6-8.蛇王戦の総括と対策案
「……はぁ。ちょっと疲れちゃったわ」
ぐだぐだになったヴィスコット3世との通信謁見を終えて、レギーナがため息をついた。
彼女の突然の勇者条約改正宣言に、居合わせた全員の意見は大きく二分された。当然ながら彼女の決意を肯定する意見と、その否定的意見である。とはいえ明確に反対した者はおらず、難色を示したのもヴィオレとナーンだけであった。
ヴィスコット3世は即答で『よし、ではエトルリア政府としてレナを全面的に支持しよう!ついでに玉座も継いでくれてよいからの!』と大乗り気だったし、ミカエラも「姫ちゃん言い出したら聞かんけんなあ」と苦笑しつつも受け入れているようであった。クレアに至っては「ひめ、すごい、カッコイイ」と目をキラキラさせていて、当のアルベルトも「レギーナさんがやりたいようにすればいいんじゃないかな」と苦笑するだけだった。
対して、ヴィオレとナーンは懸念を示した。勇者条約は古代ロマヌム帝国の滅亡直後の発効、つまり制定されてからもう七百年ほども経つ古い条約である。その間一度も改正がなかったとは言わないが、少なくとも結婚条項に関しては当初から大きな改正はされていないはず、というのが主な理由だ。
「前例がないなら作ればいいのよ!」
「この姫さんムチャクチャ言うとるで」
「なんかそれ、どっかで聞いたセリフやね?」
「だって前にそう言った人は本当にそうしちゃったじゃない!」
「「「「あー、確かに」」」」
「なんや?どいつがそないなこと言うたんや?」
「……マリアだよ、ナーンさん」
「…………あー!あいつホンマ相変わらずムチャクチャやな!」
そう。マリアだって『巫女は婚姻せずに生涯を神に捧げて生きる』という、神教教団の長い長い慣例を覆して結婚への道筋を開いたのだ。であるならばレギーナが勇者条約の改正を目指したっていいはずだし、達成も不可能ではないはずである。
「よーし!そうと決まれば私、頑張るからね!」
「はは、楽しそうだねレギーナさん」
「まあばってんその前に、姫ちゃんは身体治して蛇王ば殴らさんならんばってんね」
「う……そんな現実突きつけなくたっていいじゃない……!」
「むしろ逆やろ」
「逆?」
「明確な目標のできたっちゃけんが、尚のこと頑張れるやん?」
「——!」
ミカエラの一言に、我が意を得たりとばかりに目をキラキラさせるレギーナである。
こうして、彼女の大目標は決まった。
進むべき道さえ決まれば、どこまでも突き進んで行けるのが黄加護である。輝きを含んだ黄色の瞳のレギーナにとっては、これからが黄加護の本領発揮というところであろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「でもとりあえず、最初は蛇王戦の総括からだね」
「…………はい」
黄神殿から極星宮に戻り、王との久々の謁見に疲れの見えるレギーナをベッドに戻してから、今その寝室に一同で集まっている。
この場にいるのはレギーナはもちろん蒼薔薇騎士団とアルベルト、銀麗、ナーンといった面々。侍女たちは揃って壁際に控えていて、レギーナが癒えるまで専属護衛となった騎士ハーフェズは扉の外で警護に当たっている。
レギーナ自身はいつでも寝入れるよう夜着に着替えて肩からガウンを羽織り、上体を起こして背中を大きなクッションに預けている。腰から下は上掛けを被せて隠してある。
「まず考えられる敗因はなんだと思う?」
仕切っているのは何故かアルベルトだ。まあこの反省会自体が彼の発案だから、ある意味で当然ではあろうか。
「……私の力が、足りなかったから」
「そら違うと思うばい」
下半身にかけられた上掛けを握りしめて悔しそうにレギーナが呟きを漏らし、だがミカエラに否定された。
「あん時、蛇王はいきなし強ぉなったごと見えたとよね」
「そうだったわね。蛇王が黒い炎を纏ってから動きが全然違って見えたわ」
「あれは…瘴気の炎…」
「やっぱそうやんな?」
「……確かに、それまでとは全然違ったけど」
でも、そんなのは言い訳に過ぎない。悔しさに歪むレギーナの顔はそう言いたげだ。
