a-2.勇者様御一行のお仕事(2)
瘴脈討伐、いよいよ渓谷へ突入です。
山中に現れた小屋は、見張り小屋と言いつつもなかなかしっかりした石造りの、小さな砦のようだった。小屋というほど小さくはなく、だが砦と呼べるほど大きくもないが。
おそらく巡回討伐に来た冒険者たちが万が一手に負えなかった時、逃げ込んで籠城することも想定しているのだろう。中は数十人程度は収容できるほどの広さが確保されていた。
「なによ、小屋じゃないじゃない」
「こらまた思ったよりかしっかりしたモンば拵えとんしゃるね」
「まあ、木造の“本当の小屋”だと頻繁に壊されて、そのたびに建て直さなければならないでしょうね」
口々に言いながら、彼女たちは砦小屋の門を押し開けて中へと入る。中は無人らしく出迎えなどもないが、元より誰か残っていると聞いているわけでもないから気にすることもない。
そして彼女たちは脚竜を厩の柱に繋ぎ、その背から荷物を下ろし、食材を取り出して早速晩食の準備にかかる。調理当番はたいていの場合ミカエラだ。レギーナは調理などしたこともないし、ヴィオレは保存食以外用意しようとしない。クレアはまだ子供なので刃物を扱わせるのは憚られる。彼女がもう少し成長すれば包丁の扱い方を教えてもいいだろう、とミカエラは考えている。
「今さら言うこっちゃないばってん、おいちゃんば連れてくりゃよかった」
調理も御者もできると言っていた彼の言葉を思い出して、食材を切り分けながらミカエラが独りごちる。彼が多少なりともきちんとできるようなら、ミカエラの負担はずいぶんと減るだろう。
そしてあの日の川魚の昼食の手際を思い返せば、その期待は大だ。
「だ、ダメよ彼はまだ契約期間じゃないんだから!」
耳ざとく聞きつけて、慌てたようにレギーナが言う。確かに彼と結んだ正式な契約期間は「出立から目的達成まで」であり、今はまだ出立前の準備期間だから、厳密にはまだ契約は発生していない。
だが彼女が顔を赤くして否定してくる理由はそれではないとミカエラには分かっている。
「なァん?まあだ恥ずかしがっとっとね姫ちゃん」
「えっいや違…そんな事言ってないじゃないの!」
「そげん誤魔化さんでちゃよかて。ここはウチらしかおらんっちゃし、ウチらの仲やんね」
「違うって言ってるでしょ!私は筋を通したいだけなの!」
筋を通したい、という点で嘘は吐いていない。ただ誤魔化したいのもまた事実だ。そしてそれがバレバレなの「が」恥ずかしい。
うん、そう。誤魔化したいのをバレてるのが恥ずかしいのよ私は。決してあの男がどうのこうのじゃないの。本当よ!
「…………なーんか、力一杯自分に言い聞かせよるごたんね姫ちゃん?」
ミカエラにジト目で見つめられた。ホントこの娘は下手に付き合いが長いから、何でも見透かしてきて扱いに困る。そう嘆息するレギーナである。まあ言わなくても察してくれるから、その点は助かってるけど。
ミカエラが砦小屋の食堂と間続きの厨房に置いてあった着火器に火をつける。どう見ても放置されていたとしか思えないが壊れてはいなかった。でも多分、魔鉱石への魔力充填は彼女が今自分でやったのだろう。
彼女はそこに持参の鍋をかけ、魔術で大気中から水分を抜き出して鍋を満たす。沸騰したあとさっきまで刻んでいた食材と調味料を放り込んで煮つめればスープの出来上がりだ。
鍋や包丁など調理道具はミカエラが必ず持ち歩いている。食材も可能な限り彼女かヴィオレが準備する。他人を疑うわけではないが、レギーナがエトルリアの姫であることもあって、念のために毒への警戒をしているわけだ。
まあ姫であると同時に勇者なので、多少の毒程度なら簡単に魔術抵抗してしまえるのだが、だからといって警戒を怠る理由にはならないのだ。
しばらくしてスープが仕上がり、美味しそうな匂いを立ち上らせる鍋をミカエラが食卓に運んでくる。各々が木皿を手に取りスープを注ぎ分け、その間にヴィオレがパンをいくつも籠に盛って鍋の横へ置く。あらかじめ彼女がラグの街で買っておいた白パンで、味見と毒見を兼ねて食べたが味も柔らかさも概ね及第点だった。
「ところでミカエラってさ」
