5-17.悪魔イブリース
極星宮からシアーマクがやって来て、昼食の用意ができたと告げてきたので、レギーナたちは一旦極星宮に戻ることにした。
「で、どうっすか調査のほう順調っすか?」
「あなたやけに馴れ馴れしくない?」
「あっすいません。自分こんななんで、いつもジャワドさんに怒られるんすよ〜」
見た目で軽薄そうなシアーマクは、言動もやっぱり軽薄であった。だが何となく憎めない雰囲気なのは、顔立ちの良さと態度がアッサリしていてドライな雰囲気のせいだろうか。
要するに、言い換えれば「人懐っこい」のだ。だがそれでいて案外深入りしてこないため、レギーナもそこまで邪険には扱わない。
「別に構わないけど、王宮で働くのならせめて他国からの客人にくらいは礼儀を覚えなさい?」
「分かってるんすけどね。でも勇者様、なんか気安くて話しやすいんすよね」
気安かろうが話しやすかろうが、ダメなものはダメである。だが目尻を下げてへらりと微笑われてしまうと、なんだか怒るに怒れない。そもそもレギーナ自身が普段から礼儀にうるさくないのもあって、呆れつつも流してしまえたりする。
まあもうすでに食卓の同席を許してしまっているのだし、今更な感じがしなくもなかった。
そしてそんなレギーナはテーブルマナーにもとやかく言わないので、そのあたりもシアーマクが親しみやすいのかも知れない。
専属料理人ヒーラードが用意した昼食は、濃い茶色のペースト状になったスープに何やら肉のようなものがゴロゴロと入っている、見るからに食欲を唆られない逸品であった。
「ザクロとクルミの鴨肉煮込みシチューでございます」
[翻言]のおかげでどんな料理なのかは分かったものの、味が全く想像できない。というか黒に近いほど濃い茶色で、シチューとも呼べぬほどドロドロで、微塵も美味しそうに見えない。
「あ、これ美味しいんだよね」
「「「「美味しいの!? 」」」」
「見た目はこんなだけど、カリーも似たようなものだしね」
確かにそう言われれば、カリーも茶色っぽい色味ではある。ただカリーは中の具材の色も見分けられるので、これよりは随分カラフルである。
「ひと口食べた瞬間はまあ……なんていうか強烈だけどね。慣れたらいくらでも食べられるよ」
「ま……まあ、あなたがそう言うなら……」
「そやねえ、食に関しては間違いなかろうし」
「それに、『旅先では現地の風俗に従え』とも言うものね」
ひとり喜んでいるアルベルトを見て、半信半疑ながらも信じることにした食いしん坊乙女たち。
「いや……いきなり信用し過ぎじゃないかな?」
「だって世界最高峰の料理人のお弟子さんなんでしょ?そりゃあ信用するわよ」
「いや、そんな料理の真髄まで教わったわけじゃないんだけどなあ……。あ、でも、食べるときはそこの白飯と一緒に食べた方がいいよ」
そう言われて見ると、エスパンデガーンの隣に皿に盛られた白飯が置いてある。白飯のはずだが、何だかやたらと粒が細長くて見慣れない。
「そうなんだ?」
「……これ、白飯なん?」
「我が国で一般的に栽培される米はこのような長粒種が多いのですよ。香りが良いので、クルミの風味ともよく合いますな」
すでに[翻言]を覚えたことも伝えてあるので、ヒーラードもすっかりアリヤーン語で喋っている。聞けば彼はあまり語学が得意でないのだそうだ。王宮勤めの人間として最低限は喋れるものの、許可さえ得られればすぐに[翻言]での会話に切り替えるのだそうだ。
まあそれはさておき、食前の祈りを捧げたあとにめいめいがスプーンを手に取ってシチューを一掬い、口に含んだ。
「あっっっま!」
「なんこれちかっぱ甘いやん!」
「……辛いのかと勝手に想像していたから、ダメージ大きいわねぇ……」
「おいしい」
「そこで白飯を食べるんだよ」
言われて次々と白飯に手を伸ばし、掬って食べるレギーナたち。
「……あ、ちょっとはマシになったかしら」
「ていうか、白飯抜きじゃ食われんばいこれ」
「……あら、何だか爽やかな香味が鼻に抜けるわね」
「……ホントだわ」
「甘みばっか目立つばってん、なんかこれ色々と深い味のするごたるね」
「このご飯もおいしい」
なんだかんだ言いながら、あっという間に食べ進めて完食してしまった彼女たちであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昼食と食後の茶を楽しんだ後は再び書殿に戻って、文献調査の続きに取り組む。とはいえやってることはただ読み進めているだけだが。蛇王に関しては基礎知識すらないので、彼女たちはまず『知ること』から始めねばならないのだ。
司書官のダーナによれば、蛇王に関してもっとも詳細なのは彼女たちが今読んでいる『王の書』と『炎の書』であるという。なのでレギーナとミカエラは引き続きふたつの書物を読み進める。
