5-2.いろんな意味で不穏しかない
「出国手続きと乗船手続きを終えてきたわよ」
「ご苦労さま」
アプローズ号にヴィオレが帰ってきた。昼に入ってからの最初の便を予約してきたそうだ。
「第三騎士団の隊は私たちが乗船するまで見届けてから戻るそうよ」
「そう、分かったわ」
乗船を見届けて、確かに離岸するところまで確認して、それから彼らは帰っていくのだろう。間違いなく出国したと見届けなければ、これ以上蒼薔薇騎士団に国内で何かあったら今度こそアナトリアが終了してしまうのだから無理もないだろう。
「さて、じゃあそろそろお昼にしましょ」
「そやね」
「今日のお昼は、いつもより少し少なめにしとくからね」
「……なんでよ?」
アルベルトの一言に、怪訝そうに……というかむしろちょっと不満を露わにしつつ返すレギーナ。いや貴女普段から量減らせって言ってるくせに。
「んー、今は俺の口からは何とも」
「なによ、教えてくれないわけ?」
「船に乗れば、嫌でも分かるよ」
何やら奥歯にものが挟まったようなアルベルトの言い方に、蒼薔薇騎士団の全員が訝しげな表情になる。
「なん、もしかして船の揺れると?」
「まさか。あんなに大きな船がそうそう揺れるとも思えないけれど?」
大河の渡し船は、ただの渡し船とは思えないほど大きく立派で見るからに頑丈そうな造りである。ラグシウムで乗った遊覧船と比べても、こちらの方が明らかに大きい。
東西を行き交う交易商人たちが大量の積荷とともに乗り込むからなのだろうが、そのまま遠洋交易船に転用しても使えそうな堂々たる船体なのだ。
「いやあ多分、実際に経験しないと納得してもらえないだろうからね……」
それ以上アルベルトは何も言おうとせず、アプローズ号の調理場に立って料理を始めてしまった。
レギーナはその場にいる、もうひとりの渡河経験者に目を向けた。その銀麗はといえば、石のように固まって黙りこくったままである。だがその瞳孔が二尾猫のように細く尖り、全身の毛を逆立てているのに気付いて彼女は思わず息を呑んだ。
(こらあ、ちぃと覚悟しとった方がよかごたんね)
同じく銀麗の様子を確認したミカエラが、視線を彷徨わせた挙げ句に目を向けてきたレギーナに無言で頷いた。
(揺れる、ってことよね?)
(俄には信じられないけれど、そう考えておいた方がよさそうね……)
(でも騎士のひとは、流れが穏やかだって言ってたよね…)
蒼薔薇騎士団の全員が、無言のままアイコンタクトで頷き合う。
少し前までの彼女たちなら、信じられないだのそんな馬鹿なだのと言い募ってアルベルトの言葉を一も二もなく否定していたかも知れない。だが今の彼女たちは、信じられないと思いつつも彼の言葉を疑うでもない。
あの血鬼との戦闘を経て彼女たちは少しずつ、だが確実に、アルベルトの知識と経験に敬意を払い、その言葉を尊重するようになっているのだ。
レギーナは車窓から大河の河面を見やる。滔々とたゆたう水面は見るからに穏やかで、波しぶきすらほとんど見られない。凪と言っても差し支えないくらいである。
「……ま、乗れば分かるって言うんだし、乗れば分かるでしょ」
「あーまた姫ちゃんが思考停止しとるばい」
今考えたって仕方ないとばかりにレギーナが呟いて、いつものようにミカエラにツッコまれた。
今日アルベルトが昼食に用意したのは、旅の初日にも作った“五色の炒飯”であった。まだ彼がレギーナたちの胃袋の容量を掴んでいなかったあの頃と比べても少なめに盛ってある木皿に視線を落として、食いしん坊乙女たちは全員が同じ感想を抱いた。
((((…………少ない))))
だが実際に口に出したのは、それとは違う一言。
「おいちゃんおいちゃん」
「ん、何だいミカエラさん?」
「無事に渡り仰せたら、追加でなんか作っちゃらん?」
「んー、そうだなあ。じゃあその時にはまた何か作るよ」
「おし、交渉成立やね」
(ミカエラ、ナイス)
(おやつ確保…)
(これで晩食までは保つわね)
アイコンタクトで頷きあう彼女たちはまだ知らない。自分たちの身に、これから何が起ころうとしているのかを。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
渡し船への乗り込みは、イリシャのビュザンティオンからアナトリアのコンスタンティノスまでボアジッチ海峡を渡った際と、ほぼ同様の手順を踏んだ。どちらも国境越えの船旅であるため、当然と言えば当然のことだ。違いといえば、船に揺られる時間の長さくらいなものである。
