a-5.勇者様御一行のお仕事(5)
当初3話ぐらいの予定だったのに、レギーナさんが勝手に暴走したりして思いがけず5話までかかりました。
次からいよいよ二章、東方世界までの旅が始まります。
一方のレギーナはというと。
彼女は対峙するミカエラたちと百手巨人から離れるように動いて巨竜の側まで近付いていった。
その霊力に反応したかのように巨竜が首をもたげる。
『…………何奴』
「あら、もう人語を解するようになってるのね」
それは確かに巨竜からの誰何の声。
声を発するということは、即ち魔術を操るということだ。その事実はこの巨竜が充分に成熟した成竜であり、このまま放置していれば間違いなく“魔王”に成り上がるであろうことを示唆していた。
「じゃあやっぱり、今この場で討伐しないとダメね」
彼我の実力を推し量りつつも、彼女は臆することはない。傲然と胸を張って討伐すると宣言してみせる。その顔には強がりの色も、自らに言い聞かせる気配もない。
『人の子の分際でほざきおる。やって見せよ』
そして挑発された格好の巨竜がゆっくりと立ち上がった。
(まずはよし、と)
それを見てレギーナは心の中で呟く。
まずは何を置いても巨竜を瘴脈の中心から離すことが肝要だった。見たところもうすでに巨竜はその身に瘴気を色濃く纏っていて馴染ませつつある。おそらくあの場に居続けるだけで体力や魔力を回復させることも可能なはずだ。
無限に回復し続ける相手とやり合うほど面倒なものもない。だったら引き離してしまうに限る。
だが巨竜は立ち上がったまま動こうとしない。卑小な人の子を警戒しているのか、あるいはレギーナの思惑などお見通しなのか。
「なに、向かってこないわけ?『人の子の分際』に大層な恐れようね?」
『フン。汝など儂が動くまでもない』
その言葉と同時に巨竜の口腔内に魔力が集まっていく。それをあらかじめ発動させていた[感知]で感じ取ったレギーナは、素早く詠唱すると[魔術防御]を発動させて防御体制を取る。三種の防御魔術はあらかじめかけてあったが、念のために発動強度を上げたものを重ねがけしたのだ。
直後、巨竜の口から光が漏れ出し、その口が大きく開かれると同時にその光が迸る。巨竜のみが扱えるとされる魔術、[息吹]だ。
光の奔流は瞬時にレギーナのいる地表に到達し、彼女の姿を飲み込んで消し飛ばす。当然ながら避ける間もなかった。
巨竜は息の続く限り[息吹]を吐き続け、やがて吐き終えてその口を閉じる。巨竜の眼前には[息吹]が抉って地形の変わった大地だけが⸺
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「もう終わり?大したことないわね」
抉れた大地の真ん中に、“人の子”が立っていた。
ダメージなど欠片もない様子で、傲然と胸を張って。
「じゃ、次はこっちの番ね」
巨竜が何か言う前にそれは地を蹴った。それはあっという間に宙を踏みしめ、巨竜の眼前に迫りその鼻先に降り立って、そして最後の跳躍とともに巨竜の眉間に手に持った武器を突き立てた。
『グ、ガアアアアア!!』
およそ生き物で顔面が急所にならぬものなどそうはいない。これがはじめから瘴気によって生み出された魔物であるならまた違ったかも知れないが、巨竜は元々実体のある“生物”だ。だからいくら瘴気を纏って魔力を増していたとしても、顔面が急所であることに変わりはなかった。
しかもその一撃は硬いはずの鱗を容易く砕き、深く深く抉るように頭蓋に達するほど突き込まれたのだ。
巨竜はその巨体もあって、生まれてこの方顔面に直接攻撃を受けた経験などなかった。まだ幼い頃は母竜に護られていたし、巣立ちを果たしてからはそんな窮地に陥ったことさえなかったのだ。
それなのに、わずか一撃で急所に深手を負わされたのだ。
『グ、ガ、キサマァァァアアア!』
怒りで瞬時に意識が染まる。だが反撃しようとした時にはもうそこには矮小な人の姿はない。
「大きいほど鈍間になるってのに、どうしてみんな身体を大きくしたがるのかしらね?」
右前脚の辺りで声がした。その次の瞬間、右脚踵の腱の辺りに激痛が走る。これも容易く鱗も皮膚も切り裂いて、肉に守られているはずの腱に達する深刻な一撃だった。
その痛みに思わず脚を上げると、今度はその上げた膝関節の辺りに何かが触れた。
「ほら、喉ががら空きじゃない。しっかり防御なさい?」
その声とともに、今度は首元に激痛が走った。これは分厚い肉を裂いただけだが、もしも気道まで達していたら致命傷になりかねない一撃だった。
おのれ、次から次へと!
