5-1.いざ大河へ
マリアの幕裏と更新停止期間を含めて2ヶ月ほど空いていますので、話の流れを忘れておられる方もいらっしゃるかと思います。
そういう方は四章最終話からの読み返しをオススメしますm(_ _)m
カリカラを出発した一行はオルティでの宿泊を経て、いよいよアナトリア皇国の最東部、西方世界における竜骨回廊最後の都市アルダハンにたどり着いた。ラグを出発してから52日目のことである。
「ここがアルダハン?ずいぶん小さな街なのね」
「ここは“大河”を渡るための準備地なんだ。だから宿泊施設と隊商ギルドの拠点くらいしかなくて、住んでるのも関係者とその家族ぐらいしかいないんだよ」
「ふうん、そうなんだ」
竜骨回廊の基点はガリオン王国の首都ルテティアで、そのルテティアは人口約68万人を誇る西方世界でも最大規模の大都市である。それに比べればアルダハンは、街というより集落と呼んでも差し支えないほど小ぢんまりとしていた。とてもではないが終着点とは思えない。
それもそのはず、この街は人口約2000人程度の小さな街である。
アルダハンの規模がこれほど小さいのは、アルベルトが言った通り、大河を渡河するための準備地点に過ぎないからだ。つまり西方世界と東方世界とを繋ぐための中継地でしかないのである。
ちなみにアルダハンを出て大河を渡れば、超えた先のリ・カルン公国側には同じような中継地であるロムジアがある。そちらも市街規模としてはアルダハンと似たりよったりである。
ついでに言えば、竜骨回廊そのものは大河を越えてリ・カルン公国の王都アスパード・ダナまで伸びている。元々の街道の用途が東西の交易であるため、王都までは“竜骨回廊”と呼ばれるのだ。そのため、本当の意味での“終点”はアスパード・ダナということになる。
アルダハンの市街は中継地の宿泊拠点というだけあって宿泊施設が多く、王侯が泊まれるような格式高い宿から行商人が素泊まりするような安宿まで、通りに面して数え切れないほど軒を連ねている。その多くで飲食のサービスも提供しているようで、食事処さえほとんど見当たらなかった。
その他に目立つ施設と言えば隊商ギルドの支部に冒険者ギルド、あと入国を管理する政府関連の建物とそれに隣接した騎士団の詰所くらいである。
「宿はもう取ってありますので」
「そりゃもうバッチリ最上級の一室をご用意させて頂きましたとも」
ここまで随従してくれたスレヤとアルタンが、やり切った笑顔を向けてくる。
「あなたたちも、まあよくやってくれたわ。お礼を言わなくてはね」
「いえいえ、そんな勿体ないお言葉」
「そうですよ勇者様。アルタンにはお礼なんていりません」
「くぅ〜、相変わらずツレないねえスレヤたん」
「…………時々出てくるこの気持ち悪ささえ無ければ、まだ少しはマシなのに……」
このふたりも相変わらずである。なんだかんだでお似合いなのではなかろうか。
「まあいいわ。じゃあ案内して」
「「はっ!」」
というわけで、アナトリア最後の宿泊である。
皇族さえ泊まれそうなほど格式高い一室で充分に英気を養って、翌朝、朝食とチェックアウトを済ませた一行は宿の前に集合した。
「じゃあ、行きましょっか」
「では、私たちはここまででお見送りとさせて頂きます。勇者様、そして蒼薔薇騎士団の皆様、どうかご武運を」
「また帰りは寄って下さいねぇ〜」
「ありがとう。まあ、気が向いたらね」
一行はアプローズ号に乗り込んで、意気揚々と出発した。大河はここから485スタディオン先、スズのスピードなら特大三と少しの距離である。
アルタンとスレヤはアルダハンまででお別れである。渡河地点まで随従してしまうと、今日中にオルティまで戻るのが難しくなるためだ。代わりに、アルダハンに駐留する第三騎士団の分隊の騎士たちが護衛に付いてくれた。
「どうでもいいけど、最後の宿泊地が大河から500スタディオン近く離れてるって遠くない?」
