7-2.王の目、王の耳
ナーヒードはひとまず、極星宮ではなく王都アスパード・ダナの拝火院に逗留することになった。ナーヒード自身が宮殿をあまり好まないというのも理由のひとつだが、彼女が宮殿内を闊歩すると色々と憶測を呼び不穏な空気になるらしく、メフルナーズもアルドシール1世もそのことについては了承しているという。
「此方、自分で言うのもアレじゃが絶世の美女じゃろう?貴族連中からの求婚が煩わしくて敵わんのじゃよ」
「そういうことを自分で言っちゃうんだもんなあ、ナーヒード様ってば」
「異論など認めぬよ」
「異論はありませんけどね。でもナーヒード様が一番気にしてるのはリヤーフ様でしょ?」
「これ、その名を出すでないわ!」
「呼んだかい?」
不意に声がして応接室の扉の方に目をやれば、いつの間にか開いている扉にもたれかかるようにしてひとりの青年が立っている。
髪色こそ暗めの濃茶色でこのリ・カルンでは一般的な髪色だが、瑠璃色の美しい瞳が印象的な、鼻筋の通ったスラリと細身の背の高い男性だ。その彼が笑みを浮かべれば、褐色の肌に白い歯がキラリと光ってひときわ目立つ。若い娘たちがこぞって騒ぎ立てそうな美男子である。
レギーナやアルベルトたちどころかジャワドもアルターフも唖然とする中、気付けばその青年はナーヒードの前に跪いてその華奢な手をすくい上げている。
「ああ麗しの花、天上の月、女神もかくやのその美貌。幾年を経てもいささかの衰えもない輝きはまさしく“乙女の中の乙女”と呼ぶに相応しい。ああナーヒード、我が愛。結婚して」
「断る」
湧き出る水のように流れ落ちる口説きの言葉を一刀両断に斬って捨てるナーヒード。賛辞は受け取りつつも求婚だけ途中で遮るあたり、なかなか容赦がない。そして彼は彼でフラレて傷ついた様子も全くなく「相変わらず辛辣!好き!」などとほざいている。
「え……ええと、ナーヒード様、その方は」
「コレか。コレはただの女たらし——」
レギーナの問いに答えかけてナーヒードが右手を伸ばす。パシッと小気味よい音とともにその手が受け止めたのはアルターフの細腕だった。
見ればその手に、いつの間にかナイフが握られている。
「ここで会ったが百年目!今日こそは覚悟するがよい下郎!」
「気持ちは分かるが、まあ落ち着け」
「お止め下さいますな!」
何故か、これまでに見せたこともないほど激昂しているアルターフの姿に、レギーナたちはますます呆気にとられるばかり。
「え、なに?親でも殺されたわけ?」
「いやまああのチャラさやけんねえ。真面目なアルターフの一番嫌いなタイプやろうばってん……」
「本日こちらにいらっしゃるとは聞いておらなんだのですが。——そちらのチャラい御仁が、“十臣”のおひとりリヤーフ様でございます」
「「「「「やっぱり」」」」」
蒼薔薇騎士団とアルベルトの声が全会一致でピタリとハモった。やはり最初に聞いた際の印象の通りだったか。
「そしてお察しのことと存じますが、リヤーフ様は女子と見れば誰彼構わず一度は必ず口説くものですから。当離宮はおろか王宮内の侍女たちは全員、今ご覧になられたように口説かれてございます」
「えっ、ということはアルターフも彼に口説かれたわけ?」
「アルターフだけではございませぬ。サーラーを始めとして全員が被害に遭っておりますな」
「「「「「うわぁ…………」」」」」
「ミナーに至っては正式に侍女に昇格したその叙任式の直後に襲われましてな。幸い、その時は周りに先任の侍女たちや我々宮殿秘書たち、それにメフルナーズ殿下もいらしたので事なきを得ましたが」
「「「「「年齢制限なしかぁ……」」」」」
ミナーは16歳で、侍女には今年昇格したばかりだと聞いている。リヤーフは若く見えるがこれでも十臣のひとりなので、年齢は少なくとも30歳を超えている可能性が高い。
「ていうか、アルターフ止めなくていいの?」
「あの者も手練ではございますが、ナーヒード様に抗えるほどではございませぬのでね」
見れば確かに、暴れるアルターフをナーヒードが右腕一本で押しとどめている。ちなみにナーヒードは左手をリヤーフに掴まれたままである。
そしてそのリヤーフは、跪いたままで器用にアルターフの蹴りや拳を躱していたりする。
「リヤーフ様。少しは自重しないと、いつか本当に刺されますよ?」
「なあに、麗しの美女の手に掛かって果てるならそれもまた本望ってやつだろう?」
「きいい!殺す!絶対殺す!」
呆れたように諭すミールの言葉にもリヤーフはどこ吹く風で、それがまたアルターフの怒りを買っている。
「…………アルターフ。もう止めなさい」
「——!し、失礼致しました!」
