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5-30.撤退

今回は暴力シーンはないので、安心してお読み頂けます(多分)。



【前回のあらすじ】

脇腹に食らった攻撃が大ダメージをもたらし、一気に戦闘不能に陥りかけた勇者レギーナ。だが仲間たちの援護と治癒を受けて何とか戦いに復帰する。その後は慎重に、ダメージを貰わないよう立ち回っていたが、突如として力を増した蛇王にあっという間に追い詰められてしまう。

先程脇腹を抉ったものと同じ攻撃を5ヶ所同時に食らい、吹っ飛ばされ壁面に叩きつけられたレギーナは、壁面の崩落に巻き込まれてその下敷きになってしまう。そこへ蛇王が容赦なく滅多打ちに拳を振り下ろす。


 やがて蛇王に瓦礫の下から引きずり出されたレギーナは、誰がどう見ても死んだとしか思えない無残な姿になっていた。動かない彼女の頭を掴んでアルベルトやミカエラたちに見せつけるように高く掲げ、蛇王は勝ち誇ったように残忍な()みを浮かべるのだった⸺!






「ひめが!」

「姫ちゃんが……死んだ……」


 全身どす黒い血にまみれ、鎧は粉々、原形を留めていない左腕、掴み上げられるままに力なく垂れ下がる四肢、そして急所である頭部を鷲掴みにされているにもかかわらず、ピクリとも動かないレギーナの姿。

 ミカエラもクレアも、あまりに衝撃的な結末に呆然と立ち竦んだまま。ヴィオレも同様で、[恢歌]も止まってしまっている。


「嘘やん……髪留めまで砕けとるのに……!」


 レギーナがいつでも身につけ愛用していた金の髪留めはすでに跡形もなくなっていた。彼女の腰まで伸びた蒼い髪はどす黒い血にまだらに染まり、乱れるままに垂れ下がっている。

 この戦いの途中、瘴気の黒い光線に貫かれて壁面まで吹き飛ばされ、崩れ落ちた瓦礫に埋まるまでは、髪留めは確かに彼女のトレードマークでもあるポニーテールの根本をまとめて飾り立てていたはずだった。


 実はあの髪留めは、“身代わりの髪留め(バレッタ)”という名の霊遺物(アーティファクト)である。その効果は、着用者が外的要因で命を落とした時、代わりに砕けることで一度だけ着用者の命を永らえさせるというもの。その髪留めが無くなっているという事実はすなわち、レギーナが確かに一度その命を落としたという証明に他ならなかった。

 だが髪留めの効果は死んだ際に一度だけその命を永らえさせるだけであり、受けた傷が全回復するわけではない。命の灯が消えた段階で髪留めが砕けても、その上さらに傷を負えば二度目の死はすぐにやってくる。おそらくはレギーナもそうして、蛇王に二度(・・)()された(・・・)のだろう。


「ミカエラさん!」


 そんな中、いち早く動いたのはやはりアルベルトである。呆然と立ち尽くすミカエラに、彼は素早く駆け寄ろうとした。

 だがそれよりわずかに早く、ミカエラが再起動した。


「⸺っ貴様(きさァん)、この⸺!」


 瞬時に激高したミカエラが、詠唱とともにその身に[招願(しょうがん)]を下ろした。彼女の全身が、一瞬にして赤い魔力(マナ)の炎に包まれる。



 法術師が行使する三種の法術のうち、[招願]は神の神異(しんい)を直接その身に招いて、つまり我が身を依代にして憑依状態を作り出す術である。神の力は人の身に余るため、招く神の神異も相応に限定されたものにはなるが、それでも人類には到底届き得ぬ強大な力を一時的に(ふる)えるようになる。

 この招願こそが、法術師ミカエラのとっておきの奥の手である。神の力であれば神代の魔王にも充分抗しうるだろうし、それで彼女が蛇王を押し留めている間にレギーナを奪い返せれば撤退も可能になる。

 そしてミカエラが下ろそうとしたのは、武勇で知られる赤加護の戦神であった。招願は理論上、加護を問わずどんな神でも下ろせるが、依代と神の持つ加護が同じであれば神異がより強い状態で招願できる。二重加護の彼女は青加護だけでなく、赤加護も持っているのだ。