「ああ、それはね。大河は大きいから、川沿いだと万が一氾濫した場合に逃げ場がなくなるんだよね」
「いやそれにしたっちゃ遠かろうもん」
「……まあ、実際に見てみれば分かるんじゃないかな」
レギーナの疑問はもっともだったが、アルベルトは曖昧に微笑うだけである。訝しげな彼女たちを乗せて、アプローズ号は大河を目指して進む。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…………で、着いたはいいっちゃけど」
「これ、どう見ても海じゃない!」
ミカエラとレギーナが呆れ顔で眺めているのは、見渡す限りに広がる穏やかに波打つ水面。船着き場までの最後の丘の上の、ようやく大河が拝める地点までやって来たとあって、全員で御者台に出てきた挙げ句のセリフがこれである。
彼女たちの眼下には、どう見ても海岸沿いにあるような立派な港と、そこに停泊する外洋でも使えそうな大きな船。とてもではないが桟橋に渡し船といった雰囲気ではないのだから、彼女たちが訝しむのも無理はない。
「いやいや、間違いなく“河”だよ。よく見てみて、ちゃんと流れてるからさ」
アルベルトにそう言われてよく見れば、確かに向かって左手から右手に水面が動いているような気もしなくもないが。
「どこがよ!」
「向こう岸やら見えんやん!」
そう。対岸なんてものは全く見えないのだ。あるのは水面、ただひたすらに碧がかった水面だけだ。対岸も見えないが、川べりだというのに川底さえ見通せない。
「そりゃあ見えないよ。75スタディオン先だもの」
「「「「な、75!? 」」」」
「嘘でしょ!そんな広い河なんて聞いたこともないわよ!」
「さすが“世界を分かつ”と言われるだけはある、ってことかしら……?」
「なしこげんとこで渡河さしょうて思たん。もっと狭かとこのあろうもん」
「お言葉ではございますが、ここが最も流れが穏やかで渡河に最適なのです」
随従してくれている第三騎士団アルダハン分隊の騎士隊長が、御者台に寄せた騎竜上からおずおずと口を挟む。
「ここより上流は河幅が狭くなるぶん急流になり、河岸も急峻な崖が増えて渡河の難所ばかりになります」
「かと言ってここより下ると河幅も広がるばかりで、下流域はやはり両岸が断崖絶壁になっているのです」
他の騎士たちも口々に渡河地点の設定理由を述べはじめ、それでレギーナたちも何も言えなくなってしまった。
“大河”。
世界を東西に分断するその河には、固有の名称が存在しない。ただ大きな河と呼ばれるだけだ。なぜかと言えば、それが世界で唯一無二の“河”だからである。
全長は定かではない。源流までたどり着いた者が誰もいないから分からないのだ。分かっている限りでは、暗海の北東方面から流れてきてリ・カルン公国の最北部に至り、暗海と、さらに内陸部にある海と見まごうほどに巨大な湖“央海”との間を流れてきて南東方向に緩やかに、そして飛躍的に河幅を広げながら流れ、そして最後はリ・カルン南部からヒンドスタン帝国南部一帯に広がる“赤海”へと注ぐ。
その河口部の河幅は、もっとも河幅の広い場所で実に1250スタディオンにも及ぶ。そこまで行くと本当に海となんら変わりない。
なお暗海と央海のさらに北方で“大河”は東側に大きく曲がっており、その先は大樹海のただ中に消えてゆく。その曲がった辺りからが上流とされ、そこから竜骨回廊の渡河地点よりやや下った辺りまでが中流域である。
中流域の西側は暗海の東岸以南がアナトリア皇国の支配地、以北が帝政ルーシの支配地で、東側が中下流域から河口までが全てリ・カルン公国の国土だ。そこから北は央海の南岸と西岸まで、東はヒンドスタン帝国と国境を接する位置までの広大な領域をリ・カルンは支配している。
ちなみに大河の下流域西側はアナトリアではなくアレイビア首長国の勢力圏だが、それはひとまず措いておく。
