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2-3.温泉の街サライボスナ(1)

前後編ですが、若干タイトル詐欺でこの回はサライボスナにたどり着くところまでです。

温泉は次回、明日の更新になります。



距離単位に関する説明を含んでいます。



 ブルナムには思ったよりずいぶん早く到着した。

 というのも、ティレクス種のスズが走るスピードが思ったよりかなり速かったのだ。ラグからブルナムまでおよそ600スタディオン、だから朝の遅い時間に出立して、昼食の休憩を挟んでも陽神(たいよう)が西に傾いて空が茜色に染まる前までには着くと計算していたのだが、実際にはまだ明るいうちに到着してしまったのだ。

 実際、道中でもハドロフス種やイグノドン種の牽く脚竜車を何台も追い越して来たので、ずいぶん早く着くだろうと途中から判ってはいたのだが、それでも想定より早くてアルベルトは驚くほかはない。


「もう着いたの?まあまあ近かったのね」

「いや、距離的には600スタディオンあるんだけど、かなり早く着いちゃったね」

「600!?450ぐらいじゃないの!?」


 レギーナが勘違いするのも無理はない。ハドロフス種やアロサウル種と比べても二割増しくらいのスピードで到着したのだ。

 しかもそれでいて、スズには疲れた様子も見えない。これは旅程表を計算し直さないといけないな、とアルベルトは考えていた。



 スタディオン、とは古代ロマヌム帝国時代から使われる距離の単位である。陽神が地平から姿を現すと同時に歩き始め、陽神が地平から離れて完全に浮き上がるまでに人間の男が歩ききれる距離、それがスタディオンだ。

 もちろん歩く人間によって距離が異なるため、古代帝国時代は地域によってスタディオンの距離もまちまちだったというが、ある時皇帝がひとりの足の速い男を選んで歩かせ、それを基準として定めることで全国的な単位統一を図ったのだという。

 そうして決められた『1スタディオン』は、地球での距離に換算すれば約200メートルになる。


 ちなみに、距離の単位としての最少は『フット』である。人間の男が二歩歩く距離を『ニフ』といい、メートル換算で約1.6メートル。フットはニフの5分の1なので約32センチメートルになる。

 これらもやはり古代帝国時代からの単位だが、なぜ採用されたのかは今となっては不明である。一応、人間の爪先から踵までの長さがフットだと言われているが、現在の人間でそんな大きな足を持つ者はいない。巨人(フィルボルグ)なら分からなくもないが、今度は二歩の長さが変わってくるので、やはり謎である。

 ニフの1000倍を『ミリウム』と言い、距離の基準単位としてはスタディオンとミリウムが併用されている形になる。街道筋には4ミリウムごとに里程票が設置されていて、旅人はそれを目安に自分がどの辺りまで来ているのかを知る。

 4ミリウムは32スタディオンになる。メートル換算で約6400メートルだ。


 ということで、600スタディオンは約120キロメートルに相当する。

 それをスズは約5時間半、朝五に出発して昼食休憩を挟み、昼五の中ごろに到着したのだった。なおアルベルトの当初の見立てでは昼七に入る頃が到着予定時刻であった。



「ほんならひとまず宿ば取って、領主公邸さい挨拶して、ほんで……」

「いや、ブルナムの辺境伯は今まだ空席のはずだよ」

「空席?断絶しんしゃったとかいな?」

「いや後継はいるんだけど、確かまだ成人してないはずなんだ」


 古来から交通・戦略上の要衝として人も物資も集めていたブルナムが今寂れているのは、それが理由だ。

 先代のブルナム辺境伯が流行りの伝染病で亡くなってから、もう10年になる。幸い、当時生まれたばかりだった世継ぎは伝染病の難を逃れて生き残り、そのため近隣のラグ辺境伯とサライボスナ辺境伯が彼の成人まで支援することになっている。

 ということでブルナムは今、市民から選ばれた議会が合議制で治めていて、表立った政治的な動きが取れないので旨味を感じない商人たちが寄り付かない。次期辺境伯が成人して襲位するまでは、少なくともこの状況は続くだろう。


そげなことな(そういうことね)。ならウチらが公邸さい挨拶行っても困らせるだけかも分からんね」

「うん。だから一泊だけして先を急いだ方がいいと思う」

「じゃ、そうしましょ」


「宿だけれどね。〈スパス山の要塞〉亭に予約を入れてきたわ」

「そう。じゃあ西門をくぐったら直行ね」


 いつの間にかいなくなっていたヴィオレが突然姿を現して、まるでそれが当然であるかのようにレギーナが言葉を続ける。というか姿を見せて初めて、彼女がいなくなっていたことに気付いた程である。

