1-20.最終確認、そして新しい“仲間”
本日の2話目です。
いよいよ出発が近付いて参りました。
脚竜に関する説明を含みます。
寝室のさらに奥には小さな扉があって、そこを開けると窓がなくて衣類棚の備え付けられた小部屋があった。ここは設計案になかったウォークインクローゼットで、女性4人組ということで気を利かせて備えてくれたようだ。
寝室前の廊下の突き当りが荷物室で、ウォークインクローゼットを付けた分だけやや狭いが、それでも寝具や雑貨荷物などをまとめておくには充分なスペースだ。搬入口は広めに取られており、ある程度大きな荷物も持ち込めるようになっていた。少なくともマットレス程度ならここから問題なく入れられそうである。
「…ここだけなんか天井の低かごたんね?」
「荷物室の天井部には雨水を溜めておける容器を仕込んでございますよ。ですのでトイレの水洗用にわざわざ魔術で水を生成する必要はございません」
「ああ、そういうことなのね」
「ですが最初のご出発時だけは水をご用意下さいますよう」
最初が空ではトイレも流せないので、これは仕方ない。
「ところでおいちゃんはどこさい行ったとかね?」
「さあ?見てないわね」
「自分の寝床でも確認しているのではなくて?」
レギーナたちが居室に戻ると、ちょうど御者台とアルベルトの寝室に続く短い廊下から彼が出てきたところだった。
「ああ、おんしゃった。おいちゃんの寝床はどげんでした?」
「うん、要望通りで何も問題なかったよ」
ミカエラたちがアルベルトの寝室を興味本位で覗いてみると、狭い室内に腰くらいの高さに据え付けられたシングルサイズのベッドがあり、はしごに足をかけて登るようにできていた。ベッドが高いのはその下が脚竜の餌の保管庫になっているためで、これは要望通りの仕様だ。窓は壁面の上部に横長のものがひとつあって、これはどちらかというと換気が目的のようだ。
ベッドと壁の間の狭い床面の両隅には天井まである家具が設えられ、引き出しがいくつもついている。これがアルベルトの言っていた、持ち込む道具類を分類し保管しておくための棚だろう。
「うわ、せっま。こんなの物置じゃないの。こんな所で本当に寝るの?」
レギーナは辛辣だが言いたいことは分かる。最後部の荷物室より全然狭いのだ。日本人に分かりやすく例えるとベッドはおよそ畳一畳分、床面積はおよそその半分で、ベッドの三方は壁面に接触している有様だ。一般的な戸建ての日本家屋の風呂より狭い。
「寝床があるだけマシだよ。で、あっちが御者台だけど…」
アルベルトは指で指し示すが、狭い室内に全員入り込んでいるので身動きが取れない。彼もまさか女性の身体を押しのけるわけにもいかず困り顔だ。なので仕方なくレギーナたちは全員部屋を出て居室まで脱出し、その上でアルベルトの先導で御者台へ続く扉を開けた。
御者台は大人3人がゆったり座れる広さがあった。手すりが付いて走行中の落下防止にも配慮してあり、外から直接登れるように左右どちらにもステップが付いている。座面は木製のベンチシートタイプだが、背もたれと座面に布製のクッション材が誂えてあって座り心地も良さそうである。
室内から出入りする扉の前にある座席だけは背もたれがなく、座面が手で跳ね上げられるようにできていて、跳ね上げると進行方向に向かって右側の御者座と左側の助手座に分かれるようになっていた。
なお御者座のさらに右端の座面にだけクッション材がなく蓋が付いている。ここを開けば肉食種の餌が取り出せる仕組みだ。
そのほか、天井部分がややせり出していて庇になっており、風はともかく雨は凌げるようになっている。レギーナではないが、ここで寝ることも可能といえば可能だろう。
大人3人分のスペースなので、詰めて座っても4人分にしかならない。なので必然的にクレアが廊下に取り残されることになって、一生懸命外を見ようとピョンピョン飛び跳ねている。
その動きが何とも小動物みたいで可愛らしかったが、残念ながらアルベルトからは見えていなかった。
御者台の両端から前に伸びているはずの、脚竜を繋いでおく支柱はまだ取り付けられていなかった。どういうことかと問うと、大型の車両で車台を金属製にしたこともあって重量が重くなり、それで単頭牽きにするか二頭牽きにするか決めかねているという。それによって取り付ける支柱が二本なのか三本なのか変わってくるのだ。
どれほど重いのかとアルベルトが問うと、通常の長期旅行用の倍はあるという。荷物や乗員も含めるとさらに重くなるだろう。
「でも肉食種にするとか言ってたわよね?大丈夫なんじゃないの?」
「そんなに重いと思ってなかったからなあ。アロサウル種でも登坂がキツいかも知れないね」
