2-5.雨の旅路の竜退治(1)
話の都合上長くなってしまいました。
7000字を超えてますので、そのつもりでお読み下さい。
前後編で、旅に出てから初めてのバトル回(の導入)です。
それから魔術に関する説明を少しと、あとグルメ回その二です。
「さ、行きましょっか♪」
温泉をさんざん堪能し倒して上機嫌のレギーナ。
「あ〜もう一泊したかぁ〜」
普段はメンバーの舵取りをして手綱を引く役のはずのミカエラでさえこうである。
「次はザムリフェで一泊、でいいのよね?」
なのでヴィオレがミカエラの代わりみたいになっている。
「そうだね。ラグシウムまで行ければ良かったけどね」
それに応えながらアルベルトは手綱を揮って、スズを歩ませ始めた。
ラグを出発してから四日目、一行は出城手続きを終えてサライボスナの東門を出てきた所である。
今日は朝から雨が降っていて、いよいよ本格的に雨季に入ったと思わせる空模様だ。雨に濡れる街道の土の匂いが濃厚に立ち上り、遠くの山々や見はるかす空も灰色に煙っている。
ザムリフェまではラグからブルナムまでとあまり変わらない距離だ。1日の移動距離としては短いが、その次のザムリフェからラグシウムまでがそれより少し長いので、ザムリフェを飛ばしてラグシウムまで行こうとすると、夜明け前から準備して朝一に出発したとしてもかなり急がなければならない。
そのため、脚竜車の発注の時に言ったように『無理をせず、余裕のある旅程』で行くことにしてザムリフェ、ラグシウムで各一泊することにしたわけだ。
というわけで、〈渓谷のせせらぎ〉亭で朝食を頂いたあと彼女たちはまたしても“美容”の湯を堪能し、朝の遅い時間にサライボスナを出発したのである。
しかし皆さん、そんなお風呂ばっか浸かってふやけませんかね?
「ていうかおいちゃん、またえらい濡れたばいね」
昼食の用意のために路肩に車両を停めて車内に入ってきたアルベルトを見て、少し呆れたようにミカエラが言う。
「いやあ、だいぶ降ってるからね」
アルベルトは苦笑するしかないが、服から滴る雫が絨毯にポタポタ落ちていく。
「ちょっと、早く着替えてきなさいよ。絨毯の染みになっちゃうじゃない」
レギーナが冷ややかな目で言い放つ。
そこへヴィオレが荷物室から拭き布を出してきてアルベルトに手渡した。
「クレアも、そんなとこで絞らないの」
見ると、クレアがアルベルトの服の裾を絞ろうとしている。ちなみに外が雨なので今日の彼女は御者台に座ろうとしない。
「おとうさん…濡れると風邪ひくし…」
「はは、ありがとうクレアちゃん。でも大丈夫だよ」
ヴィオレから渡された布で手早く拭き取りつつ、アルベルトは彼女の杏色の頭を撫でた。撫でられて彼女ははにかんだように微笑う。
「ばってん、そげん濡れるかいね?庇のあるやろ?」
「スピードが結構出てるから前から吹きつけてくるっていうのもあるけど…」
「あるけど?」
「スズが結構跳ね飛ばすんだよね」
「「「あー、なるほどね」」」
見ればアルベルトの服にも顔にも結構目立つ泥跳ねが飛び散っている。早速改良点の見つかったアプローズ号であった。
「ほんなら、[水膜]でもかけとこうかね」
よっこらせ、と掛け声をつけたくなる動作でミカエラが立ち上がる。
もちろん彼女は若いのでそんな掛け声は出さないが。
「えっでも、魔術だとずっとかけ続けなきゃいけないから…」
「そげなん[付与]して[固定]しときゃあよかだけやし。街に着くまでぐらいならそれで足るやろ」
魔術は基本的には術者がずっとかけ続けるものだ。術式それぞれにある程度の効果時間があり、その間は一度かければ効き続けるが、それ以上持続させようとなると再度かけなければならない。
そうした手間を省くための術式がちゃんとあって、それが[付与]と[固定]である。任意の術式を発動させたあとに[付与]を重ねがけすることで、最初の術式を任意の場所や物に定着させることができるのだ。
そして[固定]は、その[付与]した状態を固定化する術式である。[固定]しておけば通常の持続時間を超えても術式の効果が失われないため、長時間同じ術式を続けたいのならある意味で必須になる。強力な術者の[固定]であればかなりの長時間、ないし長期間の固定が可能になる。
[付与]も[固定]も無属性魔術の、「付与魔術」に属する術式だ。これらの術式は無属性なので誰にでも扱えるため魔道具制作にも大きく取り入れられていて、だから魔道具はひとつの術式を何度でも再現できるようになっている。
