【幕裏】絶望の中で得たもの【R15】
【注意】
今回もR15回になります。29話以降をレギーナ視点からお送りします。
少々どころではないレベルの暴力表現、およびショッキングで惨たらしい死亡表現があります。某死に戻りを繰り返す超有名レジェンド作品をお読みになれる方なら耐えられるかと思います。
今回もまた次回の前書きに簡単なあらすじを付記しますので、今回をお読みになれなくても話の筋を追えます。ですので、お読みになった方でも無理だと感じた時点で読むのをやめることをお勧めします。
【この回の概要】
・エピソードタイトル
【幕間】絶望の中で得たもの
・ざっくりしすぎる内容説明
絶体絶命の状況でも諦めなかったアルベルトの機転で救い出されたレギーナが、仲間たちの手で撤退を果たす。その最中に朦朧とする意識の中、彼女が見て感じたものとは⸺。
「ぉご、あ……!」
瘴気の黒い炎を全身に纏った蛇王に蹴り飛ばされた瞬間、レギーナはその動きを目で捉えることが全くできていなかった。
(なに……今、蹴られた……!?)
それまでは“開放”なしでも、レギーナのスピードが蛇王を上回っていた。無論それで調子に乗ったりなどしないし、蛇王の動きを冷静に見極めて地道に削ることに専念していたし、回避も万全だった。瘴気の光線に脇腹を貫かれてからはなおさらだ。
一度の[破邪]と[治癒]だけでは完全に癒やせなかったようで、受傷部位には堪えがたい激痛が残ったままだ。だからこそ、さらなる痛撃を浴びないよう彼女はより慎重に立ち回っていた。
だというのに。
何が起こったのか、知覚すらできなかった。
混乱しつつも態勢を立て直すべく、吹っ飛ばされ転がった先で即座に身を起こした。
だがその眼前、目と鼻の先には壁しかなかった。
「が……は……!」
一瞬、意識を完全に刈り取られていた。
それが戻ったのは、弧を描いて宙を舞ったあと、頭から地面に叩きつけられたからである。
全身に激痛が走る。壁のように見えたのは蛇王の巨大な拳で、その拳に殴り飛ばされたのだと気付くまでに時間を要した。
鼻が潰れていて息苦しい。上半身全体に衝撃を食らったようで、左の上腕とおそらく肋骨も折れている。[物理防御]がまだ発動している感覚があることにも気付いて、その上でなおこれだけのダメージを負わされたことに慄然とした。
立ち上がろうとして、脚が震えていることに気がついた。
これまで対峙してきたどんな敵よりも遥かに強大な、圧倒的なまでの暴威に晒され、恐怖を感じているのだと理解が及んで、またもや愕然とした。
それでも、自分は勇者だ。
どんなに強大な相手であろうと、臆するわけにはいかない。臆したことを、悟られてはいけない。
そう心を奮い立たせて立ち上がり、愛剣ドゥリンダナを構え直す。
「ま……まだ……」
『もう終わりだ、勇者よ!』
振り絞った勇気は、蛇王の嗜虐に満ちた哄笑と、再び放たれた瘴気の光線によって木っ端微塵に粉砕された。
蛇王が突き出した左腕、貫手ではなく指を開いた左拳の五本の指の先端から放たれた黒い光線が、レギーナの左肩、右胸、右上腕、右腰、左腿をそれぞれ一瞬で撃ち抜いた。
一度破られたあと、それでも無いよりマシと張り直していたはずの[魔術防御]は、またしてもあっさりと砕けた。
万全な状態で“開放”していれば、あるいは躱せたかも知れない。だがすでに甚大なダメージを食らっていた身では、光線を躱しようもなかった。もとより光の速度など、イリュリア王国の首都ティルカンの地下下水路でミカエラがなす術なかったように、人の身で躱せるようなものでもなかった。
「っぎゃあああああ!!」
耐え難い痛みによる悲鳴、ではない。瘴気が体内から直接霊力を灼き尽くす、その悍ましさと恐怖に絶叫した。
踏ん張ることもできず吹っ飛ばされ、壁面に叩きつけられる。全身はすでに抵抗力を失い、なす術なく重力に囚われて落下する。
そう、その壁面から崩落した大小無数の瓦礫とともに。
落下したのはレギーナが最初で、一拍遅れて崩壊した壁面が瓦礫と化して次々と落ちてくる。あっという間に彼女は瓦礫に埋まって身動きが取れなくなった。
「ひ、い」
