2-6.雨の旅路の竜退治(2)
後編です。
この世界に一般的に棲息する「亜竜」に関する説明を含みます。多分どの種も姿形が想像できるかと思います。
黄の属性魔術には移動系の術式が多くある。[転移]はそのひとつで、術者の任意のものを任意の場所に瞬時に移すことができる。移動させるものは無機物有機物を問わず、特に制限はない。
もちろん術者の能力と術式のレベルによって動かせる量も距離も変わってくるが、基本的には固定されていなければ何でも動かせる。
つまりアルベルトが考えたのは、[転移]を用いて奇襲をかけ、乗員を無力化した上で脚竜車だけ残して積荷も乗員も脚竜も拐い、残った車体に火をつけた、という仮説だ。
しかも積荷や脚竜までも[転移]させられるとすれば相当な高レベル術者に違いなく、それが「燃える脚竜車」という分かりやすい証拠だけを残してただ逃げただけとは思えなかった。
要するにミカエラが言ったとおりだ。
燃える脚竜車は『囮』なのだ。
必死の大声にも関わらずアルベルトの声はレギーナには聞こえていないようだ。風向きと距離に阻まれて届かないのだろう。だがそれでもアルベルトが立ち上がったのは見えたのだろうか、こちらを見て怪訝そうな顔をする。
マズい、何とかして彼女に伝えないと。
不意を打たれたら、いくら彼女たちでも。
だが、アプローズ号で近付くのはダメだ。動き出しまでに間があるし、[転移]さえ使えるような高レベル術者の速さには対抗できない。それに狙っているのがどちらなのか分からないが、アプローズ号を彼女たちの元に寄せたら狙われているものを1ヶ所に集めてしまうことにもなりかねない。
レギーナとミカエラの後ろの空間が歪む。[転移]で何かが現出してくる予兆だ。
先に狙われたのは彼女たちだった。思った通り、まず『護衛』を無力化してから脚竜車の強奪にかかるのだろう。
だがもう知らせる手段もその時間もない。もはや気付いてくれるのを祈るのみだ。
何が起こったか気付いたのに、何が起こっているか見えているのに、何もできないのは歯がゆいばかりだった。
と、なんの予備動作もなしにレギーナが振り返った。
そして振り返りざまに抜き放った長剣で、見もせずに背後を大上段から斬り伏せたのだ。
「えっ」
思わず間抜けな声がアルベルトの口から漏れる。
レギーナの背後に出てきたのは貧相な小男で、それが呆けた顔をしたまま血飛沫を撒き散らして崩れ落ちた。そりゃあ、いくら何でも[転移]で現出した瞬間に斬られるなんて想定もしてなかったことだろう。
その横で、素早く腰から戦棍を外したミカエラが水平にその戦棍を振りぬく。こちらの背後にも[転移]で歪んだ空間があり、出てきた長身の男が腹を強かに殴られてもんどり打って倒れる。
さらにレギーナが腰のベルトから短剣を抜いて無造作に投げた。するとそれは3つめの[転移]から出てきた男の腹に刺さる。
「なーに呆けてんのよ」
レギーナのあきれたような声が聞こえる。
彼女は確かにアルベルトを見ていた。
「あなた、私を誰だと思ってるの?これでも黄加護の勇者なんですけど?」
そう。つまり黄加護のレギーナには敵の行動はほとんど全部お見通しだったのだ。何しろ敵味方とも黄加護なので、その戦法など知り尽くしているのだ。
ただひとつだけ敵味方で異なっていたのは、レギーナたちは状況から敵が黄加護だとすぐに見抜けたのに敵は彼女たちの加護に気付けなかったこと。到達者の[感知]の範囲外まで逃れていたと考えれば、敵が[感知]で彼女たちの加護や魔力を調べることも不可能だったはずだ。
なお脚竜車周りの状況そのものは、空間や脚竜車本体に[通信]を[付与]しておけば音声で確認することができるため、おそらく賊はそのようにして新たな獲物の接近を察して再奇襲してきたのだろう。
そして哀れにも返り討ちに遭ってしまったわけだ。
と、そこに、ふたりから少し離れて再び[転移]が発動する。
だがそこから出てきたのは、縛られた魔術師とヴィオレだった。どうやってかは分からないが、彼女は単独で敵の本陣に逆奇襲をかけて親玉を捕らえてきたらしい。
彼女が縛られた魔術師を無造作に手放して、魔術師は彼女の足元に横倒しになる。
「これで全部よ。四人組ね」
ヴィオレもやはり、アルベルトにまで声が届く。となるとこれは、黄属性の[念信]か[拡声]、あるいは白属性の[隔話]か、無属性の[通信]か、もしくはそれに類する遠隔通信系の魔術が発動しているのだろう。
「くくく……いい気になるのもここまでだ」
不意に声がして、それが男の声だったので見回すと、転がされた魔術師の男が顔を上げて嗤っている。
「私を現場に連れてきたことを、あの世で後悔するんだな!」
