c-5.【幕裏】巫女にも婚姻の自由はあります!
更新止まってスミマセンでした。
ぼちぼち更新を再開していきますので、よろしくお願いします。
「では、この件について各々方の見解を求めたい」
議長役の大司徒ミゲルが咳払いのあと発言した。それをきっかけに場を再びざわめきが支配する。
「やつがれめは、やはり反対にございます!」
真っ先に発言の許可を求め、それを得て声を張り上げたのは、この場にいる中では3番目に若い侍祭司徒タイランであった。若いと言っても40代の後半で、この場で彼より若いのは40代半ばの侍祭司徒と32歳のマリアだけだ。
タイランは浅黒い肌の筋骨隆々の偉丈夫である。パッと見は神職者には見えず、どこかの騎士か戦士にしか見えない。しかもそれでいて、威厳を身に着けたいのかやたらと老人言葉を使いたがる。だから色々と、アンバランスな印象しかない。
(まあ、タイラン侍祭はそうよね)
マリアは心中独りごちる。先ほどから「巫女に婚姻は必要ない」と繰り返し言っていたのがこのタイランである。
(だってアナトリアのご出身だものねえ)
彼の故国はアナトリア皇国。西方世界の中でも屈指の男尊女卑思想の強い国だ。そしてタイラン自身も、男尊女卑原理主義者と言い切ってもいいほどに常日頃から女性蔑視発言が多くあり、ゆえに巫女神殿に従事する神徒の女性たちからはジェルマンとともに蛇蝎のごとく嫌われている。
「巫女は神々にお仕えする者。言わば神々の花嫁とも言える存在であり、人の身の男などと色恋にうつつを抜かす暇などないはずです」
立ち上がり、胸を張って堂々と持論を述べるタイラン。だがなまじ身体が大きなものだから立ち上がると微妙に席の前の蝋燭の明かりが届かなくなって、顔がほとんど見えない。
まだ若くて目も良いマリアでさえおぼろげに輪郭程度しか分からないのだから、老眼のキツくなってきた年配者一同は[強化]で視力を上げないととても見えやしないだろう。だがタイランの演説以外になんの物音もしないこの部屋で詠唱など呟いては、却って悪目立ちするに決まっている。
なので、誰も[強化]を唱えようとはしなかった。まあ彼の顔が見えなくともこの場で何の不都合もないのだから当然か。
「それにそもそもの問題として、巫女がくだらぬ色恋などにかまけて職務を疎かにしたり、神々からの寵を失ったりしては取り返しがつかぬ!」
「タイラン」
胸を張り拳を振り上げて、長々と持論を展開するタイランの言葉に被せて遮った者がいる。
マリアは、隣の席の陽気な老人に目を向けた。タイランの演説を遮ったのは、誰あろう隣の席のファビオであった。
「ファビオ殿、立会人と言えども発言には許可を取って頂かねば……」
「おう、済まんたいミゲル。まあ堪えちゃらんや」
議事進行役として目上であるファビオに苦言を呈そうとした大司徒ミゲルに、片手を上げておよそ誠意の感じられない形ばかりの謝罪をしてから、ファビオは改めてタイランへと向き直る。
「お前くさ、そもそもなし巫女が婚姻ば許されんごとなったとか、詳しか経緯ば知っとっとや?」
「……は?あ、いえ、詳細までは存じませんが」
思いがけず演説を遮られて、おまけに相手が相手なものだから、タイランもどう応対していいか迷っているようだ。まあ目を見開いているあたり、おそらく本当に知らないのだろう。
「ほうか。ほんなら、『真典』までは確認しとらんっちゅうことやな」
「はあ……。『通典』は読んでおりますが、それが、何か」
イェルゲイル神教教団において、教団の通史は編纂された上で広く一般公開されている。それが俗に『通典』と呼ばれる“教団の正史”である。百年ごとに編纂事業が起こされて、前百年の史実を確認し整理して書籍にまとめている。現在まとまっているのはフェル歴600年までの歴史で、26年後の701年には601年から700年までの史実をまとめる編纂事業がスタートするはずだ。
だが、当然ながら編纂する前の原本も存在する。メモ程度のものから覚書、書簡、書籍、石碑や口伝に至るまで様々な記録形態で世界中に散らばる資料はその量も膨大な分量であり、それらを集めて整理しただけの、編纂前の原本を俗に『真典』という。
