6-3.アルベルトは人の縁で成り上がる……?
後書きに「ネタばらし」があります。
「家族の形見なんだ。誰にも見せてはダメだって、母様にきつく言われてたんだ」
アルベルトが襟元をくつろげて取り出したのは、古びた真鍮製の小さなロケットペンダントだった。
どこからどう見ても一般庶民にしか見えないアルベルトの口から出た『母様』という単語に、ミカエラがやはりという顔になる。
「でも、他ならぬレギーナ姫に見られたのなら、もう隠してはおけないね」
彼はそう言って、首からロケットを外した。そうしてベッドに近寄ると、跪いて掌に乗せたそれをレギーナに捧げた。
「見ても、いいの?」
「貴女には、見る権利がおありかと」
「おお…おとうさんがなんか新鮮…!」
「クレア。黙っていなさい」
離れたところでクレアとヴィオレが何か言っているが、それには構わずレギーナはロケットを受け取った。
裏返すと小さな裏蓋があり、そこに彼女が予想した通りの家紋が彫られていた。ずいぶん摩耗してはいたものの、見間違いようもなかった。
「開けてみても?」
「……ええ、どうぞ」
許可を得て裏蓋を開くと、中にあったのは小さな小さな肖像画。貴族の老人と夫婦、それに女の子ふたりと男の子の幼い姉弟の姿が描かれていた。そしてレギーナはその老貴族を別の姿絵で見た覚えがあった。
「やっぱり……あなた、ゲルツ伯爵家の遺児だったのね」
“失われたエトルリア”と呼ばれる土地がある。かつて、およそ30年前までエトルリア連邦の領土だった地域だ。
地理的にはエトルリア連邦の代表十二都市のひとつであるアクイレアの北東部、ヴィパーヴァ渓谷を中心としたエトルリアの北東の角にあたる。北はアウストリー公国と、東は現在のスラヴィア自治州と接する地域であり、代表都市ゴリシュカを中心にゲルツ伯爵家が代々治めていた。
エトルリアの代表都市は、かつては十二ではなく十三都市あった。その失われた十三番目の代表都市こそがゴリシュカだったのである。
スラヴィア争乱の最末期、突如として南攻してきたアウストリー公国の南方辺境伯軍の急襲を受けて、ゲルツ伯爵は麾下の領軍を率いてヴィパーヴァ渓谷に籠城し、同時にエトルリアの総代表都市フローレンティアに援軍要請を行った。エトルリア王宮は直ちに宮廷魔術師ロベルト・パスキュールを指揮官とする魔術師団を派遣して、ヴィパーヴァ渓谷でアウストリー軍と激突した。
その結果、両軍の魔術戦で地下の瘴脈の暴走を招いた挙げ句にヴィパーヴァ渓谷全体が瘴気に汚染され、ゴリシュカは壊滅してゲルツ伯は戦死、市民の大半も巻き込まれて犠牲になった。逃れられたゴリシュカ市民はごく少数で、ゲルツ伯爵家でも伯爵のほかひとり息子の嫡男が戦死、嫡孫のうち長女の死亡も確認されている。
だが嫡男の子供たちの中で次女と長男の行方は杳として知れない。その次女の名はフランチェスカ、長男の名はアルベルトという。当時9歳と5歳の幼い姉弟である。
戦後、瘴気に呑まれたヴィパーヴァ渓谷はエトルリアもアウストリーもこれを放棄せざるを得ず、現在の地域区分的にはスラヴィア自治州に組み込まれてこそいるが、ヴィパーヴァ渓谷は未だに無国家地帯である。元々アウストリーとの紛争地域ではあったが、直前まで実効支配していたエトルリア側からすれば、そこは確かに“失われたエトルリア”と呼ぶべき土地なのだ。
そして年月が経つにつれ、“イレデンタ”という単語は少しずつ意味が変遷してゆく。もとの意味が消えたわけではないが、ゲルツ伯爵家の行方不明の血族をも指すようになっていったのだ。
それは具体的には、フランチェスカとアルベルトの姉弟を指す。そのどちらかでも無事に見つけ出せればゲルツ伯爵家の再興に繋がり、翻って“イレデンタ”をも取り戻した事になる。
エトルリアではこの考え方が浸透していて、だから国民には必ずゴリシュカの悲劇を教育で受け継いでいるし、王宮では彼らを見つけ出した者に褒賞を与えると公言しているほどである。
「やっぱりアルさん、そうやったんやね。ばってんなし、今まで隠しとったん?」
「…………母様も父様も仰っていたんだ。『エトルリアもアウストリーも信用ならない』って」
ゲルツ伯爵家は家名からも分かる通り、元は北部ゲール語系の家名でルーツはアウストリーにある。だがヴィパーヴァ渓谷が係争地となったことで、ゲルツ伯爵家は時代により帰属する国家を幾度も変えてきた。アルベルトの生まれた頃にはエトルリアに帰属して数世代を経ていたが、伯爵家はどちらの国とも最初からある程度一線を引いて、どうにでも動けるよう独立自尊の気風を貫こうとしていた。
