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5-3.決死の大河渡河

 渡河船は静かに桟橋を離れ、港を出て河面(かわも)を滑るように動き出した。次第に速度を上げつつ、しかし体感的にはラグシウムの遊覧船とさほど変わらないスピードでしかない。


「ちょっとこれ、もっとスピード出せないの?」

「ずいぶん慎重に操船しているようだけど」

「こげなスピードしか出さん(出さない)とやった(んだった)ら、そらぁ特大三(3時間)かかるくさ(でしょ)


 乗船時間を少しでも減らしたい蒼薔薇騎士団。というか一刻も早く対岸に辿り着きたい気持ちが丸分かりである。

 ちなみにレギーナたちの席は上等の個室席で、中にいるのは蒼薔薇騎士団とアルベルトと銀麗(インリー)、それに専属の客室乗務員だけである。


「お客様……」


 客室担当の乗務員の女性が、申し訳なさそうに眉を下げながら言いかける。それに耳ざとくレギーナが反応した。


「そういえば腰帯(これ)、まだ外せないの?」

「ええと、それはですね……」

「レギーナさん、あのね」

「なによ?」


 アルベルトにまで声をかけられて、苛つきを隠しもせず彼女は彼を睨みつけた。


「船速はこれ以上出せないし、航行中は腰帯も外したらダメなんだ」

「なんでよ」

「ここが大河の上だからさ。それに観光で乗ってるんじゃないんだよ」

「そんなの分かってるわよ」

「窓を見てごらんよ、全部嵌め殺しでしょ?それに座席も壁も柱も頑丈な造りで船体も大きい、なのに船が沈む」


 彼の表情が思いのほか真剣なのに気付いて、レギーナが思わず言葉に詰まった。


 その時である。ドォォンという轟音とともに船体が大きく(かし)いだのは。


「なっ、なに!?」

「なんかぶつかったやろ今!?」

「喋らないで!舌を噛むよ!」


 そのアルベルトの言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、再び船体が大きく揺れた。


 突然のことで、さすがのレギーナもややパニックを起こしかけていた。穏やかな河面に大きな船体で安心だと思っていたら船が沈むと言われて、半信半疑になっていたところにこの揺れなのだから無理もない。

 ふと穏やかな魔力に包まれるのを感じて顔を向けると、アルベルトが自分に掌を向けて[平静]を発動していた。そのおかげか少し落ち着きを取り戻せたのは正直有り難かった。レギーナだけでなく全員に[平静]を施しているあたり、やはり彼はこうなる事が分かっていたのだろう。

 その彼の向こうで、客室乗務員の女性が壁の手すりにしがみついているのも見えた。彼女の腰にはいつの間にか、命綱と思しき革ベルトが巻かれている。


「いいかい、端的に言うよ。河は(・・)流れてる(・・・・)んだ」


 真剣な表情のまま、アルベルトが言った。


「そしてこの河の長さと幅と、その水量⸺」

「……まさか」


 アルベルトが言い終えぬうちに、レギーナは悟ってしまった。そしてそのタイミングで再び横揺れが襲い、全員で座席にしがみつき、歯を食いしばって耐える。


 要するに、この揺れはただ単に水の流れが船体を(・・・)押している(・・・・・)だけ(・・)である。


 河幅75スタディオンにも及ぶ大河の、水深がどれほどあるのか聞いていないが、この大きな船が安全に航行するだけの深さがあるはずだ。となればそこに流れる水量も水圧も人の想像を絶するに違いない。

 つまり、津波と原理は同じである。船よりもはるかに大きく重い水の塊が航行中に絶えず押し寄せ、船体を押して揺さぶり翻弄するせいで、航行姿勢が安定しないのだ。

 船体は確かに人の(・・)目線(・・)では大きいが、この厖大(ぼうだい)な大河と比較すれば砂粒に等しい。それが大河の流れに、この巨大な水の塊に逆らって河岸から対岸まで進もうというのだから、そりゃ簡単に沈むはずである。


「ちゅうことはこの揺れが」


 ドォォン。ミシミシミシ。

 どこかで船体が軋む嫌な音がした。


「岸に着くまでずっと続くのね!?」

「いゃあ〜〜〜!」


 嫌がったところで無駄である。諦めてもらうより他にない。


「この船ホントに大丈夫なの!?」

「ごっご安心を!当船は今年就航の新造船(・・・)ですから!」

「だって今軋んだやんか!?」

「今日の揺れはまだ穏やかですから!」

「これで!?」


 ドォォン。


「微塵も安心できんっちゃけど!?」


 ちなみに大河渡河船の船体寿命は長くても約1年である。それ以上になると老朽化(・・・)が激しくなって、大河では使えなくなる。そのため就航から1年を超えると売却されて他の航路、リ・カルンなら外洋航路に、アナトリアならボアジッチ海峡や南海の航路に回される。大河で沈んだ渡河船の大半は就航1年以内に、雨上がりなどで流れが激しくなっていた場合などに水圧で破壊されたり転覆するなどして被害に遭ったものばかりだ。

 そしてスピードを出さないのも水圧に抗うための手段のひとつだ。スピードを上げるほど船体にかかる水圧が増して転覆の危険が高まるため、船体の耐久性と水圧とそれを受ける時間を天秤にかけて、ギリギリ出せる最高速度を緻密に計算した上で運行されている。水量が多く圧が強まる場合はその分スピードを落とさざるを得ないが、そうなると水圧に晒され続ける時間が延びて破壊される危険が増す。恐ろしいほどシビアなのだ。