「なァん?」
「こういう料理とかってどこで覚えたの?」
「爺ちゃんと旅ばしよったとき」
彼女はレギーナと出会う前、まだ子供の頃に3年ほど祖父と世界中を当てもなく旅していたことがあるという。その時に諸事情あって野宿を強いられることも多く、それで一通りの炊事は覚えたのだという。御者の技術もその時に身につけたのだそうだ。
「爺ちゃんがくさ、そげんとなーんもしきらんくせしてホイホイ野宿したがるっちゃん。そやけんウチが覚えなどげんもならんやった」
「ファビオ様もなかなか無鉄砲でいらっしゃるわね…」
「そのくせウチとの二人旅にえらいこだわってからくさ。『可愛か孫との旅なんやけん誰にも邪魔やらさせん』て言い張ってから、ほんなこつ往生したばい」
「まあファビオ様らしいけど…」
知ってた。
神教の教団最高位である主祭司徒まで務めた彼女の祖父が、ただの孫バカだったことを思い出して苦笑するしかないレギーナである。
だが十代前半の孫娘に負担をかけるのはどうなのか。
「まあウチがなんかしてやる度に大喜びすっけん悪い気はせんやったばってん。それにこうして今役立っとるけんね」
まあ彼女がそう言って笑ってられるのなら、いいか。
「さ、食べたら今日はもう休みましょ。明日は“大掃除”なんだから」
そう言ってレギーナは空になった木皿をテーブルに置いた。向こうではすでに食べ終えたクレアが荷物から自分の寝袋をさっさと取り出し始めている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「思ったより多いわね」
いかにも面倒そうなレギーナの呟き。
彼女の眼下には今、朝靄にけぶるレファ渓谷のほぼ全域が見通せている。
見張りの砦小屋はよく計算されて建てられていた。上階の物見台に上がると、渓谷が一望できたのだ。そしてそこに、魔獣の群れがいくつも見える。
さすがに袖すり合うほどひしめいているわけではないが、それでもそこかしこで群れ同士の小競り合いが起こっているのが見て取れる。そして、その中を悠々と闊歩する魔物たち。小鬼や醜人などの群れる魔物から、単独で闊歩する緑鬼や単眼巨人といった鬼種や巨人種、さらには魔族の姿もある。他にも双頭獣や複数の獣の特徴を備えた合成獣などの姿も見える。
ところどころに生えている草木はただのそれかと思いきや、よく見れば人樹や食人草だったりする。瘴気に当てられて植物までもが魔物に堕ちているのだ。
ふと砦小屋を影が覆い、レギーナはつられて空を見上げる。そこには巨大な魔獣が悠々と空を飛んでいた。
「げ、空魚までいるじゃない」
空魚、とは天空をまるで海のように泳ぐ巨大な魚の姿をした白い魔獣である。いやこの場合は魔魚というべきか。
その見た目は外洋で稀に見かける島魚によく似ているが、大きさはその数倍から十数倍もある。ほとんどは剣も弓矢も届かない天空高くを飛んでいるが、狩りをする時にだけ稀に地上すれすれまで降りてくる。
「まあ、空魚はとりあえず気にせんで良かろ」
一緒に物見台に上がっているミカエラが言う。
空魚は魔獣の一種だが、ほとんどは高空に留まっていて人や獣を襲うことはない。狩りをする時でも大抵は野生の翼竜などを狩るため、地表に降りて狩りをすること自体が稀であり、そのため一般的には無害な魔獣とされているのだ。今だって比較的低空を飛んではいるが、それだけだ。渓谷のような狭い場所にはそもそも降りてこない。
「ま、いいわ。さっさと片付けましょ」
面倒くさそうにそれだけ言って、レギーナはさっさと物見台を降りて行ってしまう。面倒くさいのは間違いないし、パーティ唯一の前衛としてあの大量の敵を相手にするのは彼女なので、彼女には面倒くさがる権利がある。
だからミカエラは苦笑しつつ見やって、それから彼女を追いかけて物見台を降りて行く。一緒に物見台に上っていたクレアが、その後を終始無言のまま追いかけて行った。
ウチが剣士やったらねえ、とミカエラは思うことがある。実際、剣術の腕前だけなら彼女は自分がレギーナにそう劣っているとは思わない。〈賢者の学院〉に入る前、まだ子供だった時分には練習でも互角に打ち合っていたし、あの頃はお互いどちらが“勇者”になれるか張り合っていたのだ。