ただ、アプローズ号は一般の脚竜車としては少々大きすぎるわけだが、同じく大河を渡る交易商人たちの荷駄車の半数以上が大して変わらないサイズだったのには少々驚かされた。それを曳く脚竜もほとんどがアロサウル種である。
「交易商人ってあんなに大きな車使うの?」
「あんまし見らんサイズのはずばってんが、必要あるっちゃろうね」
「あの大きな荷駄車を使ってる商人たちの半分くらいは、華国の国都まで行くんじゃないかな」
それはつまり、竜骨回廊を越えてその先に続く絹の道まで商人が旅するということだ。
「…………商人っていうのも大変ね」
「まあね。前回リ・カルンに行った時に同道した商人たちの中には、俺たちが帰るまでに戻って来なかった人たちもいたからね」
「“五色の風”って確か、東方遠征して戻るまで1年近くかかったんやなかったかいな?」
「うん、だいたい1年くらいかかったね」
「それってつまり、1年経っても戻って来なかった商人たちがいる、ってこと!?」
ユーリ率いる“輝ける虹の風”は誰にも見送られることなくラグを出発し、リ・カルン公国の当時の王都ハグマターナに至り、蛇王の文献調査や蛇封山の現地調査を経たのち、見事再封印を成し遂げてラグに戻ってきたのが約1年後のことである。これは勇者ユーリと“輝ける五色の風”の公開情報として、公式記録に残っている。
ちなみに竜骨回廊の起点であるルテティアから、絹の道の終着点となる華国の国都である“江州都”までを全行程とした場合、リ・カルンの現在の王都アスパード・ダナまででおよそ3分の1ほどでしかない。ルテティアからアスパード・ダナまで一般のアロサウル種の脚で4ヶ月足らず、アスパード・ダナから江州都までは約7ヶ月ほどかかる。それも、何事もトラブルがなくスムーズに旅ができたという前提での話になる。
「……そう言えば不思議よね」
「なんが?」
「だって、大河を越えたらアスパード・ダナまではおよそ半月でしょ?そこから蛇封山まで片道3日よね」
「そうだね」
「ラグからアスパード・ダナまでが概算で1ヶ月半くらいって言ってたわよね?」
「言うたねえ」
「…………調査期間って、そんなに必要だったのかしら?」
全行程の移動時間だけで言えば、ラグを出発してからラグに戻ってくるまで、余裕を見ても3ヶ月半というところ。蒼薔薇騎士団は行く先々でトラブルに見舞われたからここまですでに約2ヶ月ほどかかっているが、何事もなければとうにアスパード・ダナに着いているはずだった。
ハグマターナとアスパード・ダナはどちらも蛇封山から約3日の距離で、両都市間もそこまで離れていない。そして蛇王討伐と再封印そのものにそう何日もかかったとは思えない。となると、残りの約8ヶ月もの期間を全て調査期間に充てなければならなかったのだろうか。
「いやまあ、その期間中に俺が朧華さんにしごかれたり、陳大人に料理習ったりしてたわけだけどさ」
「それにしたって、よ。今までの歴代勇者ってそんなに時間かけてないわよね?」
そう。例えば勇者ロイと“竜を捜す者たち”の場合は約半年ほどで凱旋を果たしているし、それ以前の勇者パーティもおよそ似たようなものである。もちろん中には1年どころか2年近くかけたパーティもあるし、行ったきり帰って来なかったパーティも数多い。
それらは全て公式記録の公開情報である。だが個々のパーティが具体的にどう動いて何をしていたのかは一切公開されておらず、パーティメンバーの手記や言行録などもほぼ残されていない。
「……それに関しても、俺の口からは何とも言えないかなあ」
そしてまたまたアルベルトの歯切れが悪い。
「なによ、それも教えてくれないわけ?」
「以前のパーティがどうだったか、どうやったか、後発のパーティには何も教えちゃダメなんだ」
⸺調べるのも試練のうちさね⸺
⸺我ら全員がそうやって先輩諸氏を疑いながら駆けずり回って調べさせられたんだよ。だから君たちだけ楽をさせるわけにいかなくてね⸺
先々代勇者パーティのメンバーでもある、バーブラとロイの言葉がレギーナの脳裏に蘇る。要するに再封印依頼の席上でバーブラが言ったこと、そしてラグで勇者ロイが語ったこと、それを先代勇者パーティのメンバーであるアルベルトも守っているわけだ。
