6-5.第一容疑者確保
イェルゲイル神教には五色の魔力に対応した五つの宗派があり、神教の神殿には通常、五つの宗派ごとの神殿施設が全て揃っている。そのうち黄派の神殿には遠距離通信のための“通信の間”という部屋がある。規定額の寄進をすれば基本的に誰でも利用することができ、魔方陣で強化され個人では不可能なほどの長距離でも繋げられる[通信]を発動させることができる。それによって遠方の人とも会話が可能になるわけだ。
とはいえ繋がるのは各地にある神教黄神殿の“通信の間”同士に限定されるから、やり取りするためには自分も相手も黄神殿に赴かねばならない。だから通常はまず同じ黄神殿の“転送の間”を経由して書面などで先方と連絡を取り合い、日時を決めた上で双方とも“通信の間”に集まるのが一般的である。
普通は“転送の間”での書面のやり取りまでで事足りるので、“通信の間”が利用される頻度はそう多くはない。通常の[通信]の術式と同じく映像も送受信できるため、書面だけでなく互いに顔を見せたい場合とか、神殿間の定期連絡のついでといった利用が多い。ただ今回は事が事だけに、レギーナの無事な姿を見せてヴィスコット3世を安心させることが必須になるだろう。
レギーナはまだ自立歩行が困難なため、副王のメフルナーズに依頼して車椅子を準備してもらった。それと並行してまずはミカエラがエトルリア王宮に“転送の間”経由で親書を送付し、通信謁見の日時を調整する。
レギーナはヴィスコット3世を少しでも安心させられるよう、謁見までに自立歩行訓練を受けることになった。可能ならば車椅子ではなく自分の足で立っている所を見せてあげたい。そのほうが叔父王もきっと安心するだろう。
「なんのかんの言うて、姫ちゃん陛下のこと大好きやもんね」
「私もそうだけど、叔父様のほうが私を好いて下さっているわ。というか、叔父様はお父様がお好きなのだけど」
ヴィスコット3世フェデリコは亡き兄アンドレアを非常に敬愛していて、レギーナを溺愛しているのも亡き兄の遺した姪だからこそという側面がある。もちろん3世は姪であるかどうかにかかわらずレギーナ個人にも惜しみない愛情を注いではいるのだが、決して彼女をひとりの女性として見ているわけではない。
「でも叔父様の一番はソフィア様よね」
「そら疑いようもないたいね」
フェデリコの“一番”は妻であり現エトルリア王后であるソフィアだ。彼がどれほど彼女を愛しているかというと、11歳年下の彼女が成人するまで婚約者も作らずにじっと待ち、彼女が婚約と婚姻を受け入れてくれるまでずっと口説き、無事に婚姻を果たしたあとはなかなか子供ができなかったのに離婚も側妃の受け入れも一切聞き入れなかった程である。エトルリアは合法的な一夫多妻制の国であり、3世の実母である大レギーナでさえ側妃を迎えるよう迫ったにもかかわらずだ。
まあその執着の甲斐があってフェデリコとソフィアには先年待望の世継ぎダニエルが産まれたので、これはフェデリコ夫妻の粘り勝ちと言っていいだろう。そんなふたりを見てきているから、レギーナも叔父の愛を純粋に家族愛として受け入れられるわけだ。
ちなみに、2世アンドレアと3世フェデリコの実母つまりレギーナの祖母は、レギーナと同じ名を持つため現在は大レギーナと呼ばれている。エトルリアでは初孫に祖父母の名をもらう習慣があり、それでヴィスコット1世ミケーレとその王后レギーナの初孫である彼女に祖母の名が付けられたわけである。3世フェデリコがレギーナを溺愛するのはその辺りも絡んでいるのかも知れない。
「ま、それはそれとして歩こうか、姫ちゃん」
「うう、辛いとか言ってられないわよね……」
叔父王に見せるためだけでなく、勇者としての再起にも絶対に必要なことなので、レギーナは歯を食いしばってでも頑張るしかないのである。