 もっともこの瞬間のミカエラは、レギーナの救出ではなく敵討ちのつもりであった。だって彼女の目にさえ、親友が生きているとは思えなかったから。


「待ってミカエラさん!」


 だがその彼女を、またしてもアルベルトが押し留めたではないか。


「なんか貴様(きさん)!止めんな殺っそ(殺すぞ)!」


 神に仕える法術師とも思えぬ暴言だが、ファガータ出身者が往々にして言葉遣いが荒くなるのを知っているアルベルトは怒りも怯みもしない。そして彼はファガータ弁が字面ほど荒い意味ではないことも解っている。


「まだ生きてるから!」

「……えっ」


 アルベルトの瞳に魔力の揺らぎを見て、ミカエラもすぐに[感知]を発動させた。すると確かに、死んだとしか思えないレギーナの胸部にごく微弱の霊力反応が残っている。


「それに彼女、まだ諦めてない(・・・・・・・)よ」

「……は?」

「だってドゥリンダナを握ったままだ」


 言われて見れば、レギーナの右手にはまだドゥリンダナの柄が握られたままになっていた。仮に彼女が事切れていれば全身の力が失われ、宝剣もその手をすり抜けて足下に転がっているはずだ。とはいえ、死んだ人間が拳を固く握りしめたまま事切れている、なんて事例もよくあることである。

 蹂躙され尽くした彼女の姿に反して、宝剣であるドゥリンダナとその鞘だけが無事だった。だが得物が無事だったとしても、使用者が死んでしまっては反撃など出来ようもない。

 と、その時、レギーナが苦しげにゴボッと血を吐いた。その血の量からして肺も内臓もズタズタなのだろうが、それでも彼女が呼吸を(・・・)しようとした(・・・・・・)ことは、ミカエラに一縷の希望をもたらした。


「なら尚のこと!」

「俺に任せて!」

「……は?」

「俺が必ず、彼女を助け出すから。そうしたらすぐ撤退しよう!そのためにも君には無傷でいてもらわなくちゃダメなんだ!」


 怒りと悲しみに張り裂けそうなミカエラの瞳と、決意と覚悟に満ちたアルベルトの瞳が交錯する。


「……なんか手があるんやね?」

「無策で『任せて』なんて言わないよ」


 ミカエラの潤んだ瞳が逡巡に揺れる。

 次いでその身を包んでいた赤い魔力(マナ)の炎が、消えた。

 そうして、ここまで自分たちを幾度も助けてくれた彼に、自分たちよりずっと多くの経験と実績を持つ彼に、いつでも思いもよらない奥の手を持っていた彼に、声を震わせて彼女は(こいねが)う。


「おいちゃん……アルベルトさん、お願い……姫ちゃんば助けて……」



 一方で蛇王のほうも、仕留めたはずの勇者がまだ生きていることを鋭敏に察知していた。


『まだ生きておるとは。そのしぶとさだけは褒めて遣わそう。だがどのみち同じこと、すぐに全員殺してくれるゆえ安心して逝くがいい!』


 だがそう言いつつも蛇王は、掴んだ勇者の頭を一息に握り潰すような真似はしなかった。その獰猛で残忍な気性そのままに、魔王は勇者の命を握るその拳に少しずつ力を加えてゆく。これほど痛めつけた相手を、この上さらに苦しめようとしたのだ。


「あ……が……あ……!」

「姫ちゃん!」


 頭蓋が軋むのが分かるのだろうか、レギーナが苦しげに悲鳴にもならない吐息を漏らす。だが抵抗する余力さえ残っていないのか、彼女の四肢は相変わらずピクリとも動かない。

 そんな親友の断末魔の苦しみにミカエラが悲鳴を上げるが、たった今全てを託した彼の手前、爪が食い込むほど拳を握って必死に堪えている。彼女だって分かっているのだ。親友を取り戻すために自分が戦い負傷してしまえば、今度こそ彼女の命が潰えてしまうと。

 

 そして託された男は、まだ呆然と棒立ちのままの少女へと駆け寄る。

 駆け寄ってくる気配に顔を向け、その姿を映した赤みの強いピンクの瞳が、みるみる意思を取り戻してゆく。

 それは、大好きな“おとうさん”に対する絶対的な信頼の証。


「クレアちゃん!」

「わたしは、なにをすればいいの?」

「蛇王と両肩の蛇、一度に全部目くらましできるかい?」

「分かった」

「遠慮無しに目一杯頼むよ」


 そうこうしているうちにも蛇王はレギーナの頭蓋を締め上げ、勇者の喉からはか細い悲鳴が上がり続けている。それは助けを求める声にすらならぬ、死への末期の抵抗とさえも呼べぬもの。

