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落第冒険者“薬草殺し”は人の縁で成り上がる  作者: 杜野秋人
【第六章】人の奇縁がつなぐもの
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6-24.新たな、そして重大な問題の発覚

「一本!それまで!」


 朧華(ロウファ)が右手を真っ直ぐ天に向かって振り上げつつ声を上げた。


「あああーーー!また勝てなかったあああ!」


 悔しそうに叫んで膝から崩れ落ちたのはレギーナだ。項垂れ、拳を鍛錬場の地面に叩きつけて悔しがる。

 弾き飛ばされた模造騎士剣がようやく落ちてきて、カランと乾いた音を立てた。


「いやあ、今のはヤバかったなあ」


 そして腕で汗を拭いつつ安堵の笑みを漏らしたのは、もちろんアルベルトである。


「次!次こそは勝ってみせるから!もう一本お願いします!」

「えぇ……」

「手合わせは1日に一本までって決めただろう、レギーナどの。過剰な鍛錬は許可しないよ」

「ううう……はい……」


 あの日以降のレギーナの鍛錬は主に、アルベルトとの手合わせがメインになった。天眼の修養だけでなく、それと密接に連動する気功の修行も兼ねるとなると、やはりもっとも効果的なのは同じ修行者相手の試合に尽きる。

 その意味で、天眼を修得していてなおかつ理解の甘いレギーナとアルベルトはほぼ互角で、切磋琢磨するのにちょうどいい相手同士だったわけである。

 とはいえやはり、先に修練を始めていて時間も積み重ねているアルベルトの方に一日の長がある。だからここまで、レギーナは彼に8戦全敗であった。


「ふむ、(あるじ)も勇者殿もまだまだ甘い(・・)のう」


 そんなふたりを、したり顔で評しているのは銀麗(インリー)である。彼女もまだ天眼までしか修得できていないが、ふたりとは理解度に天地の開きがあるため、その点に関してだけ言えば偉そうにするだけのことはあるのだ。


「そう言う娘々(ニャンニャン)も、そろそろ“慧眼(えげん)”の修行を始めてもいいんだよ?」


 だがそんな偉そうな態度の娘を、母が咎めないはずもない。


「あ、いや、(われ)の修行よりも勇者殿の方が優先じゃから、」

「遠慮しなくともいいんだよ娘々。元々、帰ったら慧眼の修行をつけてやる約束だったからねえ」

「そそそそれは虎岈(こか)(こく)に戻ってからでも遅くないというか……!」

「何言ってるんだい。娘々は少年の奴隷として一生仕えるんだから、虎岈谷には戻さない(・・・・)よ?」

「にゃーーー!そんな、無体なことを言わんでくだされ母者ぁ!」


 勝手に郷を飛び出した挙げ句に奴隷に堕ちた愛娘を、朧華はまだ全然許してなさそうである。

 ちなみに銀麗がなぜ修行を嫌がっているのかと言えば、母に課される本気の修行が死ぬほどキツいと、嫌というほど骨身に沁みているからだ。


「……そう言えば、“慧眼”の修得は一度死にかけるのが条件だって話だったけど」

「…………え、そうなのかい!?」

「インリーって、死にかけたことあるのかしら」


「それは今から(・・・)何とでもなるから心配はいらないよレギーナどの!」


「…………え゛」

「うわー、銀麗、これから朧華さんに半殺しされちゃうのかあ……」

「納得してないで助けてくれ主ぃ!」


「「……うん、頑張って」」

「殺生な!」


 銀麗が涙目で抗議してくるが、レギーナもアルベルトも本気の朧華とやり合いたくなどないので、彼女には尊い犠牲となってもらうしかない。


「ほぉら、覚悟を決めるんだね娘々」

「み゛ゃーーーー!!」


 にじり寄る朧華と、毛を逆立てて抵抗する銀麗。だが母の圧からは逃げられないと悟っているのか、背を向けて逃走するような事はない。まあ、逃げたところで逃げ切れるものではないと身に沁みているからなのだが。


「逃げられないと分かっているのだったら、さっさと覚悟を決めればいいのに」


「全くもってその通り!」


 一声叫んで、朧華が[威圧]を発動した。ゴウ、と暴風が吹き荒れるかのような音とともに空気がビリビリと震撼する。まだまだ本気ではないのだろうが、それでも物理的に圧されたような感覚を覚えて、アルベルトは思わず腰を落として踏ん張り耐える。


