5-6.いざ王都に向かって
一行は結局、ロムジア近郊で野営したあとロムジアに入り、そこでも一泊した。クレアとミカエラの体調が戻りきらなかったせいもあるが、リバースしてしまったレギーナが湯浴みをしたがったからでもある。
まあ確かに勇者としても王女としても年頃の乙女としても、何日もそのままでは辛いものがあるだろうから、そこについては誰も何も言わなかった。
で、ロムジアでも最高級の宿で極上の一泊を堪能した一行は、改めて東方世界、リ・カルン公国内を南下し始めた。ロムジアから王都アスパード・ダナまで、ロムジアを含めて全15都市、約15日間の旅である。
まず最初の宿泊地はティフリス。ここはリ・カルン北部でも最大の都市であり、街に着いて宿を取った一行はせっかくだからと夜の街に買い出しを兼ねた散策に出かけた。
「さすが、東方世界に入ったって実感するわね!」
街並みを見ながらレギーナがそう言った。それもそのはずで、西方世界では見かけたこともない、屋根の丸い石レンガ造りの建物がそこかしこに建っている。
「あの建物とか、いかにもな感じよね」
「ああ、あれは“崇偶教”の寺院だよ」
「……また知らない宗教の名前が出てきたわ」
「いやいや姫ちゃん?学院の伝承科の授業で習うたはずばい?」
「私、その授業取ってないわ」
大嘘である。勇者を目指すと入塔前から公言していたレギーナが、勇者として訪れる事になる可能性が高いリ・カルンの歴史を、その国教を、学んでいないわけがない。
というか首席卒塔者がそんな手抜かりをしているはずがないわけで。
「いやいやバーブラ先生の授業でちゃんとやったやん、⸺ってあー、そういう」
「わーわー!聞こえなーい!」
要するにレギーナは、苦手なバーブラ先生の授業だったから思い出したくないだけだ。そうと気付いて苦笑するしかないミカエラである。そして反応を見る限りでは、彼女はきちんと思い出している。
「ね、ねえ!あの大きな丸い建物はなに?ずいぶん大きいわね!」
あからさまにレギーナが話題を変えに来た。彼女が指差す先には丸いドーム状の石造りの建造物がある。
その建物は寺院や他の建物とは違い、地面から上がほぼドームだけで構成されている。そのほかは入口と思しき丸屋根の通路のような部分と、あと頂上部に採光と通風目的と思しき小さな窓のついた、小さな丸屋根が乗っていた。
「ああ、あれは温泉だよ」
「温泉!?」
「でもこの時間は、もう閉まってると思うよ。昼間だけやってる大衆浴場だから」
「えー、入れないの……」
温泉と聞いて、サライボスナのバラエティ豊かなお湯を思い出したレギーナが色めき立ったが、閉まってると言われてすぐにしょげた。
ちなみにこの温泉は大浴場で男女混浴である。脱衣所と身体を洗う洗い場だけ男女別で、浴槽は大きな丸い石造りのものが丸い建物の中央部に据えてある。公衆浴場で、男女とも湯着で入るものだから混浴でも平気なのだ。
「ここのは源泉がひとつだから、温泉もあの1ヶ所だけだよ」
「なぁんだ。じゃああんまり楽しくないわね」
「ちゅうか、宿のお湯も温泉やったばい」
「え、ホントに?」
だったらレギーナたちはもう入ったあとである。
ということで、彼女はあっさり温泉のことなど忘れてしまった。
「にしても、今日はちょっと暖かいわね」
「大河を越えると気候も変わるからね。だから今日はじゃなくて、東方が暖かいんだよ」
「へー、そうなんだ」
アナトリアでは、雨季真っ盛りということもあってややひんやりとして涼しい日が多かった。それなのに東方に渡ってからは暖かく、むしろちょっと蒸すほどである。
「ここは北部だからまだ涼しいほうだよ。アスパード・ダナまで行けばもっと暑くなるんじゃないかな」
「えー、それはちょっとやだ…」
暑さが苦手なクレアが、想像して顔をしかめた。
君が思ってるより多分ずっと暑いと思うよ、とアルベルトは思ったが、空気を読んで口には出さなかった。
蒼薔薇騎士団は結局、夜市を回ってリ・カルン風の衣装を何着か買い込んだり、リ・カルンの料理を堪能したりしながら宿まで戻ってきた。買った荷物はアルベルトに全部持たせた……わけではなく、翌朝に宿まで届けてもらう手はずである。