なお[水膜]は青の属性魔術にある防御魔術のひとつで、自身の周囲の任意の方向に水の膜を作り出し、それで敵の攻撃を防ぐ術式だ。水は大気中に気化した状態で豊富に存在するためいつでも液化させることができ、特に今日のような雨の日は持続時間も延びる。
水の膜なので密閉性が高く、防御魔術であるだけに小石や矢程度の物理攻撃や簡単な攻撃魔術、それに毒の風や煙なども全部シャットアウトできる。
つまりミカエラは、雨避けのために御者台に簡易的な防護結界を張ろうと言っているわけだ。
「いいのかい?なんだか申し訳ないな」
「よかよか。クレアの言うごと風邪引かれたっちゃ困るし、まかり間違うてウチらを狙う輩がおらんとも限らんけんね」
そげな阿呆はおらんやろうけど、と付け足しつつミカエラは笑った。
だが確かに、彼女たちを移動中に攻撃しようと考えた場合、まず最初に狙われるのは御者台のアルベルトになるはずだ。
「ほんで?とりあえず前っ側だけでよかろうか?」
御者台にさっさと出ていってからミカエラが振り向く。その足元も壁も、確かに結構濡れていて泥跳ねも目立つ。
「そうだね、そうしてもらえたら」
「ん。ちょい待っとき」
ミカエラは口の中で詠唱を始め、頭上に両手を掲げる。その指先で屋根から延びる庇の中心部を指すと、術式を発動させる。
そのまま両手を左右に動かして庇の突端をなぞっていき、端まで来たところで今度は両手を下げてゆく。その指先の動きに沿って術が発動していき、両手を下げると同時に庇から水の膜が降りてゆく。それはちょうど両サイドの昇降口を除いて御者台をすっぽり覆う形になった。
かなり薄い膜状にしてくれたようで、これなら走行中の前方視界もさほど悪化しなさそうだ。
その後彼女は続けて[固定]の詠唱をして、それで完了だ。
「…ん、あれ?ミカエラさん今[付与]した?」
「したばい、当たり前やん」
「でも詠唱してないよね?」
怪訝な顔のアルベルトに、ミカエラは薄い胸を張ってドヤ顔で応えた。
「んっふっふ。ウチはね、こう見えてふたつ同時に発動させられるっちゃんね!」
つまり彼女は最初の段階で、[水膜]と[付与]を同時に発動したというのだ。
だがそうと聞けば、アルベルトにも思い当たる節がある。
「そうか、そう言えば最初に会った時も…」
「あ〜、そういやそうやね。あん時も同時に使うたんやったね」
アルベルトはそれで納得してしまったが、彼は気づいていない。あの時の治療が青の属性魔術の[治癒]ではなく法術の「請願」であったことに。あの時ミカエラは、毒を解除する青属性の[解癒]の術式と、青派の請願のひとつ[癒やしの請願]を併用していたのだった。
つまりミカエラは法術師にして魔術師、しかも魔術をふたつ同時に、あるいは法術と魔術を同時に発動できる、稀有な才能を持った天才なのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼食にアルベルトが作って出したのは、炊いた白米に何やら具材の沢山入った茶色い液体をかけたものだった。ひと口大にカットされた人参や岩芋、玉葱、それに斑牛の肉も入っている。香りが強く、どうやら香辛料など色々煮溶けているようで鼻腔を刺激する。
ただ、どうにも色が食欲をそそらない。匂いはとても美味しそうなのだが。
「これなに?食べられるの?」
「食べられない匂いはしないわね」
「なんこれ、また東方の料理なん?」
「辛そう…」
またしても初めて見る料理に思い思いの反応をする蒼薔薇騎士団の面々。
「これは『カリー』っていう東方の料理だよ。香辛料さえ何とかなればあとは簡単に作れて美味しいから、手に入った時はよく作るんだ」
(やっぱり東方の料理だったのね)
(見た目はアレだけど、アルベルトの作る料理だし)
(まあ匂いは旨そうばってん。食べてみらんことには何とも)
(辛そう…)
「うん、みんな何考えてるか丸分かりだけどね?」
「まあいいわ、とりあえず食べましょ!」
空腹に耐えかねたレギーナがそう言って、それで各々匙を手に取る。
「あ、ちょっと辛いかもしれないから…」
思い出したようにアルベルトが言いかけたが、間に合わなかった。
「かっっら!何これ!?」
「なんなんこれ香辛料何入っとるん!?」
「お水、お水を頂戴!」