怒りに打ち震え、首を巡らせてもすでにそこには敵の姿はない。どこだ、どこにいる。すぐにでも見つけ出して、今度こそ我が息吹で跡形もなく消し飛ばしてやらねば気が済まぬ。
だが今度は、背中で声がした。
「こういうのも痛いでしょ?」
そしてさらなる激痛。やはり鱗を砕き皮膚を裂き、肉はおろか背骨に達する衝撃さえある。
『ギィアアアアア!!』
堪えきれぬほどの痛み。あのような矮躯のどこにこんな力があったというのだ。
だが、そこか。
巨竜は痛みに耐え、すかさず長い尾を振り抜いた。それも背中全体を薙ぎ払うように。
「ぐ、ぅあ━━━!」
手応えがあった。首を巡らせ見ると、忌々しき矮躯が渾身のひと振りを食らって吹き飛ぶ姿が目に入る。それはなすすべ無く宙を舞い、地に落ち、何度か跳ねたあと転がって動かなくなる。
ふはは、無様な。舐めた真似をしてくれるのもここまでだ。
さて、では止めを刺してくれよう。
巨竜は勝ち誇りつつ腰を上げた。幸いにして今受けた攻撃の傷は背中以外はすでにほぼ癒えている。これも地脈を独占し魔力を浴び続けたおかげだ。
そうして、より確実に息吹を当てて今度こそ消し飛ばすべく、巨竜は倒れた敵の元へ歩み寄って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地響きとともに巨竜が歩を進めてくる。
やはり思った通り、ヤツは瘴脈から離れた。おそらくは至近距離から[息吹]を吐いて確実にとどめを刺すつもりなのだろう。
うつ伏せに倒れたまま、レギーナは冷静に巨竜との距離を測る。
彼女はダメージを負っていなかった。負ったように敢えて見せかけたのである。奴が瘴脈から動こうとしないのなら、動きたくなるように仕向ければいい。
だから彼女は敢えて尾の一撃を受けたのだ。そしてわざわざ受け身も取らずに吹っ飛ばされるままに転がったのだ。
無論、[物理防御]はダメージこそ通さないが、吹っ飛ばされた衝撃や地に叩きつけられる痛みは完全には軽減できない。だがその程度に耐えられないほど彼女はヤワではない。
巨竜が間近に迫り、頭上に魔力が集まっていくのが分かる。わずかに顔を動かしてそれを目視し、巨竜が口を開くその瞬間、彼女はドゥリンダナを“開放”した。
“開放”すると、いつも時間が止まったかのような錯覚に陥る。そうではなく、自分の方が速くなったのだと頭では解っているが、この不思議な感覚はいつまで経っても慣れない。
だが開放中は、そんな事より戦いに集中しなければ。そう自分に言い聞かせ、レギーナは身を起こし地を蹴って[息吹]の射線から逃れる。
巨竜の体側まで移動したところでその口が開き、光の奔流が吐き出される。先ほど重ねがけした[魔術防御]は解除してしまったから、あれをまともに食らってはさすがに無事では済まないはずだ。
だがそんなもの、避けてしまえばそれで済むのだ。
そして彼女は詠唱し、地を蹴って宙へと駆け上がる。
と、その時。突然彼女の身体を[水膜]が覆った。
何事かと一瞬思ったが、すぐに気付く。これはミカエラが広範囲殲滅魔術を使おうとしているのだと。自分をそれに巻き込まないよう、事前に防護を施してきたのだと。
案の定、すぐにどこからともなく大波が押し寄せてきて巨竜を呑み込む。レギーナは幸いにも波に晒されないほど高く駆け上がっていたから何の影響もなかったが、巨竜の方は突然押し寄せた大波に戸惑い、脚を取られてバランスを崩す。先ほど斬った右前脚が踏ん張れていないようだ。
たたらを踏む巨竜は、今この一瞬だけだろうがレギーナから意識を離している。このチャンスを逃す手はなかった。
「これで、終わりよ」
そう呟いて彼女は巨竜の頭部を見上げた。
彼女が見据えているのは、逆鱗。巨竜の持つ唯一の身体的弱点とされる、全身の鱗の中で唯一逆さまに生えた鱗だ。
そしてそれが彼女の目の前、巨竜の顎の付け根にはっきりと見えている。彼女が今見ているのは巨竜の右後方下部からなので、その全貌を目にできているわけではなく一部が見えるだけだが、それでもそれが逆鱗であることに間違いはない。
彼女は再び宙を駆け上り、逆鱗に肉薄する。“開放”された彼女の速度は巨竜に反応できるものではない。
そして彼女が突き出したドゥリンダナが、ゆっくりと逆鱗の根本に深く深く刺さりこんでいった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゴボリ、と巨竜が血を吐いた。
それは巨竜の巨体に見合う夥しい量で、レギーナを狙うために心持ち下げられた頭から滝のように大地へ落ちていく。
『キサ、マ…………』
もはや巨竜はレギーナを見ていなかった。まあ彼女は今、顎の裏でドゥリンダナを突き刺してぶら下がっているのだから見えようはずもないが。