「ほんなら、アロサウル種の二頭牽きかねえ?」
アロサウル種は大型で肉食の脚竜である。力が強く走力があってスピードが出せるが、体を揺らして走るため走行安定性や振動にやや難がある。特注脚竜車は車台に最新技術がふんだんに取り入れられているため安定性や振動はある程度抑えられるはずだが、二頭で牽かせるとなるとそこも不安だ。
何よりアロサウル種は獰猛で凶暴、調教も比較的難しく、それを二頭となるとアルベルトの技量では一抹の不安があった。それ以上にアロサウル種は縄張り意識が強く、二頭牽きさせると喧嘩を始める恐れもあり、そうなった場合は止められなくなるかも知れない。
そういった懸念があるため、アロサウル種は単頭で牽かせるのが一般的なのだ。
「俺も専門の調教師ほどじゃないからね、アロサウル種の二頭牽きってなると、万が一にもコントロールを失ったら危険なことになるからなあ…」
「じゃあやっぱり、プロの御者でも呼ぼうかしら?エトルリアの王宮に言えば腕のいいのが何人もいるし、誰か回してもらえると思うわよ?」
「いや今さら御者増やしたっちゃ、御者の寝床のなかやん?」
口々にああでもないこうでもないと協議していると、支部長がいつもの揉み手で愛想笑いを浮かべつつ寄ってきた。
そして彼はこう言ったのだ。
「ということでご提案なのですが、ティレクス種に牽かせるのはいかがでしょうか」
「ティレクス種?」
「あれは人には馴れんやろ?」
脚竜車を牽くのに用いられるのは、通常はイグノドン、サウロフス、ハドロフスなどの草食種の脚竜である。
イグノドン種は小型で温厚、単頭牽きにも複数牽きにも向いていてスピードの調節がしやすく、街中で乗るような小型車両ならイグノドン種を使うのが一般的だ。
サウロフス種は中型で温厚、単頭牽きにも複数牽きにも向き、通常の荷駄車や移動車はサウロフス種が多い。
ハドロフス種は草食だが大型で気性が荒く、単頭牽きに向いていて、魔獣程度なら自分で戦って追い払うこともできるので旅行用脚竜車はハドロフス種が多い。
肉食種で一般的なのがアロサウル種だ。大型で獰猛、力が強くスピードが出せて単頭牽きに向くため、重量があって牽引力を必要とする大型の荷駄車や長期旅行用などに採用されることがある。好戦的なため一般的な移動用脚竜車だけでなく、戦場で使われる竜戦車を牽かせることさえあるくらいだ。
そしてティレクス種というのはアロサウル種よりも一回り大型の肉食種で、野生ではアロサウル種すら狩ることもあるという、肉食種では最強クラスの脚竜である。かなり獰猛なため調教が非常に困難、というか一般的には調教不可能とされており、そのため通常は脚竜車を牽かせる用途には用いない。人との関わりもせいぜい野生のものを捕らえてきて動物園で展示される事がある程度だ。
というか集落の近くに出現すれば冒険者ギルドに討伐依頼が出されることもあるくらいで、他の脚竜と同じように家畜として扱われることなど基本的にはあり得ない。要するに猛獣である。
「いやあ、ティレクス種を調教できるかって言われるとなあ…」
「普通ならそうでございましょうな」
アルベルトが困ったように頭を掻いて、支部長が同意する。そして続けて言ったのだ。
「ですが、『人によく馴れたティレクスがいる』となれば、いかがですかな?」
聞けば、幼竜の頃から隣の隊商ギルドで飼われている個体がいるらしい。生まれたばかりで群れからはぐれたらしく、偶然拾って育てた隊商ギルドの従業員を親と思い込むほど懐いているという。
ただ、今やすっかり成竜になって飼育も大変になり、隊商ギルドでも持て余しているのだとか。
「ティレクスならばアロサウルよりも大きくて力も強く、何よりその個体ならば人にも従順です。強さにおいても見栄えにおいても、勇者様方そしてこの車体に相応しいかと存じますが」
そう言われて一同はそれぞれ顔を見合わせる。
というかこの支部長、さては別口でティレクス種を売り込もうと最初から考えていたに違いない。売上は上がるし隊商ギルドにもいい顔ができるしで、なかなか抜け目のないことだ。さすがに商工ギルドの支部長にまで登りつめるだけのことはある。
「…………当然、そら譲渡なわけやないっちゃろ?」
「ははは。お勉強させて頂きますとも」
ほら、やっぱり。
「とりあえず、実際に見てみないことには決められないわね」
そのレギーナの一言で、支部長の案内で隊商ギルドに出向くことになった。
兎にも角にも見てみないことには何とも言えない。使えそうならまあよし、使えなさそうならアロサウル種でも大型の個体を探すか、あるいはハドロフス種の二頭牽きなども検討しなくてはならなくなるだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「でっっか!何あれ!?」