レギーナは目を閉じてひとつため息をつき、そして目を開くとアルベルトに視線を向けた。
「分かったわ。自分たちで確かめろ、ってことね」
「本当に申し訳ない。けど俺が伝えられることは全部伝えるから」
アルベルトは申し訳なさそうに頭を下げた。レギーナは「謝らないでいいわよ。そういう決まりなのなら仕方ないわ」と答えるに留めた。
そうこうしているうちに、アプローズ号の乗船の順番がやって来た。ボアジッチ海峡を渡った際は車体の大きさもあって最初に乗り込んだが、今回はそう目立つサイズでもなかったため、順番は中程になっていた。
「それじゃ勇者様方。この同意書にサインして頂きますよ」
「…………同意書?」
乗船手続きはヴィオレが代行して、銀麗の分も含めて全員分済ませてある。彼女はチケットも六枚分もらってきていて、あとはそれをひとりひとり切符切りに渡して半券を切り取ってもらえばそのまま船へ乗り込める。少なくともボアジッチ海峡を越えた時はそうだった。
それなのに、同意書とやらに署名を求められている。それも全員が個別にだ。
「ってあなた何さっさとサインしてるのよ!?」
「だってサインしないと船には乗れないからね。書いてある内容をよく読んで、納得してからサインするといいよ」
事もなげに言うアルベルト。そう言われてレギーナたちは同意書を読んでみた。
「…………え、なにこれ?」
「えーと?渡河航行中に起こる沈没事故、死亡事故を含む全ての事故について運航商会はその責を一切負わないものとする。⸺ちゅうことはつまり、」
「沈没事故などで乗客が死んでも自己責任、ってことかしら?」
「待って?そんなのおかしくない?」
通常、乗客を乗せる客船が事故を起こせば、その責任は船会社が負うものである。だというのにこの大河を渡す渡河船は違うというのか。
だとしても、相手は勇者であり、エトルリアの王女であるレギーナなのだ。もしも沈没して死なせたりすれば、確実にエトルリアから賠償請求がなされるはずである。
「勇者様であろうと、どこの王様であろうと、これはサインしてもらわなくちゃならねえんですよ。でなけりゃ船には乗って頂けません」
「こんなに大きな船が沈む、ですって?」
「今年はまだ一隻だけですがね。去年は全部で四隻だったかねえ」
「「「「ウソでしょ!? 」」」」
「大河を甘く見ちゃあいけませんぜ勇者様。コイツは大人しく見えてとんでもない暴れ川ですからね」
平然と言いきる切符切りに、レギーナたちは全員が開いた口が塞がらない。
「え、あなたたちそれで採算取れてるの!?」
「正直カツカツですね。赤になる年の方が多いくらいでさぁ」
「なんでそんな仕事してるのよ!?」
それはもちろん需要があるからに決まっている。レギーナたちのように目的があって大河を越える者や商人たちのように利があって東西を行き来する者は多いし、それに毎回必ず沈むというわけでもない。大河を渡河するのに他に手段がないのだから、人々は沈没の危険を承知の上で渡河船を頼るしかないのだ。
そして運行会社には、倒産しなくても済むようにアナトリアとリ・カルンの両国が補助金と補償金を交付していて、ぶっちゃけた話それで存続しているようなものである。
というか、渡河船がなくなると各方面への影響が計り知れないため、赤字だろうが犠牲者が出ようが続けるしかないのである。ただでさえ毎年の新造船の建造費用で手一杯なのに、死亡した乗客や積み荷の保証までやっていられないのだ。
ちなみに沈没事故の犠牲者の遺族には、運航商会からではなくリ・カルンとアナトリアの両国から見舞金と積荷の賠償金が出る。自己責任と突き放して終わりではないそうだ。
そこまで説明されて、レギーナたちは渋々サインを済ませた。済ませるしかなかった。
だが勇者といえども人間、河に沈めばもちろん生命はない。そして河幅が75スタディオンもあるのなら、離岸直後ならともかく河の中ほどまで進んでしまえば[飛空]や[空歩]、[空舞]などで岸まで戻ることも難しいのだ。
「絶対、絶対によ!沈んだりしたら承知しないからね!」
「そいつぁあっしじゃなくて河の神にお願いして下せぇ」
ごもっとも。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回更新は8月13日、の予定です。
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