2-9.青海の真珠とアルベルトの特技
なんの変哲もないただの冒険者のはずのアルベルトにも、どうやら特技があったようです。
いや今さらな感もありますが(笑)。
スキルに関する説明があります。
ホントはもっと細かく設定がありますが、ひとまず最低限の説明に留めました。
ザムリフェを出発したアプローズ号は、一路次のラグシウムを目指して走る。
今日も朝から雨模様で、御者台には出発前に[水膜]を[付与]し終えてある。
ザムリフェは渓谷沿いの都市だが、出発してしばらく走れば山々が途切れて広大な平野部が眼下に見下ろせるようになる。これが竜尾平野で、肥沃な穀倉地帯として知られている。
かつての長く続いた「スラヴィア争乱」の時代は、この穀倉地帯を支配下に収めようとした大国同士の争いでもあった。
だが、それももう昔の話。スラヴィア各都市の頑強な抵抗に遭った各国は盟約によってスラヴィア地方を不戦地帯と定め、その代わりにスラヴィアの、特に竜尾平野の各都市は穀物を中心とした農作物を積極的に各国に輸出することで平和を享受していた。
眼下に広がる竜尾平野のさらに向こう、見はるかすその先には青く輝く海がかすかに見えている。西方世界の南方に広がる南海の中でも特に温暖で美しい海と言われる“青海”である。
雨にけぶるその海は、雨の彼方にあってなお輝いているように見える。晴れていればさらに美しいことだろう。
「まだ遠いけど、海が見えてきたよ」
アルベルトが車内にそう告げると、慌ただしい足音とともに蒼薔薇騎士団の女子たちが御者台に駆け出してくる。
「海!?海が見えたのね!?」
「どこな?どこが海なん!?」
「ちょっとまだ、少し遠すぎるわね…」
「うみ…見えない…」
いやクレアが見えないのは多分前を塞がれてるからだと思います。
「ほら、あそこ。波が輝いてるでしょ」
「ん〜見えるような見えないような…」
「なんや雨模様でよう分からんね」
「でも確かに、あれは海ね」
「クレアも〜!見たい〜!」
アルベルトが指し示す先を見はるかしつつ、女子たちが好き勝手にはしゃぎ合う。こうなると勇者パーティというよりただのお上り女子の一団である。
「今日は雨だからね、晴れていればここからでも綺麗に見えるんだけど」
それでなくとも御者台には[水膜]がかかっていて見通しが少し落ちている。この光景を何度か見て慣れているアルベルト以外にはよく分からなくても無理のないことだ。
「もっと近くなって綺麗に見えるようになったらまた呼ぶから、それまで待っててくれるかな」
「そうね。じゃあそうしましょ」
「なら楽しみに待たしてもらおうかね」
「雨なのが、残念よねえ」
「海、どこ?」
口々に自分に言い聞かせつつ車内に下がっていく年長三人の横を無理やりすり抜けて、ようやくクレアが御者台に出てこれたので、アルベルトが指し示して教えてやると、彼女は目を輝かせながら補助座に座り込んでしまった。アルベルトは苦笑しつつ、座りたいなら補助座ではなく助手座にするよう言いつけて、クレアも渋々ながら従った。
そんなふたりの様子を伺いながらスズが下り坂に入った回廊を駆ける。次の目的地、海辺の観光都市ラグシウムへ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「海ね!」
「海やねえ」
「ここまで来れば見間違いようがないわね」
「すごい…!」
昼前にはずいぶん進んで、誰の目にもはっきり海が視認できるようになっていた。なので改めてアルベルトが車内に声をかけ、それで全員が再び御者台に集まっている。
なおクレアはあのままずっと助手座に座りっぱなしなので、今度は邪魔されることなく特等席を独占していた。
「あれが“青海”。まあ青海はみんな分かると思うけど、これから行くのが…」
「“青海の真珠”でしょ!」
「ヴェネーシアよりか綺麗か街らしいやん」
「私もラグシウムは初めてだから、楽しみね」
一応念のため、といった説明を入れるアルベルトの声に年長三人の声が次々と被る。
「せいかいの、しんじゅ…?」
なぜ彼女たちがこんなにも前のめりかと言えば、それはラグシウムが青海の真珠と呼ばれる風光明媚な港湾都市であるからだ。
ラグシウムは青海沿岸の各都市、いずれも風光明媚な水辺の街としてよく知られるエトルリアのヴェネーシアやスラヴィアのスパラトム、あるいはファロス島などと比べても勝るとも劣らない景勝地として西方世界に広く知れ渡っていた。青海の竜脚半島側はなだらかな海岸線が広がる大規模なリゾート地が多いのに比べ、竜尾平野側は入り組んだ港湾や島嶼が多く、バラエティに富む景色で訪れる者を楽しませる。そしてラグシウムはその中でももっとも人気ある都市のひとつであった。
「で、そのラグシウムはまだ見えてこんと?」
前方をきょろきょろ見渡しながらミカエラが尋ねる。
「ラグシウムは見えてこないよ。
