1-3.西方世界と五つの加護
少し長いですが、世界観の説明回です。
ラグ市は自由都市であると同時に冒険者の街であり、そして交易都市でもある。世界を東西に貫く大街道である“竜骨回廊”の途上に位置していて、人も物も多く行き交う。
元々ラグはそうした交易を行う隊商やその護衛、行商人たちを相手にする宿場町だった。だから住人たちにも余所者に対して寛容な気風があった。それも冒険者の街となった一因ではあるだろう。
西方世界の世界地図を眺めると、多くの人が「竜の姿」を思い浮かべる。西向きに首を伸ばして頭を垂れ、その頭に角を生やし、真ん中から南向きに脚を伸ばし、背には複雑に入り組んだ翼を広げて、そして脚の後ろから細く長い尾が南東に延びる。
故に地図上で首と頭に見える半島を“竜頭半島”といい、そこから北に延びる角のような山地を“竜角山地”と呼ぶ。南側に突き出た細い半島は“竜脚半島”であり、その東側の海岸沿いに延びる平野を“竜尾平野”という。
西方世界の中央部から北方、東方を広く占める複雑に起伏に富んだ形状の、広く大きな森に覆われた広大な山脈を“竜翼山脈”と言い、竜翼山脈の最西部に位置する西方世界の最高峰を“竜心山”という。
そして竜頭半島から竜脚半島と竜尾平野の南に広がる海を“南海”と呼び、竜角山地と竜翼山脈が到達する北の海岸の沖合を“北海”という。
竜骨回廊は西方十王国のうちの一国であるガリオン王国の首都ルテティアを西の起点とし、ガリオン国内を南下してエトルリア連邦の領内に入り、エトルリアを横断してスラヴィアに至る。そしてスラヴィアを北西から南東に斜めに突き抜け、イリシャ連邦を横断する。そこから海峡を渡ってアナトリア皇国に至り、アナトリア国内をさらに横断して“大河”に至る。大河を越えればそこから先は「東方世界」だ。
つまりこの世界は、大河を挟んで「西方」と「東方」に分かれている、ということになる。
東方世界では竜骨回廊は「絹の路」と呼ばれ、遙か東の果てまでずっと伸びてゆく。隊商たちの中にはその東の果てまで征く強者もおり、ラグはじめ各地の冒険者たちも時には彼らの護衛としてついて行くこともある。そうなると往復するだけで1年以上かかる、長い長い旅になるのだ。
竜翼山脈が竜尾平野に向かって突き出た箇所はいくつかあるのだが、その中のひとつの突端からやや南にある独立山稜がラグ山で、ラグ市はその南西の山麓に位置する。ちょうど竜翼山脈と海岸とが近くなった平野のくびれ部分で、だから竜骨回廊も必然的にその部分を通ることになる。
そういった立地だったから、ラグが交易都市として発展したのは半ば必然的であった。
今日も朝一から東西の正門が開くと同時に、ラグには多くの隊商や行商人、旅人達が続々と到着してくる。夜の閉門までに辿り着かなかった人々が門の外で一夜を明かしていたのだ。竜骨回廊はこの世界でもっとも大きな街道筋であり、都市の近くなら夜盗や獣に襲われる心配もほぼないため、都市外で夜を明かしてもさほど問題はない。
ラグに朝着いた者は宿を取るのではなく、隊商ギルドや商工ギルドで商談を済ませたり仕入れを行ったりして昼過ぎまでには次の都市へと発ってゆく。ラグ市は交易都市であって観光都市でも産業都市でもないため、ここでの商人たちの商談と言えば交易の中継がメインになる。
ラグからは竜骨回廊をさらに北西へ進めばエトルリアや“西方十王国”に、南東へ進めば大国のイリシャ連邦やアナトリア皇国に到れるほか、分岐して北に延びる街道からはアウストリー公国や王政マジャル、さらにその北のブロイス帝国やポーリタニア王国へ行くことができ、東への分岐からは山を越えてヴァルガン王国にも街道が続いている。いずれもラグを中継して多くの往来がある。
そのほかスラヴィアの各都市にも小街道が伸びていて、海沿いの漁村や周囲の山村などもラグへと道を繫げている。ラグで中継をする隊商たちは竜骨回廊をそのまま進む本隊から、これらの分岐に別れてゆく分隊あるいは別の隊商へ荷物を引き継いでいくのだ。