 予約を入れてきた、と言うがここはまだブルナム西門の外である。早く着きすぎたので街に入る前に対応を協議していたところなのだ。というか街から見える場所に停まっていては車両も脚竜も目立ちすぎて守衛隊を刺激しかねないため、今はブルナムまでの最後の里程票を過ぎて城壁が見えた時点で停まっていて、街まではまだ10スタディオンほど距離があるはずだ。

 停めてからもそう時間は経っていないのだが、一体いつの間に街まで行って予約なんて入れてきたのだろうか。というか停めてから行って帰ってきたとすれば、明らかにスズより速い計算になるのだが。


「……ヴィオレさんていつもこんな感じ?」

「そうばい?」

「そうなんだ……」


 さすがは勇者パーティの探索者を務めるだけのことはある。仕事が早いなんてものではなかった。

 ちなみに御者台から連れ去られてずっと泣いていたクレアは、今は車両を停めて室内に入ってきたアルベルトに後ろから抱きついている。めっちゃ背中に当たってるんだがアルベルトは極力気にしないようにしていて、レギーナもミカエラもそれを咎めるとまたグズり出すので引きはがせないでいる。



 西門の通過は先にヴィオレが往復していたおかげでスムーズだった。そのために入城の際に彼女は助手座に座っていてくれて、彼女の顔を見た守衛たちはすぐに勇者一行だと理解して、それで手続きも極めてスムーズに終えられた。

 この調子だと、この先の都市もずいぶん助けられそうな気がする。

 なおクレアはまた補助座に座るかと思っていたが、どうやら人に見られるのは嫌なようで居室内で大人しくしている。



「公邸に挨拶状を届けてきたわよ」

「お。ご苦労さん」


 宿に着いて、一番いい部屋にレギーナたち四人と、階下の一般客室にアルベルトがチェックインして、旅程を打ち合わせたいアルベルトが彼女たちの部屋に顔を出したところでまたヴィオレが戻ってくる。いや有能すぎんかこの人。

 だがともかく挨拶状を届けたことで顔を見せない不義理も回避し、なおかつブルナム議会の顔も立てたので、あとは事実上自由行動である。とはいえ見るべき名所も遊ぶべき施設もそうないので、今後の旅程を協議して晩食を終えれば後は寝るだけだ。


 ちなみにアプローズ号とスズは守衛たちや道行く人や亭主をそれぞれ驚かせたものの、それ以上の混乱は起きなかった。通常より大きいとはいえ車両そのものは長いだけで幅は長距離旅行用脚竜車としては通常サイズだし、スズも噛み付き防止用口輪を嵌められて大人しくしていたので、宿の従業員たちも安心したようだ。

 まあ、アルベルトがやった餌を食べている姿は恐怖を煽ったようだったが。何しろその巨大な口で斑牛一頭分くらいペロリと平らげたのだから。


「この調子じゃ、街に泊まるたびに餌を買わないといけないわね」

身が太か(体が大きい)けんしゃあない(仕方ない)ばってん、こら(これは)餌代も計算し直さなつまらんね」

「街道上でお昼を取る時は、一旦放して狩りをさせてはどうかしらね?」

「うーん、それだと知らない人が見たらパニック起こさないかな」


 逃げる危険性はないと全員が判断しているが、それでも放して自由に狩りをさせるのはちょっと問題がありそうである。ティレクス種自体は広く知られていて、これは草原地帯に生息する脚竜種だから、まかり間違えばそうした野生個体とも思われかねない。地域のギルドに討伐依頼でも持ち込まれたら少々面倒だ。


 結局、ある程度食べて満足したのかスズは脚竜用厩舎で蹲って寝てしまい、アルベルトたちは商工ギルドを通じて肉屋を呼んで、餌の保管庫が一杯になるまで屑肉を持ってこさせた。

 それから自分たちも晩食を取り、今後の旅程を協議した上で解散し就寝することになった。下手するとクレアが『アルベルトと一緒に寝る』とか言い出しかねないので警戒していたが、さすがにそこは彼女も一般常識は弁えていて彼の寝室には来なかった。


 そんなこんなで翌朝になり、朝食をみんなで頂いたあとチェックアウトしてブルナムの街を出た。次の目的地は宿場町をひとつ飛ばしてサライボスナである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「見えてきたよ。あれがサライボスナの街だ」