だが体捌きと敏捷性の違いで次第に差がついてゆき、彼女がエトルリア王家に代々伝わる宝剣ドゥリンダナを継承する可能性があったことなどもあって、それでミカエラは彼女には敵わないと諦めたのだ。そして今度は魔術師を目指したものの、学院の入学試験において本物の「魔術の天才」というものを目の当たりにし、結果的に自分のもっとも得意な分野である法術師を目指すことになったのだ。
その選択と結末には不満はない。収まるべくして収まった結果とも言える。だがたとえそうであってもレギーナに負担をかけているのは間違いないのだ。だったらせめて自分にできる事をしよう。クレアとともに魔術で彼女をサポートし、彼女が負傷すれば全力で癒そう。そう改めて心に誓うミカエラである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃ、やりましょっか」
そう言うレギーナに不自然なところは何もない。
あくまでも自然体に、まるでちょっとした用事を済ませるくらいの気軽さだ。
だが彼女の目の前には、彼女の倍ほどもある巨体の緑鬼が立っている。昨日の鎧熊とどちらが大きいだろうか、あんまり変わらない気がする。
緑鬼は鬼人族の一種と言われたり、元は妖精族だと言われたりするが、具体的にどういう種族なのか明確には判っていない。ただ言えるのは非常に凶暴で意思の疎通は極めて困難、遭遇すれば高確率で襲われるということだけだ。
襲って人を殺しても食うわけではなく、なのに逃げれば追いかけられる。人類にとっては厄介極まりない。
緑鬼が咆哮を上げながら丸太のような腕を振り上げ、レギーナに向かって振り下ろす。だがそれが地面を叩き潰した時には彼女はそこにはいない。
「やっぱ鈍間ねえ」
無感動にそう言いながら、彼女は緑鬼の真後ろからその腰をドゥリンダナで両断した。
「おっ、団体さんの来たごたる」
「クレア」
そのレギーナの向こうに目をやって、のんびりした口調でミカエラが言い、それを受けてレギーナは振り返りもせずにクレアに指示を飛ばす。
レギーナの背後に迫ってくるのは下級の魔物たちの群れ。小鬼、醜人、醜鬼など雑多に混ざった数十匹の群れが彼女めがけて走ってくる。
指示されたクレアは無言のまま前へ踏み出して、同じように歩いて戻ってくるレギーナとちょうど立ち位置を入れ替えた辺りで右掌を頭上へと掲げた。
「[豪火球]⸺」
ちょうどそのタイミングで、クレアが口の中で紡いでいた詠唱が完了し、彼女の頭上に巨大な火の玉がいくつも現れる。ひとつあたり直径が50デジはあろうかという巨大な火球がざっと10。
周囲の空気が一気に熱せられ、その巨大で猛烈な魔力の塊に怖気たように魔物たちの足が止まる。
「えい」
そこへクレアが上げた手を振り下ろす。
たちまち10個の火球は群れの方へと飛んでいき、あっという間に群れを全て飲み込んで、ついでに周りの人樹や魔獣たちをも巻き込んで燃やし尽くした。
「ホブもなあ。あげんしてゴブリンやらに混ざるけん『でっかいゴブリン』やら『ゴブリンの亜種』やら言われるっちゃんなあ。子分が欲しいか知らんばってん、馴れ合わんときゃもっとマシな名前ば⸺」
「誰に何を解説してんのよ」
ミカエラが全くどうでもいい豆知識を披露して、レギーナにツッコまれていた。
「ホブ」とは西部ガロマンス語の古い言葉で「田舎者」という意味である。人里離れた山中の廃鉱山などに住み着いて、よくゴブリンと一緒に現れたりするものだから「(人気のない)田舎にいるゴブリン(の仲間)」などという名前を付けられてはいるが、生物学、いや魔物学的に言えば全くの別種であるらしい。
空から鳴き声がいくつも聞こえて、レギーナとミカエラが揃って見上げると、そこには翼竜の群れが飛んでいて彼女たちを見下ろしている。
「じゃ、次はミカエラね」
「しょんなかねえ」
文句を言いながらもミカエラは口の中でサッと詠唱を紡ぐと、今にも飛びかかって来そうな翼竜の群れへと右手の人差し指を突き付ける。周囲の気温が一気に下がった、と感じた次の瞬間には彼女の頭上に氷の棘が無数にできている。棘と言っても長さは彼女の腕とあまり変わらない。