「あれはおそらくだけど、何らかの手段で瘴気の供給を得たんだと思うんだよね」
「!?」
「ばってん、あの広間には瘴脈やら湧いとらんやったやん?」
蛇王のいた広間は本当にただの空間で、アナトリア皇城の地下ダンジョンのように瘴脈があるわけではなかった。
ならば、一体どこから。
「……ほんなら、あの奥さい延びとった横穴のどれかやろか」
「違うと思う。瘴気の流れは見てたら分かるもん」
「それを突き止めて解決しないと、多分、次もまた返り討ちに遭うんじゃないかな。——ナーンさんは何か心当たり、あるかい?」
アルベルトが話を振って、全員の目がナーンに集まる。
ナーンはあの時あの場には居なかったが、それでも彼はユーリやアルベルトとともに二度にわたって蛇王と対決した“輝ける虹の風”のメンバーだ。レギーナたちの気付かない原因にも思い当たるかも知れない。
「……せやなあ、オレは見てへんから知らんけど。まあ考えられるとすれば“蛇神教”とちゃうか?」
「「「「「蛇神教!? 」」」」」
ナーンによれば、このリ・カルンの地には蛇王を悪しき魔王として忌むのではなく、太古の昔にこの地を千年も治めた伝説の王として崇拝している宗教があるのだという。長い歴史上幾度も邪教として弾劾され討伐されて、今ではすっかり歴史の彼方に埋もれてしまった存在だというが。
「アイツら、実は現代でも活動しよんねんで」
「でも俺たちの時は、そういった邪魔は入らなかったよね?」
「そらそうやろ。あん時はオレらの突入に合わせて奴らの本拠地にカチコミかけてもろててんから、それどこやなかったはずやで」
「……え、いつの間に?」
「アル坊の知らんトコで、オレも色々やってんねんで?」
さすがに想定外の答えだったのか、唖然とするアルベルト。対してナーンは細い目をさらに細めてニンマリである。
「……ほんなら、とりあえずそれメフルナーズ殿下に話しとった方がよかろうね」
「私の方でも調べておくわ」
ミカエラとヴィオレが固い表情で頷く。蛇王を信奉する邪教などというものが存在するなど、想定外もいいところである。
「あと、レギーナさんの防御が蛇王に破られた事に関してなんだけど」
「…………分かってるわ。それこそ私の力不足」
「じゃないと思うんだよね」
「……えっ?」
「気付いたのが[魔術防御]を破られる直前だったから警告も間に合わなかったんだけど、あの戦いで蛇王はほとんど魔術を使ってなかったんだよ」
あの瘴気の黒い光線でレギーナが脇腹を貫かれるまで、蛇王は魔術を一切用いずに肉弾戦に徹していた。身体強化系や妨害系の魔術さえも使っていなかったとアルベルトに指摘され、蒼薔薇騎士団の全員が驚愕に揺れる。
「確かに、言われてみれば……」
「だけれど、レギーナの[飛斬]は弾かれていたわ」
「いや、あらぁ蛇王が元から身に纏っとった瘴気に阻まれただけで——」
「うん。[魔術防御]系じゃない…」
「これも推測になるんだけど、蛇王はあの黒い光線に瘴気のほとんどを費やしたんだと思うんだ」
「……えっ?」
「レギーナさんの強固な防御を撃ち抜くために、敢えてそこまで魔術を使わずに温存していたはずなんだよ」
アルベルトの推測はこうだ。蛇王には元々、この約20年で溜め込んだ瘴気があり、本来ならいくらでも魔術を放てたはずだった。それを敢えて使わずに肉弾戦に持ち込むことで、レギーナに優勢であると誤認させて回避行動を単調化させ、ここぞという時を狙いすまして瘴気の魔術を叩き込んだのだ。
「だからあの時、体内の霊力を灼き尽くされるような痛みが……」
「溜め込んだ瘴気の全てではないだろうけど、それでも一度の[破邪]で祓えないほどの甚大なダメージだったみたいだったからね。相当量の濃度と強度の攻撃だったんじゃないかな」
確かに、[破邪]と[治癒]を施されてもなおレギーナの身には重篤なダメージが残ったままだった。それこそ彼女の動きが精彩を欠くほどに。
「まさか、私の[魔術防御]が破られたのって」
「うん。それだけの強度で放たれたからこそ破られたんだと思ってる。そして、さっき言った瘴気の供給を何らかの手段で得て——」
「——!そう言えばあん時、蛇王が『そろそろか』やら『来た』やら言いよったやんか!」
