2-2.クレアとミカエラ
少し文字数多めです。前回が短かったので余計に長く感じるかもしれません。
よく晴れた、花季最後の日の昼下がりの空の下。
“蒼薔薇”号はスズに牽かれて竜骨回廊を軽快に進んでいく。
蒼薔薇騎士団専用の特注脚竜車は、メンバーの誰からともなくアプローズ号と呼ばれるようになっていた。やはり屋根が丸ごとレギーナの髪色になったのが大きかったようだ。おまけにサイドの薔薇の彫刻も一番大きな花がもちろんアプローズなので、そう呼ばれるのはある意味で必然の成り行きだった。
まあ、自分たちだけでなく世間でもそう呼ばれるようになってしまって後にみんな驚くのだが。
スズは快調に走ってゆく。駈歩と呼ばれる、全力疾走ではなく力を抜いた軽い走り方で、脚竜には余力が充分残る。
この走り方ができること、それを続けられること、それはラグの隊商ギルドの調教師陣がしっかり仕事をしてきたという証拠でもある。おまけにスズは肉食種特有の身体を上下に揺する走り方をほとんどせず、最新の衝撃吸収機構を備えた車台の効果も相まって、走行中の車内はほとんど揺れずに快適の一言であった。
ちなみに「スズ」の名は、名付けた隊商ギルドの青年、スズの拾い主によれば、東方世界で王の権威の象徴として作られる杖の材料となる金属の呼び名であるという。ティレクス種は「脚竜の王」とも呼ばれるので、王に相応しい名前をと色々調べて考えたのだそうだ。
まあ、名付けた後でメスだと分かったのだが、その時にはスズ自身が自分の名をそれだと認識してしまっていて変更が利かなかったらしい。
「⸺で、なんで君はここに座ってるのかな?」
手綱を扱きながらアルベルトが隣に話しかける。
場所はもちろん御者台、座るのは基本的にアルベルトひとりのはずだ。
隣に座っていたのはクレアだ。彼女は背もたれのない真ん中の席にちょこんと座って、アルベルトの服の裾を小さな細い指で握っていた。
「クレアはここが、いい…」
と言われても、それなりにスピードが出ていて御者台は風当たりも強い。現に彼女も被った三角帽子から手が離せないでいる。
左手は帽子、右手はアルベルトの服の裾を握っていて、彼女自身を支える術が何もないので、うっかり車体が揺れたりでもしようものなら最悪転落してしまいかねない。
ちなみにアルベルトの腰には座席据付けの転落防止用の腰帯が巻かれているが、クレアの座っている席にはそれがない。元々予備の座面で、走行中に座る席ではないのだ。
「うーんでも、走ってると危ないからね?」
「だいじょうぶ、気をつける…」
いやそういう問題じゃないんだけど、とアルベルトは苦笑するしかない。当のクレアはアルベルトの裾を握りしめたまま、目の前に広がる景色が流れてゆくのを興味深そうにあちこち眺めている。赤みの強いピンクの瞳が、好奇心に輝いていた。
アルベルトは改めてクレアを見る。普段の漆黒の外衣に三角帽子、いわゆるクラシカルスタイルというやつで、彼女のような若い魔術師ではもうほぼ見かけない。というか今や結構年配の魔術師であっても服装は思い思いの自由型であることの方が多い。
まあでも個人の趣味嗜好の問題だしそれはいい。それにこの姿しか見たことがないせいもあって、なかなか彼女に似合っている気がしないでもない。
そうではなく、問題はその下だ。つまり外衣に覆われた彼女の身体が、年齢不相応に立派すぎるのだ。
キュッとくびれた細いウエスト、柔らかに丸みを帯びた腰回り。そして何より、外衣を内側から押し上げるふたつのたわわな膨らみ。しかも結構デカい。
普段はそれらを包み込んでゆったりと隠してくれていた外衣が風に煽られてぴっちりと身体に張り付いていて、その見事なボディラインが丸わかりなのだ。
しかもそれでいて、彼女は聞けばまだ13歳だという。最近の子って発育いいんだなあ、という感想と、幼気な少女をついそんな目で見てしまう罪悪感とで、アルベルトの方がこの場を去りたくなってしまうのだ。
しかも路面に車輪が取られて車体が揺れるたび、不安定な彼女の身体も揺れて、膝や肩や豊かな胸の膨らみがアルベルトの身に触れる。彼女の方は全く意に介していないが、これは絶対ダメなやつ。
「うーん、クレアちゃんはどうして御者台に座りたいの?」
苦笑しつつ、少し聞き方を変えてみる。もしも景色が見たいと言うのなら、もう諦めるしかないが。
「えっとね、」
「うん」
「おとうさんの、隣がいい」
「…………は?」
これは決定的にダメなやつだ!
