回転することで一方向への流れを生む。送風器ならば気流だが、それを水中で用いれば水流になるわけだ。
ただしスクリューは水面下で稼働しているため、乗客の目に触れることはない。そのため詳しい構造や原理を知っていなければ『何もしないのに勝手に進む』と思われても不思議はなかった。
燃料は主に黒水と呼ばれる“燃える黒い水”が用いられる。鉱物などと同じく天然資源のひとつで、燃焼効率が高く強い火力を得られるのが特徴だ。それを燃やし、最適な燃焼状態を[保温]の術式で固定してやれば安定した推力を得られるのだ。
ただしこの船は遊覧船であって、船速を求められる軍艦ではないため出力が抑えられていてスピードも控えめだ。そのため乗車定員も少なめで、一度の航海で乗せられるのは200人までである。まだシーズン前ということもあり、乗客もレギーナたちの他にはさほど多くはなく……
いや満員ですねこれ。ラグシウム市民が蒼薔薇騎士団について乗り込んできてしまったようです。
「それにしても、相変わらずすごい見られてるけど……」
「だから慣れなさいってば」
と言われても、アルベルトが慣れるまでにはまだまだ時間がかかりそうである。
〈海神の揺りかご〉号は上下二階層構造になっていて、上層のさらに上の甲板にも出られるので実質三層構造だ。上層は最初に座っていた座席の大部屋が大半を占めていて、両舷に大きく窓が開いているがガラスなどは嵌っておらず、舷側に寄れば先ほどのように潮風を浴びられる。
下層に降りれば吃水線が近くなって、波飛沫を間近に感じられて迫力がある。波飛沫だけでなく、時には牙魚や島魚が見られることもあるという。ただし転落事故防止のためかこの層の舷側の窓はすべてガラスで嵌め殺してある。
この下層部には乗客に料理や飲み物を提供する飲食スペースやダンスホールなどもあり、景色を眺めるだけでなく様々な娯楽を体験できる施設が揃えられていた。
そして最上層、つまり甲板は当然、開放的な船外を存分に楽しめる。よく晴れていれば潮風とともに陽神の光を思うさま浴びることができ、ビーチに劣らぬほど海と空を満喫できるのだ。
船体の中央部は船橋や煙突など船体の重要部が集中しており、両舷には緊急時の救命ボートなどが並んでいて見晴らしの点ではやや損なわれるが、後部甲板は広く取られていてそこにはなんとプールまで備えられている。その周りにビーチチェアがいくつか並べられ、すでに水着姿になった乗客の男女が何人か寛いでいた。
いや、たった特大三の航海なのにプールて。
まあ見ての通り需要があるから付けたんでしょうけども、ねえ?
「…………更衣室、あったわよね」
「姫ちゃん止めときて。早速水着になりたか気持ちは分かるばってんが、特大三しか乗っとられんとやけんあとが忙しかばい?」
「う……、そ、そうよね……」
(それに野次馬のようけ乗り込んどるけんね。姫ちゃんは視姦されるとも気にせんめえけど、ウチが気にするったいね)
やんわりとレギーナを止めつつ、本音は言わないミカエラであった。
「前の方に島が見えてきたね」
まだ後ろ髪を引かれているレギーナをミカエラが宥めすかしていると、アルベルトの声がする。彼の指さす方を見ると、確かに大小いくつかの島が見えてきていた。
これから遊覧船はあの島々の合間をスピードを落としつつ周遊していく。それで島と海の自然や生物たちを観察し、時には触れ合いつつ満喫するのだ。
最初の小島はこんもりと小山のようになっていて、波打ち際まで木々が生い茂っている。中には海水から直接生えている木もあるほどで、砂浜などは見えなかった。
「あの木、海から生えてない?」
「ほんまやねえ。普通は潮にやられて枯れるて思うっちゃけど」
「ふしぎ…」
『最初の小島が見えて参りました。あの島に育つ木は“マングローブ”と言いまして、西方世界ではこの島嶼部にだけ見られる、海水でも育つ特別な樹木でございます。元は東方世界の原産とのことですが、おそらく海を伝って種がここまで流れ着いたのでございましょう。今では自生して、すっかりこのような奇観を形成するに至りました』
すかさず船内放送が解説を入れてくる。おそらくこのように逐次解説を入れて、乗客たちの疑問に答えつつしっかり楽しんでもらおうという趣旨なのだろう。
「へえ。変わった木もあるものね」
「潮水でも育つやら、変わっとんねえ」
「隣の島は、普通…」
そしてすぐ横に見えている島の方は波打ち際が崖になっていて、そのすぐ上まで森が迫っていたが海中からは樹は生えていない。こちらはある意味見慣れた景色だが、この相反する景色がふたつ並んでいるというのも不思議な感覚である。
「あっちの島は波の当たりよるごたんね」
「波に削られてなければ、あちらの島にもあの木が生えていたのかしらね」