ひとつため息をついてレギーナがそう命じ、それでようやくアルターフは我に返ったようで大人しくなった。
どれほど逆上していようとも主人の言葉をきちんと聞き分けたあたり、理性が欠片でも残っていたことに安堵する他はない。
「ミール坊の言うとおりじゃな。リヤーフ、其方も少しは反省せよ。一体何人の女子を泣かせれば気が済むのじゃ」
「貴女が我が求愛を受け入れてくれれば、他の女になど目もくれないのだけれどね」
「断る」
「——というかそちらも素晴らしい美女揃いではないか!」
今さら気付いたかのようにリヤーフが叫び、次の瞬間にはレギーナの眼前に跪いていて——
その顔面を蹴り飛ばされていた。
「がっ……ふぅ!」
「行動が見え透き過ぎてて、いっそ清々しいわね」
「リチャード以上にチャラい女たらしがおるやら、世も末やねえ……」
錐揉み回転しながら吹っ飛んだリヤーフが、床にべしゃりと大の字に潰れた。それを見てアルターフが「いい気味だわ!」などと悪態をついている。
伸びてしまったリヤーフの身柄は、タイミングよく扉から入ってきた侍従のフーマンが回収していった。このままメフルナーズの元まで連行するそうな。
「素朴な疑問なのだけど」
「なんでございましょう」
「リヤーフ、どうして野放しになってるの?」
レギーナだけでなく誰しもが思うことであろう。いくらアルドシール1世の復権と即位に功績があったからとはいえ、あれでは王宮内に騒ぎと混乱しか生まないのではないか。もしも十臣としての恩義があるからと統制が取れていないのであれば、それは則ちアルドシール1世の権威や名声にも影響しかねないだろうに。
「リヤーフ様は現在、無官であられます。あの方のお振る舞いが罰せられぬのは、ひとえに十臣であればこそ」
「だったら、なおさら除名や処分を検討すべきでしょう?私が陛下のお立場ならそうするわ」
「何をしても咎められぬ、というのがこの場合、重要なのじゃよ勇者殿」
アルターフが大人しくなりリヤーフが退場して、ようやく一息ついたナーヒードが会話に加わってきた。
「此方が陛下のことを“アリア坊”と呼ぶのもそうじゃ。十臣は何を言おうとも成そうとも罰せられぬ、そのことを国内あまねく周知するのは陛下のご意思でもあるのでな」
つまり十臣の面々は、何をしても許されるほどにアルドシール1世からの特別な寵愛を受けているということ。逆に言えば十臣の言動を掣肘するような者が出れば、その者はアルドシール1世の不興を買うということになるわけだ。
だが規範や名誉を重んじる貴族たちには、それはむしろ逆効果ではないのか。それに彼を野放しにした結果、アルターフやミナーのように被害を被る者も出ている現状では、どうにも悪手としか思えないが。
「聡い貴族どもは即座に気付いて対応しておるよ。ゆえに問題はないのう」
「陛下も、僕ら十臣に特別な恩寵を授けていることを、むしろ積極的に公言なさいます」
「我ら十臣は陛下の名代、王の目であり王の耳。ゆえに我らを罰することは何人たりとも叶わぬ。そう、陛下以外にはの」
要するに、彼らはアルドシール1世が全幅の信頼を置く全権代理人なのだ。それが王都の内外あるいは国内各地に散らばり、他国からの間者や内通者、反乱分子などを取り締まるべく目を光らせているということになる。そういう意味では国家の要職に就いているロスタムやラフシャーンなどよりも、普段は王宮と距離を置いているナーヒードやリヤーフらのほうが重要な位置づけになるのだろう。
なお残りのふたり、侍従ミールと侍女二ルーファルは主に宮殿内でのそうした役割を受け持っているという。個人的武力は無いに等しい両名だが、アルドシール1世の特別な恩寵がある以上、誰も彼らに危害を加えられない。
「……なるほど、そういう事なのですね」
これもひとつの統治の在り方であり、国が変われば考え方もそのやり方も異なるというもの。全て理解し納得したレギーナは、以後彼らに二度と物申すことはなかった。
「でもそれはそれとして、リヤーフ様は極星宮を出禁と致しますね」
「おお、それは名案じゃな。是非よろしくお願い申す」
「ジャワド、メフルナーズ殿下にもそうお伝えしておいて」
「承りましてございます」
こうして、哀れリヤーフは極星宮を出禁にされてしまった。まあ彼が出入りできずとも離宮内にはミールがいるし、ナーヒードもロスタムも出入りするのだから何も問題はない。
「あっそうだ」
「なんじゃミール坊、いかが致した」
「すっかり忘れてました。勇者レギーナ様、陛下が夏の園遊会を開くので、是非皆様にもご出席頂きたいとのことです」
全然忘れていいことでもないと思うが、リヤーフの思わぬ乱入があったことだしまあやむなしか。
