6-7.勇者の決断
その後の調査で、ナーンに情報を提供していた人物も判明した。流していたのは侍従のシアーマクである。なんでも彼は病気の妹の薬代のために、これまでにも王宮の機密情報を幾度かナーンに流して不当に収入を得ていたのだとか。
「ほんとスンマセン勇者様。マジカンベンっす!」
「……あなたね、せめて謝罪くらいきちんと出来ないの?」
謝罪の場でまで軽薄なままのシアーマクに、レギーナも頭が痛い。
拘束されたシアーマクが今跪かされているのは極星宮一階の応接室である。レギーナは動きやすいデイドレスに身を包んで上座のひとり掛けソファに座り、その隣に車椅子を手にしたアルベルトが立ち、ミカエラ以下はそれぞれ応接テーブルの左右のソファに腰を下ろしている。
そのほかシアーマクの同僚であった侍女たちや侍従のフーマンが壁際に並び、反対の壁際にはサーサンやスーラを始めとして離宮警護の騎士たちが控えている。レギーナの後ろには専属護衛に指名された騎士ハーフェズが立ち、睨みを利かせている。
「この者は王宮侍従資格を剥奪し投獄することと致します。その後は副王殿下の御裁可次第ですが、まあ少なくとも奴隷落ちは免れんでしょうな」
拘束されたシアーマクの肩を押さえつけるようにして立っているジャワドが、淡々とそう告げる。そのセリフにさすがのシアーマクも顔を青ざめさせている。
「せめて、せめて妹だけは……」
「この期に及んで貴様の願いなど、聞けるわけがなかろう」
「ねえジャワド」
「いかがなさいましたか、勇者様」
「それ、私に預けてくれない?」
「……預ける、と申されますと?」
ジャワドが訝しげにレギーナを見る。そのレギーナはヴィオレに顔を向けた。
「市井で情報収集するのに、ある程度教養のある手駒が欲しいと思っていたのよね」
「ほう。このような軽薄な輩が信用できますかな?」
「だって奴隷に落とすのでしょう?」
奴隷に落とすということはすなわち、[隷属]で縛って強制的に心身の自由を奪い逆らえなくする、ということに他ならない。例えば同じ奴隷である銀麗は主人であるアルベルトの意向で普段は自由に振る舞っているが、その彼女とて主人の不利益になることや主人を害する行為は実行できないし、命令さえされれば勇者の生命ですら狙うのはすでに前科のある通りである。
シアーマクも奴隷に落とされれば必然的にそうなるわけで。
「……罪人の取扱いに関して、わたくしめの一存ではお返事を致しかねます。副王殿下にご報告申し上げて、その上で勇者様がたのご意向もお伝え致しましょう」
「それでいいわ。判断はメフルナーズ様にお任せするし、私たちの要望はあくまでも希望だから。——あと、彼の妹は罪に問わないでいてくれると有り難いわね」
「そちらも、副王殿下にお伝え致しましょう」
そうしてジャワドは、シアーマクを引っ立てて辞していった。新しい侍従は近日中に補充されるそうである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうこうしているうちに、ヴィスコット3世との通信謁見の予定日がやって来た。そんなわけで蒼薔薇騎士団とアルベルト、それにナーンまで含めた一行は、王都アスパード・ダナのイェルゲイル神教の国家神殿にやって来ている。
なお銀麗は今回お留守番である。
「な……なあ、オレまで来ること要らんかったんちゃうん?」
「あら。ナーン様だってここまでの成果を報告しないとでしょう?」
「そないな気遣い欲しないねんけどなあ!」
気遣いでも何でもなくて、ナーンは密命で東方に渡ったはずなのだから報告は義務である。そしてレギーナが敗れて瀕死の重傷を負ったということは即ち、ナーンのサポート体制が不充分であったと見なされるわけで、ヴィスコット3世は必ずやその詳細な説明を求めてくるに違いない。