男が叫ぶやいなや、その眼前の地面に魔方陣が浮かび上がる。ちょうどレギーナとミカエラ、そしてヴィオレと男の位置の間に。
そして魔方陣から一条の光が迸ったかと思うと、瞬時に天空に向かって伸びていき、消えていった。
「あー、[召喚]とかいたらん悪あがきしてからに」
ミカエラの冷めた呟き。
「まあ全然暴れ足りなかったし、ちょうどいいわ」
事もなげなレギーナの呟き。
光の消えた天空に影が現れた。
鉤爪の鋭い二本の太い脚を持ち、翼で羽ばたいて宙に浮いているそれは、長い首と尻尾を持ち、腹部と喉を除く全身を黒光りする硬い鱗で覆われていた。
亜竜の一種、翼竜だ。
「しかもよりによって翼竜やら」
「どうせ喚ぶなら巨竜くらい喚びなさいよね」
「まあ逃げるつもりなら、これでいいんじゃないかしらね?」
悠然と飛ぶ翼竜の姿にも三人は全く動じない。
翼竜とは「亜竜」の一種で、翼を持って空を飛ぶ種類の亜竜のことだ。
この世界には竜種が絶滅せずに生息していて、しかも野生で結構ありふれた普通種である。それを「亜竜」と呼び、いくつかの種類が存在する。多くは二足歩行ないし四足歩行で、長い首と尻尾を持ち、身体は硬い鱗に覆われている。見た目は大きなトカゲに見えるが、学者たちによれば全く異なる種類なのだという。
息吹などは吐かないが、大きな体と鉤爪、それに尻尾の攻撃だけでも強力で、襲われた場合には灰熊以上の脅威となる。
翼を持っていて空を飛ぶのが「翼竜」で、この種は翼を持つ代わりに前脚がない。空を飛ぶだけに軽量小型で敏捷性が高く、行動範囲が広い。獰猛で狩りを好むので街道筋で隊商を襲ったりする事例もあり、冒険者ギルドに討伐依頼が出されることもある。
人には馴れにくいが調教は可能で、山岳地帯や森林地帯の国家では馴らして騎竜として用いることもある。翼竜部隊を編成して戦場に投入する国もあるようだ。
亜竜のなかでもっとも一般的によく知られるのが「脚竜」である。翼はないが後肢が発達していて、その後肢で大地を風のように疾く駈ける。中型から大型で人に馴れやすく、多くが調教されて車両牽引の用途で用いられるが、中にはティレクス種のように人に馴れにくい種もいる。
主に山間部に棲息するのが「蛇竜」だ。この種だけ脚が退化していて、見た目は巨大な太い胴を持つ蛇にしか見えない。地中に潜ったり洞窟に潜んだりして獲物を狙う習性があり、人間が襲われる事もある。翼竜と違って人には馴れないため、発見されれば確実に討伐対象となる。
鱗が特に硬く討伐はなかなか困難だが、その鱗は鎧の材料として重宝されるため、討伐できたら高値で売れる。
川に棲むのが「河竜」だ。小型で短い四肢を持ち首が短く頭が大きく、顎が強靭で川に入ってきた獲物を襲う。水陸両用の生活だが陸上よりも水中を好むため、渡河の際には警戒が必要になる。
この種は鱗が退化していて強靭な皮膚になっていて、富裕層向けのバッグの材料として重宝される。また肉は調理すると美味であり、美食家には珍味として好まれるという。
水棲の亜竜が「水竜」である。中型で脚の代わりにヒレを持っていて、陸上生活ができない代わりに水中では無類の強さを誇る。主に海や河口部に棲息していて、水郷のある都市では調教して船を曳かせていることもあるという。
そして亜竜種で唯一魔獣として扱われるのが「巨竜」だ。超大型で、他の亜竜がいずれも2ニフ〜10ニフ程度なのに対し巨竜は20ニフ〜30ニフほどもあり、文字通り山のような巨体で、熟練冒険者パーティであっても倒すのに苦労する。
知能も他の亜竜に比べて明らかに高く、中には魔術を駆使する個体もいるという。その討伐難易度の高さゆえ、これを倒した個人やパーティには“竜殺し”の称号が与えられることもある。
で、捕えた魔術師が[召喚]したのは翼竜である。空を飛ぶため基本的に剣が届かず、そのため魔術で対抗するのが一般的だが、素早いためなかなか攻撃魔術も当たらないという難敵である。
しかもこういう使い魔として召喚されるものは、召喚主との魔力のリンクによって知能も魔力も増していて厄介だ。一撃離脱戦法など取られたら余計に面倒になる。
「フハハハハ!どうだ、降参するなら今のうち⸺」
勝ち誇った魔術師が言い終わらないうちに、レギーナが地を蹴って跳んだ。
彼女は空中で何度も何かを踏みしめてどんどん跳び上がっていき、あっという間に翼竜の真横にまで達すると、“ドゥリンダナ”のほうを抜いて横薙ぎに一閃した。
たったそれだけで、翼竜の首が飛んだ。
翼竜は、反応すらできなかった。
命を失った翼竜の首と身体が地上をめがけて墜落してゆき、レギーナはまた空中で器用に何か踏みながら地上へと戻ってくる。そして唖然としたまま口を開けて間抜け面を晒している魔術師に向かって、「それで?次はどんな悪あがきをするの?」と言い放った。