「いや、俺は君のお父さんじゃないよ?」
「でも、おとうさんのにおい、する…」
そりゃ年齢的にはそうでしょうけど!
まだ未婚だから子供もいないんだけどね!?
と、居室に続く御者台のドアが勢いよく開け放たれる。開け放たれると言っても、狭いスペースなのでドアは引き込み式の横にスライドするタイプだが。
ともかく開け放たれたドアから姿を現したのはレギーナだ。
「ちょっとクレア!?何言い出すのよあんたは!」
どうやら連絡用の覗き窓越しに会話を聞いていたらしい。御者台と覗き窓には走行中や戦闘中でも会話をスムーズに聞き取るために、[通信]を応用した音声を拾う魔術が付与されている。
そしてクレアが座っているのはいわば補助席、連絡ドアの前にある跳ね上げ式の、背もたれのない席だ。つまりレギーナはクレアの真後ろに姿を現した事になる。
「ちょっとあんたこっち来なさいよ!」
顔を真っ赤にしたレギーナがクレアの肩を掴み、羽交い締めにしてそのまま車内に引きずり込もうとする。
「んやぁ〜!おとうさんの隣すわる〜!」
珍しく声を荒げて抵抗するクレア。足をバタつかせ、外衣の裾がはだけて真っ白な脚が露わになる。それだけでなく、よほど嫌なのか彼女はアルベルトの左腕に右手を巻きつけてしがみつく形になった。
いやだから本当にダメなやつだからねそれは!
当たってるから!思いっきりふにっと当たってるからね!?
ていうか暴れたらほら、スカート捲れちゃうからね!?ていうか意外と短いの履いてんなこの子!
だがそこは魔術師の少女と勇者を務める成人女性の力比べである。必死の抵抗も虚しくクレアは車内に引き込まれ、連れ去られてしまった。
覗き窓越しに泣きだしてしまったクレアの涙声と、困ったように諭すレギーナの声が聞こえる。そんな泣くほど嫌だったのか。じゃあ少し味方してあげれば良かったかな、などと考えてしまうアルベルト。もはや安定のお人好しぶりである。
と、再び連絡用ドアが開く。
姿を現したのは今度はミカエラだ。
「いやぁ、おいちゃんえらい懐かれたばいね」
少しだけニヤニヤしながら、彼女はクレアが座っていた補助座ではなく左側の助手座に座る。補助座はアルベルトの御者座側に跳ね上げられたままで、アルベルトとミカエラの間には補助座の分の距離が空く。
その距離感はアルベルトを少し安心させた。クレアほどグラマラスではないので風の強い御者台に座っていても目のやり場に困るようなことは少ないが、それでも彼女とて妙齢の美女には違いない。なるべく距離を取ってもらえた方が有り難かった。
何しろアルベルトだって健康な成人男性なのだ。女性は嫌いではなかったし、それが若くて美人ならなおさらだ。でも普段から女づきあいをしないので、特に初対面に近い人だとどうしても意識してしまう。
というか普段からその手の女性問題には相当に気を使っていて、だからこそギルドでもホワイトと話すときは顔以外見ないように気を付けていたし、アヴリーやニースたちとも手を伸ばして触れ合えるような位置まで近付くことはほとんどなかった。
女性を触りたければ相応の娼館に行けばいいのだから、日常生活や職場でわざわざ社会人生命を賭けてまで色目を使う必要もなかったし、むしろ誤解されないようにするのに必死だったのだ。
「あん子くさ、親のおらんとよね」
ミカエラは話し始めた。
クレアの両親は、彼女が1歳になるかならないかの頃に流行った伝染病で相次いで亡くなったのだという。それで残った唯一の親族である祖父が旅先から戻って来て、初等教育を終えるまで男手ひとつで育て上げ、それからずっと彼女を連れて一緒に旅していたらしい。
「ウチと姫ちゃんが蒼薔薇騎士団ば立ち上げて、魔術師ば探そうてなった時にまずガルシア様ば探したとよ。“放浪の大賢者”ば勧誘できりゃあえらいふとかアドバンテージになるやろうて思うたけんね」