「何あら、怖かぁ〜!」
「はわわわわ…!」
「本当にこれ、人を襲わないのかしら?」
全員の顔が青ざめるのも無理はない。東門を出て城壁の外にある隊商ギルドの脚竜用放牧地、その肉食種用の放牧地のただ中に、それはいたのだ。
かなり距離はあったが、周りに何頭か見えるアロサウル種よりも明らかに一回り大きく、その個体はまるでその場の王であるかのような威厳さえ備えていた。
それが隊商ギルドの案内役に気づいて、咆哮を上げてこちらに駆けてくるものだから大事だ。レギーナは腰からドゥリンダナを抜きかけるしクレアは慌てて魔術の詠唱を開始するしで、案内役が押し止めなければ危うく戦闘に入りかけるところだった。
「大丈夫、大丈夫です心配いりませんよ。ただじゃれてるだけですから」
巨大な鼻先を押し付けられながら案内役の青年が言う。いやどう見ても押されて振り回されて大丈夫ではなさそうなのだが。
だが確かに噛み付いたり襲う様子は見られない。それどころか喉を鳴らして尻尾を振って、本当に甘えているようにさえ見えてくるから不思議だ。
いやまあ長くて強靭な尻尾をブンブン振り回されるのは、それはそれで恐怖を惹起させるのだが。
「スズは人間のことをみんな仲間だと思ってますから襲ったりしませんよ。もしかすると自分のことも人間だと思ってるかも知れません」
「「いやいや、ないわよ」」
案内役の言葉にレギーナとミカエラがいつものようにハモってツッコむ。なんならツッコミの裏手までタイミングが揃っている。
「でもまあ、確かにこれなら調教の心配は要らないかも知れないね」
アルベルトがそう言って前に出て、スズと呼ばれたティレクスの方へと手を伸ばす。スズはそれを見て、初対面の人間を値踏みするように目を細めて、それから鼻面を寄せて匂いを嗅いでくる。
次の瞬間、その鼻面を押し付けられてアルベルトが吹っ飛ばされた。
「ちょっと!襲うじゃないの!」
「ちょ、おいちゃん大丈夫な!?」
「あはは。女の子だから男性はちょっと気恥ずかしいのかも」
「そういう問題なのかしら、これ?」
口々に騒ぐ周りの人間たちを尻目に、スズはレギーナをじっと見据えると、なんとその場に座り込んだ。
姿勢を低くし、頭を地につけ、まるでひれ伏すように。
「…へえ、これは初めて見たな」
案内役の青年が驚く。
それはティレクス種が滅多に見せることのない、服従のポーズだったのだ。
「きっとこの子にも、誰が勇者様なのか分かったんでしょうね。
この姿勢を取ったということは、もう絶対大丈夫ですよ。彼女は勇者様に従います」
「そ、そう。ならいいけど」
驚きつつも傅かれ慣れているレギーナはそれを自然と受け入れるが、
「「「「って、この子メスなの!? 」」」」
蒼薔薇騎士団の全員が珍しく綺麗にハモった。
そして全員で顔を見合わせる。
「そう、女の子なの。そうなんだ…」
思案顔でレギーナが呟く。
「まあ女ん子なら、ねえ?」
同意を求めるかのようにミカエラが呟く。
「レギーナには従順なようだし、いいのではないかしらね?」
ダメを押すようにヴィオレが言う。
「どのへんが、女の子…?」
クレアはまだ半信半疑だ。
「オスよりも顔が小さいですし、前脚も小さくて可愛いでしょう?それに背中もなだらかでスタイルがいい。親バカと言われるかも知れませんが、美人だと思いますよ?」
案内役の青年はどことなく自分の娘を自慢しているかのようだが、子供どころか結婚もしてなさそうな若者にそう言われても。
だが蹲ったままのスズの顔が、何となくドヤ顔に見えてくるから不思議だ。
「んで?購入するとしていくらぐらいなん?」
仕方なくミカエラが、聞かなくてはならないことを聞く。
「ええと、隊商ギルドの支部長に言われてるのはこのくらいで…」
「そらもう少し色つけてもらわなアレやね」
「でしたら支部長に直接仰って下さい」
「まあそれもそうやんな」
何となく購入する流れになっているのは、傅かれたレギーナがすっかりその気になっているからだ。付き合いの長いミカエラがそれを敏感に察知していて、それで案内役と交渉を始めているわけだ。
ともかく、こうしてティレクス種のスズは特注脚竜車とともに蒼薔薇騎士団のお買上げとなった。蒼薔薇騎士団の“第五の女”の誕生である。
なおアルベルトは無事だったが、ふっ飛ばされた先でアロサウル種に追い回されてまた転げ回り、ほうほうの体で戻ってきた時には体じゅう草だらけで爆笑を誘っていた。
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