そんなわけで彼女は今、就寝用の夜着ではなく動きやすいブラウスとズボンに着替えて、彼女のために突貫工事で設備を整えた、客室を改装したトレーニングルームで手すりを頼りに歩行訓練の真っ最中である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方その頃、アルベルトはヴィオレとともに王都の市街地に降りてきていた。
「あれが情報ギルドの支部なのかい?」
「ええ、そうよ」
「どう見てもただの酒場だよね」
視線の先に見えるその店舗は、常設市の飲食店舗区画の片隅にある、小さな酒場であった。
「普段は本当に酒場としても営業しているらしいわね」
「へえ。西方世界ではもっとちゃんとギルドっぽいんだけどな」
「こちらでは情報の売り買いという概念が希薄なのだそうよ。だから情報を売買したい人は、中に入ってカウンターで符牒を示さなくてはならないのですって」
「そうなんだね。合言葉とか?」
「特段難しい暗号があるわけではないわね。新聞を買ってカウンターの中にいる職員に、情報を買いたいなら『なにかネタがあるか』、売りたいなら『いいネタがある』と言えば対応してくれるそうよ」
常設市の喧噪の中で会話するふたりだが、実は通りに立っているのはアルベルトひとりである。ヴィオレのほうは店舗の間にある、人ひとりがようやく通れる程度の路地とも言えぬ細い隙間に身を隠している。
常設市は全体が大きな建屋の中にあるため、火災などが起こった際には人の逃げ道や煙の抜け場がなくなりがちで、そういったものを効率的に逃がすためのデッドスペースが設けられている。そこにヴィオレは身を潜めているわけだ。
「じゃ、俺が中に入るから。貴女は天井裏かどこかに潜んでてくれれば」
「ええ、了解したわ」
例の暴露記事を書いたのは情報ギルド職員に違いないが、アルベルトたちが知りたいのは情報提供者である。最悪、表でアルベルトが職員たちを引きつけている間にヴィオレに取材メモなどを盗み出してもらうことまで想定して、彼女には身を隠していてもらわなくてはならない。それで店舗に入る前から彼女には隠れてもらっているわけだ。
アルベルトはそのまま酒場の扉に向かい、押し開けて中に入る。カランカランとドアベルが響き、特に抵抗もなくアルベルトは店内に足を踏み入れることができた。
「いらっしゃァい。景気はどうでっか?」
店内はやはり狭く、片手の指で足りる程度のカウンター席のほかは立ち飲み用のテーブルがいくつか備わっているだけである。そのカウンターの中で斜め向きに座って新聞を広げて読んでいた職員らしき男が、気だるげに声を上げた。
ただし上げたのは声だけで、目線は新聞に落としたままである。まだ昼間だからか、やる気ないこと甚だしい。
「酒場開くんははまだやねんけど、まあええわ。情報の売り買いやったら受け付けるで」
職員——糸のような細目の男は、アルベルトが何か言う前から情報の売り買いだと見抜いているようである。「あっ新聞やったら銅貨1枚でええで」とか付け加えるあたり、商魂たくましい印象もある。
だがそれ以前にアルベルトが呆れてしまったのは、その糸目の男に見覚えがあったからである。というか見覚えがありすぎた。
「いや、まあ、情報は欲しいんだけどさ」
呆れたままの声音でアルベルトが声を発した。その声にようやく糸目の男が顔を動かしてアルベルトを見て。
次の瞬間、彼は間抜けにもポカンと口を開いて、榛色の瞳孔が見えるほどに目を見開いた。
「こんなとこで何やってんのさ、ナーンさん」
アルベルトの目の前、カウンター越しにようやく目線の合ったその糸目の男は、少なくともアルベルトの目には、先代勇者パーティ“輝ける五色の風”の探索者にして10年前から行方不明のままの、かつての仲間であったナーン・ディ・ヤネンその人にしか見えなかった。