 ドォォン。メリメリメリ。


 またしても船体が軋む音がした。

 もはや蒼薔薇騎士団といえども、無事に渡りきれるよう神に祈ることしかできなかった。


「みっミカエラ![請願]して!」

「無茶言うちゃいかんばい!河の神の仕事(・・)に他の神が干渉するわけなかろうもん!」


 ドォォン。


「もういゃあ〜〜!」


 言っておくがまだ航行の序盤も序盤、先ほど離れた港がまだ見えている位置である。必要な警告を告げ終えたアルベルトはすでに沈黙していて、銀麗(インリー)は腰帯で座席に固定されているだけに何とか落ち着いているが、それでも総毛立って縮こまっている。


「こ、これを特大三も……」


 これも試練のうちさね。

 レギーナの脳裏に、ニヤリと嗤うバーブラの顔が浮かび上がった。


「バーブラ先生のバカぁ〜!」


 ちなみにバーブラは、“竜を搜す者たち”での蛇王封印だけでなくその前代の“フィリックスと愉快な仲間たち”でも大河を渡っていて二往復している。要は合計四度の渡河を経験している強者であった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「着いた……?港に、着いたの……?」


 青褪めた顔をしたヴィオレが力なく呟いた。端正な美貌もさすがに今は見る影もない。


「………………。」


 クレアは表情も姿勢も固まってしまって微動だにしない。普段は愛らしいその顔は虚無に染まっている。


「生きとう(てる)?ウチ生きとうよね?」


 ミカエラは落ち着かない様子でずっと何やら確認している。言葉だけでなく身をよじり、視線を足元や脇腹や背中に忙しなく向けていて、どうやら動きを止めてしまうのが怖くて仕方ないといった様子だ。



 結論から先に言えば、船は沈むことなく無事に対岸の港へ辿り着いた。あれだけミシミシメリメリ軋んでいたにも関わらず、外観にも船内にもなんの損傷も見当たらなかった。

 だが蒼薔薇騎士団の全員が力尽きたようにぐったりしていて、座席から立ち上がれない。客室乗務員に腰帯を外すよう促されても動けないでいる。


「レギーナさん、大丈夫かい?」


 そしてアルベルトに気遣わしげに声をかけられたレギーナはといえば、座席に座ったまま上体を前に伏せていて微動だにしない。


「レギーナさ……」

無理(ムル)……」


 座席の腰帯を外してアルベルトが近寄ろうとすると、そのレギーナからかすかに声が漏れた。


「え……?」

「もう無理(ムル)


 次の瞬間、酸っぱい匂いが上等個室内にぶわりと広がった。


「わああああっ!?」



 えー、突然ですが、エトルリア王女レギーナ姫の尊厳確保のため、実況(・・)を一時的に停止します。再開までしばらくお待ち下さい。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「…………あー、死ぬかと思ったわ……」


 そう呟くレギーナが今いるのは、大河のリ・カルン公国側にある港に建てられている、休憩救護所の中である。アナトリア側の港にもある施設だが、大河渡河により乗客乗員の気分が悪くなったり怪我をしたりといった場合に備えて、割と本格的な医療施設が設けてあるのだ。

 あのあと人事不省に陥ったレギーナは乗務員たちの手で担架に乗せられ船を降り、この救護所に担ぎ込まれた。勇者としても王女としても有り得ない、黒歴史確定である。

 今の彼女は急遽カーテンで仕切って個室に仕立てた救護所のベッドに寝かされていて、救護所が常備している患者用の寝間着に何故か(・・・)着替えさせられている。


「姫ちゃん、着替えば持ってきたばい」

「…………ありがと、サイドテーブル(そこ)置いといて」


 レギーナは青い顔のままで、ベッドの上で身を起こす事もできない。

 ちなみにアルベルトは今ここにいない。彼はアプローズ号を船から下ろしたあと、そのまま車内で待機している。というかスズを気遣って側にいてやっている。銀麗も同様だ。

 ミカエラはそのアプローズ号が下ろされるのを待って車内に入り、寝室のクローゼットからレギーナの着替えを持ってきたわけだ。


 なおレギーナのベッドの隣にはもうひとつベッドが用意されていて、そこにはぐったりしたままのクレアが寝かされている。虚無顔のまま固まっていると思われていた彼女はすでに気絶していて、それで彼女も担架のお世話になった。

 そして彼女の意識は、まだ戻らない。


「貴女も顔色が相当悪いわよ。少し休んだらどうかしら?」


 レギーナとクレアに付き添っているヴィオレは青褪めたままだがまだ比較的元気そうである。だがミカエラは青いどころか血の気が引いて蒼白で、今にも倒れそうだ。


「いや、座ったらもう動っきらん(動けない)もん」


 ミカエラまで動けなくなると、ヴィオレだけではどうにもならなくなる。だからこそ彼女は無理をしているのだろう。ヴィオレとしては、無理をしたミカエラがひとり離れたところで倒れてしまうことの方を危惧しているのだが。

 だが意地になっているのか、ミカエラはヴィオレの忠告を頑なに聞こうとしなかった。






いつもお読みいただきありがとうございます。

次回更新は20日の予定です。



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