ちなみに[翻言]は切れてしまったので唱え直した。ダーナからも立ち合いの宮廷魔術師からも「完全に身に付くまでは[延長]や[固定]をかけずに都度唱え直した方がいい」と言われたので、しばらくは効果時間が切れるたびに唱え直す事になる。なおその[翻言]は、ニカとアルミタの立ち合いの元で詠唱文言を現代ロマーノ語に修正してある。アルミタは拝炎教の炎官、つまり神官でもあるので、宮廷魔術師と同様に立ち合いの資格があるのだそうだ。
「『ダハーグは、恐怖と暴力で世界を支配した。人々はなす術を知らず、恐れ慄き、ただひたすらにこの暗黒が払われる日が来ることを願い続けた』……千年もの間、人々は何もしなかった、ということ?」
「これらの書には詳細までは記されておりませんが、当初のダハーグは人々に両手を挙げて迎えられたのです。それがすぐに恐怖政治を敷くようになり人々は後悔したものの、自分たちが望んだのだからと、しばらくは耐えていたようです」
堕落した“賢王”イマを追放したダハーグを、人々は歓喜とともに迎えた。だがダハーグはすぐにイマに従う重臣たちやイマの治世を懐かしむ人民の追放・粛清を始め、さらに両肩の二匹の蛇に食わせる生贄として若い男女の命を求めるようになり、人々は恐怖に慄くことになる。
幾度か、ダハーグに対する武装蜂起なども起こされたのだという。だが軍部を完璧に掌握したダハーグは負け知らずで、人々はすぐに絶望に打ちひしがれるしかなかった。
「……それなんだけど」
「はい、なんでしょう」
「両肩に蛇を生やした人間なんて、よく歓迎されたわね」
「最初は、ダハーグもただの人間だったのですよ」
「……どういうこと?」
イマを追放し新たに王となったダハーグの元へは当初、多くの人々が集ったという。その中に、ひとりの料理人の姿があった。
この者はその当時、菜食が中心だった宮廷料理に肉料理を持ち込み、ダハーグに大いに喜ばれたという。料理人の男は御前に呼ばれ、ダハーグから直々に何でも望みの褒美を取らせると伝えられ、王の両肩に口づけをさせて欲しいと望んだ。そんなことで良いのか、と鷹揚に笑うダハーグが許可すると、男は進み出て、王の両肩にそっと触れるだけの口づけをそれぞれ一度ずつ、落とした。
するとたちまちのうちにダハーグの両肩からどす黒い蛇が一匹ずつ、生えてきたではないか。驚き慌てる王や臣下たちを尻目に、料理人の男はいつの間にか王の御前からも、王宮からも姿を消していたという。
「これは……太古の魔術、いえ呪い?
⸺いえ、そうじゃないわね。この料理人とやらもイブリースが化けていたと見るべきかしら」
「さすが、ご賢察です。我が国の神話学者たちの間では、イブリースが料理人に成りすまして僭主に呪いをかけたのだとするのが定説になっています」
切り取っても、石で潰しても、二匹の蛇は幾度も両肩から新たに生えてきてキリがない。弱りきったダハーグはかつての師匠を探し出して対策を乞うた。すると魔術師イブリースは「神の力を持つその蛇を殺そうとしても無駄なこと。毎日男女ひとりずつの脳を蛇に食わせよ。そうすればいずれ呪が薄まり、自然と蛇は肩から抜けてゆくであろう」との言伝だけをダハーグに届けさせた。
それ以来、ダハーグは左肩の雄蛇には男の脳を、右肩の雌蛇には女の脳を食わせるため、全世界から生贄を求めるようになった。人の脳を食うようになって蛇は大人しくなったが一向に抜け出る気配はなく、一方で若い男女を生贄狩りで攫われる民草にとっては、ダハーグは自分たちの望んだ解放者ではなく、恐怖と憎悪の象徴になっていったという⸺。
レギーナはパタリと『王の書』を閉じ、背もたれに寄りかかって上体を起こし、天を仰いだ。
「やっぱり、イブリースをどうにかしなくてはダメだわ……」
“賢王”イマが堕落したのも、ダハーグが父王を殺して故国を乗っ取ったのも、イマの堕落に付け込んでダハーグが王位を簒奪したのも、全てイブリースの暗躍あればこそだ。そしてダハーグの恐怖政治の発端までもがイブリースの仕業だったのだ。
だとすれば、仮に蛇王と化した現在のダハーグを封印ではなく滅ぼしたとしても、必ずやイブリースは第二の蛇王を生み出すに違いない。イブリースを倒さなければ、根本的な解決にはなり得ないのだ。
「いや……姫ちゃん、そらぁちょっと難しいかも分からんばい」
読んでいた『炎の書』から顔を上げて、ミカエラが呟いた。その顔に久しく見たことのないほどの苦悩が浮かんでいるのを見て、レギーナは驚いた。
「え……なんでよ」
「イブリースて、どっかで聞いたことのあるて思ってずーっと考えとったっちゃけどくさ」
「うん」
