c-3.【幕裏】“悪人ども”の悪巧み
文中でルビ振り10文字制限に引っかかったルビがあり、後書きで解説を追記しています。
なんで10文字までしかダメなんや……!
その後もマリアの日常は、特に変わりなく過ぎて行く。毎日、朝と昼にお勤めと称して神託の間に篭って神々と雑談に興じ、その合間に教団が許可した接見をこなし、次期巫女候補である付き人のアグネスに教育を施し、さらにそのスケジュールの隙間を縫ってジズとフローレンティアの街を練り歩く。
もちろん[追跡]のマーキングを施した“兄さん”ことアルベルトの動向は欠かさずチェックしていて、彼が蒼薔薇騎士団とともにアナトリア皇国に入ったことも承知している。
「やっぱり兄さん、あの子たちにくっついて蛇王の封印所まで行くつもりなんだわ」
蒼薔薇騎士団に彼が同行しているのは道先案内人として雇われたからで、それはマリアもティルカン滞在中に聞いてはいるのだが、彼女は彼女で彼の目的を正しく理解している。
「やっぱり、ナーシャ姉さんの敵討ちに行くつもりなのね」
アルベルトの幼馴染であり、ユーリとともに“輝ける虹の風”を立ち上げたひとりでもある魔術師アナスタシア。彼女は封印所にて蛇王との戦闘中、蛇王に殺されそうになったアルベルトを庇って、彼とマリアの目の前で死んだのだ。それも、アナスタシア自身の持つ膨大な霊力を暴走させる形で。
その威力は凄まじく、それまで劣勢だった戦局を覆して一気に勝利を手繰り寄せるほどの劇的な一手となった。もちろんアルベルトも、ユーリもマリアも、他の仲間であるネフェルやナーンまでも守り切った上で、蛇王に致命傷級のダメージを負わせたのだ。
だが蛇王は神話に語られている通りに不死身の存在であった。どう見ても存在を維持できているのが不思議としか思えないほどの状態だったのに、意識はしっかり保っていたしユーリやアナスタシアを呪詛する言葉も吐いていた。一方でアナスタシアの方は全霊力を燃やし尽くして瀕死に陥り、マリアの必死の[治癒]も虚しくその若い命を散らしたのだ。
マリアはあの時ほど、自分の無力を痛感したことはなかった。マリアが[治癒]を失敗したのはあの時だけだったが、それでも失敗してはいけない時に失敗したという事実は、その後のマリアに大きな陰をもたらした。
だって自分が癒せなかったばかりに、大好きな兄さんに立ち直れないほどの精神的ダメージを負わせてしまったのだから。
あの時、真っ先にアナスタシアを抱きかかえて封印所を飛び出した彼は、ユーリとマリアが苦心しながら封印を再構築するのを焦れつつ待って、昼夜を問わずに蛇封山を駆け下り脚竜車で王都アスパード・ダナまで戻った。そして王都の黄神殿からラグの黄神殿まで[転移]の間を使ってまで戻った上で、すでに事切れていたアナスタシアの[蘇生]を試みたのだ。
だが王都アスパード・ダナから蛇封山のあるレイテヘランまでの道のりがそもそも片道3日ほどかかるのだ。強行軍してさえ下山に半日、王都帰還に丸2日以上かかっており、アルベルトがラグ神殿にたどり着いた時にはもうタイミング的に[蘇生]時限ギリギリだった。それで結局アナスタシアの蘇生は叶わず、大切な幼馴染を失ったアルベルトは失意に暮れてパーティすらも脱退してしまった。
そう。マリアは瀕死のアナスタシアを救えなかったばかりか、アルベルトの心を癒やしてやることさえできなかったのだ。
そのアルベルトが、今再び蛇王の封印所へ向かっているのだ。あれから18年、最後に会ってからでも10年ぶりに会った彼は、その目の奥に確かに決意の炎を灯していた。
年若い勇者レギーナや法術師ミカエラたちではきっと分からないだろう。だがマリアにはもちろん、ユーリやあの時の仲間たちの目にもきっと明らかな、確かな激情がそこにはあった。
だからマリアは彼を止めなかった。気の済むまでやらせてあげたい。それがきっと、彼を救うことになるのだから。
そしてマリアは、バーブラが蒼薔薇騎士団を蛇王討伐に指名した理由もそれではないかと考えている。若いなりに堅実で慎重な彼女たちなら、きっと助言を求めてユーリの元を訪れるはず。そうすればユーリのことだから、アルベルトを連れて行くように助言するだろう。
ラグ辺境伯である先々代勇者ロイのパーティメンバーでもあったバーブラなら、きっとアルベルトのその因縁も知っているはずだし、蛇王封印に関わった中で唯一無名のまま終わりかねないアルベルトの現状を、きっと憂いてくれているはずだ。
そして実際のところ、マリアのその推測はほぼ的を射ていた。