つまり、もはやナーンが生き延びるためにはレギーナに良い報告をしてもらわねばならず、だからこそ彼は断れずについて来るしかないのである。
「まあ10年も自由に好き放題やって来たツケは払わないとね、ナーンさん」
「ツケた覚えないねんけどな!?商売の基本は明朗会計やで!?」
明朗会計も商売の基本には違いないが、ナーンの場合は舌先三寸口八丁の方だから始末に負えない。そしてそんな彼のことはアルベルトがよく解りすぎている。
イェルゲイル神教には五色の魔力に対応した五つの宗派があり、神殿には必ず各宗派の神殿施設が整えられている。黄派の施設は通信や移送がメインであり、人を他の場所に移動させる“転移の間”、物品を送受する“転送の間”、映像や音声を送り合う“通信の間”などがある。
レギーナたちが今回利用するのは“通信の間”である。
ただしこれらはいずれも魔術の術式によって起動するもので、魔術は万能ではないため有効距離が限られる。[通信]の術式がもっとも遠距離に効果を及ぼせるが、それでもエトルリアの中央大神殿との直通は不可能である。
よって、今回の通信ではアナトリア皇国の皇都アンキューラにあるアナトリア国家神殿、イリシャ連邦の連邦首都ラケダイモーンにあるイリシャ国家神殿、マグナ・グラエキアの首都ネアポリスにあるマグナ・グラエキア国家神殿を中継して、エトルリア連邦の総代表都市フローレンティアにある神教中央大神殿まで繋ぐ必要がある。このため、映像にも音声にも若干のタイムラグが生じるのは致し方ないところである。
レギーナはこの日のために誂えた、コルセットを用いない簡素ながらも王女の格式を備えたデイドレスや装身具を身に纏い、自分の足でしっかりと立っている。車椅子はあらかじめ片付けてもらい、復調をアピールする方向で頑張るつもりだ。とはいえ長時間立ったままなのはまだ少し辛いため、通信が繋がるまではミカエラに背を支えてもらっているが。
そうして彼女は左にミカエラ、右にアルベルトを立たせ、侍女アルターフも後ろに控えさせている。その後方にヴィオレ、クレア、ナーンが並んでいて、他に室内にいるのは術式起動の担当の司徒たちだけだ。
「では、通信を繋げます」
司徒の声とともに、壁面の半分近くを占める巨大な鏡面がブラックアウトし、ジジ……ジジ……とノイズが走ったかと思うと、ヴィスコット3世の顔がいきなりどアップで大写しになった。最初、無表情のままだった3世はしばらくして突然心配げな表情になり、何事か喚いているが無音のまま。そしてタイムラグを経て室内に3世の声が響いた。
『レナ!レナや!怪我したと聞いたが大丈夫なのか!?なんか新聞には死んじゃうみたいな内容がこれでもかと書いてあって叔父さん超心配したんじゃけど!?ああ、じゃが無事に回復したようで本当に何よりじゃ!でもやっぱり心配じゃから一度戻ってきなさい。東方にはまた来年でも行けばいいじゃろ、実際にこの目で見て直接会って話せねば叔父さん心配で心配で!』
以下、タイムラグ表現が面倒くさいのでリアルタイム扱いでお送りします。
「叔父様、長い」
『まぁたそんな事言ってこの子は!叔父さん泣いちゃうぞ!』
「心配しなくても私はこの通り元気だから。ミカエラたちもよくやってくれているし、勇者としての務めを果たすまで戻るつもり無いから」
『そそそそなたは叔父さんに会いたくないのか!?』
「そりゃあ会いたいわよ。でも次に会う時はきちんと役目を果たしたって胸張って報告したいもの。だから我慢するわ」
『くううう我が姪が健気すぎる!』
王と姪王女の怒涛のやり取り。これが平常運転なのだとしたら、エトルリア王宮はずいぶん賑やかだったのだろう。
『ていうかレナや、義姉上とか話聞いて倒れたんじゃぞ!』