 だが、託された男がそうはさせない。


「蛇王!」

『……む?』


 駆け寄ってくる勇者の(・・・)取り巻き(・・・・)に名を呼ばれ、初めて蛇王が意識を向けた。


『そう慌てずとも、すぐにうぬらも勇者(こやつ)の元へ逝かせてやるゆえ⸺』

「[爆光]⸺!」


 その蛇王の視線の先、駆け寄る男のさらに後ろの天井付近で、太陽が爆ぜた(・・・・・・)


『ぬうっ!?』


 瞬間、広間を膨大で強烈な光が埋め尽くした。暴力的なまでの光の洪水は勇者の仲間も洞窟内の暗闇も全てを呑み込み、唯一その光をまともに目にした蛇王の視力を奪い去った。


「“瞬歩”」


 その光の中、その小さな声は発した本人以外に聞こえただろうか。

 目を閉じてもなお眼球を灼き尽くすような光の奔流の中、瞬時にして蛇王の足元まで迫ったアルベルトはジャンプ一番、その左腕に飛び上がる。

 猛烈な光は一瞬だけですぐにかき消え、アルベルトを含む仲間たちの網膜を守ろうとクレアが同時に発動させた[暗幕]もまた、それに合わせて解除される。そうして視界を取り戻した彼女たちの目に飛び込んで来たのは、レギーナの頭部を掴んだ蛇王の太い左腕によじ登り跨った彼の姿だった。


『おっ、おのれ!苦し紛れの小細工など!』


 光に目を焼かれ、唯一まだ視界の戻らない蛇王が右手で顔を覆うのに構わず、彼は腰袋から小さな人形を取り出し、手を伸ばしてそれを瀕死のレギーナの胸に触れさせる。そうしてそれを投げ捨てると腰帯から真銀(ミスリル)のダガーを引き抜いて、彼女の頭を掴む蛇王の手の甲に思い切り突き刺した。


『ぬがぁ!?』


 あらかじめ[破邪]の付与されていたダガーは蛇王にわずかなりともダメージを与え、蛇王は反射的に左腕を振り払った。そうしてかすかに視力が戻ってきた蛇王の視界の端、目に入ったのは。

 あれだけ痛めつけて瀕死に追い込んでいたはずの勇者が、自らの拳から逃れて洞窟の深部に逃げ込んでゆく後ろ姿。腕も脚も全身くまなく砕いたはずなのに、勇者は確かな足取りであっという間に蛇王から遠ざかる。


『おのれ、まだ抗うか!』


 最期の、そして無駄な抵抗をされたことに蛇王は激高し、今度こそ確実に息の根を止めるべく、勇者の姿を追って洞窟の深部に足を向けた。その際自分の足元に降り立ち逃げてゆく男の姿があることなど、蛇王は気付きもしなかった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 閃光と暗幕が晴れて以降のことは、当然にミカエラたちも目にしていた。つまり彼女たちの目にも、レギーナが最後の力を振り絞って蛇王の手を逃れ、洞窟の奥に駆け込んでゆく姿が捉えられていた。

 だから彼女たちは、アルベルトの戻りを待たずに駆け出す。勇者を今度こそ守り抜くために。


「ミカエラさん待った!行っちゃダメだ!」


 だというのに、戻ってくるアルベルトが不可解なことを言う。

 何かを大事そうに抱えるような形に不自然に両腕を固定している彼は、だがその手の中には何も抱いていない。何も抱いていないということは、当然、彼はひとりきりである。


「なし!姫ちゃんが奥さい()逃げた()見とらんと!?早よ助けに行かな今度こそ殺さるう(れる)やん!」


 親友を助けてと願ったのに。その命を確実に救うために、敢えて自分ではなく彼を頼ったのに。あろうことかその彼はレギーナを放置したまま手ぶらで(・・・・)戻ってきてしまったのだ。確かにレギーナは蛇王の手から逃れたし、それは彼のおかげだけれど、連れ帰って来なければなんの意味もない。


「大丈夫だから。今のうちに逃げよう」

「はぁ!?」


 今のうちに。それはつまり、奥に逃げたレギーナを囮にして自分たちだけ助かろうという、浅ましくも唾棄すべき提案だ。そう理解して、ミカエラの怒りが沸騰する。


貴様(きさ)、この」

「ミカエラさん!」

なんかて(なんなの)!」


 あまりの怒りに言葉すらつかえがちになるミカエラに、アルベルトが肩を押し付けてくる。普段から適切な距離を保って手すら握ってこない彼がそんな事をするのがどうにも違和感で、思わず彼女は彼を睨んだ。