だから、タイランがそれを確認していないのも当然のことだった。真典を参照しようにも、まず自分の知りたい情報がどこにあるのか探すところから始めねばならず、膨大な手間と暇がかかるのだ。そんな事をしなくとも、もうすでに整理されてまとめられている通典があるのだから、普通は通典だけ確認してそれで終わりなのだ。
とはいえ、『通典』でさえハードカバーの分厚い大判書籍であり、それが神教の長い歴史も相まって数百冊もの膨大な分量になっている。それを確認するのだけでも一苦労で、世の歴史学者や研究者たちの中には通典を効率的に参照できるよう索引辞典や用語辞典などをわざわざ作った者がいて、それが広く利用されているほどだ。
そして『通典』には、巫女がいつ、どのようにして婚姻不可と決められたのかは載っていない。そう決まった事だけが書いてあるのだ。
「マリアが巫女に上がった時にちぃと調べた事のあるとばってんが」
ファビオは真典を参照した事があるという。少しとは言うものの、主祭司徒として多忙な生活を送っていたはずの彼が、わざわざ真典まで調べるのは相当に大変だったはずだが。
「そげん決まったとは古代ロマヌム帝国時代、時の皇帝が“神聖皇帝”ば名乗り始めた頃やった」
「……ああ、確か第155代主祭の頃ですな」
「おっ、さすがにグレゴリオは知っとったばいな」
ファビオだけでなく現主祭司徒のグレゴリオまでもが声を上げる。どうやら彼もまた『真典』を調べたことがあるようだ。
「神聖皇帝やら称し始めて神の権威ば得ろうとした皇帝権力に、対抗したとがそもそもの始まりたい」
公式には、古代帝国の国号は“ロマヌム帝国”とだけ記録されている。それを“古代ロマヌム帝国”と称するのは、現代人から見れば古代の存在であってとうの昔に滅んでしまった国家であるからに過ぎない。
そしてそのロマヌム帝国は、ある時から“神聖ロマヌム帝国”と公称し始めた。皇帝個人のみならず、帝国自体に神々の恩寵があると広く喧伝し始めたわけだ。
それに危機感を覚えたのが当時の神教教団の幹部たちである。この世で唯一、神々の恩寵を受けた特別な集団、それが神教教団であったはずなのに、そのままでは教団の権威は失墜してしまう。それを防止するために世界で唯一“神の声”を直接聞ける巫女を“神々の伴侶”として、皇帝や帝国よりも神々に近しいことを広くアピールしたのである。
つまり巫女は、当時の政争のとばっちりを受ける形で婚姻を禁じられてしまっただけなのだ。
「そ、そんな事が……。⸺いやですが、しかし」
初めて知る歴史事実に驚きながらも、タイランはなお自説を曲げなかった。
「結果的に神の恩寵を詐称した帝国は滅び、巫女は今なお変わらずに神々の寵愛を受けてござる。さればこそ、巫女は生涯にわたって神々だけに仕えるべきでありましょうぞ!」
「人の思惑やら、神々がいちいち気にするはずのなかろうもん」
「これは異なことを。それを気にするのは我々人類であり、我々が神々の御心を忖度こそすれ、神々にそれを求めるのは不遜というもの!」
と、ここで、スッとマリアの右手が上がった。
大司徒ミゲルが求めに応じて許可を与え、マリアはおもむろに口を開いた。
「わたくし、就位以来ずっと気になっていたことがひとつ、あるのです」
「……ほう?何かね、良ければ聞かせてもらえないだろうか」
現主祭司徒グレゴリオの目がキラリと光る。それをチラリと確認してから、マリアは言葉を続けた。
「なぜ、巫女だけが教義から外れていても許されるのだろうかと、ずっと不思議だったのですよね」
「「「「…………あ。」」」」
複数の声が、同時に同じ呟きを漏らした。それはグレゴリオであり、ミゲルであり、他にも幾人か。もちろんタイランも含まれている。
“産めよ、殖やせよ、地に満ちよ”
イェルゲイル神教が対外的に公式に標榜する教義はほぼこれのみだ。教団に所属して神職に就けば他にも様々な教義を学ぶことにはなるが、ただ入信しただけの一般の神徒たち、つまり俗世の大多数の人々は、ただこれのみを守っていれば良い。