そうして今、多くの人々の思惑通りに彼女たちはアルベルトを伴って東方への旅を続けている。マリアとしては、彼の無念が晴らされるよう祈るばかりだ。
「ちゃんと敵討ちできたら、兄さん結婚してくれるかなあ」
ひとり呟きながらも、多分無理だろうなとマリアは感じている。だって彼からは、いつだってマリアは“妹”としてしか扱われていなかったのだから。
「…………まあそれ以前に、巫女の結婚問題をクリアしないとそもそも結婚できないんだけどね!」
私としては別に籍は入れなくたって、事実婚でもいいんだけどなあ。などと思ってしまうマリアは、やはり元日本人の転生者であった。
「ま、それはそれとして、今問題なのはジェルマン侍祭のアレをどうするかよね」
ジェルマンはあれから表向きには何も言ってこない。だが巫女が婚姻可能だと知れば、必ず求婚してくるのは間違いないだろう。
マリアは手を叩いて、側仕え役の侍徒を呼んだ。そうしてたった今したためた書状を収めた封筒を渡し、間違いなく手渡すよう念押ししてから下がらせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いやいやいや、マリアちゃんからお呼ばれするやら、いつぶりかいね!」
「ご無沙汰しております、ファビオさま」
巫女神殿の来客エリア、その中にあるマリア専用のテラスで彼女の向かいに席を得ているのはファビオ・ジョーナンク。先々代の神教主祭司徒である。齢70を目前にして総白髪に白髭となってはいるが、こうして豪快に笑う姿を見る限りでは変わらず壮健そうだ。
マリアが久しぶりに懇親したいと書状をしたためて、わざわざ隠居先のファガータから呼び出したのである。
ファビオは歴代の主祭司徒の中でも屈指の実力者であった。教団をまとめる統率力はもちろんのこと、法術でも右に出る者はないとされ、さらに多方面の叡智に精通し、“神慮の聖賢”と称されて七賢人のひとりにも数えられている。
本来ならば、彼はまだ主祭司徒の地位にあったはずである。8年前に突如として辞任してさえいなければ、これだけ元気なのだからまだ当分その権勢に揺るぎはなかったはずだった。
そう。マリアを巫女として推挙しその地位に就けたのがこのファビオなのだ。
「ファビオさま、今からでも主祭司徒に返り咲くお心づもりはございませんか?」
「なんね、当代主祭司徒になんか不満でもあるとね?」
「いいえ、グレゴリオさまもご立派でいらっしゃいますわよ」
ファビオが「孫娘に世界を見せる」と称して突如辞任したあと、主祭司徒の地位は中央大神殿付きの大司徒であったエメリッヒが継いだ。そのエメリッヒが6年間務めたあと急死して、現在は白派の宗派司徒だったグレゴリオがその任を引き継いでいる。
だがエメリッヒにしろグレゴリオにしろファビオの元で地位を上げた、いわばファビオの後輩に当たる。ファビオが辞任するまでは主祭司徒の地位は終身務めるものという慣例がほぼ出来上がりつつあったため、およそ100年ぶりに死去によらずその任を退いた彼の影響力は隠然たるものがある。
ファビオが中央大神殿のあるこのフローレンティアを離れて故郷のファガータに引き籠もっているのも、現状の教団運営に余計な波風を立てないためなのだ。
「ほんなら、なんね?誰ぞ悪僧しよるもんのおるとね?」
ファビオの目の奥に叡智の光が宿る。彼の身体だけでなく頭脳も壮健であることが伺えて、マリアは嬉しくなった。
「いえ、そういうわけでは」
「どうせジェルマンの奴やろうもん」
バレてる。
「ジェルマンさまもご立派に」
「なァんが立派やろうもんて。アイツぁ昔っから俗物やったけんねえ。どうせ言い寄られたりして迷惑しとっとやろ?」
めっちゃバレてた。
まあそれも無理はない。ファビオとジェルマンは入信同期で、このふたりは昔からライバル同士とされていたのだからある意味で当然のことだ。とはいえ、その実態はジェルマンが一方的にファビオをライバル視していただけのことで、実際にはファビオの方では歯牙にもかけていなかったのだが。
両者の実力差はその地位に如実に出ている。ファビオが20年近く主祭司徒の任にあったのに対して、ジェルマンはいまだに侍祭司徒トップにすら至っていないのだ。しかもその状態で、教団内では閑職に位置づけられる巫女神殿付きになっているのだから、ジェルマンのこの先の昇進は事実上絶たれている。
「どうせおおかた、巫女神殿付きにされたとが気に食わんとやろ」
「いえ、多分お喜びだと思いますけれど……」