まだ[物理防御]の効果が辛うじて残っていたのが幸いだったのか、あるいは不幸だったのか。次々と落ちてくる瓦礫の向こうに、哄笑しながら距離を詰めてくる死の象徴を彼女は見てしまった。
瓦礫の下敷きになり身動きが取れない中、辛うじて動かせた左腕で頭をなんとか庇った。だが、そこまでだ。
「ああああああああああああ!!!!」
巨岩のような蛇王の拳が、瓦礫の山ごとレギーナを容赦なく叩き壊しすり潰す。声を限りに絶叫したのは、そうしなければ恐怖のあまりに正気を保てなかったから。そこにいるはずの親友に、なんとか助けを求めたかったから。
だがすでに崩壊寸前だった[物理防御]が仕事をしたのは、そこまでだった。
「ぷ、ぎ」
鎧が服が、全身の骨が筋肉が内臓が、無残に圧し潰される音を聞きながら、レギーナの意識もまた、潰れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レギーナの意識が再び浮上したのは、物凄い力で瓦礫だった小石の山から頭を掴まれ引きずり出された時である。首が引き千切られそうなほど圧倒的な力で吊るし上げられたが、すでに全身が破壊されていて抗うことさえできない。
わずかに開いた目に、同じく恐怖の色を瞳に浮かべた親友の姿が映る。
(ごめん、ミカエラ……)
辛うじて、それだけが頭を過ぎった。
自分はもうダメだが、親友にだけは何とか生き延びて欲しかった。
だがもう自分では、どうすることもできない。意図しない肉体の生存反応で肺の中の血を吐き出したものの、動けたのはわずかにそれだけだ。
感覚のない右手にかかる重みで、自分がまだドゥリンダナを握りしめていることが分かる。せめてこれだけは、形見として持ち帰ってもらえたら。
薄れゆく意識を必死に繋ぐ彼女の目に、眼前で動き回るアルベルトの姿が映った。だがその意味を正確に理解できる思考力さえ彼女には残っていなかった。
頭の後ろで、誰かが何か言っている。聞き取れないそれが聞こえた直後、頭を締め付けられる感覚に気付いた。
「あ……が……あ……!」
漏れ出た声は、もはや無意識のもの。すでに痛みさえ感じなくなっているというのに、頭蓋が軋む音だけが嫌にはっきりと耳の中を荒れ狂う。
(ああ……今度こそ……私……)
その不快な音を聞きながら、レギーナはいよいよ生命を手放そうと目を閉じた。
不意に、顔面を魔力が覆った感覚に襲われる。
その直後。感覚など残っていないはずの胸に、そう、霊炉のあるその場所に、何かが触れたのがそれでも分かった。
すぐに蛇王の唸り声が聞こえて、頭が解放される。重力に囚われて落ちてゆく身体が、何かにふわりと支えられ安定する。ほぼ同時に聞き取れない呟きが耳に届き、少しだけ呼吸が楽になった感覚がある。
「もう大丈夫。絶対に助けるから、もう少し我慢して」
聞き慣れた優しげな声がして、レギーナは再び薄目を開いた。見上げた視線が、穏やかに微笑む彼の顔を、自分に向けた灰褐色の瞳を一瞬だけ捉えた。
「ミカエラさん待った!行っちゃダメだ!」
「なし!姫ちゃんが奥さい逃げたと見とらんと!?早よ助けに行かな今度こそ殺さるうやん!」
「大丈夫だから。今のうちに逃げよう」
「はぁ!?」
彼の声と、言い争うのは親友の声。どちらも聞き間違うはずのない、聞き慣れた声だった。
もっとも、言っている意味はよく分からないが。でもどのみち、指一本動かせないレギーナには何もできない。あれほど苦手だった、男性に触れられている事にさえ抵抗も拒絶もできていないのに。
だが意外と、悪くないなと漠然と思った。普段あまり意識していなかったが、こんなに軽々と自分を抱き上げて平然としている彼の顔を見上げて、意外と力あるのねと、どうでもいい事を思い浮かべただけだった。
「貴様、この」
「ミカエラさん!」
「なんかて!」
言い争い続ける彼と親友の身体が触れ合い、レギーナの鼻腔に親友の身にまとう香水がふわりと香った。
ああ、すぐそこに彼女がいる。それだけで心が安らぐ。
「姫ちゃん!?」
「⸺ああ、良かった。やっぱり触れれば認識してもらえるね」
「一体、なんがどげんしたと?」
「そんな事より早く逃げよう!すぐに蛇王も気付くだろうし、奴が戻ってくる前に封印の境界まで辿り着かないと!」