まだ遠いし、それに」
苦笑しつつアルベルトは答えた。
「ラグシウムは陸側からは見えないんだ」
ラグシウム。
“青海の真珠”と称されるその名の由来は、青海に輝くひと粒の真珠のような、小ぢんまりと纏まった狭い市域にある。海からの強烈な陽神の照り返しで気温が上がるのを防ぐため、街の家々はどれも白い壁に白い屋根をしていて、しかも海際にまで迫り出した山稜の急な斜面にしがみつくように建物が立ち並ぶため、海から見るとまるで大きな真珠がそこにぽつんと現れたかのように錯覚するのだ。
青い海に浮かぶ、ひと粒の真珠。それがラグシウムの美称の由来であった。
なお“真珠”とは海凄の貝類から稀に採れる宝石のことで、虹色に輝く乳白色の美しい石だ。宝石、と便宜上呼んではいるが、実際は貝殻とほぼ同じ成分であるという。
二枚貝なら大抵どの貝も形成するらしいが、宝石として珍重される丸く大きな粒が採れるのは主に真珠貝と呼ばれる種類である。他の貝種よりも明らかに良質で粒の大きな真珠を多く生成するので、いつしか貝の名前まで“真珠”になってしまったのだそうだ。
そして最近では、より大きくて丸い真珠を安定的に採取するために、養殖の試みも進められているようだ。
「なるほどね。だから“青海の真珠”なのね」
「少し前まではラグシウムは海からでないと行けなかったんだ。最近はようやく道が繋がって、陸からでも入れるようになったんだよ」
ラグシウムの説明をしつつアルベルトは調理台に立つ。今日の昼はカルボナーラという麺料理だ。
黒麦粉を塩と水とつなぎで溶いて練った生地を細く切って伸ばした上で乾燥させた麺を茹で、里猪の頬肉の燻製を焼いたものと朝鳴鳥の生卵をトッピングし、粉になるまで挽いたチーズと黒胡椒をふんだんにふりかけてあって、見た目からもう食欲をそそる。
「なんだ今日はカルボナーラじゃない」
「こらまた旨そうやねえ。お店で出されるのとあんま変わらんばい」
「馴染みの料理が出てくると、なんだかホッとするわね」
「いい…匂い…」
カルボナーラはエトルリア発祥と言われる麺料理だ。蒼薔薇騎士団はヴィオレを除いてエトルリア出身者で固められていて、だから彼女たちにとっては食べ慣れた馴染みの料理でもある。だがそれだけに、彼女たちの舌を満足させられるかが試される料理でもあった。
早い段階でエトルリア料理を出してきたアルベルトは、それも自分の査定に繋がることをよく理解していた。彼女たちの郷土料理を後回しにすればするほど期待値が高まって採点が辛くなるので、早めに出してしまうのが正解なのだ。
皿とともに出された銀のフォークを手に取り、四人はそれぞれパスタを巻き取って、しばし眺めたり香りを嗅いだりしてから口に運ぶ。だが口に入れるや否や、全員が感想も漏らさずに勢いよく食べ始めた。
「おかわり、いる?」
その様子に笑みを浮かべつつ、まだ食べ終えてもないのにアルベルトが確認する。アルベルトを目で見ながらひとり残らず無言で頷くのを見て、苦笑しながら彼は食べる手を止めて再び調理台に向かった。
「うあ……もうお腹いっぱい……」
「姫ちゃん……こらいよいよ危険ばい……」
「本当、気を付けないとダメね……」
「食べたい…けど入らない…」
それぞれソファにもたれかかり、力なく寝そべり、あるいはテーブルに突っ伏して満足げな吐息を漏らす4人娘。全員がなんと二度もおかわりした結果がこの死屍累々の惨状である。
もちろん彼女たちの腹具合も考慮してアルベルトはおかわりのたびに分量を減らしたのだが、結局のところ彼女たちは腹がはち切れそうになるまで食べるのを止めなかったので、もしかすると最初のおかわりを減らさない方がよかったのかも知れない。
「おいちゃん、もしかせんでも料理屋で働いた事のあるやろ……?」
テーブルに突っ伏したまま、今使った食器を洗いに調理台の流しに立つアルベルトにミカエラが聞いてくる。
「いやあ、それが実はないんだよね」
「ないの!?」
「嘘やん!?」
「信じられないわね」
「プロだよぅ…!」
「いや最初は料理なんて全然興味もなくてね。でもユーリに拾ってもらった駆け出しの頃に雑用を買って出て、それから覚えたんだよね」
当時すでに冒険者になって4年が過ぎようとしていた勇者候補のユーリと、まだ駆け出しの15歳のアルベルトとで、どちらが雑用をこなすかなど考えるまでもない事だった。だから彼はパーティの雑用係として、自然と炊事、洗濯、掃除と一通りの家事スキルを覚えることになったのだ。
だがそのうちにアルベルトは美味しく食べてもらう楽しみを覚え、自分でも美味いものを食うのが好きだったこともあり、いつしか作ることのこだわりを持つようになっていった。そして今では、美味しく食べるためなら手間を惜しまない、そのための下準備は一切手を抜かない、というところまでレベルアップしていたのだ。