「……え、母様が!?」
『義姉上も心配しとるから、ほんとマジで1回帰ってきておくれ』
「どうして母様はそこに来てないのよ!?連れてきてくれたっていいじゃない叔父様!」
『無茶言うんじゃないよレナ。義姉上はメディオラにおるんじゃぞ?』
義姉上、と言ってはいるがレギーナの母ヴィットーリアは今年37歳で、3世フェデリコより3歳歳下である。亡き兄アンドレアの妻だから義姉になるわけだ。
そして彼女はヴィスコット侯爵代理としてメディオラを治めている。フローレンティアの中央大神殿まで来るのは難しいと言わざるを得ない。
「姫ちゃん姫ちゃん、ヴィットーリア様の居ったら余計話の進まんごとなるけんが」
「わ、分かってるわよ」
それでもレギーナだって人の子だ。見られるものなら母の顔も見たかった。
鏡面の向こうに見えるのは大写しの3世と、その後ろで椅子に座る王后ソフィア、それに王宮の執事や侍従、侍女たちの姿も見える。まあほぼほぼ3世の顔だが。
「それでね、見ての通り私は心配ないから。確かに敗けたのは事実だけど、大丈夫だから」
『……そうは言ってもレナや、そなた、わしの贈った髪留めはどうした?』
見てないようで、3世はしっかり見ていた。
レギーナの髪はいつものポニーテールではなく、ハーフアップに緩くまとめてあるだけである。
『着けておらんということは、そういうことなんじゃろ?』
「それは……はい、ごめんなさい」
『まああれはそのために贈ったものじゃから、それはよい。じゃが次はないんじゃぞ?』
「はい、解っています。しっかり鍛え直して、次こそは万全を期して——」
『万全と言えば、後ろにヤネン男爵の姿も見えるのう?』
いきなり言及されて、ナーンの肩が跳ねた。
『大口叩いて東方に行って、なのにうちのレナが敗けたということは……きちんと務めを果たせたと言えるのかのう?』
「叔父様、あのね、ナーン様には今後も引き続きサポートしてもらうから!」
『そんなことは当然以前の話じゃな。わしの言っとるのはこれまでの話なんじゃが?』
「そ、そんなことより聞いて叔父様!彼、彼を見つけたの!」
何とか話題を逸らそうと、レギーナは隣に立たせているアルベルトの肩に右手を置いて紹介にかかった。ついでに寄りかかってちょっと支えてもらっていたりする。
『……ふむ、そこの男の話も聞かねばのう。で、大層親密そうじゃが何者なのかね?』
「彼はラグで東方までの案内役として雇ったんだけど、先代勇者パーティのメンバーだった人なの」
『……ほう?ヤネン男爵、本当かね?』
「あっハイ、間違いおまへん!こいつユーリと一緒に“虹の風”を立ち上げた初期メンバーで、オレより古株なんですわ!」
“輝ける虹の風”はユーリ、アルベルト、アナスタシアと法術師のリナで立ち上げたパーティである。ナーンの加入は旗揚げから約半年後のことなので、アルベルトは確かにナーンよりも古参である。
「それでね、聞いて叔父様!彼ね、“イレデンタ”だったのよ!」
『なんと!?それはまことか!?』
「なんやてアル坊!?それホンマか!?」
「ええと、はい。実はそうなんです」
アルベルトは胸元のロケットを取り出して首から外し、裏蓋の家紋と中の肖像画を3世に見えるように掲げてみせた。どこに見せればいいか分からないので、とりあえず3世の映っている壁の鏡面に近づけてみる。
『おおお……まことに、それはゲルツ伯爵家の直系の証!ではそなたが行方不明のアルベルト君か!』
「はい。探されているって全然知らなくて、今まですみませんでした」
『よいよい!というか詫びるのはわしらの方じゃ!それにしてもよく生きていてくれた!』
「それでね叔父様、私彼と結婚するから!」
『でかしたぞレナ!では結婚祝いに叔父さん玉座贈っちゃうから!』