「あっうん、そうやね!」
ところどころおぼろげになりながらもやり取りを聞いていたが、どうやらこの場から逃げてくれるようだ。だが相変わらず抱き上げられたままなので、彼が駆けると自然とレギーナの身体も激しく揺らされる事になる。
「……っ……!」
まだ身体のどこかに痛覚が残っていたのか、鈍い痛みを感じた。
「少し我慢して。境界面まで逃げ切れれば、ミカエラさんに[治癒]してもらうから」
ほとんど吐息と変わらないような呻きに、それでも彼は気付いて安心させてくれようとする。その気遣いがひたすらに有り難かった。
死に対して恐怖を感じたことも初めてなら、仲間の頼もしさを感じたのも初めてだった。それもパーティメンバーですらない、本来ならこの場までついてくる義務すらなかった彼なのだ。
だというのに彼は、蛇王のもたらす死の恐怖から救い出してくれただけでなく、自分を見捨てず抱きかかえて逃げてくれる。また助けられた、そのことにボロボロの心を癒やされるようで、薄目を開いて彼の顔を見上げた。
彼の顔の前、襟元から小さなロケットペンダントがこぼれ出て踊っていた。
服装やアクセサリー類に無頓着な彼が、そんな物を身に着けていたなんて初めて気付いた。身を飾るためにつけているとも思えないから何か大切な、家族の思い出の品だったりするのだろうか。
そう思って、ぼやける視界の中で半ば無意識に焦点を合わせた。裏蓋に家紋が刻印されている気がして、よく見ようとますます目を凝らす。
「⸺あ……」
まだ右手に握ったままのドゥリンダナが、横抱きにされた自分の身体の上に載せられていた抜き身の剣身が、走る振動の影響で少しずつずり落ちてゆくのに気がついたのはその時である。
(だ……だめ……)
だが気付いたところでどうにもならない。拳はいまだに柄を固く握ったままだが、すでに剣の重みを支える力など残っていないのだから、身体の上から剣が落ちてしまえばきっと取り落としてしまう。
それは、それだけは嫌だ。
瞬時にしてボロボロにされたあの時、それでも勇気を振り絞って抗おうとしたあの時、この相棒だけが心の支えだった。
それだけではない。ミカエラとふたりだけで蒼薔薇騎士団を立ち上げた際、叔父王から餞別代わりにと髪留めとともに宝剣継承の儀を提案され、見事継承して以来ずっとレギーナとともにあったドゥリンダナ。
そのドゥリンダナの重みに耐えられずに取り落としてしまったら、きっともう二度と戦えなくなる。根拠などひとつもなかったが、それは確信と言えた。
イヤ……嫌よ!落としたくない!
そんな必死の願いも虚しく、ドゥリンダナは自重でどんどんずり落ちてゆく。そしてとうとう、力の入らない右腕ごと、愛剣は身体の外へ投げ出された。
「おっと」
気がつけば右の拳ごと、ドゥリンダナの柄がひと回り大きな男性の右手に包まれていた。その大きな無骨な手は、自分の背中と右肩を支えてくれていたその手は確かに今、腕で背を支えたままで器用に伸ばされ、自分の右拳ごとドゥリンダナをも支えてくれていて。
無意識に瞑ってしまっていた目を薄く開ける。
見上げた視線が、自分を気遣う穏やかな眼差しとぶつかった。
ああ。
解ってくれていたんだわ。
彼はきっと、少しずつ落ちてゆくドゥリンダナに気付いていたのだ。そうしてレギーナがままならない身体で、落とさないよう必死に抗っていた事にも気付いていたのだ。
おそらくは、彼の隣を走る親友でさえ気付いていなかったはず。それを彼が、彼だけが気付いてくれた。
そう理解して、レギーナは安堵に目を閉じた。
彼に任せれば、何もかも上手く導いてくれるはず。だから全部委ねてしまってもきっと大丈夫。
相変わらず根拠はなかったが、今の彼女は素直にそう信じることができた。
そうして安堵に包まれて、ようやく彼女はゆっくりと、意識を手放した。
たとえこのまま意識を失ったとしても、彼が絶対に守ってくれる。彼に対するその絶大な信頼感が、彼女の中に根付いた瞬間だった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は26日、五章最終話になります。