彼女は法術師であり、同時に魔術師でもある。神教の法術師になる、つまり神に祈りを捧げるためには霊力を備えていることが絶対要件であり、霊力があるのなら魔術を覚えられるのだ。だから法術師はほとんどの場合、魔術師と兼業である。
ちなみに彼女は杖を装備しておらず、法術師の装備として持っている戦棍も腰の後ろに提げたままである。彼女だけでなくクレアも他の魔術師も、たいていは杖など装備しないのが一般的だ。持っている者がいるとすれば、それは護身用の得物か、あるいは別の用途があるかのどちらかだろう。
というのも、この世界の魔術は決められた詠唱を唱えて自己の霊力で霊炉を起動させれば発動するので、外部から魔力を取り込むこともそれに触媒を用いることもないのだ。体外に放出するのも魔術師の身体に現れる霊痕から放出されるのであって、杖から出すわけではない。
発動強度を決めるのは周りの自然全てに宿る魔力を用いるが、どれだけの魔力を集めてどれほどの強度で発動させるかは術式で規定されるため、それ以上集める必要もない。
「落ちれ。[氷槍]」
ミカエラのその声がトリガーであったかのように無数の氷の槍が翼竜めがけて飛んでいき、あっという間に全身を串刺しにされた翼竜がバタバタと落ちてくる。
「ま、こんなモンかね」
「相変わらず寒いわね、これ」
「さっきのクレアんとで暑うなったけん、ちょうどよかろ?」
「ちょうどよくないわよ。もっといい感じにはならないの?」
「贅沢言うちゃいかんばい」
のんびりくっちゃべってはいるが、まだ渓谷の入り口である。見はるかす先には大型の魔獣や魔族の姿も見えてきていた。
「さ、どんどん行くわよ!」
レギーナのその声で三人は走り出す。
なおヴィオレは戦闘ではほとんど役に立たないので、荷物と脚竜の見張りを兼ねて砦小屋で留守番である。
お読みいただきありがとうございます。可能な限り毎日更新の予定です。
もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、ぜひ評価・ブックマークをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!
ちなみにモンスターの名前にあてた漢字については一部オリジナルが含まれています。なので「こんな当て字は使わない!」という抗議はご遠慮下さいませ。
あと「モカディック」に関しては、「モビーディック」の書き間違いではありません。
●西方世界の言語に関する補足●
西方世界のほぼ全域で「現代ロマーノ語」が通用する。これは古代帝国時代に使われていた古代ロマヌム語から発展した言語で、そのため古代帝国の旧支配地域のほとんどで公用語として用いられる。
古代帝国の分裂・滅亡からおよそ1000年以上が経っており、その間に現代ロマーノ語に変遷するのとは別に地域ごとに方言化して独自に発展・成立した言語もある。それが「北部ゲール語」「南部ラティン語」「西部ガロマンス語」などで、それぞれ西方世界の北部、南部、西部を中心に通用する。
そこからさらに狭い地域の方言に細分化されていることも多く、例えばミカエラの使うファガータ弁は南部ラティン語のエトルリア・ファガータ地域の方言になる。
イリシャ連邦で主に話されるのは古代ロマヌム帝国以前からある言語から発展した「現代イリシャ語」で、これは古代ロマヌム語や現代ロマーノ語とも一部影響しあっているものの、基本的には別言語である。ただイリシャ語を公用語とする国々でも現代ロマーノ語は通用する場合が多いため、意思の疎通に問題はない。
意思の疎通に問題があるのは西北方に広大な国土を構え、西方世界各国とはほぼ断交して鎖国状態の帝政ルーシで、この国の公用語は古代ロマヌム語や現代ロマーノ語の影響をほぼ受けない「ルーシ語」だと言われている。他にイリシャと大河の間、暗海の南岸一体を支配するアナトリア帝国の「アナトリア語」は東方世界の影響も受けていて独自の言語体系になっている。