一方で竜翼山脈が近いこともあり、ラグの近郊にはそれなりに獣も魔獣も現れる。ラグの周囲の平野部にも山中にも小規模の集落が点在していて、そうした集落からの獣討伐や魔獣討伐の依頼も多い。
ともすれば魔物が出ることもある。ゴブリン程度ならまだいい方で、中にはオークやホブゴブリン、稀にトロールが出現することさえある。そうした魔獣や魔物を討伐することが冒険者たちのメインの稼ぎになるのだ。
ちなみに魔獣や魔物はいくら討伐しても後から後から湧いてくる。
この世界の森羅万象を構成する根源要素たる魔力だが、森羅万象の元になるだけあって本来は善悪の別などありはしない。そのため魔力は善なる人類や神々の力を具現化するのと同様に、悪しき魔物や魔王といった存在さえも具現化してしまう。それこそが自然の摂理というやつで、人類にはどうしようもないことだ。
だから人々は、魔獣や魔物を見れば片っ端から討伐しなければならない。討伐し狩らなければ、人類のほうが狩られて滅ぶハメになるだけだ。人類側の英雄として「勇者」の存在があるのもこれが理由で、世界を滅ぼしかねない強大な魔王クラスであっても定期的に「自然発生」するため、それに対抗するためにいつの時代でも勇者の力と存在は求められるのだ。
そして冒険者とは即ち「勇者の卵」である。冒険者の中から力をつけ実績を上げて、人々に希望と安寧をもたらすまでに至ったごく一部の者たちだけが「勇者」と呼ばれるのだ。
そういう意味で言えば、アルベルトは「落第冒険者」である。日々力を磨き実績を上げて勇者を目指すのが冒険者の本分であるはずなのに、彼は約18年にわたってほぼ薬草しか採っていない。“薬草殺し”と侮辱されるのも、ある意味では当然のことなのだ。
だが冒険者といえども全員が全員、勇者になれる訳ではない。というよりも勇者という存在は、その地位に至るまでに倒れていった多くの冒険者たちの屍の上に立つ一握りの「成功者」でしかなく、大半はその屍になって終わるのだから、その意味ではアルベルトの生き方を誰にも否定できないはずである。
誰もが勇者を目指せるわけではないし、無理に目指さなくたっていいじゃないか。生き方はひとつじゃないんだから。
…などとアルベルトが考えているのか定かではないが、とにかく彼は今日も薬草採取に勤しんでいた。毎日同じことをして飽きないのかと言われそうだが、仕事とはそういうものだ。
飽きようが飽きまいが、生活のために働くのだからやるしかないのだ。
なに、世知辛い?当たり前だろう、生きていくのなんてどこの世界でも大して変わらないものだし、夢と現実は違うのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はい、これで間違いがないか確認して下さいねぇ。
…では、今日もお疲れさまでしたぁ♪」
「うん、ありがとうホワイト。じゃあまた明日」
にこやかに手を振るホワイトに向かって挨拶を返して、アルベルトは店を出ていこうとする。
「あ、アルさんもう帰るの?」
その背にアヴリーが声をかけた。
今日はアルベルトの帰りが遅かったので、〈黄金の杯〉亭ももう酒場としてオープンしている。だからアヴリーは今「給仕娘」だ。
“娘”じゃないだろ、とか言ってはいけない。
「帰るけど、何かあったかい?」
「何もないけど、たまには黄金の杯亭でも食べてってよ」
アルベルトはほとんど店で食事をしないため、それがアヴリーにはやや名残り惜しかったりする。
「そうしたいのは山々だけどね、今月はちょっと節約したいんだよね」
「アルさんそれ先月も聞いたよ?」
「はは、そうだっけ?」
「あっあるべるとー!一緒にたべるー?」
笑って誤魔化しつつ逃げようとしたところにフリージアが目ざとく見つけて声をかける。この娘はこういう変なところで変に空気が読める一面がある。
「ほら、フリージアもああ言ってるし。たまにはいいんじゃない?」