彼女たちは“放浪の大賢者”こと大地の賢者ガルシア・パスキュールをパーティメンバーに勧誘したという。世界に名高い『七賢人』のひとりに数えられるガルシアが特定のパーティに所属したとなれば、確かに大きな話題になったことだろう。
「そん時に紹介されたとがクレアやったんよ。『ワシのような老いぼれを引っ張り出さずとも、この子で充分じゃ』て言われてね」
そう。クレア・パスキュールこそは“大地の賢者”ガルシアの孫娘で、大賢者の薫陶とお墨付きを得た若き天才魔術師、新世代のホープなのだ。
「それが去年……あー、もう一昨年になるったいね。あん子はまだ11歳やったと。そん時にガルシア様からあん子の両親の話やら色々教えてもろうて、それで直々によろしく言うて頭ば下げられたけんくさ、やけん姫ちゃんも姉代わりで張り切っとっとよ」
なるほど、それでさっきの剣幕だったのか。
きっとレギーナは真面目で責任感が強い性格で、それでクレアの交友関係や将来にも責任を持つつもりなのだろう。そして今も居室から聞こえてくる弱り果てた宥め声からすれば、どうやらアルベルトに負けず劣らずのお人好しで、クレアにはきっと甘いのだろう。
そして彼女は大国の姫君とは思えないほど気さくで人当たりがいい。初対面でも普段通りだったアルベルトにも咎めだてしなかったし、勇者なのはすぐに分かるとしても、王族だというのは言われなければすぐには分からないだろう。
いい意味でらしくないのがレギーナという娘だった。
「クレアが入ってくれたけん蒼薔薇騎士団は『可愛らしか女ん子だけのパーティ』て方向性も決まったし、あん子はウチらみんなの可愛い妹分やしで、どうしても過保護になるったいね」
そう言って、ミカエラは照れたようにはにかんだ。レギーナだけでなく、彼女もクレアに対して強い責任感を持っているようだ。きっと本当の姉妹のように普段から仲がいいのだろう。
「やけん!あん子にヘンなちょっかいやら出したら半殺しすっけんね!」
とほっこりしていたら、なんか物凄そうな言葉で脅された。
「ぼてくりこか…す?」
「えっあ、あー、いや。分からんなら分からんでよかばい。
なんかなし、いたらんちょっかいやら出したら姫ちゃんが黙っとらんけん、そのつもりでおってばい」
意味が通じなかったことに何やら安堵しつつ、それでもミカエラは釘を刺すのを忘れない。
というかこの様子だと、クレアに何かあればレギーナだけでなくミカエラも激怒しそうな雰囲気である。それだけはアルベルトにもきっちりと伝わった。
「分かったよ。それは約束する」
だからアルベルトもそこはきちんと守ることを誓う。それでようやくミカエラもまた笑顔に戻った。
「でもそれはそれとして、あの子に『お父さん』って呼ばれるのは、それは俺のせいじゃないから勘弁して欲しいとこだけどね……」
「それたいなあ。親の愛情ば知らんもんやから、どうも憧れのあるごたるっちゃんなあ」
そこに関してはミカエラも弱っているようだった。どうにもならない事だけに、対処に困っているのだろう。
しかしレギーナだけでなく、ミカエラも相当に人のいい娘だ。アルベルトの記憶に間違いがなければ、彼女だってクレアの祖父ガルシアと同じ『七賢人』のひとりに数えられる“神慮の賢聖”ことファビオ・ジョーナンクの孫娘のはずである。
ファビオは先々代の神教主祭司徒で、ファビオは父に続いて主祭司徒を務めて話題になった人物だ。だから彼女だってレギーナほどでなくとも相当な貴顕のお嬢様であり、少なくとも神教徒のひとりであるアルベルトにとっては、ファビオの孫娘というだけで彼女はほとんど“雲の上の存在”と言って差し支えない程である。
それなのにこの娘にはそうした家柄を鼻にかける様子が全くない。それどころか学校の同級生に必ずひとりくらい居そうな、男女誰とでも分け隔てなく仲良くなってしまうような、そんな気安くて素朴な付き合いやすさを感じるのだ。