「…………とまあ、簡単に説明するとこんな感じ」
港に着いて、ヴィオレが乗船手続きに行っている間に、停車したアプローズ号の車内で地図を広げつつ簡単にリ・カルンと大河の説明を済ませたアルベルトは、そう言って話を締めくくった。
「河の最大幅が1250スタディオンて……」
「普通にそれ、内海レベルじゃないの……」
ちなみにこれがどれだけ非常識な数字なのか簡単に説明すると、蒼薔薇騎士団が少し前に四泊逗留したラグシウムの目の前に広がっていた“青海”、そのラグシウムから青海を越えて対岸のマグナ・グラエキアまでの直線距離がおおよそ500スタディオンである。青海の最大幅、つまりスラヴィアのある竜腹海岸から対岸になる竜脚半島までのもっとも遠い地点でも1000スタディオンを少し超える程度だ。
つまり河口自体がそこらの海より広いのだ。
「普通、そげんとはもう“河”て言わんやん……」
ごもっとも。
だがしかしそこは、確かに淡水域の“河”なのだ。
かつて太古の昔、大河はここまで大きな川ではなく、両岸の往来も盛んだったという。だがしかし往来が盛んなせいで諍いも絶えず、ある時西岸の国と東岸の国とで戦争に発展した。国力の均衡した両国は互いに一歩も譲らず、戦局が膠着したまま数百年あまりも経過したという。
このまま戦を続ければ、お互い疲弊するばかりで共倒れしかねない。それを危惧した両国の王は会談して共に神託を伺うことにした。そして得た神託は「一本の矢が国を分かち戦を終わらせる」というものであった。
そこでふたりの王は、両軍の中からもっとも弓矢に優れたひとりの兵士を選び出した。兵士は驚き畏れ、とても神託には応えられないと断ったが、やらねばただ命を失うだけだと脅され、やむなく現在のリ・カルン北方にあるとある山に登り、そこから矢を射た。ここから矢の届いた範囲までを東岸の領土とすることで合意が成立していたためである。
神託に真摯に応えようとした兵士が全霊をもって射た矢は予想を遥かに超えて遠方まで伸び、大河の只中に突き刺さった。そのあまりの威力に水が割れ、大地は抉れ、河岸は隆起し河幅があっという間に広がり、ついには両軍の弓矢も槍も届かないほどになってしまったという。
こうして領土は確定し、渡河の手段のなくなった両国の戦争は終わりを告げたが、全霊でもって神託に応えた兵士はその身を四散させて死んだという。
これが、リ・カルン公国に伝わる『世界を割った弓兵の神話』である。
「いやまあそげな神話はくさ」
「だいたいは現実に則して後から作るものだけど」
「いやそれを言っちゃ身も蓋も」
神話なんてものは、大抵後から人間がいいように作るものである。だがそうまであからさまに言われてしまっては、アルベルトも苦笑するしかない。
「アスパード・ダナの広場には、その弓兵の像なんかも建てられてるくらいには人々に信じられてるんだよ。だから向こうで迂闊なこと言っちゃダメだよ?」
「そりゃ神話になるくらいですもの、人々に信仰されてることくらいは当然分かってるわよ。だからそういう心配は無用よ」
「ウチらはただ、あまりのバカバカしさにツッコみたかだけなんやけん、ちぃとなと言わしちゃりいよ」
まあその気持ちは確かに分かる。実際に自分の目で見てもなお信じられないのが大河というものなのだ。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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いよいよ第五章ですが、今度はそれほど長くならない予定です(^_^;
執筆は進めていますが、まだあまり進んでいないので、もしかしたら四章の最初の頃みたいに不定期更新になるかも知れません(汗)。
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