スラヴィア争乱の最末期には大きな戦闘もほとんどなくなり、周辺大国の版図もほぼ固まりつつあった。そんな中でエトルリアは渓谷を死守したかったし、アウストリーは争乱終結までにどうしても渓谷を攻略したかった。
両軍の戦闘は結果的に、ゴリシュカに籠もるゲルツ伯軍を無視する形で頭ごなしに行われた。アウストリー軍の宣戦布告はなく、到着してすぐアウストリー軍と交戦状態になったことでエトルリア軍の着陣報告もなかった。
そのせいで渓谷全体の瘴気汚染に気付くのが遅れて市民を逃がす猶予さえ失ったのだから、ゲルツ伯爵家からの信用度が無くなるのも無理からぬことだった。
「おとうさん…ごめんなさい」
「クレアちゃんは何も悪くないじゃないか」
エトルリア先遣隊の魔術師団を率いたのは、当時弱冠17歳であったクレアの父ロベルトである。だがクレアはもちろんまだ生まれていないから、彼女に責任などあろうはずがない。
というか誰の責任も問えないのだ。だって戦争とは、戦場とはそういうものである。勝敗が確定していれば敗戦国がその責を負うのが一般的だが、ヴィパーヴァ渓谷を巡る戦いは勝敗がつかなかった。ただゴリシュカとゲルツ伯爵家が滅んだだけである。
だからこそエトルリア王家は、その当時すでに王家であったヴィスコット家は、責任を感じてイレデンタを捜し求め続けたのだ。そしてそれは当時まだ王子だった現王3世も、当時まだ生まれていなかった王女レギーナも同様で。
「わあああああん!」
「わあビックリした!?」
いきなりレギーナが顔を覆い、声を上げて泣き出したからビックリである。確かに悲劇的な話だが、泣くほどの事では——
「わあああ!もう結婚してぇ〜!」
「なんで!?」
滂沱と涙を流しつつ両手を差し伸べ求婚されて、思わず物理的に引いてしまったアルベルトである。
「いや、姫ちゃん色々すっ飛ばし過ぎやってそれ」
「ていうか、今の話のどこにそんな流れがあったのかなあ!?」
「だって、おとうさんはイレデンタ…」
「い、イレデンタ?」
ポカンとするアルベルト。それを見てレギーナ以下はキョトンとする。
「……どんな意味かはよく分からないけど、俺はもう30年も前に滅んだ家の子だしずっと平民として生きてきたから、王女殿下と婚姻できるような身分でもないですよ」
ていうか歳の差あり過ぎるし、王女で勇者とか普通に無理だし。
とか何とか呟いているアルベルトを見て、今度は唖然とする蒼薔薇騎士団。
「アルさん……」
「うん?」
「もしかして、自分の価値に気付いとらんと?」
「…………価値って言われてもね。14の歳の暮れにアナスタシアと一緒にシルミウムを逃げ出した時点で——」
「解っとらんったい」
「んんん?」
あくまでも理解してなさそうな顔のアルベルトを見て最初に気付いたのは、蒼薔薇騎士団で唯一エトルリア出身でないヴィオレだった。
「ああ、なるほどね。貴方、エトルリア国内で育っていないからイレデンタの価値を理解していないのね」
エトルリア国民であればスラヴィア争乱終結以後の30年間で、ゴリシュカの悲劇とイレデンタの価値は徹底的に教育され浸透している。だがアルベルトは生まれはともかく、育ったのはスラヴィア自治州内であってエトルリアではなかった。
当然、彼はイレデンタなんて知らないし、自分がずっと探されていたなんてこの瞬間まで全く気付いていなかったのである。
「マジで知らんやったったい」
「ええと……」
「おとうさんをね、生きて連れて帰ったら王家から賞金がもらえるよ」
「手がかりを見つけ出しただけでも褒賞品が下賜されるわね」
「ウソぉ!?」
「やけん、姫ちゃんの結婚相手としても問題なく認められるばい」
「むしろ陛下が喜ぶ」
「えええ……」
「貴方の人脈や見識の広がりようを見て、『どこかの王族』であっても不思議はないとは思っていたのだけれど。でもまさか、それ以上が出てくるだなんてねえ……」
ことエトルリアにとって、エトルリアの王族にとって、イレデンタつまりアルベルトはどんな王侯貴族よりも重要で尊重すべき存在である。すでに死んでしまっているならともかく、こうして無事に生きて発見されたのだからなおさらだ。
他の国にとってはそうではないが、少なくともエトルリアにとってはアルベルトが生きていることが何よりも重要で、喜ばしいことなのだ。
そしてエトルリア王女であるレギーナにとってもそれは同様で。