憤然とファビオが言うが、マリアはそうは思わない。だって彼はその必要もないのに毎日のように登殿して、マリアをはじめ巫女神殿に勤める女性神徒たちをニヤニヤ眺めているのだ。巫女神殿には男性機能喪失者を中心に男性神徒も一定数いるが、女性たちに対して女を見る目つきを見せるのはジェルマンだけである。
そしてそのマリアの返事だけで、ファビオも察してしまった。
「あーんのバカたれが。グレゴリオにチクッとっちゃろう」
「それなのですけど」
マリアは慌ててファビオを引き留めた。今ここでファビオがグレゴリオに注進に及んだら、ジェルマンは絶対にマリアが自分を貶めたと騒ぎ立てるだろう。今日マリアがファビオを呼び出したことは特に隠していないので、当然ジェルマンの耳にも入っているはずなのだ。
「……なんか考えのあるごたんね?」
「実はジェルマン侍祭から『巫女の婚姻は可能なのか』という神々宛の質問を貰いまして」
「…………は?」
「せっかくなので、神々へお伺いしてみようかと」
「いやいや、待ちんしゃいマリアちゃん」
「…………ということで、そのための許可をグレゴリオさまに頂いてきて欲しいのです」
「…………ブハッ!」
椅子から腰を浮かせていたファビオが、呆気に取られたあと失笑し、その笑みを噛み殺しながら座り直した。マリアの意図に気付いたのだろう。
「あん時の純真無垢な娘さんが、こげん悪知恵の回るごとなるげなねえ」
「あら、なんのことでしょう?」
「そげん悪か顔ばしてから、ほんなこつ」
そう言ってふたりは、クククと嗤った。
もうほぼほぼ悪人どもの悪巧みの現場である。テラスの片隅で世話役の侍徒たちと並んで待機していたアグネスには、そうとしか見えなかった。
次回更新は5月18日……の予定です(爆)。
まだ書き上がってませんけどね!
【ファガータ弁補足】
・悪僧
悪いことするやつ、の意。子供などを叱る時「この悪僧坊主が」などと言ったりする。
今となっては老人言葉でほぼ死語であり、若い人には聞き馴染みのない言葉になりつつある。
・なんが〇〇やろうもんて
ルビ振り10文字制限に引っかかった……!(泣)
なんが(否定)→〇〇(言及する中身)→やろうもん(でしょう、の意)→て(強調)で、「〇〇なはずがない」という強い否定の慣用表現です。「なァんが立派やろうもんて」→「立派なはずがないだろう」になります。
「やろうもんて」を「でしょ(でっしょ)」に置き換える場合もあります。「なんがでっしょ」なら単なる否定の意。
【七賢人】
今まで全員を列挙したことないと思うけど、全員ちゃんと設定があったりします。
世界に名高い七人の賢者たち。賢者と呼ばれているがこの中には魔術師も詩人も含まれている。
以下の七名を総称し讃えて七賢人と呼ぶ。
“至高の賢者”ギイ・レーニエ
先々代勇者パーティ“竜を捜す者たち”の魔術師で、〈賢者の学院〉の学院長に相当する“大導師”の地位にある人物。675年現在で76歳。
“大地の賢者”ガルシア・パスキュール
若い頃から世界中を放浪しつつ、魔術の研鑽と研究に生涯を費やす人物。“賢者”と言えば一般名詞としては研究職にある魔術師全般を指す言葉だが、狭義ではガルシアを指すことが多い。当代勇者パーティ“蒼薔薇騎士団”の魔術師であるクレアの祖父。675年現在で75歳。
“最後の歌姫”バーブラ・スート・ライサウンド
先々代勇者パーティ“竜を捜す者たち”の吟遊詩人。さらに前の代の勇者パーティ“フェリックスと愉快な仲間たち”の魔術師でもあり、二代続けて蛇王の封印を担った。現在は〈賢者の学院〉で学部の最高位教職である“導師”を務めている(伝承科)。675年現在で89歳。
“銀森の賢者”シルレシルラワレイファス
エルフたちの都である森都シルウァステラを治めるエルフの女王。先代勇者パーティ“輝ける五色の風”の狩人であるエルフ、ネフェルランリルの姉でもある。
“岩窟の隠者”ゴルドニク
ドワーフたちの都である岩都ザルブルグを治めるドワーフの王。世界最高の鍛冶師でもある。
“神慮の聖賢”ファビオ・ジョーナンク
神教教団の先々代主祭司徒。当代勇者パーティ“蒼薔薇騎士団”の法術師ミカエラの祖父でもある。675年現在で69歳。
“審判の魔女”ライブラ
七賢人の中で唯一、ほとんど公の場に出てきていない謎の女性。直接見知っているのも先々代勇者ロイなどごく一部に限られていて、だが数少ない証言を総合すると「純白の外衣をまとった年齢不詳の妖艶な美女」らしい。
ただしロイが若い頃から近年に至るまで外見が変わっていないらしく、人類ではなく“神霊”だとも、竜翼山脈最高峰である竜心山の頂に封じられた“災厄の魔女”と対を成す存在だとも言われている。