 その時、すぐ隣から、「ヒッ」とかすかな悲鳴が漏れたのが聞こえた。振り向くと青ざめたレギーナが、よろけたように一歩下がった。

 おかしいな、こんな程度で威圧されるような彼女ではないのに。そう思った瞬間、朧華が殺気を剥き出しにした。


 その瞬間、アルベルトの目には巨大な銀色の虎が咆哮したように視えた。虎は銀麗(エモノ)に狙いを定めて、今にも飛びかからんばかり。だが狙われた側もまた虎である。精一杯の[威圧]を放ち返して、銀麗もまた咆える。


「ガアアアア!」

「ゴアアアア!」


 銀と黄の二頭の“虎”が互いに殺気を放ち合う。それは衝撃波となりぶつかり合って、鍛錬場全体に暴威の嵐が物理的に吹き荒れる。


「イヤアアアアア!!」


 アルベルトのすぐ隣から、耳をつんざくような悲鳴が響いたのはその時である。

 思わず振り向くと、涙目のレギーナが尻もちをついていた。


「いや、嫌ァ!」

「えっちょっ、レギーナさん?」

「死にたくない、死ぬのは嫌ぁ!」


 歴戦の勇者とは到底思えない姿だった。涙を流して怯え、右手を突き出して拒絶し後ずさる彼女の姿からは、戦う気概も抗う勇気も、それどころか逃げ出す意思さえも感じられない。

 ただひたすらに怯え、震えて頭を抱えて蹲る。そこにいたのはただの弱者(・・・・・)だった。


「ちょっとレギーナさん、落ち着いて」

「嫌!助けて、殺される(・・・・)!」


 驚いて腰を落とし、落ち着かせようと膝をついて彼女に手を伸ばしたら、救いを求めるかのように腕の中に飛び込んできた。彼女は見て分かる程にガタガタと震えていて、死への恐怖で明らかに錯乱していた。


「…………ふむ、そこまで本気を出したわけでもなかったんだけど」


 威圧も殺意もすっかり消してしまった朧華が、やや憮然と呟いた。それはそうだろう。過去に彼女やレギーナの[威圧]を何度も受けているとはいえ、アルベルトが平然と耐えている程度の圧だったのだから。

 だというのに、今までの勇姿からは考えられないほど、レギーナは怯えきっていた。


「……もしや、蛇王とやらに敗れたことが勇者殿の心的創傷(トラウマ)になっておるのか」


 さっきまで母の殺意をまともに浴びて、怯えながらも必死で抵抗していた銀麗も、腑に落ちない様子でポツリと呟く。


「レギーナさんは、ずっと金の髪留めを愛用していたんだ。蛇王に敗れた時、その髪留めが失くなっていてね。ミカエラさんの話だとそれは霊遺物(アーティファクト)で、着用者が死んだ時に一度だけ蘇らせてくれるものだって話だったんだけど」


 怯え、暴れるレギーナを必死に抱き留めながら、アルベルトが銀麗の疑問に答える。

 “身代わりの髪留め(バレッタ)”の効果は正確には、一度だけ「死を無かったことにする」というものである。生命の灯が消えた事実だけを打ち消すものだからこそ、あの時レギーナの身体的損傷までは回復しなかったのだ。

 彼女は蛇王の圧倒的な力の前になす術なく破れ去り、生殺与奪を握られて、本来ならば確実にあの場で終わっていたはずだった。


「ふむ、ではレギーナどのはおそらくその時に、()()殺された(・・・・)のだろうね」


 死への恐怖は、自我を持つ生きとし生けるものにとっては克服しがたい根源的な恐れである。生命(いのち)あるものはすべからく死を忌み、生き延びるために本能の全てを費やすものだ。

 だから普通は、死を迎えるその瞬間に到るまで、たとえ無駄であろうとも抗い続ける。先ほどまでの銀麗がまさにそうだったように。

 だがレギーナは蛇王との戦いにおいて、一瞬にして瀕死にまで追い込まれた挙げ句に、ロクに抗うことも助けを得ることもできずに生命を散らした。その際の恐怖と絶望がいかばかりだったのか、ただ見ているだけしかできなかったアルベルトには計り知れない。


 レギーナはそれまで、死に瀕したことなら幾度もあった。だが実際に殺された(・・・・)のは(・・)初めて(・・・)だ。

 そう。彼女は蛇王との戦いで生まれて初めて、抗うことすら許されぬ絶対的な死と絶望による恐怖を味わわされ、全身に刻みつけられていたのだ。おそらくはそれが彼女の心の奥底に燻っていて、朧華の殺気を浴びたことでフラッシュバックしてしまったのだろう。

 だが生還して以降の彼女は常に安全な状況で守られていて、回復と鍛錬にだけ意識を向けていればよかった。だから彼女自身がそのことに気付いていなかったし、それはミカエラたちもアルベルトも、周囲の全員が同じだったのだ。