「「「「「いやいやいやいや!」」」」」
蒼薔薇騎士団の全員とアルベルトが綺麗にハモった。ナーンは呆気に取られてノリ遅れた。
「叔父様!玉座はダニエルのものでしょう!?」
「陛下!ソフィア様のご意向も確かめんと勝手に決めたらつまらんですて!」
『だってダニエルが継げるようになるまであと何年かかると思っておるんじゃ。間にレナが挟まるくらいが丁度いいんじゃよ?』
それは確かにそうかも知れないが。
「あの……申し訳ないんですが」
困惑しきって眉を下げたアルベルトが、おずおずと声を上げた。
「あの、俺、姫様と結婚はできません」
そうして彼が告げた言葉に、その場の全員が驚愕した。
「なんでよ!?私の何が不満なの!?言ってよ直すから!」
「アルさんそら酷かぁ!姫ちゃん泣かすんならタダじゃおかんばい!」
「貴方相変わらずデリカシーないのね!少なくとも陛下の御前で口にすることではなくてよ!?」
「おとうさん、ひどい」
「待て待てアル坊!ジブン何言うてるか分かっとるんか!?」
『……ほう。君はうちの可愛いレナとエトルリアの玉座だけではまだ不満なのかね?』
「いえ、そうではなくてですね。——レギーナさん、結婚したら勇者を辞めなくちゃならないって分かってるよね?」
「「「「「……あ。」」」」」
『……そう言えばそうじゃったのう』
「だから蛇王を倒すまでは結婚できないし、倒したら倒したで正式認定されるまで結婚できないし、認定されたらされたで勇者の選定からやり直しになるから結婚できなくなるんだよ」
そもそもアナトリアで、勇者条約の婚姻条項を盾に皇太子との婚約を拒否したのはレギーナ自身である。恋心に舞い上がってその事を彼女はすっかり忘れていたのだ。
『まあそれならそれで、やっぱりレナには玉座を継いでもらって——』
「嫌よ!」
レギーナの叫びが3世の言葉を遮る形になり、3世はタイムラグでまだ聞こえていないはずなのに言葉を止めてしまった。
「……勇者は辞めないわ」
「姫ちゃん、そら……」
「でも結婚も諦めたくないの!」
確かに、彼女の気持ちも分かる。女性としては好きな相手と結婚して幸せな家庭を築くことは憧れであり、幸せのひとつの理想形ではあるだろう。
「だから!私、勇者条約を改正するから!結婚しても勇者を辞めなくていいようにするわ!」
決然と言い放ったレギーナのその言葉に、今度こそ全員が絶句したのであった。
「あ、それはそうとナーンさん」
「なんやアル坊どないしてん」
「俺のこと新聞記事にするの禁止ね」
「な……!?何でやねん!こないなどえらい大スクープ発表せん手ェないで!?」
「発表はエトルリア王家がすべきでしょ?」
「く……っ、珍しくアル坊がマトモな事言うとる」
「ちょっと、アル、に失礼なこと言わないでくれる?」
「姫ちゃん、やっぱこん人いっぺんぼてくりこかしたがようない?」
「や!アル坊の言うことももっともやねんなあ!」
「「手のひら返しがすごいわ」」
「ナーンさんってこういう人だよ」
「なるほどね。よく分かったわ」
「オレの扱い酷ないかなあ!?」
「どう考えても自業自得だよねナーンさん」
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いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は14日です。
教えるつもりはなかったのに流れでレギーナとのことがナーンにバレる事態になって、すかさず釘を刺すアルベルトくんでした(笑)。
ところで作者はいつでも感想に飢えてるんで、ご意見ご感想ご要望ダメ出し等、なんでも書いてくれていいんですよ?
いや強制ではないですけども。あと批判や文句には言い返すこともありますけど(爆)。