「姫ちゃん!?」


 何もなかったはずの彼の腕の中。そこには横抱きにされてぐったりとしたままの、真っ赤な血(・・・・・)にまみれたレギーナの姿があるではないか。


「⸺ああ、良かった。やっぱり触れれば認識してもらえるね」


 安堵したようなアルベルトの声。


「一体、なんがどげん(何がどう)したと(なったわけ)?」

「奥に逃げたのは“身写しの人形”、霊遺物(アーティファクト)だよ」

「霊遺物!?」


 霊遺物は現代の魔術では再現も複製も不可能な古代の魔術で作られた一点物が多く、いずれもとんでもない高値で取引されるような品ばかりである。とてもではないが、アルベルトみたいな普通のおっさん冒険者が手に入れられるものではない。レギーナの髪留めだってエトルリア王家の潤沢な資産でもって、ヴィスコット3世がレギーナのためにとわざわざ買い与えた品なのだ。

 それなのに何故、この人はそんな物を持っていたのか。


「そんな事より早く逃げよう!すぐに蛇王も気付くだろうし、奴が戻ってくる前に封印の境界まで辿り着かないと!」

「あっうん、そうやね!」


 ミカエラとアルベルトの様子を見て、駆け寄ってきたクレアも頷く。まだ離れていてアルベルトの腕の中のレギーナの姿が見えていないヴィオレも察した様子で、彼が広間の入口に置いたままの背嚢に向かって駆け出した。


『おのれえええ!謀ったな勇者めえええ!』

「気付かれたよ!急ごう!」


 洞窟の奥から蛇王の怒り狂う声が聞こえてくる。

 そうして彼と彼女たちは、全力で逃走を開始した。生き延びるために。この無念と屈辱を胸に、傷付き敗れたレギーナを癒やして復活させ、いつか再戦(リベンジ)するために。






いつもお読み頂きありがとうございます。

次回更新は19日です。


すでにアナウンスは済んでますが、五章は全31話です。

このあとレギーナ視点の幕間を挟んで、撤退完了までで五章終了です。



【久々の博多(ファガータ)弁講座】

・貴様

「きさん」と読む。特に意味もなく「きさーん(きさァん)」と伸ばしがち。伸ばす時はなんとなく強調の意味合いを含むが、強調する意味がネイティブにもよく解っていない(笑)。あと「この(この野郎)」は必ず語尾につく。むしろ「きさんこの」で一文扱いまである。


・殺っそ

直訳すれば「殺すぞ」であり端的な脅し文句。ただし意味合い的には「ぶん殴る(叩く)ぞ」程度であって、怒っていると表明する程度の意味でしかないため、割と気軽によく使う(爆)。ただ最近の若者からはあまり聞かなくなった気はする。

同じ意味合いの「()らす」よりも(怒り度合い的に)上位の表現。ネイティブは「貴様(きさん)」と組み合わせて「殺っそ(()らっそ)貴様(きさん)!」と口にしがち。「ぶん殴るぞてめえ!」の意。

なお語尾の「そ」は絶対濁らせない。割と何でも濁音多めのファガータ弁にあって、ここだけは標準語と真逆。

ちなみに作中の「止めんな殺っそ」は意訳すると「止めるんじゃないわよ叩かれたいの!?」になる。ほら全然怖くない。ただし女性が使う語彙ではないことには留意が必要(爆)。


・なら(なお)のこと

「余計に」の意で強調の文脈で用いる。これで一文の語彙で、「だったら(余計に)」の意味になる。

例:なら尚のこと早よせな(だったら余計に早くしないと)


・なんがどげん(した)

「何がどう(した/なった)」の意で、標準語で使うほうが文字数少ないのになぜか文字数多めで喋る。ちなみに「何をどう(した)」なら「なんばどげん」になる。

例1:なんがどげんしたとね?(何がどうなったわけ?)

例2:なんばどげんしよっとや(何をどうしているんだ=何やってるんだ)


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[一言] 公女様から来てようやくここまで来た。 色々読んでたからだけど。 完全にシェアワールドだなぁ。 更新楽しみに待ってます
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