細かく厳しい教義や戒律などがないからこそ、神教はここまで広く信仰され神徒を増やしてこれたのだ。だというのに、唯一巫女にだけはその教義を守るなと、産むな、殖やすなと強要しているに等しいのだ。
その二律背反に、言われて初めて気付いた一同。というか、言われるまで誰も気付かなかったのだ。そしてこの場で驚いていないのは、発言したマリア本人のほかはファビオだけである。
そんな簡単なことに何故今まで誰も気付かなかったのかと言われそうなものだが、常識とはそういうものである。特に古代ロマヌム帝国の中後期以降から現代まで、つまり千年以上もそれが常識であり、当たり前のことだったのだから、誰ひとり疑問を抱かなかったのも無理はない。
マリアがなぜそこに疑問を持てたのかといえば、やはり転生した元日本人としての記憶や考え方があったからである。マリアの常識の中では、人は誰しも恋愛や結婚の自由があり、信教の自由があり、人種や性別や身分によって差別されない権利があり、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。基本的人権というやつだ。
そしてファビオがなぜ気付けたのかといえば、巫女就位前からマリアと様々に話をしていたこともあるが、“神慮の聖賢”として絶対普遍の常識でさえも疑問を捨てずに常に再考する視点を持っていたからである。彼はその意味ではやはり、まごうことなき“七賢人”であった。
「それって本当に、神々のご意思に沿っていると言えるのでしょうか」
わざとらしく頬に手を当て、困ったように眉尻を下げるマリア。自身はすでに神々から内密に婚姻の許可を得ているものだから、実は余裕綽々である。
「う……むぅ……」
タイランはぐうの音も出ない。男尊女卑思想だけでなく神教の神徒としても原理主義的な彼は、巫女だけが教義を守らずにいられるという事実に気付いてしまった以上、それもまた容認できないのだ。彼にとって、教義は何をおいても守るべきものである。何故ならば、それは神から与えられたものであるからだ。
そしてそんなタイランを見て、マリアが心中で(プークス。はい論破ー!ってこれ一度言ってみたかったのよね♪)とニヤついているなどと彼は気付きもしない。自分の思考整理だけで手一杯である。
いや心中呟いてるだけなので言えてないが。
「……結論は出たようじゃな」
力なく着席してしまったタイランを見て、おもむろにグレゴリオが宣言した。現主祭司徒が容認した以上、巫女に婚姻を認める流れは確定したと言ってよかった。
「ちなみにですけれど」
再び手を上げて許可を得て、マリアが発言した。
「わたくしが正式に婚姻を許可された暁には是非申し込みたい、とお考えの方って、この中におられます?」
もう幾度目になるのか、座がまたしてもざわめいた。
この場に女性はマリアを含めて数名だけである。マリア以外の全員が侍祭司徒で、大司徒に女性はいない。そしてこの場の男性は全員が既婚者であった。
そして結果的に、誰の手も声も挙がらなかった。エトルリアでは重婚が、つまり側妻を娶ることが法的に許されてはいるが、それには正妻の許可と承認が絶対要件になる。年齢以上に若く美しいマリアを妻にできるものなら是非そうしたいと誰もが考えていたが、まずは正妻の承認が先である。
「で、では、僭越ながらこのわたくしめが」
そんな中、唯ひとり声を上げた者がいた。もちろんそれは侍祭司徒ジェルマンである。
マリアの水色の瞳が、それを聞いてキラリと光った。やや俯いて誰にも見せなかったが、それは確かに獲物が罠にかかったことへの歓喜の光を浮かべていた。
さあ、断罪の始まりである。
次回更新は9日の日曜日を予定しています。
なおマリアの幕裏は全8話から9話程度の予定です。
色々と“世界の裏側”のことも書いているので、文字通りの幕裏になる予定です。お楽しみに。
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