「貴方には恨みはないけれど、貴方が悪いのよ。瘴脈を独占なんかするから、魔王になる前に⸺」
『名は、なんという』
あっこれもう人の話聞いてないやつだ。
聞こえていないというべきかも知れないが。
レギーナはドゥリンダナを引き抜くと地上に降り立ち、そしてわざわざ巨竜にも見える位置まで移動した。まだ開放したままなので、巨竜には一瞬でそこに姿を現したように見えたことだろう。
そして傲然と胸を張って名乗りを上げる。
「私の名はレギーナ、勇者レギーナよ。最期に憶えておきなさい」
『勇者………………』
巨竜の目にはすでに戦意はない。改めて見ると、それはとても澄んだ美しい赤だった。
『そうか、勇者か。ならば儂が及ばずとも是非もない』
「そう、仕方のないことよ。まあ次生まれてくる時は、討伐なんてされないモノに生まれてくることね」
生まれ変わり、前世の記憶。そういったものを口にする者が稀にいることは比較的広く知られている。彼らは一様にラティアースではない、どこか全く違う世界の話をするという。そして中には人類ではなかった記憶を語る者もいるらしい。
であれば、この巨竜もいつかは人類として生まれ変わることがあるかも知れない。あるいは、ここではないどこかの世界で生を受けることも。
『⸺いや、次の“生”でも儂は其方と見えたいものよ⸺』
それが巨竜の最期の言葉になった。逆鱗からの出血が次第に吐血の量を上回り、そしてとうとう巨竜は地響きを立てて地に倒れ伏した。
それを見届け巨体を巧みに躱して、そしてようやくレギーナは息をつく。動かなくなったのを確認してから彼女はその顎の下に近付き、すっかり血に染まった逆鱗をドゥリンダナで器用に剝して切り取った。およそ25デジほどもある巨大なそれは、討伐の証明部位として辺境伯に提出することになるだろう。
そこまで終えてレギーナが見渡せば、ちょうど炎に包まれた巨人が崩折れてゆくところだった。辺りを埋め尽くしていた海嘯はいつの間にか消えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「済まなかったね、どうやら大変な手間をかけさせてしまったようだ」
辺境伯公邸に終了報告に赴いて事の次第を説明すれば、辺境伯に大変申し訳なさそうに謝罪された。
無事に討伐を終えて合流したレギーナたち三人は、それ以上の敵影がないことを確認した上で砦小屋に戻り、その日は小屋で一泊し休養を取ったあと四人揃って拠点集落に戻り、脚竜車を返却してもらった上でラグ市街まで帰還した。三人に目立った外傷はなく、レギーナの打ち身はミカエラが[治癒]であっという間に治療したので実質無傷だ。
なお帰りは集落での歓待に応じて、そこでさらに一泊したためラグに戻ったのは出発してから8日目のことである。
「しかしこれで君も“竜殺し”か」
「誇るほどのことでもありません。我ら勇者は、“魔王”を倒すことこそ求められるべきですので」
「ははは、違いない」
レギーナを“竜殺し”と称える勇者ロイはかつて、西方世界の最高峰である竜心山に封じられているという魔王“闇の魔女”を討伐し再封印した実績を持つ。他にも“蛇王”の再封印、“南海の魔王”の討伐、さらに“魔剣聖”の撃退など、数々の魔王級を退けた伝説の勇者だ。
そしてレギーナはこれから“蛇王”の再封印に向かう当代の勇者だ。
そんなふたりにしてみれば、まだ魔王にもなっていない巨竜の討伐など『できて当たり前』でしかなかった。
だが、それはこのふたりが勇者と認められるほど高い実力を持つがゆえでもある。もしも彼らでなければ、今回の瘴脈討伐は大変な犠牲を払わねばならなかったに違いない。
「しかし巨竜に百手巨人の討伐ともなると私の一存では討伐報酬が出せないな。議会に諮って予算を組まねばなるまいから、支払いが月末になってしまうが」
「問題ございません、蓄えはありますので」
「そうか。まあ君たちが出立するまでには支払えるよう、議決を急がせるとしようか」
「はい、よろしくお願い致します」
結局、報酬の支払いは出立の数日前までずれ込んだ。その額は当初想定された額のおよそ10倍、10白金貨にも及んだ。
予想外の収入にミカエラが大喜びしたことは言うまでもない。彼女は商工ギルドに河竜の革も持ち込んで、こちらは結局紙幣になったそうだ。
ただ特注脚竜車の支払いが同じく10白金貨に達したため、瘴脈討伐の報酬はそのまま商工ギルドへと流れることになる。
彼女たちがそれを知り、ミカエラが青い顔をしてガックリと崩れ落ちるのはもう少し先のお話である。
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