「くち…痛い…!」
途端に阿鼻叫喚のるつぼと化した車内。うっかり自分用の辛めの味付けにしてしまったアルベルトのせいで、4人の美女があられもなく悶絶している。
「あああみんな申し訳ない。ほら、みんなこれ飲んで」
アルベルトが慌てて冷蔵器から白い液体の入った瓶を出してきてグラスに注いで全員に渡す。みんなそれを一気に飲み干して、それでようやく惨事は収まったようだ。
「辛いなら辛いって先に言ってよね!」
「ほんなこっちゃん。喉の灼けるかて思うたやんか!」
「おくち…いたい…」
「…あら。でも後から旨味が出てくるわね、これ」
怒りの醒めやらぬクレームの嵐の中、最初にヴィオレが気付く。
「…あら?言われてみれば…」
「ほんなこっちゃん。辛いばってん、なんかもう一口欲しなるごたる」
「いたい…けど食べる…」
「うっかりいつもの自分用の味付けにしてしまって本当に申し訳ない。斑牛の乳を飲みながら少しずつ食べるといいよ。
あと白米を多めにして、食べるひと口分だけルーと混ぜて食べると辛味が抑えられるから」
アルベルトは詫びつつ、空になった全員のグラスに二杯目を注いで回る。確かにミルクを飲みながらだとなぜか辛味が抑えられるようだ。それに言われたとおりに白米と食べると、白米の甘みでも辛味が程よく中和されていく。
「ミルクって普通は寒季に温めたのを飲むものだと思ってたけど…」
「冷やしても…美味しい…」
「ちゅうか、なしミルクで辛味が抑えられるんやろか」
「まあそれは俺もよく分かんないけど」
などと話しているうちに『カリー』はみるみる減っていく。みんな辛味に汗を流しつつ、それでも匙が止まらなくなっているようだ。
「ていうかこれ…」
「よう分からんけど…」
「止まらなくなるわね…」
「おかわり…」
クレアの一言にさすがに全員が彼女を見る。なんと普段少食の彼女が完食した上で木皿をアルベルトに差し出していた。
「…ウチも、もう一杯欲しかけど」
「そうねえ、まだあるのなら」
「…わ、私も」
そして結局、全員が木皿を差し出した。
アルベルトは笑いつつ、次は半分ほどの少なめによそっておかわりを注いであげた。そこまで完食して、ようやくみんな満足したようだ。
「これ、ヤバいわね…」
「ダイエットの敵やん…」
「気を付けないとダメね…」
「げぷ…」
こうして『カリー』は蒼薔薇騎士団の中では「悪魔の料理」と呼ばれるようになった。
なお後年、この料理がアルヴァイオン大公国で空前の大ブームになって国民食とまで言われるようになることを、この時点では五人ともまだ知る由もない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼食を終えたアプローズ号は再び走り出す。だが今度は[水膜]のおかげで濡れることもなく御者台は快適だ。雨は相変わらず強かったが、アルベルトはミカエラに感謝しつつスズを走らせる。
ちなみにスズもアルベルトから肉をたくさんもらって満足そうである。だがその代わり、保管庫で凍結させていた肉はほとんどなくなってしまっている。
アロサウル種のつもりで、アロサウル種なら丸1日分の餌が入るだけの容量で考えていたのに、下手するとスズはそれを一食で食べてしまう。ちょっとこれは何とかしないといけないかもな、と先行き心配になるアルベルトであった。
ザムリフェまでの行程も半分以上進んだところで、アルベルトは前方に何やら違和感を捉えた。少し観察して、それが立ち上る煙であると判断する。
「ミカエラさん、ヴィオレさんも、ちょっと」
覗き窓越しに車内に声をかけ、リーダー代理と探索者を呼び出す。
「なァん?」
「どうかして?」
「あれ、何だと思う?」
そして連絡用ドアから姿を現したふたりに指で指し示して判断を仰ぐ。
「……煙のごたんね?」
「狼煙、というわけではなさそうね」
彼女たちの見立てもアルベルトと同じだった。あれに見えるのは狼煙ではない煙。ということはつまり、この先で何かが燃えているということだ。
「街道筋でなんか燃やす…」
「って言ったら、予想されるものは限られるわね」
「あー面倒くさかばってん、見つけてしもたんならしょんないたいね」
やれやれ、という風に頭を掻きひとつため息を吐いて、ミカエラはアルベルトに急ぐように指示した。
燃えていたのは荷運び用の脚竜車だった。