「…そうだね、じゃあ久しぶりにご馳走になろうかな」
誘われればハッキリ嫌と言えないのがアルベルトである。とはいえ渋々付き合うのではなく、一度そうすると決めたら自分から積極的に参加しようとするので誘う側も気持ち良い。
そうしてアルベルトが着いた円卓にはフリージア、ザンディスと彼らのふたりの仲間たち、それに見慣れない少年と少女の姿もあった。
「ザンディスさん、そっちの子たちは?」
「坊主の方は知っとるじゃろ。昨日フリージアのホラを聞いとった子じゃ」
「ぶー。ホラじゃないもーん!」
ザンディスの決めつけにフリージアが抗議の声を上げる。
「女の子の方は最近黄金の杯亭で預かってるの。近隣の山村から連れ立ってラグへ来る途中にゴ…に襲われて、巣穴に拐われてたのをザンディスさんたちに助け出されたのよ」
注文された料理を持ってきたアヴリーが説明を引き継ぐ。言い淀んだのは少女の心情に配慮したのだろう。
つまり、少女はゴブリンの苗床として拐われていたのだ。
ゴブリンは繁殖力の非常に旺盛な魔物で、妊娠から約1ヶ月で子が産まれてくる。それだけでなく、種がゴブリンであれば産ませる女がゴブリンだろうが人間だろうがエルフだろうがドワーフだろうがゴブリンしか産まれないので、奴らは子を産ませる目的で旅人や集落を襲って娘を拐うのだ。
エルフやドワーフは女性でも手強いので、奴らが好んで襲うのは人間になる。人間ならば冒険者でもなければ戦い慣れていないため、襲いやすいのだろう。この少女のような戦闘訓練も受けていない若者たちなど恰好の餌食だったはずだ。
「まあそんなわけじゃから、ワシらがおる時はなるべく一緒におるようにしておっての。飯もこうして一緒に食っとる」
「ザンディスさん達が出てる日中は店にいるか、青神殿でカウンセリングとか、色々行かせてるのよ」
「その時間帯に相手してやっとるのが坊主じゃな」
聞けば少年はまだ冒険者として登録したばかりでパーティを組む相手もおらず、ザンディスたちや他の冒険者たちについて冒険に出ることもあるが、多くは店にいてアヴリーたちの話し相手になっているという。少女が神殿に行く時などはなるべく独りにさせないように、付き添ってやったりしてやっているのだそうだ。
少年少女とはいうが、彼は16歳で彼女は15歳、どちらもすでに成人の年齢だ。西方世界は大半の国で15歳から成人と見做され、その齢から何をするにも自己責任になる。
彼も彼女も成人してから冒険者を夢見て、それぞれ故郷の村を出てラグへとやってきたのだ。彼の方は無事に辿り着いたが、彼女の方は不幸にも途中でゴブリンに出くわし、一緒にいた友人たちは殺されてしまい彼女だけが生き残ってしまったのだ。
まあ言ってしまえば「よくある話」ではあった。冒険者を夢見る若者は多いが、大半は冒険者になる前、あるいは冒険者になってからも一人前として独り立ちする前にあっけなく命を落としてゆく。
一人前まで上がれるのは無事に冒険者登録を済ませた中でも半数ほどでしかない。そこまでに死んだり、死なないまでも死や戦いや魔物への恐怖からトラウマになって脱落してゆくのだ。
青神殿、というのは神教の五つの宗派のうちの「青」の宗派の神殿のことだ。五種類の魔力、つまり黒、青、赤、黄、白の五色の魔力に対応した宗派のうちの「青派」の神殿が青神殿と呼ばれている。
青派、青神殿、とは言うものの、神教の神殿はラグに1ヶ所だけである。その1ヶ所に全宗派の神殿が固まっていて、要するにひとつの神殿の中で部屋が分かれているだけだ。各宗派とも神教の一宗派でしかないため、その方が神殿側にも信者の側にも何かと都合がいいのでそうなっている。
青派は治療に加護が得られるため、病気や怪我の治療なら誰もが青神殿を訪れる。少女の場合はすでにゴブリンに手篭めにされたと見做されていて、それで子宮内の種の除去と精神的なケアのために青神殿に通う必要があった。