「な……な……な……」
あまりのことに、魔術師は口も聞けなくなっている。
「ていうかね、あなたもこういう魔術犯罪やらかすくらいなら、当代の勇者パーティがどこにいるかぐらいは事前に調べときなさいよね」
そう言ってレギーナは首元から金の認識票を取り出して見せる。
ミカエラも同じく金を、ヴィオレは銀を。
「ゆ、勇者…………!?」
そしてそのまま、魔術師は白目を剥いて卒倒してしまったのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「結局、あの燃えとった脚竜車はアイツらの用意したダミーやったげな」
アルベルトが手渡した拭き布で髪や服の水気を拭き取りながら、つまらなそうにミカエラが言う。
「要するに、私達を罠に掛けようとしたって事よね」
同じく呆れたようにレギーナが言う。
「まあ、こんな派手で高級そうな脚竜車が走ってくれば狙いたくもなるわねえ」
犯人の気持ちは分かる、と言いたげなヴィオレ。
「クレアは、濡れなかったから…いい…」
ひとり我関せずのクレア。
「「それよ」」
レギーナとミカエラが語尾を除いて綺麗にハモりつつ、シンクロした動きでクレアをビシッと指差す。
ちなみに彼女が出て行かなかったのは、単純に戦力過多だったからである。本当はレギーナひとりで良かったのだが、ひとりで行かせると「自分だけ濡れた」と文句を言うのでミカエラがわざわざ付き合ったのだった。
「あんな雨の中外に出させられるこっちの身にもなって欲しいわ全く!ずぶ濡れになったし、剣も手入れしなきゃだし、迷惑ったらありゃしないわ!」
雨の中で竜退治する羽目になったレギーナは怒り心頭のご様子。一応は襲われた被害者、ということになるのだが、そっちの方はあまり気にしていないのか。
「んなこっちゃ。『竜心山が震えたっちゃ魔女やら出てこん』ちゅうばってん、ほんなこつその通りばい」
ミカエラもことわざを引いて骨折り損をアピール。ちなみに彼女の言ったことわざは『大騒ぎしても結果的に大したことはない』という意味になる。なお正しくは「竜心山が震えても魔女は出てこない」である。
エトルリアの北の国境には竜心山という西方世界の最高峰があり、その頂上にはかつて世界を滅ぼしかけたという瘴気を纏った恐るべき魔女が封印されているという。竜心山に地震があるたびに人々は魔女の復活を恐れるが、今のところはそんな事もなく、ことわざ通りに毎回杞憂に終わっているのだった。
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●亜竜に関する補足●
亜竜がなぜ「亜」竜、つまり「竜もどき」と呼ばれるのか。
それは「本物の竜」が別に存在すると信じられているからである。
とはいえ、本物の竜つまり「真竜」の姿を見た者はおらず、おとぎ話や地域の伝承によってその存在が伝えられるに過ぎない。ラグ山中の“竜の泉”にしても、竜(真竜)が棲むと言われるもののただの言い伝えだと考えられている。
100年ほど前にとある冒険者パーティが竜の泉で真竜を見つけ出して戦いを挑み、一瞬で消し炭になったなどと言われてはいるが、今となっては確認のしようもない。当時を知るはずのドワーフやエルフらの冒険者たちが一様に口を噤むのが気になるといえば気になるが、それだけである。
子供向けのおとぎ話に出てくる「真竜」は主に5頭。赤竜、青竜、黄竜、白竜、黒竜である。その姿はいずれも長い首に長い尾、小さな頭には二本の角を生やし、口からは息吹を吐き、大きな翼で空を飛んでどこにでも現れると言われている。その身は硬い鱗に覆われていて剣も魔術も全く効かないとされる。
その姿は地球上でいうところの「ドラゴン」そのものと言ってよい。
赤竜と黒竜は人々を傷つけ苦しめる悪い竜とされ、青竜と白竜は苦しむ人々を助けた良い竜とされる。黄竜はどちらとも言えず、だが人々が悪いことをすると現れ罰を下すとされている。
火山が噴火すればその山は赤竜の棲家だと言われ、瘴脈が発見されれば黒竜がやって来ると言われる。また雷は空高く舞う黄竜の息吹だと考えられている。
なお伝承学の権威であるバーブラ・スート・ライサウンド女史によれば、「真竜」は伝承上で確認できるだけで11頭存在するとされている。東方世界に伝わる“悪竜”や大樹海の奥地に棲むという“死竜”、エルフの都・森都に伝わる“森竜”など、いずれも神に匹敵する力を持つとされ、人智を超えた存在であるという。
そのほか、東方世界には神としての「龍」が存在するとされているらしい。こちらは西方世界では詳しく知る者もいないため、どのような存在かは謎に包まれている。