「それは、是非。喜んでお受け致します。陛下にもよろしくお伝え下さいミール様」
「はい、確かに承りました。それはそれとして、僕のことは本当に呼び捨てで構いませんので。勇者様で西方の王女様でもあるレギーナ様に敬称で呼ばれるなんて、そんな全然偉くもなんともありませんから」
「ミール坊のその自己肯定感の低さも、いい加減何とかならんものかのう」
「そんな事言われたって、僕は本当になんの力もないただの侍従なんですから」
十臣のひとりというだけで、すでに無二の価値を得ているはずなのだが。彼はどうやらそこには思い至らないらしい。そのことに少しおかしさを感じつつも、彼の意を汲んで「そこまで言うなら分かったわ。これからよろしく頼みますね、ミール」と言葉を返すレギーナであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……とりあえず、業務内容としてはこんなところでございますかな」
「なるほどね、分かりました」
応接室での会見のあと、ミールはジャワドにひと通りの業務内容をレクチャーされ、同時に離宮内の各設備を案内されている。離宮は彼が普段働いている大王殿とは構造も規模も異なり、さらには彼がこれまで一度も訪れていない場所である。そのため、彼にとっては目に映るもの全てが新鮮である。
「……ところで、彼は?」
中でももっとも見たことのないものが、ミールの向ける視線の先にあった。
「あっ、ライさん。ちょっとお願いしてもいいですか?」
「はい、どうしましたミナーさん。ぼくにできることなら何なりと」
もの、というか人だ。
そう。エトルリア王宮の侍童で、レギーナの王宮生活時代の従者だったライことライラリルレイビスである。
ライはエトルリア王宮でも制服として着用していた白いシャツに濃紺のショートズボンを履いて、ズボンはベルトではなく黒いサスペンダーで留めている。首元の小さな黒い蝶ネクタイがワンポイントになっている。足元は真っ白なソックスが清潔感を醸し、ズボンと同じ色の靴は磨き抜かれてピカピカだ。
燕尾服を模した濃紺の上着は、仕事中のせいか今は脱いでいる。おそらくどこか邪魔にならないところに置いているのだろう。
「ああ、彼は勇者様の侍童という話でしてな。勇者様が蛇王に敗れて戻られたあと、それを知った故国から遣わされてきたとの事にございます」
「だったら、僕たちにとっては彼もお客様ですよね?」
「そうなのですが、本人が勇者様のお側に侍りたいとそのまま逗留することになりまして。逗留するからには自分も働かせてくれと、そう申すものですから」
「メフルナーズ様はご存知なの?」
「はい。勇者様もぜひ働かせてやってくれと仰せですし、勇者様のお願いならばと副王殿下もお許しになられまして」
メフルナーズまで承認しているのなら、侍従に過ぎないミールに言えることは何もない。だから彼は「そうなんだ。じゃあ同僚扱いってことでいいんですね」とそう言って頷いた。
「あっ、ライくん。侍女長が手が空いたら来て欲しいって」
「分かりましたニカさん。で、侍女長はどちらですか?」
「備品庫の整理をやりたいって仰ってたわ」
「わあ、じゃあすぐに向かいますね!——ミナーさん、急いで片付けましょう!」
「えっ、あ、こっちは大丈夫だから侍女長のところへ……」
「ダメですよミナーさん、ミナーさんの用事の方が先約なんですから。ぼくは頼まれごとはちゃんとやり遂げますから大丈夫です!」
「ライさん……!」
ライが極星宮にやって来てまだ1ヶ月に満たないが、もうすっかり侍女たちと仲良くなっている。
「……ふうん。働き者なんだね、彼は」
まだ少年にしか見えないが、なかなかどうしてよく働いている。離宮の侍女たちからもすっかり信用されているようだ。そのうち自分とも仲良くなれるだろうか。
そんな事を思いながら、ミールは主君アルドシール1世に報告するために、踵を返してその場を離れたのであった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は11日の予定です。
【十臣】
早速リヤーフ君が出てきてしまいました(笑)。彼、女たらしな上に神出鬼没な設定なので登場させやすいんですよね(爆)。
ただ、あとの面々はねえ。まあ園遊会に何人か出てきそうではありますが。
ちなみにアルターフは22歳の設定なんだけど、口説かれたのって多分17、8歳くらいの頃なんだと思います(笑)。
【ここで会ったが百年目】
おそらく江戸時代の落語か漫談かそのあたりが初出だと思うんだけど(つまり日本独自の言い回し)、適当な訳がないのでそのまま使いました。いやあ、日本語って便利な表現たくさんあるよねえ(笑)。