ちなみにこれは、アウストリー公国だとそうではない。アウストリーにとって重要なのはあくまでも土地であり領土であり、だからかの国ではゲルツ伯爵家の生き残りを探したりなどしていない。
「だからね、叔父さまもきっとお喜びになると思うの」
「陛下が!?」
「そうやね。陛下も2世陛下も、1世陛下もずーっと気にしとんしゃったけんね」
「大地の賢者も、旅しながらゲルツ伯爵家の手がかりを探してるんだよ」
「ガルシア様まで!?」
だってエトルリア国民全ての悲願なのだ。クレアの祖父ガルシアとてエトルリアの臣民のひとりなのだから当然のことである。
「そうと決まったら陛下に報告せんと!」
「そうね。早い方がいいでしょうね」
「国を挙げてお祝いになるね」
「いや……ちょっと待ってくれないかな」
一気にお祝いムードになりつつある中、独り取り残された恰好のアルベルトが困惑したように声を上げた。
「なあに?あなたは私とじゃ結婚したくないの?」
「そうじゃなくて。その、いきなり急すぎてついて行けないっていうか」
「あーまあ、そら分からんでもないけど」
「そもそも、まだ一度も名前すら呼ばれてないのに結婚って言われてもね……」
「「「……あっ。」」」
「えっ?」
今さら発覚した驚愕の事実。
そう。レギーナはアルベルトと出会ってからここまで、ただの一度も彼の名を呼んでいなかったのである。
「言われてみれば…」
「確かに、聞いた覚えがないわねえ」
「ウチはずーっと『おいちゃん』て呼んどったし、姫ちゃんは『彼』とか『あなた』とかばっかりやったねそう言えば」
「ううう嘘でしょ!?」
嘘ではない。男性に慣れていないレギーナは彼の名を呼ぶことを恥ずかしがって、ここまで全て二人称で済ませていた。それにすっかり慣れきってしまっていたことに気付いてすらいなかったのだ。
だが一度自覚してしまえば、レギーナ自身にも身に覚えがありすぎた。
「わああああごめんなさいいいぃぃぃ!」
そうして、今度こそレギーナは真っ赤になった顔を覆って、ベッドに突っ伏してしまったのだった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は16日です。
【ネタばらし】
とうとう一介のおっさん冒険者が、大国の王女にして勇者の婿候補にまで成り上がってしまいました(爆笑)。
ここまで明かされていなかった彼の本来のフルネームは『アルベルト・ディ・ゲルツ』で、滅びたゲルツ伯爵家の正統な嫡孫ということになります。仮にレギーナと結婚しなくても、エトルリア王宮に名乗り出さえすればゲルツ伯爵家の後継と認められ、エトルリアの貴族として遇されます。
つまりこれも、祖父という人の縁の賜物というわけで。
ちなみにこれは後づけの設定ではなく、最初から仕組んでいたことです。第一章第9話でラグ辺境伯のロイがアルベルトのことを『アルベルト・ヴィパーヴァ氏』と呼んでいますが、これは襲撃事件で殺人未遂の被害者になったアルベルトが、捜査の聴取を受けて咄嗟に名乗ってしまった偽名ということになります。
ヴィパーヴァ渓谷にあった都市ゴリシュカの出身だから、出せない家名の代わりにそう名乗ったというわけです。
また第二章第11話で「軍隊にはいい思い出がない」と言っているのも、勝手に人の街で戦闘を始めた挙げ句に街を滅ぼしたエトルリア、アウストリー両軍への嫌悪感を示しています。
ついでに言えば、彼の姉フランチェスカは別作品に愛称だけ出てきています。分かった上で読み返すと、色々ニマニマできるかも?(笑)
そしてレギーナがアルベルトの名を一度も呼んでない件、これも最初から作者が仕組んでいたものです(爆)。レギーナの登場する第一章第6話から読み返してもらっても構いませんが、意図的に呼ばせてないので彼女は本当に一度も名を呼んでおりません(爆笑)。
四章で皇都アンキューラの地下ダンジョンを攻略中の回に頂いた感想に『(レギーナは)現在進行形でもっと失礼なことを継続中(やらかし中)』と返信したことがありますが、彼の名を呼んでいないことを指しています。
少しずつ男性が共にある生活に慣れていき、無自覚に受け入れ始めている事実(例えば二章11話のラグシウムでの服選び回など)を認めたくなくて、彼の名前を呼ばないことで意識しないよう努めたり、無意識に彼の重要性を低く見積もる言動を繰り返していたのがレギーナです。
そして一旦受け入れてしまったら、今度は好きすぎて恥ずかしくって結局呼べないっていう(爆笑)。ホント、我が子ながら面倒くさい子ですわ(爆)。