だからアルベルトも、四人の中ではミカエラが一番気安いし話しやすい。目のやり場に困りにくいというだけでなく、美女であるのにそれを意識せずに話せるというのはなかなかに得難い資質であるように思われた。
「あー、いや。うちはそげん偉か家やないけんね」
やや照れ臭そうに彼女は言う。
「うちの爺ちゃんやら、ウチが『世界中色んなとこば見てみたか』って言うただけで主祭司徒ばこき辞めて旅さい連のてってくれんしゃったぐらいやし」
「えっ、そんな理由!?」
ファビオ・ジョーナンクの突然の主祭司徒辞任は当時かなり話題になったものだ。何しろ死去以外での主祭司徒交代はおよそ100年ぶりの珍事であったのでアルベルトもはっきり記憶しているが、まさかそんな理由だったとは。
「単純に『孫バカ』っちゃんね、うちの爺ちゃんは。ウチのやりたかことは何でもさせてくれんしゃった」
昔を懐かしむように、思い出しながらミカエラは言う。
「やけんウチも爺ちゃんの教えは全部きっちり守っとるとよ。筋の通らん事ばしたらつまらん、人に偉そうにしたらつまらん、男女で態度ば変えたらつまらん、生まれや種族で差別したらつまらんて、いつも口癖のごと言いよんしゃった」
「そっか、だからミカエラさんは人あたりがよくて誰にでも優しいんだね」
そう言われて、思わず赤面するところなんかはまさしく善良な性質がよく出ている。
「そういう風に育てられたにしたって、なかなかできる事じゃないと思うよ?やっぱりどうしても周りの人たちは家柄や、親や祖父の名声を見て欲目や贔屓目で接してしまうものだから、知らず知らずのうちに自分でもそれを当然だと思ってしまっても仕方ないと思うし」
特に彼女やレギーナのような生まれついての貴顕の家系なら、物心ついた頃には周りはそうした大人で溢れていたことだろう。
「でもミカエラさんにしてもレギーナさんにしても、自分の力や生まれや地位を全然鼻にかけてないし、それを利用しようなんて思ったこともないでしょ?」
そして家柄だけでなく、彼女たちは若くして勇者やその仲間と認められるほどの実力も備えている。それがたとえ自らの努力の結果だとしても、家柄の地位権力と自分の実力とがあってなお天狗になっていないというのは、ある意味で奇跡と言ってもいいだろう。
「だから“大地の賢者”も大事な孫娘を託す気になったんじゃないかな」
思えば“輝ける虹の風”の皆、特にユーリにそうした一面があった。だからアルベルトもアナスタシアも安心して溶け込むことができたし、だからこそあのパーティは上手く行ったのだと思う。
それを考えれば、彼女たちとは今後も仲良くやっていけそうだ、と安心するアルベルトであった。
「あのくさ、そげん褒めてもなんも出らんばい?」
「思ったことをそのまま言ってるだけだよ?」
「……口の上手かっちゃけん、もう……」
あまり褒められ慣れてないのか、赤面しつつそっぽを向いて、彼女は黙ってしまった。
弱り果ててミカエラを呼ぶレギーナの声が聞こえてきて、それで彼女はそっぽを向いたまま口の中で何ごとか言い訳めいた呟きを残して、車内に消えて行った。ドアが開いた時、まだ泣いているクレアの声が少しだけ聞こえてきた。
それを見ながら聞きながら、この子達が与えられた使命をきちんと果たせるようにできる事は何でもしよう、精一杯サポートしようと、改めて誓うアルベルトであった。
そしてそんな彼の姿をチラチラ確認しながらスズが駆ける。彼女の軽快な足取りからすれば、まだ陽神が高いうちにブルナムにたどり着けそうである。
お読みいただきありがとうございます。可能な限り毎日更新の予定です。
もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、ぜひ評価・ブックマークをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!