そうして彼女たちは就寝し、翌朝早くに届けられた荷物を受け取りアプローズ号に積み込んで、意気揚々とティフリスを出発した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
南下する竜骨回廊の道中は、多くの脚竜車が行き交っている。それもレギーナたちのアプローズ号とさほど変わらぬサイズの車両が、護衛と思しき武装集団を引き連れていくつも走っている。
アプローズ号と同じく南下するのは、レギーナたちと同じく大河を渡ってきてアスパード・ダナに向かっているのだろう。だが北上する対向車は。
「あれって、西方世界に帰る車よね?」
「そういう事になるね」
北上してくる車両の多くは車速が遅く、中にはハドロフス種の二頭曳きで走っている車さえある。おそらくどの車も積荷を満載しているのだろう。
「あんなに荷物積んだ状態で、あの船に乗ったりして大丈夫なのかしら?」
今日は珍しくレギーナが御者台に出てきて助手座を占めている。普段はクレアか、たまにミカエラが暇つぶしに出てくるだけなのだが。
まあ彼女も初めての東方が物珍しいのだろう、とアルベルトは理解している。
「むしろ満載の方が渡河船には喜ばれる、って聞いたことがあるね」
「……え、なんでよ?」
「船倉が重くなればなるほど船体が安定するんだって」
「あー……、そういう事」
「商人たちにしても、車内を隙間なく埋め尽くした方が荷崩れの心配をしなくていいから楽なんだって」
「そういう理由もあるのね」
積荷を満載する理由としては当然それだけではない。東方の珍しい品物を少しでも多く持ち帰ったほうが利益になるし、荷崩れで破損する品が減れば減るほどその利益が増えるのだ。重い車両を乗せれば渡河船にも喜ばれるとあって、それで商人たちは誰もが目一杯仕入れて帰途につくわけだ。
そうして商人が西方に持ち帰った品々は、王侯貴族から庶民たちにまで幅広く受け入れられている。紅茶の原料となる茶葉、質の高い絹や綿、麻といった生地、珍しい木材、胡椒や胡麻などの香辛料から金銀といった貴金属まで、実に多様なものが東方世界から西方世界に輸入されて流通している。
逆に東方世界へは、西方で加工された家具や宝飾品、最新研究に基づく学術書や魔術書などが輸出されたり、物ではなく有識者が招かれることも多いという。ちなみに魔術書とは魔道書ではなく、魔術理論をまとめた学術書の一種である。
「……そんな中に混じって、銀麗たちみたいな奴隷も運ばれてるわけね……」
「おそらく名目上は別の品に偽装されているだろうけどね」
隙間なく満載にしていた方が喜ばれるのなら、奴隷を積んだ檻など喜ばれるはずがない。だって人間を隙間なく檻の中に詰め込むなど不可能なことである。
それに、そもそも受け入れ側のアナトリアでは奴隷が違法なのだし、その先のイリシャは奴隷制度を残しているが、他国からの受け入れまで許容しているわけではない。どう転んでも奴隷を西方に輸出するのは不法行為になるのだ。
「まあ、それはアナトリアとリ・カルンの行政が対応することだから」
「分かってるわよ。私たちの目的は別にある、って言いたいんでしょ」
勇者としてのレギーナの、この旅の目的はあくまでも蛇王の討伐と再封印である。奴隷の不法輸出を調査しに来たわけではないのだ。
ふと、アルベルトが顔を上げて背筋を伸ばした。ほぼ同時に、レギーナが前方はるか先へと視線を向けた。次いでふたりは、どちらからともなく顔を見合わせた。
「聞こえた?」
「レギーナさんも?」
「剣戟だったわ」
「脚竜の啼き声もね」
現在位置はちょうど森を突っ切る隘路に差し掛かるあたり。この森の中なら賊が襲撃するにはお誂え向きだろうし、仮に賊でなくとも、獣や魔獣が出てきたとしても不思議はない場所だ。
レギーナは助手座の腰帯を外して立ち上がり、室内に通じる連絡ドアを開けた。
「ミカエラ、出る準備して!前方でおそらく、何者かが脚竜車を襲ってるわ!」
「んあ?捕り物かいね?」
「捕り物か討伐か、まあどっちにしろ斬るだけよ」