「そうして得た瘴気で、今度は五本もの光線を放てた——」
「……って事は、元の五倍も瘴気が供給された……ってこと!?」
「元の五倍て……そらぁ手も足も出らんごとなるはずやん……」
蒼薔薇騎士団の全員が慄然として黙り込む。戦闘中に五倍も強化されてしまうのなら、多少レベルアップしたところでどうにもならない。何度戦っても前回と同じく蹂躙されて終わりだ。そして次こそは全滅の憂き目が待っているだけである。
「本当に五倍かどうかは何とも言えないけど、あの時レギーナさんを吹き飛ばした五本の光線、あれも相当な強度で放たれていたはずだよ。あれを撃ったあと、蛇王のまとっていた黒い炎が消えていたからね」
そう言われて思い返してみれば、確かに消えていたような気がする。その前後にショッキングな光景が立て続けに起こったせいで、全く気にも留まらなかったが。
「五本の光線を放ったことで蛇王は、供給された瘴気もほとんど使い切ったはずだよ。それはクレアちゃんの[爆光]や、“身写しの人形”の[認識阻害]が効いたことを考えても間違いないと思うんだ。それに、最後逃げる時だって奴は魔術を撃って来なかったからね」
「そう考えれば、推測だけど筋は通るね…」
「……大前提として、瘴気の供給源は見つけ出して絶たなければダメ、ってことね」
「そうやね。やないと勝ち目ないもん」
「そこらへんはナーンさんの出番、ってことになるけど」
「…………やっぱそれオレなんか」
「そりゃそうでしょ。地均ししてもらわないとね」
「ぐはぁ!10年前投げたブーメランが今頃刺さってきよるがな!」
(いちいちリアクションが面白いわねこの人)
(なんか、わざとやっとるげな気のしてきた)
(うーん、自虐性癖なのかしら?)
(でもなんかちょっと楽しそう…)
アルベルトの言葉にいちいち悶絶するナーンを見て、普通に失礼な感想を抱いてしまう蒼薔薇騎士団であった。
「あと、やっぱり“覚醒”を会得するに越したことはないかな」
「うっ……。やっぱりそうよね」
アルベルトの当然の指摘に、思わずレギーナが渋い顔になりながらドゥリンダナを見る。
相棒の宝剣は鞘に納められて、今も床の枕元に立てかけてある。レギーナが寝室にいる間は常にこうして出してあるが、意識を回復して以来まだ彼女は一度も触れていなかった。
「まあそこは、おそらく必須条件ではないと思うから。体調の戻りとか様子を見つつ、おいおいでいいんじゃないかな」
「…………そうね」
言葉少なにレギーナが頷く。自分自身でも体調が万全ではないと自覚しているので、忸怩たる思いに苛まれているのだろう。
その時、寝室のドアをノックする音が響く。次いでジャワドの声で「勇者様に目通りを願いたいと申す者が参っておるとのことですが、いかがなさいますか」と聞こえてくる。
レギーナがアルターフに許可を出し、ジャワドを招き入れる。
「目通りって、誰が来てるの?」
「エトルリア王宮から参ったと申しておりますが、子供と行商人らしき風体の……」
「子供?」
その時、俄に扉の外が騒がしくなる。「お待ち下さい!」「許可なくお入り頂くわけには参りません!」などと聞こえてくるのは、扉の外で警護しているハーフェズら騎士たちの声だ。
だがそんな彼らの制止を振り切ったのだろう。両開きの扉がノックもなしに開け放たれ、目にも止まらぬ速さで小柄な人影が飛び込んできた。
すかさずミカエラやアルベルトらが警戒態勢を取るものの、レギーナの寝室ということで誰ひとり武装していなかった。それで身体を張って阻止しようとするが、小柄な人影はすばしっこくて捕まらない。
まあ、ミカエラなどは途中で諦めてしまった感すらあるが。あと銀麗は奴隷としての制約上、敵か味方か分からない人物を不用意に傷つけられないため、これも動きが鈍い。
「レギーナさん!」
そうしてついに人影は、ベッドで上体を起こしたまま動けずにいるレギーナに向かって身を踊らせた。
「ひめさまー!」
と叫びながら。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は21日です。