「“聖典教”の神話に出てくる、混沌を司る魔王の別名やん、それ」
「えっ、聖典教の魔王って…………サタンじゃない!」
“聖典教”は西方世界、イヴェリアス王国を中心に信者を増やしている、比較的新しい宗教である。いわゆる一神教で、天に坐します父たる神がこの世の全てを作りたもうたとする。その父たる神⸺聖典教では主と呼ぶ⸺が地上に遣わした“子”こと救世主を罪に満ちた現世の救い主として崇め、救世主への信仰を通じて主への強固な信仰を信徒に求めることに特徴がある。
その、天に坐します父たる神つまり主の元には、主の手足となり地上を教え導く“天使”たちがいるとされる。天使は主の創造物のひとつで、主には絶対服従の存在であり終末の時には天の軍勢として地獄の悪魔たちと戦うとされている。
だがその天使たちの中で、唯一、主に逆らって地上に追放された“堕天使”がいる。それこそが天使名ルキフェル、いわゆる“魔王サタン”である。
「魔王サタンの別名って、ルキフェルじゃない?」
「古い文献には“シャーターン”って名を記した書物のいくつかあるとよ」
「ミカエラ様はさすがに博識でいらっしゃいますね。崇偶教の教義における最大の悪魔の名が、『アッ・シャイターン』というのです」
「シャイターン、シャーターン、サタン……」
「要するに聖典教と崇偶教は元は同じ宗教か、元となる原始宗教のあった、っちゅうことになるわけやね」
「その通りです。大河西岸域、シャームの地で信仰されている現在の“イェダヤ教”が、そのふたつの宗教の直接の前身と考えられています」
イェダヤ教の信徒を“イェダヤ人”という。アスパード・ダナにはイェダヤ人のコミュニティもあるが、彼らは単一の民族ではなく、同じ宗教を信仰する多様な人種の集まりであったりする。
「それはいいけど、そのアッ・シャイターンとイブリースがどう繋がるのよ?」
「崇偶教の神話によれば、崇偶教の崇める唯一神が原初の人間を作った時、神に仕える天使たちや全ての生き物に対して、原初の人間への礼拝を命じたと言います。ですがその際に、天使のひとりが『泥人形を礼拝することなど出来ない』と拒否し、敵対者と呼ばれて地上へ追放されました。
その天使の名が、イブリースだと伝わっているのです」
「…………なるほどね。サタンの逸話とほぼ同じ、つまり両者は同一の存在と考えられるわけか……」
聖典教の堕天使ルキフェルも、神の作った原初の人間に対する礼拝を拒否して地上に堕とされたと伝わっている。元が同じ原始宗教から派生した宗教でもあるため、神話も同じものが形を変えて伝わっているのだろう。
「“討てない魔王”相手やと、さすがに手出しは難しかろうねえ」
「……元凶が判っているのに討てないなんて、なんだか歯痒いわね」
西方世界における最大最強最悪の魔王、それこそが魔王サタンと言われている。だがそのサタンは、来たるべき天界との決戦に備えて地獄の奥深くに潜んで力を蓄えているとされていて、ゆえに有史以来ただの一度も地上に姿を現したことがない。
そのサタンとイブリースが同等の存在なのだとすれば、逆説的にイブリースもまた“討てない魔王”ということになるのだ。
「どっちにしたっちゃ複数の宗教で最悪視されとる魔王やら、並みの勇者には手が出せんほどの相手やね」
「…………もっと力をつけるわ。蛇王もサタンも、イブリースも倒せるくらいに」
心底悔しそうに、レギーナが呟いた。彼女はまだ認定すらされていない“勇者候補”でしかなく、神話級の強大な魔王を相手にするには実力も経験も圧倒的に不足していた。
どれほど悔しかろうと、現状それが覆ることも、急激に実力が伸びることもない。だから歯噛みしつつも、諦めるほかはなかった。
お読み頂きありがとうございます。
相変わらずストックがありませんで、次回は11日に上げられるよう頑張ります(汗)。
『リ・カルン創世神話』の続編は、また改めて。
イブリースの話が挟まっちゃったので。
【註】
いくつか補足します。
①エスパンデガーン
現実世界で「フェセンジャーン」と呼ばれている料理に該当します。作者は食べたことがないので、どれほど甘いかは知りません。味の描写はネットで集めた知識によります(笑)。
②「敵対者」を「シャイターン」と訳しているのはでっち上げです(爆)。が、根拠的なものは聖書その他の解釈を参考にしています。これもネットで拾い集めた知識です。
③現実の宗教とよく似た宗教がたくさん出てきますが、実在の宗教を念頭に置いたものではなく、その批判や誤解を助長するものでもありません。あくまでもモチーフとして参考にしているだけであり、それ以上の他意はありませんので悪しからず。
なので無いとは思いますが、殺害予告とかは止めて頂ければ幸いです(震え声)。