レギーナの言い方は物騒だが、「斬れば終わる」は普段からの彼女の口癖だし、実際そうなることが多いわけで。というかぶっちゃけて言えばレギーナの場合だと、斬らずに終えることの方が多かったりもするのだが。
レギーナは手早く鎧を身に着け、愛用の剣帯を巻いて迅剣と長剣を腰に佩く。ミカエラは愛用の戦棍を持ち出してきた。ヴィオレとクレアは特段動かないので出撃するつもりはなさそうだ。レギーナも特に咎めないので、クレアの出番は今回もなさそうである。
「見えてきたよ!」
連絡用覗き窓からアルベルトの声が聞こえてきて、それと前後して戦闘音が聞こえてくる。
「止めてちょうだい!」
言うが早いか、まだアプローズ号が止まっていないのにレギーナとミカエラは乗降口から外に飛び出して行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「危ないところをありがとうございました。本当に何と御礼を申し上げてよいやら」
汗を拭きつつ、初老の商人がレギーナに頭を下げた。
「気にしないでいいわ。当然のことをしたまでだもの」
コルタールの剣身を鞘に収めつつ、何でもない事のようにレギーナが答えた。
襲われていたのはアプローズ号サイズの大型の荷駄車だった。聞けばやはり、積荷を満載してこれから西方世界へ帰るところなのだという。そして襲ってきたのは小型のイグノドン種に騎乗した野盗の一団。いわゆる高速強盗というやつだ。
賊のほうも竜骨回廊が西方世界との交易路で、ここを北へ向かう車両には“お宝”が満載されていることを知っているのだろう。というか。
「その対策のために雇った護衛たちが、まさか野盗どもと繋がっておるとは思いもよりませず……!」
要するに賊は最初から内通させる目的で、一部が隊商護衛に扮して何食わぬ顔をして雇われていたのだ。そして事に及んでも直ちには露見しづらい場所で襲撃計画を実行したわけだ。
彼らの誤算は、ちょうどその場に勇者一行が通りかかったこと、それに尽きた。それさえなければあるいは襲撃は成功していただろうに、不運なことである。
ただまあそんな野盗たちは本当にただのチンピラだったようで、レギーナが斬り伏せるまでもなく威圧一発で腰を抜かしたり気絶したり逃げ散ったりで、ミカエラの出番すらなかった。むしろ彼女は一緒に威圧に当てられてしまった隊商の人々へ[平静]をかけて回る方に忙しかったくらいである。
なお捕らえた賊たちは、程なくして駆けつけてきたリ・カルンの警邏隊に引き渡され、連行されて行った。
「あの、もし宜しければお名前をお聞かせ願えませぬか」
「私?私はレギーナ。勇者レギーナよ」
「おお……!では東方遠征の噂は本当だったのですね……!」
勇者レギーナの東方遠征は公開情報として広くアナウンスされている。この商人も当然その情報を仕入れていたようだ。
ただ、具体的な旅程や道中の詳細までは明らかにされないため、レギーナの東方入りが遅くなればそのぶんあらぬ憶測を呼ぶことにも繋がりかねない。ミカエラが日頃から日程の遅れを気にしているのは、そうした事情もあったりするのだった。
だがそれはそれとして、この一件がその後の旅程を暗示していることに、この時まだ彼女たちの誰ひとりとして気付いていなかった。
【注】
グリモワールの表記について、「魔導書」としていたものを8月30日付けで「魔道書」に変更しました。自分で覚えている箇所は手直ししましたがおそらく抜けがあるかと思いますので、これ以後、あるいは以前に「魔導書」とある場合は全て誤字になります。見かけた際は誤字報告をお願いします。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回更新は10日の予定です。
相変わらずストックはありませんが(爆)。
もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマーク・いいねをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!
感想欄も常に開放していますので、ご意見ご感想ツッコミやダメ出しなど、何でもお待ちしています。ぶっちゃけ感想もらえるだけでも嬉しいので。