「加護」というのは万物の根源たる魔力と、それが形作る森羅万象全てのものからもたらされる特別な恩恵のことである。魔力が五色に分かれている以上、それで構成されている人間も動植物も自然現象も神々も、全てが五色に分類される。そのため「加護」も五色に分かれている。
だから例えば青の加護を持つ人間は同じ青の加護を持つ神々と相性がよく、そのため青加護の人々が集まって青加護の神々を信奉する。それが「青派」というわけだ。
同様に黒派、赤派、黄派、白派とあり、それぞれの加護を持つ人々が同じ加護の神々を信奉している。とはいえ自分の色以外の加護を受けられないというわけではなく、同じ色ならば「より加護が強くなる」と言ったほうが適切であろう。
黒の加護は頑健さや生命力に溢れる。だから石や岩は黒加護の賜物で、森の木々や草花の成長力なども黒加護の恩恵を受けている。そのため狩人や、林業や農業などの従事者には黒加護が多い。
集まって陽気に騒いだり皆で楽しむことを好み、また比較的サッパリと物事を割り切る性格も黒の加護の特徴で、付き合って気持ちのいい反面、ともすれば冷酷に感じることもある。
青の加護は癒やしと慈愛と冷静さに富む。だから母なる海や恵みの雨、何事にも動じない心などは青加護で、海運業や漁師たち、また医師や薬師などには青派が多い。
一方で時に無慈悲なまでに荒れ狂うのも青加護で、全てを飲み込み奪い去る津波や、洪水を引き起こす雨季の大雨なども青加護のゆえである。
赤の加護は情熱と浄化の力だ。全てを焼き尽くす炎や火山、全てを破壊する力は赤加護であり、同時に浄化と再生も司る。また何に対しても情熱的であり、特に恋愛においては熱烈なものがある。
一方で何にでも白黒はっきり決着を付けたがるのも赤の加護の特徴で、だから他者と争う、つまり戦争も赤加護のゆえである。そのため兵士や傭兵などは赤加護が向くとされる。
黄の加護は流れる風や自由、そして知性と幸運を司る。だから何者にも縛られずとらわれず、気の向くまま風の向くままにどこへでも行くのが黄の加護であり、移動のための道や移動の速度といったものも黄の加護になる。そのため旅を生業とする隊商や行商人たちに黄加護が多い。
その一方で他者との協調性が薄く、即断即決にして独断専行が多いためトラブルメーカーになりやすい。
そして白の加護は森羅万象と秩序、穏やかな心を司る。白派に言わせれば白加護は五色全ての基であり、故に他の宗派は全て白派から分かれたものという。穏やかで協調性が高いのはいいのだが、何事も曖昧にして波風を立てようとしないため何を考えているか分からず、そのせいで他者に誤解されたり逆に衝突したりといった事がよく起こる。
白加護は優柔不断、八方美人な面もあり、ドライで割り切りがちな黒加護や何事もハッキリさせたい赤加護とは相性が良くないと言われる。
少年がチラリと少女を見やる。少女は自分の話になっているのを敏感に感じ取っていて、身を固くしてトラウマと戦っているようだ。
少年が少女の方へそっと手を伸ばす。テーブルの陰でアルベルトからは見えないが、少女が膝の上で固く握りしめた拳にそっと手を添えてやったようだ。触れられてハッとした少女の顔には、彼の気遣いに少しだけ警戒を緩める様子が見えた。
だからアルベルトは何も言わなかった。自分が何も言わずとも、きっとこのふたりは大丈夫。そう信じて穏やかに微笑んでいた。
アルベルトの前にも料理が運ばれてきて、ザンディスの音頭でまずは乾杯。
と、フリージアは早速もう料理をがっついているが。
「のうフリージアよ。お前さんもう少し周りに合わせる事も覚えちゃくれんかのう…」
「だっておなかすいたもーん!」
屈託のないフリージアのあっけらかんとした物言いに、卓は穏やかな笑い声に包まれる。
今日もみんな無事で良かったと、アルベルトは心からそう喜んでいた。
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