荷台から炎と煙を立ち上らせ擱座している。火はこの雨でも消えておらず、それは荷台に可燃物があることを意味していた。
一見すれば、それ以外に人の姿などはない。脚竜もどこかに逃げてしまったようだ。
「どう見たって、何かに襲われた後よね」
「とりあえず、生存者ば探そっかね」
メイン乗降口から降りてきたレギーナとミカエラがそう言って、燃えている脚竜車に近付いていく。
レギーナはすでに鎧姿で、左腰に二本の長剣を佩いている。片方はいつも提げている宝剣“ドゥリンダナ”だが、もう片方は“コルタール”と名付けられた普通の長剣だ。ミカエラはいつもの法服姿で、腰の後ろに小さめの戦棍を提げていた。
レギーナが剣を二本佩いているのは、ドゥリンダナの能力が強すぎるためである。世界に十振りしかないと言われる宝剣には特別な力があり、強力な魔物や魔王などの強大な敵にはその力を存分に発揮するが、相手が単なる獣や人間の賊などの場合は、強すぎる宝剣の能力が却って邪魔になることさえあるのだ。
今回、レギーナは敵がただの賊である可能性も考慮して“コルタール”も持ち出している。ラグでセルペンスたち相手に“ドゥリンダナ”をふるってしまった失敗を踏まえているのだ。
「ふたりとも、気を付けて」
余計な心配だと思いつつもアルベルトは声をかけずにいられない。彼女たちは人間社会における英雄と言うべき勇者とその仲間である。滅多なことではピンチにも陥らないだろうが、それでも自分よりずっと若いただの娘でもあるのだ。
しかも、アルベルトは彼女たちの実力をまだはっきりと見たわけではない。自分を助けてくれた時には気付けば終わっていたし、その他間接的にや伝聞情報だけでもかなり実力があるのは分かっていたが、それでも直に目にしていないだけに不安は拭えない。
「人の心配やらしとらんと」
ミカエラが振り向く。
「囮の可能性もあるっちゃけん、おいちゃんこそ気ぃつけりーよ」
ピシャリと言い渡された。
確かにその通りで、ぐうの音も出ない。
擱座した脚竜車の周りには生存者は見つからなかった。荷台も、ミカエラがいきなり大量の水を中空から現出させて消火した上で調べたが、特に死体も爆発物も見当たらないようだった。
「人も脚竜もおらんっていうとは不自然かね」
「襲ったやつも襲われた人もいないってどういうことよ?」
風に乗って、アルベルトにも離れた彼女たちの話が聞こえてくる。話を聞く限り、彼女たちの[感知]にさえ引っかかっていないようだ。
この雨の中、目立った可燃物もないのに燃えていた脚竜車。それはつまり、襲われてからまだ間もないことを示している。なのに近くに襲ったものの気配も襲われたものの気配もない。
彼女たちの、特にミカエラの[感知]が極めて優秀なのはもうアルベルトは何度も見て知っている。その彼女が見逃すことなどないだろう。
だとすれば、考えられるのは何か。
彼女たちにすら気付かれないほど高度な[隠密]スキルでも持っているか、あるいは超高速の移動手段でも持っているのか。でもそれだと脚竜の消失が説明できない。
と、ここまで考えてアルベルトはふと違和感に気付く。
なぜ、彼女たちの話し声が聞こえているのか。
アルベルトは燃えているものの正体が脚竜車だと確認できた時点でアプローズ号を停めていた。だから被害車両とはまだずいぶん離れていて、具体的には1スタディオンぐらい離れている。それだけ距離があると普通は話し声など聞こえないし、聞かせようと思ったら大声を出した上で風の助けも必要とするはずだ。特に今日は雨模様で、雨音も邪魔になる。
風は確かに彼女たちの位置からアプローズ号に向かって吹いているが、彼女たちは大声ではなく普通の話し声だ。
風…。
黄の属性魔術…。
「レギーナさん![転移]だ!」
その可能性に思い当たって、思わず立ち上がってアルベルトは叫ぶ。
だが聞こえているのかいないのか、彼女たちは反応しようともしない。
お読みいただきありがとうございます。可能な限り毎日更新の予定です。
もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマークをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!
本来、この話が旅の最初のバトルになるはずだったんですが、瘴脈討伐の話を途中で挿入しちゃったのでこのエピソードの迫力が半減しました。うーん後悔先に立たず。