「あああアル坊!?アル坊やないか!何しとんねんお前ェこないなトコで!?」
「それはこっちのセリフだよナーンさん」
二度名前を呼ばれて、ようやく彼は今の状況を正確に把握した模様。
「あっやっいやナーンて誰やねん!?ひひ人違いやおまへんか!?」
「俺がナーンさんを見間違うはずがないでしょ」
「たた他人の空似っちゅうやつやあれへんかなあ!?多分そうやねん、いや絶対!」
「俺の知ってる限りで糸目の細身の中年でニャンヴァ弁で喋るのなんて、ナーンさんだけなんだけど」
「ここここないなオッサンなんてそこらにナンボでもゴロゴロしとるがな!?」
「いるわけないじゃないか。そもそもニャンヴァ弁って南部ラティン語のニャンヴァの方言だし」
ニャンヴァはエトルリア連邦の代表十二都市のひとつであり、そこの方言を喋る人物なんてその出身者以外にはあり得ない。ニャンヴァの西隣に位置するファガータの方言を話すのが、普段はミカエラ以外に見当たらないのと理由は同じである。
ちなみにニャンヴァは約16万人を数える人口のおよそ8割が獣人族である猫人族である。つまりニャンヴァ弁を喋る人間となるとなおさら数が限られるわけで。
「だいたい俺のこと『アル坊』って呼ぶの、この世にひとりだけなんだけど」
アルベルトが“輝ける虹の風”のメンバーだった当時、ユーリやアナスタシアからは『アル』と、ネフェルからは『アルくん』と、マリアからは『アル兄さん』と呼ばれていた。『アル坊』と呼んでいたのはナーンだけである。
そして虹の風を抜けたあとは、アルベルトは誰からも坊や扱いをされていない。
「あああアル坊、と違うわ昔の知り合いによォ似とんなあて!」
「“アル坊”が昔の知り合いだっていうのなら、なおさらナーンさんじゃないか」
「あああしもたァ!墓穴掘ってもうたァ!」
ますます呆れの色を濃くするアルベルトと、いちいちオーバーなリアクションで「ぐはぁ!」だの「げふん!」だのと叫びつつのたうつ推定ナーン氏。リアクションがオーバーになりがちなのもニャンヴァ人の特徴である。
「それはそれとして、飴ちゃん持ってる?」
「おお、あるで。ほら飴ちゃんやるわ」
「ほらやっぱりナーンさんじゃないか」
「ああああ誘導尋問に引っかかるオレのアホォ!」
挨拶代わりにすぐ飴を配るのも、罵倒語に『アホ』と言いがちなのもニャンヴァ人ならではだ。そして他人のアクションにリアクションせずにおれないのもまたニャンヴァ人であり、全部かつてナーンがやっていた事である。
「……で?結局、彼が情報拡散犯ということで間違いないのかしら?」
ずっと隠れて様子を見ていたヴィオレが、アルベルトの隣にシュタッと降り立つ。それを見てナーンが——いやもう断定してしまうが——、「おお!?なんやえらいべっぴんさん連れとるやないかアル坊!紹介してェな!」とか興奮している。もはや隠す気ないなこの人。
「そうだね。——じゃ、ちょっと署までご同行願えませんかねぇ。詳しい話はあちらで伺いましょうか」
「うわめっちゃ懐かしいやないか!それマリアがよう言うとったわ!」
「ほらナーンさんだ」
「ぐはぁ!またしても引っかかってもうたァ!」
「はいはい。いいからほらキリキリ歩く!」
「あああ待ってェな!置き手紙しとかんとまたサボっとるて思われるやないか!」
「……東方に来てまでサボり魔なんだ……。本当に変わらないねナーンさんって」
「そないな目ェで見んといてェな!」
「いや自業自得ってやつでしょ」
「せやったわあぁぁぁ!」
かくして、ナーン容疑者は確保され連行されてゆくのであった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は30日です。
何度かチラチラ名前の出てきていたナーン氏が、ここに来て登場ですヾ(*´∀`*)ノ