なので誇張でも何でもなく、彼の炊事スキルはプロ並みである。すでに冒険者を辞めても料理人として充分食っていける腕前を備えていた。
ただし、その彼の料理の腕を存分に味わうのはほとんど彼自身のみである。隠れた特技、というにはあまりにも勿体ないその腕前は、蒼薔薇騎士団に雇われたことでようやく陽の目を見たのであった。
「ねえ、あなた調理スキルのレベルどのくらいあるのよ?」
「スキル?[調理]も[下拵え]もどっちも5だよ」
「「「「プロじゃない!! 」」」」
この世界の各種技能は“スキル”と称され、一般的には1から10までの10段階でレベル分けされる。ただしごく一部のスキルを除けばレベル10はいわゆる“神の領域”であり、レベル8以上に至るのもその道の頂点を極めたごく一部でしかなく、通常はどれほど頑張ってもレベル7までしか届かない。
調理スキルなどの作業系、技能系スキルに関しては、知識を得ればレベル1、一通り過不足なくこなせればレベル3であり、通常はレベル3あれば充分な腕前と認められる。調理スキルに限定すれば、レベル4で職業料理人、レベル5あれば貴族の専属コックが務まるレベルである。
それをアルベルトは[調理]だけでなく[下拵え]までレベル5で所持しているという。どこの料理屋でも引く手あまたなのは確実で、それどころかラグ辺境伯が召し抱えたっておかしくない。
「いやあ、ユーリにも同じ事言われるんだけど、自分じゃまだまだ全然だと思ってるんだけどね」
「ってまだレベルアップするつもりな!?」
「ていうか、ユーリ様はあなたの腕前知ってるの?」
「うん、まあ、今でも時々会ってるからね。会うときは最低1回は振る舞うようにしてるよ」
「会ってるんだ……」
「そら間違いなくメシ目当てやんな……」
「ちなみに、最後に彼と会ったのはいつなのかしら?」
「最後は新年の挨拶に行った時かな。年明けてすぐは彼も忙しいから、少し間を開けて行ったんだよね」
小国とはいえユーリは、アンドレアス公爵は一国の王であり、新年明けてすぐは有力者や各地の関係者などが続々と挨拶に訪れて多忙を極める。だからアルベルトはそれを避けて落ち着いた頃を見計らって会ってきたという。
それはつまり、新年明けてやや日を置いて挨拶に行った蒼薔薇騎士団とほぼ同時期に彼を訪ねていたということになる。
「え、嘘。私たちその前の日までユーリ様のとこに居たんだけど」
「えっ、そうなのかい?」
「ウチらも新年すぐにお邪魔するとは遠慮したっちゃんね」
「でもファドゥーツの街ですれ違ってたかも知れないなんて、なんだか世の中って案外狭いのねえ」
「もしかしなくても“信頼できる情報筋”って」
「ええ、そう。ユーリ様よ。彼があなたの名前を教えてくれたわ」
「やっぱり……。俺にはそんな話一言もしなかったのに」
そう。先に蒼薔薇騎士団と会ってアルベルトの存在を伝えたユーリは、その後にやってきたアルベルトには何も話していないのだ。
それはユーリのいつものイタズラなのか、それともサプライズのつもりか、はたまたアルベルトを逃さないための策略なのか、何とも判断のしようがなかった。
今考えても仕方ないとばかりにため息を吐きつつ、食器を洗い終えたアルベルトは雨具を纏ってスズに餌を与えるため外へと出ていく。
「ユーリ様、言うとらんやったとばいね」
「言ってくれてれば話が早かったのに」
「何か思惑でもあったのかしらねぇ……?」
「分かんない…」
そして蒼薔薇騎士団にも彼の思惑はようとして知れないのであった。
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●この世界の「爵位」に関する補足●
西方世界では基本的にどの国でも貴族の爵位は侯伯子男の四等です。公爵というのは公国の主、つまり王と同等です。
というのも、約1000年ほど前まで西方世界の大半を統一していた古代帝国で与えられた爵位が現代まで影響を及ぼしているからです。古代帝国において公爵とは帝国内に広大な領土を与えられた限られた大貴族だけで、ほんの僅かしか存在しなかったのです。
現代(作中の年代)まで残っている「公爵」はアンドレウス公爵(シェレンベルク=ファドゥーツ公国)、アウストリー公爵(アウストリー公国)、アレマニア公爵(アレマニア公国)、アルヴァイオン大公(アルヴァイオン大公国)、リュクサンブール大公(リュクサンブール大公国)の5家だけです。
このうちアウストリーとアルヴァイオン以外は領土の大半を失っていて小国に落ちています。リュクサンブールに至っては集落レベルの小都市ひとつしか支配してません。ただしリュクサンブールは古代帝国の歴代皇帝をもっとも多く輩出した一族で、それゆえ公爵のさらに上の大公を名乗って存続することが許されています。現実世界のバチカンみたいな感じ、というかより正確に言えば江戸時代の喜連川藩みたい、と言った方がいいでしょうか。