「何事だ!?」

「どうされました!?」


 鍛錬場に、先ほどの朧華の殺気を感じ取って騎士たちが殺到してきた。剣を抜き放ち飛び込んできた彼らは一様に、死にたくないと泣き喚いてアルベルトの腕の中で震えるばかりの勇者の姿(・・・・)を目の当たりにすることになった。

 少しばかり慌てた朧華が「何でもないよ、修練の一環でちょっと殺気を放っただけだから」と説明して、すぐに彼らを追い出した。そういう事ならと安堵した彼らは剣を収めて退去していったが、ただの弱者に成り下がった勇者の無様な姿がその目に焼き付いたであろうことは、彼らの困惑した表情を見れば明らかだった。


「とりあえず、彼女を部屋で休ませます」

「そうだね、これ以上人目に晒さない方がいい」


 レギーナは恐怖が臨界に達したのか、それともアルベルトの腕の中でようやく安心したのか、気を失ってぐったりしている。アルベルトは彼女に[平静]をかけてから、そのまま彼女を抱き上げた。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「それで、どげんもならんで()のて帰ってきたっちゅうわけたい」


 極星宮東三階の主寝室。運び込んだあと侍女たちに着替えさせてもらって夜着をまとったレギーナは今、死んだように眠っている。まるで、ボロボロの瀕死のまま意識を手放して昏睡に落ちた、あの時のように。

 報せを受けて王宮魔術師団の修練場から慌てて戻ってきたミカエラが、目覚める気配のないレギーナの手を取り気遣わしげに撫でて、そうしてアルベルトに確認する。


「目覚めてからの様子がそれまでと変わらなかったから、俺もまさかレギーナさんがあれほど怯えるなんて思ってもみなくてね……」

「そらウチも同じやけんが、アルさんのせいやないばい」

「そうかも知れないけど、もう少し気にかけてあげていたらと思うとね」


 冒険者なんてものは本来は常に死と隣合わせで、死を恐れていたらそもそも務まらない職業だ。アルベルトだって死の恐怖なんてそれこそ数え切れないくらい体験しているし、それを経験したことのない冒険者の方が稀なのだ。

 そしてそれはレギーナだって同じはずである。高い実力を持つ彼女はそうした経験こそアルベルトなどよりずっと少ないはずだが、それでも銀麗に襲われて死にかけたように、皆無ではないのだ。


「……やっぱりあん時、一回殺されとったんやな、姫ちゃん」


 ミカエラが悄然と呟く。“身代わりの髪留め(バレッタ)”が砕けていたのだから解っていたつもりだった。だが、ついつい願望として、あの時は瀕死までで絶命までは到っていなかったのだと思いたかった。そんな内心の浅ましさを突きつけられたかのようで、胸が苦しい。

 きちんと現実を直視して、そしてレギーナの心に寄り添っていれば、今日のこの醜態を人目に晒さずに済んだはずだった。

 だがもう手遅れだ。死への恐怖に耐えかねて失神する姿を騎士たちに見られてしまったからには、王宮内や軍部、下手をすると市井にまで噂が広がりかねない。


「ひとまず、ジャワドがメフルナーズ殿下に報告に上がっております。ですので……」


 そう報告するサーラーの表情も暗い。西方からの勇者が蛇王を抑えてくれることでリ・カルンの国も民も平穏な生活を享受できているのだ。それなのにその勇者が敗れて(・・・)逃げ帰った(・・・・・)挙げ句に(・・・・)死に怯える(・・・・・)弱者に(・・・)成り下がった(・・・・・・)となれば、今後は誰が蛇王に立ち向かえるというのか。

 きっと報告を受けたメフルナーズは直ちに箝口令を敷くなどして噂が広まらぬよう対策してはくれるだろうが、話が広まるのはおそらく止められないだろう。


「参った……こら(これは)やおいかん(大変なことになった)ばい……」


 まず大前提として、レギーナ自身にどうにかして死の恐怖を克服してもらわなくてはならない。でなければ勇者としての再起など不可能である。そしてそれだけでなく、今後は怯懦(きょうだ)の謗りを向けてくる周囲の目とも戦わねばならないだろう。

 もはや、天眼の修練がどうのという安穏とした状況ではなくなってしまった。ミカエラにもアルベルトにもこのピンチを乗り越えられる妙案などすぐには浮かぶはずもなく、室内は重い沈黙に沈んでゆくばかりであった。






いつもお読み頂きありがとうございます。

次回更新は10日の予定です。

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