 覗き窓越しにアルベルトが車内に声をかけ、それで連絡用ドアからレギーナたちが姿を見せる。彼女たちの顔が何やら期待に輝いているのは気のせいではない。


「あれがあなたの言ってた『温泉の街』ね!」


 行く手には、西の海に向かって少しずつ沈んでいく陽神の茜色の光に染まった城壁が遠くに見える。スズの走行スピードを考えて計算し直した結果、朝早めに発てば1日で宿場町をひとつ飛ばしてサライボスナまで行けるだろうと結論し、そしてその通りになっている。


 サライボスナは山間の渓谷沿いに延びる歴史ある都市で、スラヴィア地方では二番目に人口の多い街だ。古代ロマヌム帝国時代にはただの山塞で人口もそう多くなかったというが、帝国の滅亡後に温泉が湧くことが発見されて、それで観光都市として大きく発展したという。

 街が大きくなり人口も増えた結果、かつてのスラヴィア争乱の時代にはサライボスナ軍は大部隊を編成でき、しかも温泉で疲れや傷を癒やしながら粘り強く戦ったので各国軍を大いに苦しめたと伝わっている。

 今ではそんな戦乱の記憶もとうに薄れて街は観光客と湯治客で賑わっていて、すっかり平和を謳歌していた。


 なお飛ばしたカシュテルの街はブルナムと同じく古い街だが、現在はサライボスナ辺境伯の支配域に組み込まれていて、泊まる必要も逗留する必要もなかった。


「さすがに今度は着いたら辺境伯公邸さい()挨拶せん(しなきゃ)ならん(いけない)ね」

「わ、分かってるわよ!?」

「どうかいね〜?姫ちゃん着いたらそのまま公衆浴場さいすっ飛んで行きかねん勢いやったけんねえ?」

「そ、そんな事ないってば!」


 サライボスナは温泉が有名な観光都市なので、渓谷沿いに延びた街の中のそこかしこに公衆浴場がいくつも設置されていて、市民も旅人も多くが安い料金で利用することができる。それを話したところ彼女たちの食いつきがハンパなく、やはりそこは若い女性らしい反応だった。

 で、それからずっと「街が見えてきたら教えてよね!」と言われ続けていたわけだ。

 レギーナもミカエラも今は鎧や法服を脱いでいて私服姿だ。だからこうして見てる分には、ただの温泉旅行に来たお嬢さんグループなんだけどなあ、と内心で苦笑するアルベルトである。まあ単なる温泉旅行客が領主公邸なんかに挨拶したりしないので、その時点でもう違和感があるのだが。


 なお今日から季節は雨季に入っているが、今日のところはまだよく晴れている。五季も暦の通りに厳密に移り変わるわけでなく、毎年いくばくかズレていくので、もしかすると本当はまだ花季の終わりに当たるのかも知れない。

 まあそれはともかく、今は入城手続きが先である。陽神が完全に沈んで夜になると門が閉められてしまうので、それまでに手続きを終えて入城しなくてはならない。そのためにサライボスナの西門にはすでに脚竜車の列ができている。


 列の最後尾に並んだところで、そのよく目立つ車体に驚いた守衛が飛んできて、勇者一行だと知って手続きを優先しようとする。それをレギーナが叱りとばして、順番通りに手続きを済ませて入城した。

 そういう風に勇者だとか王族だとかの特権を使うことをレギーナは嫌う。事あるごとに『姫様と呼ぶな』と言うのもその一環なのだろう。そういうところも勇者として支持を得る一因なのだろうとアルベルトは理解しているが、当の本人にはそんな自覚は全くなさそうである。





お読みいただきありがとうございます。可能な限り毎日更新の予定です。


もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマークをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!



●長さと距離に関する補足●


・デジ(約2cm)

『勇者様御一行のお仕事』でも少し書いてますが約2cm。成人男性の中指の一番太い部分の横幅が基準。基本的には「長さ」の最小単位になる。

・フット(約32cm)

「成人男性の足の指先から踵まで」が基準。ただし現行の人類でそれに見合う足を持つ種族はいないので、何を基準としたのか謎。ニフの5分の1。

・ニフ(約1.6m)

「成人男性が大股で二歩あるいた距離」が基準。

・スタディオン(約200m)

「太陽が地平線から顔を出した瞬間に歩き始めて、太陽が地平線から完全に出てしまうまでに歩ききれる距離」が基準。だいたい約2分で歩ける距離。

・ミリウム(約1600m)

ニフの1000倍。元は「1000」を意味する言葉。


1ニフ=5フット=80デジ

1ミリウム=8スタディオン=1000ニフ


距離表記に関して、ミリウムで示すと割り切れない場合が多々出るため、スタディオンで表記するのがこの世界では一般的。デジとフットは距離よりも長さの単位として使われる。

ミリウムは街道の里程票計算のほか、人や馬の競走の距離として用いられている。

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