話している間にも船はふたつの小島の間を抜けて、すぐまた次の島が現れてくる。今度の島は森が後退していて浜辺が見えている。
「こっちには、浜辺があるよ…?」
「なしこっちにはあの木が生えとらんとやろか?」
「よく分かんないけど、不思議ね」
奇観に目を奪われるレギーナたちを乗せて船は進む。島同士はそれぞれかなり近接しているが、それでいてこの大きな遊覧船が周遊できる程度に水深があるというのも、考えてみれば不思議な話だ。
「結構水深のあろうごたんね」
水面を見下ろしつつミカエラが言う。つられて見下ろすと、確かに水の色が濃くて海底が見えない。ラグシウムのビーチや先ほどの浜辺のある島の周囲の海は美しいエメラルドグリーンだったので、違いが一目瞭然である。
『当船の航行ルートは厳重な調査を元に、充分な水深のあるルートを選定してございます。座礁の恐れなどもございませんので、皆様ご安心下さいませ』
またしても解説が入る。乗客の知りたいことに的確に応える、よい解説っぷりである。
「あっ、おさかな…!」
クレアが指さして、全員がそちらを見る。確かに彼女の示した水面の下で魚の群れが泳いでいるのが見えた。
「ていうかあそこ、海の色が違わない?」
「ああ、あらぁ潮の変わる境目やね。あげんして色の変わるとこは海の栄養の集まっとってくさ、それ目当てに小魚やらなんやらも集まってきたりするとよ」
『島嶼部は入り組んでおりますゆえ波も穏やかで潮目も複雑でございます。そのため海棲生物の宝庫となっておりまして、近隣の漁師たちにとってはよい漁場となっております』
またまた的確な解説。
まるでどこかでレギーナたちの会話を盗み聞きしているかのようなタイミングの良さである。
『そして時には、それらの小魚を目当てに大型の肉食魚も入り込むことがございますので、皆様海面への転落は充分ご注意下さいませ』
さらに先回り解説さえしてくる。
いやまあこれは先回りというか必要な注意喚起でもあるけど。
「あっ、あれ…!」
そしてクレアがまた指さす先には、海面から突き出た三角の背びれ。その注意喚起のとおりに、小魚を狙って狩魚が入ってきているのだ。しかも一頭だけでなく、背びれがいくつか見えている。
狩魚が潮目の境に集まっていき、その向かった先の水面がにわかに水飛沫を上げ始める。天敵に気付いた小魚たちが慌てて逃げようとしているのだ。だがすでに周りを狩魚に囲まれていて、狩魚たちはその水飛沫の中に突入して背びれや尾びれをバタつかせながら暴れている。
「すごい、なにあれ」
「あーあらぁ狩魚の“狩り”やね。あげんして群れで小魚ば追い込んで腹いっぱい喰うとげな」
「へえ、面白いわね」
クレアの疑問にミカエラが応え、それを受けてレギーナが感心したように波立つ水面を眺めている。
意外と雑学知識の豊富なミカエラである。彼女はアルベルトのことを“なんでもよく知る物知り博士”ぐらいに思っているが、彼女も案外人のことをとやかく言えないのであった。
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動物名にはオリジナルの漢字を当てています。こちらの世界ではそう呼ばれているものを、分かりやすいように地球上の名前でルビを振っている、とお考え下さい。
●博多弁豆知識●
・〜くさ
文章や音節の末尾に付ける言葉ですが、上手く標準語に訳すことができません。というか該当する語彙はないです。「〜ね」とか「〜だよ」とか、その時その場の文脈のニュアンスで汲み取るしかないので、ネイティブ以外にはなかなか覚えられない言葉です。
「〜たい」と「〜ばい」の使い分けも同様で、ネイティブなら間違うことはないですが、よその人だと高確率で間違えたりしますね。
・あろう
本来はこれだけで「ありそう(推定)」の意味です。作中ではミカエラがやはり推測の意味の「ごたん(ごたる)」を重ねて使ってますが、こうした使い方は割と一般的に使われる言い回しです。
・ごたる
「ごとある」つまり「ことがある」の意味で推測の推定です。若い人にはもうあまり使われない言葉ですね。
「ごたる」+「〜ね」で詰まった言葉が「ごたん」になります。
ミカエラはお祖父ちゃん子で言葉遣いもお祖父ちゃんに寄っているという設定なので、若者らしい言葉ではなく年寄り言葉を喋っていたりします。
・げな
伝聞を表す言葉。「〜らしい」「〜だそうだ」「〜と聞いた」など、全部「げな」で片付きます。すごい便利。そしてネイティブ以外には意味が通じません(笑)。
「げなげな話」と言えば聞きかじった根拠のない噂話のことで、「げなげな話はいかんげな」(噂話を信じるのはダメらしいよ)という一文ギャグもあります。「噂話はダメだという話を聞いた」(つまりこの話自体が噂話)、というオチですね。